その1 マジ天使
茉莉花の実家に一泊した翌日、雅と桜子は午前の内にセバスチャンに送ってもらって家へ帰ってきていた。
前日に茉莉花と母親がどんな話をしたのかはわからなかったが、翌朝にはまだぎこちなさは残るもののある程度は打ち解けているようだった。
打ち解けられたのなら雅と桜子の役割は終わりである。茉莉花にもう一泊するように強く勧めた上で、用事があるからと雅と桜子だけ戻ってきたのだった。誰が考えても水入らずが好ましい。
いつものメイド服に着替えた雅はすぐ家事に取りかかった。
桜子は特にやる事もなく、久しぶりに自分の実家へ連絡してみた。茉莉花の実家へ挨拶に行ってくれたお礼や、祖母の健康状態、妹の様子などの話をしたあと、茉莉花と雅の話を夢中になってしていた。ただ、隠したいわけではなかったが、結城の話だけは恥ずかしくて出来なかった。
昼になり、雅と桜子は二人で昼食をとった。
インターホンが鳴ったのは食後のアイスコーヒーを飲んでいる時だった。マンチカンである。
マンチカンはソファに座って雅に入れてもらったアイスコーヒーを一口すすると、鞄から出した封筒を雅に渡した。
「明兎ちゃんのお父さんからだ。あの日、報酬の相場を訊かれたから答えたら、わざわざ寺まで持ってきてくれてな」
雅は受け取った。
「ありがとう」
「見たけど、相場よりもかなり上乗せされてたぞ。だいぶ感謝してるみたいだな。お前たちにくれぐれもありがとうを伝えてくれと頼まれた」
雅は中身を確認してから言った。
「うわ、ホントね。助かる」
マンチカンはいつも茉莉花が座っている辺りをちらりと見てから雅に訊いた。
「お金…というか仕事の量は大丈夫か?足りてるか?」
雅もいつも茉莉花が座っている辺りを横目で見て言った。
「たぶん茉莉花は足りないとかもっとよこせとか言うんだろうけど、あたしは充分だと思ってる」
「なんで?」
「お金の話なら茉莉花のお母さんの支援もあるし、今の仕事量でなんとかヤリクリできてるの。茉莉花は絶対に言わないけど、あたしは感謝してるよ、マンチカンに」
「いや、それはいいんだけど……でも余裕は無いだろ」
「茉莉花の金銭感覚にぜんぶ付き合ってればね。贅沢を言わなければ健康で文化的な生活は営めてるわよ」
「それならいいけど…」
「お金の事よりも、あたしたち女子高生だもん。仕事だけじゃなく学校生活やプライベートも大切にしなきゃ。茉莉花はそこらへんをないがしろにしすぎてる」
「そうなの?けっこう楽しんでるように見えるけど」
「ひとり遊びは得意よね」
「いや、お前らとも遊ぶだろ?」
「あたしたちはオモチャだもん。茉莉花にとっては」
不敵に笑う雅を見て、苦笑いするマンチカン。
「なるほど」
「他の人と接しないから頭でっかちになりすぎるのよ。茉莉花はもっとクラスメイトと関わったり積極的に外へ出たりした方がいいと思う」
マンチカンは目線だけ左下に落として言った。
「……難しいなあ、それ。だからオレはお前ら二人に期待してるんだけど…」
「知ってる。オモチャ以上にはなれるように頑張る」
慌てて雅を見るマンチカン。申し訳なさそうに早口で訂正する。
「あ、ごめん。期待ってそういう事じゃなくて、お前ら二人ならそのままでも化学反応が起きると思って。無理に頑張らなくていいから」
まっすぐにマンチカンを見る雅。
「わかってる。でも、茉莉花の事を想うのはあたし個人の感情よ。それは自由でしょ?」
「……ありがとう」
雅は笑顔で可愛らしく首を横に傾けた。
「お礼を言うのはあたしでしょ?茉莉花に会わせてくれたのはマンチカンなんだから」
マンチカンの眉間に小さくシワが入る。
「……お前、そんなに茉莉花に尽くさなくてもいいんだぞ。お前はお前の人生を送れよ」
「違う違う。依存してるのはあたしの方。あたしの中の不安が無くなって一人で立てるようになったら、その時は茉莉花から卒業するわ。茉莉花にはマンチカンがいるし」
「いや、オレとあいつはただの腐れ縁だから」
「あたしに下手な嘘はつかなくていいよ」
「嘘じゃないよ。少なくともあいつはオレを恨んでる」
「そうかなあ。あたしにはそんな風にはぜんぜん見えないんだけど。――ねえ、桜子」
雅とマンチカンが桜子を見ると、桜子はスマホを夢中になってイジっていた。声をかけられて、桜子はキョトンと顔を上げた。
「え?……なに?」
雅は苦笑いして訊いた。
「結城くん?」
あわあわする桜子。
「あ……えと……はい…」
「明日のデートの約束でもした?」
桜子は全身で照れながら嬉しそうに答えた。
「うん。公園でお弁当を食べる事になったの。キッチン使ってもいい?」
「あら、健全。手伝おうか?」
「大丈夫。サンドイッチぐらいだから。あとで買い物に行ってくる」
「あ、いいよ、いいよ。食パンも具の材料も普通ので良ければあるから使って。あとで場所おしえる」
「ありがとー!雅ちゃん、大好き!」
雅とマンチカンは顔を見合わせ、小さく声を出して笑った。
雅と桜子の二人だけの夕食の予定だったが、今日だけはマンチカンが加わっていた。茉莉花がいたら絶対にあり得ない光景である。
雅は日頃の感謝を伝える数少ない機会だと思っていたし、マンチカンにとっても肉を食べられる絶好のチャンスだった。
肉を頬張りながらマンチカンは言った。
「一件、仕事が入るかも。明日、あるお宅で四十九日法要があるんだけど、後飾り祭壇の横にずっといらっしゃるそうなんだ。お経上げで逝ってくださればいいんだけど、法要が前倒しの時ってたまに残られる場合があるんだよ。それでご家族に本来の四十九日に来てほしいって頼まれて読経する場合があるんだけど、それでも逝ってくださらない事がある。家族が心配で逝けないとか、たぶん何かあるんだろうな」
桜子も肉を頬張りながら言った。
「ほれなは、らいひょうぶ。ちゅうがふせえののき、けっほうおれずらひしらから」
雅が翻訳する。
「それなら、大丈夫。中学生の時、けっこうお手伝いしたから――って言ってると思う」
マンチカンは笑って食事の手を止めた。
「知ってる。だから場合によっては手伝ってもらおうかと…」
桜子も手を止め、肉を飲み込んでから言った。
「もちろんいいよ。四十九日法要のお手伝いで難しかった事ってあんまりないけど、難しくても誰だかわかってるし、ご家族の協力も得やすいから失敗したことなんて無いよ」
「うん。普段の相場よりは少ない料金になってしまうかもしれないけど、こういう仕事もコンスタントに入ってくれば、収入も安定してくるだろ」
雅も手を止めた。
「昼間も言ったけど、無理に仕事を増やさなくてもいいよ」
マンチカンは再び食事をしながら言った。
「違うよ。茉莉花の言葉じゃないけど、こっちが助かるんだよ。経上げてんのに逝ってもらえないと、坊主としては立場ないもんな」
肉を嬉しそうに食べるマンチカンを見て雅が苦笑いする。
「破戒僧だからお経に効きめが無いんじゃないの?」
マンチカンも苦笑いする。
「親父や兄貴の読経でも逝っていただけない事はあるよ」
「それなら仕方ない」
「オレの評価、低いなあ」
「評価してるよ。営業マンとしては」
「まあいいけど。桜子が来るまでは頼めなかった仕事だしな。この前の大夢くんもそうだけど、家族の前で身内を除霊は出来ないからな」
「そうね。ちょっと前までの茉莉花ならやりそうだけどね」
「だから、そういう仕事は頼めなかったんじゃん。案件としてはあったけど」
「あったんだ」
「いま過去の案件を整理してるけど、まだ問題解決してない話があったら持ってくるかも」
「うん、お願いします」
雅は小さく頭を下げた。
マンチカンが帰り、雅は後片付け、桜子は部屋に戻った。部屋でベッドに服を並べ、姿見の前でファッションショーを始めた。もちろん明日の服装を決めるためである。なるべく結城に可愛く思われたい。
気付けば時間がかなり経っていて、まだ決めかねてはいたが3パターン程に絞り込めてはいた。
「あとは明日でいいか。雅ちゃんにも相談しよ」
桜子は散らかした服を片付けると、ルームウエアを抱えて部屋を出た。
階段を下りると廊下の灯りはついていたが、キッチンやリビングの方は消えているようだった。雅も部屋へ戻ったのだろう。
桜子はバスルームへ向かった。鼻歌を歌いながら脱衣場のドアを開けて中へ入る。すると、ちょうど雅がバスルームから出てきたところだった。茉莉花がいない事ばかり考えていたので、雅が先に入っている可能性を全く計算にいれていなかった。
「あ、入ってたの?わたし、入れ替わりに入ってもい――」
そこまで言ってから、桜子は違和感を覚えて動きを止めた。
雅はフリーズしていたが、ハッと我に返って慌てて横のカゴにあったバスタオルをつかみ、必死に前を隠した。
「…………」
桜子は雅の違和感の正体を頭の中で探した。
長い髪の毛はバレッタか何かで後ろにまとめてある。顔は泣きそうな、初めて見る表情をしている。でも違和感の正体ではない。
もう隠されているタオルの下も思い返してみる。胸は小さいながらも美しい円錐形をしている。胸から腰にかけてのラインは女の子らしい柔らかい曲線を描いていて、茉莉花ほどくっきりしたものではないまでも緩やかなくびれを作っている。ヒップのラインは小振りだが綺麗な丸みを帯びている。下肢はスッと伸びてはいるが細すぎず、美しいメリハリを保っている。雅の体はある意味で完璧と言えた。
完璧な美少女の裸身には、しかし思いもよらなかったものが存在していた。二本の下肢の交わる所、可愛らしいヘソの下方に、男の子には有って女の子には普通は無いモノがついているのを桜子は確かに見た気がしたのだ。もちろん、それが違和感の正体に違いない。
頭の中に過去に見た幻想的なイラストが思い浮かび、全体的な見た目の美しさから思わず小首をかしげて呟いた。
「天使…?」
桜子は呆けていたが、涙を溜めて睨む雅の目を見てすぐ我に返った。
「あ、ごめんね。いま出るから」
何が起きているのかわからないまま、桜子は慌てて脱衣場を出た。そのまま足早に階段を上がり、自分の部屋へ逃げ込んだ。
ルームウエアを投げ出してベッドへうつぶせに倒れ込む。胸がドキドキし、頭の中はぐるぐるしていた。冷静に考えようとしても何も整理できない。ただ、雅に対する天使のイメージだけが強く心に残っている。脱衣場の雅は、翼さえあればまさにイラストの天使そのものだった。
しばらくして部屋の外から階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。雅が服を着終わって出てきたのだろうけれど、こんなに勢いよく上がってくる事は、まず無い。そのまま雅の部屋のだろうドアが素早く開け閉めされる音がした。そして間もなく再び開け閉めされたかと思うとバタバタと足音が近づき、桜子の部屋のドアの前でぴたりと止まった。
桜子の顔から血の気が引いた。先程から響いている足音は、ただならぬ空気をまとっていたからだ。
少しの沈黙のあと、ドアがゆっくり、しかしはっきりコンコンと二回叩かれた。桜子はびくりと上体を起こし、ドアを見つめた。
桜子の体は固まっていた。何に基づくのかわからない後ろめたさと恐怖が、桜子の頭の中にしきりに警報を鳴らしている。
桜子はドアをじっと見つめた。あらためてノックをされる様子はないものの、足音が帰っていく気配もない。ただの心の迷いなのだろうけれど、ドアのすぐ外に雅の呼吸音が聞こえる気がする。どんな顔をしているのかを想像するのさえ恐ろしい。
出たくない。このまま寝たふりをしようか。けれどもそれはなんの解決にもならない。桜子は意を決してベッドから下りた。忍び足でゆっくりとドアの前まで行き、耳を近づけたそのとき、再びコンコンとノックされた。
「ひっ!」
桜子の声は雅に聞こえたに違いない。もう逃げられない。開けるしかないのだ。
桜子は震える右手を左手で押さえながら、ノブを回してそっとドアを開いた。
そこには可愛いワンピースのルームウエアを着た雅が無表情で立っていた。笑っているようにはもちろん見えないが、怒っている風にも見えない。桜子は少しほっとして愛想笑いを浮かべた。
「こ、こんばんは。雅ちゃん」
我ながら間抜けな挨拶だと桜子は思いながらも、他に言葉が浮かばない。雅の目的もわからないのでうかつな事は言えないが、辛うじて訊いた。
「ど…うしたのかな?」
そう言い終わらないうちに、雅が言葉をかぶせてきた。
「見たの?」
直球だった。桜子の心臓が早鐘を打つ。
「あ、えと、でも…」
「見たの?見てないの?」
「あ…えと…………見た…かな…」
「…………」
「…………」
見たの?と訊かれたが、それが「裸を見た」ことを意味しているのか「秘密を見た」ことを指しているのか、そもそも具体的にどういう意味を持つ何を見たのか、桜子にはわかっていなかった。ただ、見てはいけないもの、少なくとも雅にとって見られたくなかったものを見てしまったという事だけは理解していた。
しばらくの沈黙のあと、雅は上目づかいに桜子を睨んだ。
「バラしたらころ――」
それからすぐに言い直した。
「バラしたら死んでやるから…」
桜子の背すじが凍った。怖すぎる。もう逃げたい。今すぐ逃げたい。けれどもヘビに睨まれたカエルみたいに身動きひとつとれない。闇を映したような雅の瞳から目を離すことが出来ない。震える唇から裏返った声を絞り出すのがやっとだった。
「はい…」
その返事を聞くと、雅は小さく頷いて自分の部屋へ帰っていった。
ドアをゆっくり閉めると小さくキィと鳴った。桜子はパタンと閉まる音と共にその場へ崩れ落ちた。体の力が入らない。
雅の言葉がよみがえる。
『バラしたらころ――』
――ころって言った。わたし殺される?
何も考えられない。風呂に入る気力もない。少しのあいだ放心していた桜子は、ようやくふらりと立ち上がり、ゆっくりベッドまで行って着替えもせずそのまま横になった。思考を諦め、寝てしまうのが一番と判断したからだ。
けれどもリアルにホラーを体験したような恐怖を味わったあとのことである。目を閉じているにもかかわらず、桜子はなかなか寝つくことが出来なかった。
次回「その2 異世界のツンデレ姫はホントは勇者の本音を聞きたい」は10/25(金)に投稿する予定です。




