その3 ホテルの霊の正体
学校初日の放課後、桜子は茉莉花と雅に連れられて部室棟に来ていた。その二階の一番奥が発足して間もない「心霊研究会」の部室だった。
ただ、ドアには大きく「心霊現象相談所」とだけ貼ってあって心霊研究会の文字は無い。
桜子が茉莉花から聞いたところによると、心霊研究会は部や同好会より格下の比較的設立のハードルが低い愛好会だという。活動内容が健全かつ文化的であり定期的な活動実態の報告さえあれば、部費は支給されないものの狭い部室は与えられる。
学校に活動拠点が欲しかった茉莉花は健全かつ文化的な活動内容をでっち上げて申請し、認められた。
そうして手に入れた部室のドアの横には机がひとつ置いてあり、張り紙に「霊についての相談事ポスト」「追って連絡します」と書かれた鍵のついたポストと用紙とボールペンが乗っていた。
茉莉花はポケットから鍵を出し、ポストを開けて中を見た。中には用紙が一枚入っていて、何やら書かれている。桜子は横から覗き込んだ。
『この街の危険が増大している。不用意に心霊現象に手を出すな』
そして連絡先欄に番号が書かれていた。
茉莉花は用紙を丸めてポイと捨てた。桜子は間髪を容れずに訊いた。
「なんで?!」
茉莉花は部室のドアの鍵を開けながら言った。
「だって、それ中二病のあいつんだもん」
桜子があとで聞いた話によると、何度も同じものが入れられているらしい。最初だけは誰からかわからず電話をしたそうだが、その相手が結城だとわかってからは無視し続けている。
「あれ?」
茉莉花が素頓狂な声を上げた。
「鍵が開いてる」
ドアを開けて中へ入ってみると、マンチカンが座ってのんきにコーヒーを飲みながらスマホをいじっていた。
「どうやって入った?!」
茉莉花が訊くと、マンチカンは小指を立ててコーヒーカップを掴み、一口すすってから答えた。
「奈々子先生に開けていただいた」
奈々子先生とはこの学校の物理の教師で、心霊研究会の形だけの顧問だ。
茉莉花はコーヒーを飲むマンチカンの所作にイライラしながら訊いた。
「なんで奈々子先生を知ってんのよ」
マンチカンは鼻の前でコーヒーカップを回し、香りを楽しみつつ答えた。
「ああ、それなら心霊研の相談役の坊主ってことで、とっくに顔つなぎしてあるから」
「なに勝手な事してんのよ。誰が相談役だ。パシリの間違いでしょ?」
「ひどい言いようだな。依頼料だって全額そっちに渡してるのに」
茉莉花はカバンを無造作に机に置いて、座りながら言った。
「どうせ美人リケジョが目当てなんでしょ?」
「奈々子先生のこと?まあ化粧っけなくて地味だけど、ああいうのに限って夜はエッチそうで悪くないかもな」
マンチカンは、またコーヒーをすすった。
茉莉花は立ち上がった。
「小指立てんのヤメロ!」
すぐに雅が茉莉花のうしろから両肩を撫でた。
「どうどうどう。わざわざ学校にまで来てるってことは、なにか大事な話があるのではないかしら?」
茉莉花は雅を見て苦笑いした。
「ごめん。そおね」
そして座り直した。
桜子も横に座り、雅はコーヒーを入れに立った。
「んで、なに?」
茉莉花の口調はぶっきらぼうだった。
だがマンチカンは構わず言った。
「調べてきたぞ。ホテルの霊について」
茉莉花は乗り出した。
「わかったの?全部」
「いや、全部はわからん」
「なんだ、使えない」
桜子が浄霊を成功させるためには、できるだけ詳しい霊についての情報が必要だった。
初見で行き当たりばったりでも浄霊できてしまうベテランもいるが、それは人生経験のなせる技。桜子は若すぎるのだ。
昨夜の話し合いで、依頼を持ってくるマンチカンが情報も一緒に持ってくるべきという茉莉花の主張が通って――というよりは無理やり通して、今後はマンチカンが霊の背景を調べてから依頼するという段取りになった。
もちろん今回の霊の背景もマンチカンが調べなければならない。
「霊の正体だけはわかったぞ」
マンチカンがスマホを操作する。
「えーと、株式会社高山設備管理の片桐という社員だ」
そして一枚の名刺の写真が表示されたスマホを茉莉花の前に差し出した。
最初、マンチカンは鈴代荘の従業員に霊について心当たりがないかと訊ねて回った。ところが目撃者も含めて思い当たることは無いという。
スーツを着ていたところを見ると宿泊客の一見さんではないかというのが多数意見だったが、何かを思い出す従業員もいなかったし、最近ホテルで亡くなった宿泊客もいないという。
それでもよくよく話を聞いてみると、館内の設備管理を委託している高山設備管理の社員が鈴代荘内で亡くなっていた。事故だった。
一年半前の12月も終りに近づいた頃、宴会場の高所の特殊な照明が切れ、年越し客を完璧な状態で迎えたかったホテル側は、年末休みに入っていて人の少なかった高山設備管理に交換を依頼した。
そしてやってきたのが、いつもの作業着の担当者達ではなくスーツを着た片桐という社員一人だった。午後の忙しくなる前の時間に来てフロントにだけ挨拶をして作業に入ったため、他の従業員とはほとんど会っていないらしい。
そのあと高所からの落下事故があったらしく、時間がかかっているのを不思議に思って見にきたフロントの女性社員が発見して救急車を呼んだので騒ぎにはなったが、その女性社員でも顔をよく覚えていなかったし、スーツを着ていた事さえ忘れていた。高山設備管理の人は社名の入った作業着を着ているという先入観があったらしく、このホテルで最近亡くなった人は?という質問でようやく思い出したようだ。
「あくまで推測だけど、スーツの霊は片桐さんで間違いなさそうだろ?この会社へ行って確認する必要はあるけど……どうする?」
マンチカンが訊いた。
茉莉花は雅の入れてくれたコーヒーをすすってから訊きかえした。
「どうするって何が?」
「調査の続きだよ」
「やってよ」
「そうじゃなくて、桜子は連れていくのか?」
昨夜、マンチカンが調査役と決まった時に、桜子が自分も参加させてほしいと言いだした。浄霊に必要な情報を自分自身で精査したいからだ。
懇願する目を向ける桜子を見て茉莉花はしばらく悩んでいたが、仕方がないという調子でため息をついてから言った。
「わたしも行くわ」
「なんで?」
マンチカンに訊かれて、茉莉花は眉間にシワを寄せた。
「あんたと桜子を二人にしたら危ないからに決まってんだろ」
「大丈夫だよ」
「あんたがそれ言ったところで何を信じろっての?」
そこで桜子も言った。
「大丈夫よ」
言い終わらないうちに茉莉花は言葉をかぶせてきた。
「ダイジョブじゃないよ」
マンチカンを思い切り指さして続けた。
「こいつは女とみたら子供から熟女まで見境なく手を出すエロ坊主なのよ。騙されちゃダメ」
「えっ?!」
桜子に警戒の目を向けられて、マンチカンは慌てた。
「いやいやいや。そんなウソ信じるなよ、桜子。少なくとも子供や熟女にゃ手は出さん」
茉莉花は腕を伸ばして桜子を庇いながらマンチカンを睨んだ。
「桜子には手を出す気でしょ?」
「バカ言え。最初に会った時から桜子に対しては女としての魅力なんかこれっぽっちも感じちゃいないよ」
桜子は唖然とし、その直後には沈んでうつむいた。
「これっぽっちも…」
茉莉花が桜子を抱きしめた。
「なんてこと言うんだ。デリカシーが無いのかキサマ。こんなエロ可愛い萌えキャラに仕上げたのに」
桜子の落ち込みように、マンチカンはうろたえた。
「ウソウソ。充分に魅力的だから自信を持てよ」
茉莉花は桜子を抱きしめたまま、マンチカンを威嚇した。
「ほら見ろ、やっぱり危ないじゃない。チカン坊主」
「オレにどうしろと…」
マンチカンを急激に疲れが襲った。
アポを取ってあったので、話はスムーズだった。
マンチカンの車で高山設備管理に到着し、片桐と親しかったという同僚と対面した時は、マンチカンの風貌と女子高生二人に訝しげな目を向けていたが、電話で前もってある程度は説明していたので門前払いとはならなかった。
「仏事だそうですね」
お茶をすすめながら片桐の同僚は言った。
それをひとくち飲んでからマンチカンは答えた。
「ええ。鈴代荘は老舗ですからね。ずっと受け継がれているんです」
「でも、去年はこうしておみえになりませんでしたね」
「失礼ながら、抜けてしまっていたんですよね。お客様ではなかったですし、ホントに短い時間の事故だったので、フロントの方ぐらいしか覚えていなくて」
「ま、仕方ないですよ。本来は片桐の仕事じゃなかったし」
ホテルで亡くなった人たちを一緒に供養する仏事が鈴代荘で毎年おこなわれている――というのはウソである。
そもそも毎年おこなうほど人は死んでいない。それを口実に、必要だからと片桐の写真と情報を得ようとしているわけだ。
「これをどうぞ」
同僚が社名の入った大きい封筒を差し出した。
中を見てみると、片桐の遺影だった。連絡を受けてからすぐにプリントしておいてくれたらしい。
桜子が写真を覗き込んだ。
「あっ、この人だ」
「あバカ」
茉莉花が桜子を肘で小突いた。
同僚が反応した。
「ほお、片桐を知ってるのかい?このお嬢さんがたは?」
「えっと…」
マンチカンは言いよどんだ。
茉莉花はマンチカンを横目で睨みながら小さく舌打ちをし、笑顔を作って代わりに答えた。
「わたしたち、当時あのホテルに泊まってたんですけど、この子が廊下で転んで足をくじいちゃって困ってたら片桐さんが助けてくれたんです」
同僚が驚いた顔をした。
「あいつが?意外だな。そういうの無視しそうだけどな。時間の無いときは特に…」
「そうですか?この子をおぶって部屋まで連れてってくれましたよ?」
同僚は桜子をジロジロと見た。
「まあ、あり得るか。あいつロリコンだし」
マンチカンが、やっと機転を利かせて付け足した。
「本来なら仏事は従業員だけでやるんですけど、この子たちがどうしても参加したいというので、従業員の身内の子ということもあって今回だけは参加させる事になりまして…」
「いい事だと思いますよ。あいつも喜ぶでしょう、色々な意味で」
同僚はジロジロ見たまま鼻で笑った。
マンチカンは写真の入った封筒をカバンにしまいながら同僚に訊いた。
「片桐さんは営業とか事務のかたですか?」
「どうして?」
「鈴代荘の本来の担当の方達と違ってスーツだったし、専門の方なら落ちたりしないのかなって」
「いや、あれはあいつの自業自得です。休みに無理やり呼び出されたのは可哀想だったけど、そのまま東京へ行くってスーツケース転がしながら来て、作業着のままじゃ東京へ行けないからって動きにくいスーツなんて着てきやがったんです。おまけに、きっと急いでたんでしょうね。決められた安全対策を全くしていなかったんですよ」
「東京ですか。急いでたってのは電車の時間かな?」
「現場の床に東京行きのチケットが落ちてたらしいから、そうなんでしょうね」
そこで桜子が割り込んだ。
「東京へは何しに?帰省ですか?」
同僚は半分笑って半分悲しそうに答えた。
「なんか大きなヲタクイベントがあって、それに行きたかったらしい。課長に『そんなもんよりクライアントが大切』って言われて泣きそうになりながら鈴代荘へ飛んでった。あんなことになるなら俺が残業してでも代わってやればよかったよ」
年末の大きなイベント。アニメ好きの桜子にも心当たりがあった。その辺りに片桐の心残りがありそうだ。
「そのイベントについて、何かお話をお聞きになった事ありますか?」
「ああ、あいつお盆休みにも同じイベントへ行って、帰ってきてから興味ないって言ってるのに土産話をいっぱい聞かされたよ」
「例えばどんな?」
「覚えてないよ。熱弁されたけど、そもそも何を言ってるのかよくわからなかったし」
「そうですか」
「…いや、でもスマホの写真はたくさん見せられた。特にコスプレした可愛い女の子の写真がいっぱいだったよ」
「コスプレって、どんな?」
「よくわかんないよ――キャラとか?巫女さんとかメイドとかいたような気がするけど、どれも何か妙にエロいの」
「巫女にメイド…」
「あ、俺はベレー帽をかぶったミニスカ軍服のお姉ちゃんが好みだったな」
「はあ…」
この同僚から聞き出せる情報はもうなさそうだったが、ここまでわかれば桜子には充分だった。
リビングのソファに深く腰を掛けて足を組んだ茉莉花が言った。
「仕事を命令した課長に怨みとかあんじゃないの?」
茉莉花の右隣に座らされた桜子が答えた。
「それはないと思うよ?」
「なんで?イベントに行けないのも死んだのも課長のせいとか思ってそおじゃん」
全員の前にコーヒーを並べ終わったメイド服姿の雅が横向きの一人用のソファに座りながら言った。
「だったら会社の方に出るんじゃないかしら」
桜子が頷いた。
「なんで担当でもないホテルにいつまでもいるのかってこと」
茉莉花が視線を左上へ向けた。
「仕事が終わってないとか?」
向かいのソファのマンチカンがそれに答える。
「いや、ホテルの人によると、照明の交換は終わっていたそうだ」
茉莉花は野卑な笑みを浮かべた。
「じゃあ、受付の女性従業員に惚れたとか?」
桜子が吹き出しそうなのをこらえて言った。
「片桐さんの気持ちになって考えるとすんなりわかるよ。彼はどうしてもイベントへ行きたかったの」
桜子の言葉に熱がこもる。
「あの!年に二回の!みんなの憧れの同人誌即売会に!」
茉莉花が大きく手を振った。
「いやいや、憧れないんで全く気持ちはわかんない」
しょんぼり桜子は説明を続けた。
「でも、課長を怨むよりイベントへ行きたい気持ちの方が強かったのよ」
「イベントへ行きたいならイベント会場に出るんじゃない?あんなホテルに留まらず」
「行きたくても行けないの。必要な物が見当たらなくて」
「必要な物?」
「会社のひと、言ってたでしょ?現場の床に東京行きのチケットが落ちてたって」
「あー、そえばゆってた」
「もしかしたら落としそうになったチケットを取ろうとして落下したのかも」
「高所でチケットを落としそうになる状況って?」
「それはわかんないけど、例えばスーツのポケットから何かのはずみで出ちゃったとか、時間を再確認しようとして手を滑らせたとか…」
「なるほど」
「遺品は当然、会社の人なり身内なりが回収してるだろうからホテルにはもう無いと思うけど、迫る電車の時間に焦ってる人がまず考えるのはチケットの事じゃないかな。チケットを取ろうとして亡くなったのなら、なおさらそこに思い残しがありそう」
「じゃあ、チケットを捜してホテル内をさまよってるってこと?」
「うん。訊いてみないとわからないけど、あの人、死んでることに気づいてないのかも」
「えー?あんな怖い顔の『幽霊です』って感じのやつが?」
「ああしたの、茉莉花ちゃん」
「そうでしたてへ」
桜子はマンチカンに向かって言った。
「ひとつお願いがあるんですけど」
コーヒーを飲もうとした手を止めてマンチカンは訊いた。
「なに?」
「もう期限が切れてるのでいいんですけど、チケット手に入りませんか?捜してるチケットが無いと話が始まらないので」
「ああ、たぶんなんとかなると思う」
「お願いします」
「鈴代荘の若女将が来週の午後に大丈夫な日がありそうって言ってたから、それまでに用意しておくよ」
「ありがとうございます」
茉莉花が桜子の頭を撫でた。
「こんなやつにお礼なんてしなくていいのよー。どうせ暇なんだから」
その言葉はスルーして、桜子は茉莉花を見上げた。
「でも、いちど怒らせちゃったでしょ?素直に話を聞いてくれるかな」
「悪かったわよ」
「ううん、責めてるんじゃなくて、片桐さんがわたしたちを見たら敵とみなすんじゃないかと思って」
「そうねえ…」
茉莉花は少し考えてから、ニヤリと笑って言った。
「わたしにいい考えがあるわ」
「なあに?」
「当日のお楽しみよ」
「うん」
桜子が素直に楽しみに思ったのは、茉莉花をまだよく理解していないからだった。
次回「その4 パンツを買いに」は6/7(金)に投稿する予定です。