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その3 せばキャン▶◀

 リビングで桜子と雅がテレビを見ながらコーヒーを飲んでいるところへ、ドタドタと茉莉花が入ってきた。


「二人とも出かける用意して。アウトドア仕様でね」


 桜子が首を傾げる。


「どこ行くの?」


 興奮気味に告げる茉莉花。


「ホッケ焼きに行くよ、ホッケ」


「ホッケ?」


「いいから早く」


「う、うん。わかった」


 桜子と雅は自分の部屋へ向かった。



 セバスチャンの運転する車に茉莉花たち三人は乗っていた。茉莉花が運転席に声をかける。


「ごめんね、日曜日に」


 おしゃれなキャンプウエアに身を包んだセバスチャンは前を向いたまま答えた。


「いえ、わたくしから提案した事ですから」


「そうだけど…」


「せっかくの梅雨の晴れ間ですから外へ出ないと」


「食材まで提供してもらっちゃって、ありがとね」


「提供って言っても、ウチに余ってたヤツです。しかもホッケとエビとホタテぐらいですよ。あとは途中で買い足さなきゃ」


「充分よ。ホッケ好きだから、めっちゃうれしい」


「それはようございました」



 スーパーに立ち寄って他の食材や飲み物を買い、キャンプ場へ。デイキャンプの受付を済ませて荷物をおろす。

 バーベキューコンロの準備をセバスチャンが手際よく進める。雅は買い物袋に野菜を入れ、まな板と包丁とザルを抱えて言った。


「あたし、野菜を切ってくるね」


 桜子が慌ててまな板と包丁に手を伸ばした。


「雅ちゃん、わたしにも手伝わせて」


 雅はまな板と包丁を桜子に渡して笑った。


「ありがとう。お願い」


 桜子は少し驚いた。雅が手伝いを素直に受け入れるのは珍しかった。


 桜子も実家にいた頃は母親が働いていたため家事の手伝いを普通以上にはこなしていた。同い年の他の子に比べれば自信もあった。

 だから、こちらへ来たばかりの時に雅が一人でやっていた家事を手伝おうとした。けれども全て断られてしまった。その時、雅は言った。


「あたしの決まったやり方があるし、触られたくないの。洗濯も別々だと水道代がもったいないからあたしがやるので、全部出してね」


 確かに雅の家事は素人のレベルではない。掃除は行き届いているし、洗濯物もクリーニングに出したのかと見紛うほど綺麗になって返ってくる。毎日の食事も学校へ持っていく弁当も出されるコーヒーもお茶も、お店のものかと思うほどに美味しい。

 最初の頃こそ自分だってと思っていた桜子だったが、レベルの違いから逆に手を出すと邪魔になると気づいた。雅には自分の部屋の片付けや掃除だけやればいいと言われていて、素直に従っている。


 それでもキャンプに来て何もしないのではキャンプをしている感が無い。それで手伝いを申し出たのだが、雅も同じことを思ったのかもしれない。キャンプはみんなでワイワイと準備するのが楽しい。


 雅と桜子が炊事場へ向かって歩き出すと、茉莉花が慌てて追いかけた。


「わたしも行くわ」


 炊事場でシンクに野菜を出して端から洗い始める雅。隣で桜子も手伝った。

 洗われた野菜がザルに上がってきたところで、包丁を握る茉莉花が言った。


「これ切るの?」


 雅が悲鳴のような声をあげた。


「茉莉花は包丁に触らないで!野菜が真っ赤になっちゃう!」


 そして茉莉花から包丁を奪うように取りあげて言った。


「茉莉花は野菜を洗って」


 茉莉花はシンクの野菜を手に取って言った。


「わかったわよ」


 納得がいかない顔の茉莉花だったが、自分の包丁使いが下手な事もよくわかっていた。


 炊事場から戻ると、テーブルや皿や飲み物などがセバスチャンによって完璧にセッティングされていた。アウトドアには慣れているようだ。

 すでにホッケやエビやホタテを焼き始めていたが、見た目からも鮮度が良さそうで、とても余り物には思えない。きっかけ作りのためにセバスチャンがわざわざ用意してくれたのかもしれない。


 周囲には他に五組の家族やグループが、梅雨の合間の休日をたのしんでいた。


 茉莉花たちもジュースやお茶で乾杯をし、バーベキューが始まった。

 食べながら茉莉花が雅に言った。


「なんでスカートなの?アウトドア仕様って言ったじゃない」


「でもデニムのスカートよ」


 雅はデニムのプリーツスカートを穿いていた。確かに雅がデニムを身につけるのは珍しい。

 茉莉花は雅の顔を覗き込んだ。


「あれ?メイクもしてる?」


 品よく箸を口へ運びながら雅が答えた。


「してないわ。日焼け止めよ。茉莉花、日焼け止めは塗ったわよね?」


「塗ってない」


 溜め息をつく雅。桜子へ視線を変える。


「桜子は?」


 とつぜん声をかけられ、口の中いっぱいの桜子は聞き返した。


「はに?」


「日焼け止め塗った?」


「ん~ん」


 首を横に振る桜子。

 雅は再び溜め息をついた。


「女の子は気をつけなきゃダメよ。曇っていたって太陽が覗いていたら晴れよりもかえって紫外線が強い事だってあるんだから」


 いつの間にか空は曇っていたが、確かに切れ間からは太陽が見えている。


 雅はカバンから日焼け止めを出すと、茉莉花と桜子の顔や肌の出ているところに塗っていく。


「アウトドア仕様とか言って、茉莉花も桜子も全然アウトドアじゃないわね」


 茉莉花が言い訳をする。


「だって、アウトドアとかよくわかんないんだもん。これじゃダメなの?」


 茉莉花はオフショルダーのトップスにホットパンツとニーハイソックスにスニーカー、桜子はノースリーブのトップスにショートパンツとクルーソックスにスニーカーだった。露出が多くて防御力は低い。

 雅は今度は虫除けスプレーを出してきて、茉莉花と桜子の顔以外の露出部分に吹きかけた。


「あたしだってよくわからないけど、このぐらいはしなきゃ。日焼けあとや虫刺されあと作って学校へ行きたくないでしょ?茉莉花なんてお尻まで刺されそうだもん」


 雅が茉莉花の後ろからホットパンツのすぐ下へ最後のひと吹きをする。


「ひゃっ!」


 茉莉花がビクリと跳ねた。



 全員のお腹が落ち着いたところで、桜子はひとり、トイレへ向かった。用を足したあとトイレを出たのだが、帰り道がわからなくなってしまった。


「あれ?」


 周りを見回す。どこも似たような風景で、どちらから来たのかも忘れてしまった。

 一瞬、泣きそうになったが、ショッピングモールへ行った日に迷った時と今は違う。


「そっか」


 桜子はポケットに手を当てた。そして、あらためて絶望した。よく考えればこの服のポケットにスマホなんて元々入れていない。

 桜子は思い出した。出てくる前にLINEを確認したことを。そして、そのまま机に置いてきてしまったことを。


 あれから桜子が送ったメッセージに結城の既読がついていない。そのあと何度か送ったが、それでも既読はつかなかった。

 桜子は結城の身を案じた。体調不良とは具体的に何だろう。スマホも見れないほど重大な病気か何かだろうか。


 なんて人の心配をしている場合じゃない事に桜子は気づいた。こんな山の中で道に迷ったりしたら、いよいよ本当に遭難である。とはいえ、そんな風に桜子が恐れる事は起きようがないキャンプ場の中ではあるが。

 とりあえず桜子は道なりに歩くことにした。誰かに会えれば道を訊くこともできる。


 さっきよりも空には雲が多く、不安もあいまって暗く感じる。途中の看板に「熊出没注意」の文字を見つけ、余計に不安をあおられる。早く戻りたいのに、なかなか足が進まない。


 そのとき前方に中年の男性が現れた。桜子は急いで駆け寄った。


「すみませ~ん。あのぉ」


 男性は立ち止まって微笑んだ。


「何かな?」


「道に迷ってしまいまして、デイキャンプする所へはどうやって行けばいいんでしょう。炊事場が近くにあってバーベキューとかできる所なんですけど…」


「さあ、どこかで見た気はするけど、わからないなあ。なにしろ僕自信が迷っているからね」


「はあ、そうですか。ありがとうございます」


 桜子はお辞儀をして前に進んだ。ふと気になって振り向くと、男性はもういなかった。一本道で曲がるところなど無いはずなのに。

 桜子は首を傾げてから、先を急いだ。


 しばらく行ったところで、前方に若い女性が現れた。桜子は駆け寄った。


「すみませ~ん」


 女性は立ち止まった。


「なあに?」


「バーベキューやってた所に戻りたいんですけど、道に迷ってしまって…」


「あら、そう。それは困ったわね」


「そうなんです」


「案内してあげられたらよかったんだけど、わたしも迷っちゃってるから」


「どこへ行くんですか?」


「川よ。向こう岸で待ってる人がいるの」


「ごめんなさい。川は見ませんでした」


「そうかあ。でも大丈夫よ。もうずっと迷ってるから、そろそろ見つかるんじゃないかしら」


「そうですよね。わたしも頑張って探します」


「頑張ってね」


「じゃあ」


 桜子はお辞儀をして女性と別れた。男性の時と同じようにすぐに振り向いたが、不思議ともうそこに女性はいなかった。

 桜子は首を傾げてから、先を急いだ。


 しばらく行ったところで、前方に男の子が現れた。小学校の中学年ぐらいだ。男の子は桜子に気づくと駆け寄ってきて言った。


「お姉ちゃん、こんなとこで何してんの?」


 桜子は笑顔で答えた。


「お姉ちゃんね、道に迷っちゃった。君も迷ってるの?」


「迷うわけないだろ。まだ遊びたくて帰らないだけ」


「でも一人だと危ないよ」


「とか言って、オレと一緒にいようとしてるんでしょ。お姉ちゃん、おっぱい出てるクセに情けないなあ」


 胸を隠す桜子。


「おっぱいは関係ないでしょ?」


「オレはまだ遊びたいから、またね~。おっぱい姉ちゃん」


 男の子は走り出した。桜子はその後ろ姿を見送っていたが、強い風が吹いてちょっと目を閉じ、次に開けた時には男の子はもういなかった。

 桜子は首を傾げてから、先を急いだ。


 しばらく行ったところで、前方に落武者が現れた。体に矢が数本、刺さっている。よろけながら近づいてきて桜子に訊ねた。


「そこなワラシよ。わしの身内を見なんだか?」


 桜子は考えながら言った。


「皆さん、あっちへ行きましたよ」


 桜子は中年の男性や若い女性や男の子が行った方向を指さした。


「そうか。かたじけない」


 落武者は桜子が来た方向へ歩きだした。桜子は、そのよろける後ろ姿へ声をかけた。


「宴会もいいですけど、飲みすぎには注意してくださいね」


 桜子は立ち止まって振り向いた落武者に、さらに声をかけた。


「ここまっすぐ行くとトイレもありますから」


 落武者は首を傾げてから、また歩きだした。桜子は心配でしばらく落武者の後ろ姿を見ていたが、そこでスッと消えた。


「あれ?」


 桜子は目を擦ってから落武者の消えた方を見直した。誰もいない。


「……ま、いっか」


 桜子は先を急いだ。


 戻ってきた桜子に茉莉花が声をかけた。


「なんで反対方向から帰ってきてんのよ」


 桜子はほっとして答える。


「迷っちゃった」


「なにやってんの。こっちからならすぐなのに」


「ごめんね」


 桜子は自分の方向音痴加減に照れ笑いするしかなかった。



 帰りの車の中でセバスチャンが訊ねた。


「楽しめましたか?」


「うんっ!ありがとね、セバスチャン!」


 茉莉花が明るく答えた。

 セバスチャンの声が好々爺のように柔らかく流れる。


「それはようございました。良い息抜きになったようですね」


「うんっ」


 雅が話に乗っかる。


「ここのところ茉莉花、イライラしてたもんね」


 茉莉花がとぼける。


「してないわよ、別に」


「そう?あたしの勘違いならごめんね」


「そうよ。男の娘ごときで心が乱れたりしないわ」


 雅はとても優しい声で肯定する。


「そうよね。ごめんね」


 そのとき、セバスチャンが小声で言った。


「雨が降ってきましたね」


 全員、窓の外を見た。

 茉莉花が呟く。


「ホント…」


 セバスチャンが恐縮して言う。


「申し訳ございません。朝は晴れていたので大丈夫だと思っておりました」


「あやまんないでよ。キャンプ場にいる間は降られなかったじゃない。ホッケ美味しかったし、楽しかったよ」


「恐れ入ります。お昼頃から雲が出てきていたので本当は少し不安もあったんです。今朝の天気予報が微妙な感じだったからか他のキャンプ客も二組しかいらっしゃいませんでしたし」


 そこで桜子が素っ頓狂な声をあげた。


「あれ?あそこに五組ぐらいいたよね」


 茉莉花も雅も答えない。

 桜子が茉莉花に手を掛ける。


「五組ぐらいいたよね、茉莉花ちゃん」


 茉莉花は窓の外を見ながら答える。


「さあ、どうだったかなあ?」


 桜子が振り向くと、雅は窓に張りついて呟いた。


「あれえ?雨が強くなってきたかなぁ?」


 桜子は渋い顔をして茉莉花と雅を交互に見ていた。


次回「その4 学ランの霊」は8/2(金)に投稿する予定です。

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