その6 気持ちの名前
問題のオフィスビルの1階ロビーには、この前とは別の男性社員と神田が並んでいた。男性社員は支店長だという。
「先日ご案内した上原から正装でおみえになると伺ってはいたのですが、なかなかユニークですね」
神田は喜んでいる。
「あたしはいいと思う。可愛いし」
三人はまたもコスプレをしていた。もちろん茉莉花の悪ノリ――いや、作戦である。ホラーに萌えをぶつけて中和するという意味不明なことを最もらしく語っていた。
今回も桜子は前回と同じ巫女服、雅はカラフルな方のメイド服だったが、茉莉花だけ変わっていた。前回の色っぽい軍服が不評だったからなのか、今回は可愛さを強調したミニスカカウガールである。ウエスタンハットをかぶり、服にはフリンジが沢山あしらわれている。ただ、腰の拳銃だけは前回の使いまわしだった。
マンチカンは苦笑いして言った。
「大丈夫です。実績はありますので」
桜子は恥ずかしくて下を向いた。
支店長が事務的に言う。
「ご依頼があった通り、今日は全員帰しました。いま上には誰もおりません」
マンチカンが答える。
「ありがとうございます。無理を言ってすみません」
「いえ、幽霊騒ぎが早くおさまってくれるのなら、そちらの方がありがたいので…」
「お任せください」
「上は開けっぱなしにしてあります。私は近くの店におりますので、終わりましたら先ほどの番号へお電話ください」
「わかりました」
神田が付け加える。
「あたしもいますので」
支店長がため息をつく。
「お前は帰っていいよ」
「いやですよ。気になるじゃないですか。ホントは見学したいぐらいなのに」
「なにバカなこと言ってるんだ」
神田は両腕を支店長の右腕に絡みつけた。
「あたし、チョコレートパフェでいいです」
「タカる気か?」
「いいじゃないですかぁ」
「チョコパフェがあるような店じゃないんだよ」
そこで桜子が笑った。
「仲がいいんですね。デキてるんですか?」
茉莉花と雅とマンチカンは目と口を大きく開いて桜子を見た。唖然の最上級である。
支店長は苦笑いの最上級で答えた。
「デキてませんよ、お嬢さん。僕には妻がおりますので」
神田が不服な声をあげる。
「えー、デキましょうよー。あたし、ここんとこ恋愛できてないですよー」
「バカ」
桜子は頬を染め、モジモジしながら視線を逸らして訊いた。
「あの……じゃあ、ジョージはしてないんですね?」
茉莉花と雅とマンチカンはさらに目と口を大きく開いて最上級を越えた。
支店長は笑いだした。
「僕が独身ならタダの職場恋愛って言い訳もできるでしょうが、既婚で部下に手を出すなんてあり得ません」
「好きになってしまっても?」
「好きなら余計にでしょ?自分が幸せにしてやれないなら手を出すべきじゃない」
「諦められるんですか?」
「諦められないなら妻と別れます。どちらかでしょ?」
神田が支店長の腕にしがみつく。
「それほどまでにあたしのことを…」
「例え話だ、バカ」
支店長は神田の腕を振りほどいた。
支店長たちがビルを出たあと、茉莉花たちは1階ロビーのソファに座り、目の前の自販機で買った飲み物を飲んでいた。
茉莉花が言った。
「正論よね」
支店長の言っていた事だ。
雅が頷く。
「そうよね」
「恋ばなとか言ったけど、やっぱ花咲のは自分勝手なたわごとよね」
「まあでも、加賀谷さんがどう受け取るかだから。あとは桜子に任せましょ?」
茉莉花と雅の視線を受けて、桜子は小さく頷いた。
ロビーで待つこと十五分。オフィスに誰もいない状況を作っておき、邪魔な人間を追い出せたと加賀谷に認識させるには充分な時間だ。
茉莉花たちは立ち上がり、エレベーターに乗り込んで一気に5階へ。
エレベーターを出ると茉莉花は言った。
「居場所を探るからちょっと静かにしてて」
茉莉花は目をつぶり、探った。時おり小動物の様に首を左右に小さく動かし、感覚を研ぎ澄ます。
少しして、おもむろに茉莉花は目を開けた。
「いちばん奥の部屋ね」
一同がいちばん奥の部屋を覗くと、そこに加賀谷はいた。白いワンピースなどではなく、タイトスカートのスーツを着ている。髪もキレイにシュシュでまとめられている。細身で小柄な、どこにでもいそうな女性社員の姿だ。
加賀谷はこちらに気づくと表情を歪めて睨んできた。茉莉花は身構え、桜子は一歩前に出て言った。
「花咲さんに頼まれて来ました」
加賀谷の動きが止まった。顔の歪みも元に戻り、こちらの様子をじっとうかがっている。
桜子は続けた。
「ごめんなさい。事情があって、花咲さんが来れなくなりました」
『…………』
「その代わり、伝言を預かってきました」
『……』
「そちらへ行ってもいいですか?」
『……あなたは…だれ?』
「見ての通りの巫女です」
『…そう』
「そちらへ行きますね」
『……』
桜子はゆっくり加賀谷に近づいた。加賀谷の反応は無い。
「花咲さんからのビデオレターです。再生していいですか?」
桜子は手に持ったマンチカンのタブレットを見せた。加賀谷は静かに頷いた。
タブレットの操作方法は桜子にはよくわからないので、マンチカンに再生ボタンをタップするだけでいいようにしておいてもらっている。桜子は加賀谷の横にそっと並び、画面を見せつつ再生ボタンをタップした。
画面の中で花咲は笑顔を見せているが、どこか辛そうにも見える。
「よお、元気か?…………元気ではないか」
加賀谷は無表情で画面を見つめている。
画面の花咲は辺りをキョロキョロ見てから再びカメラを見た。
「俺のこと薄情だと思ってる?……薄情だよな。主任は東京へ誘ったのに、お前にはついてこいって言えなかった」
加賀谷は黙って見つめている。
「東京への転勤希望者を募った時に手を挙げなかった理由を、お前は地元から離れたくないからって言ってたけど、ホントは俺のためなんだろ?」
花咲は一度下を見てから再びカメラを見た。神妙な面持ちに変わっている。
「自惚れだったらごめんな。お前、俺を好きだったのか?」
加賀谷は黙って見つめている。
「夜はあんなに情熱的なのに普段は別人かと思うほどクールだから、割りきってるんだと思ってた。好きだなんて思いもしなかったよ。けど、そこにいるお嬢さんが教えてくれた。本心を隠してたんだって」
加賀谷は目だけでチラリと桜子を見て、また画面に視線を戻した。
花咲は続けた。
「俺のせいだよな。気づいてやれなくてごめん」
加賀谷は黙って見つめている。
「お前は女としても魅力的だったから、誘われたとき下心が出てしまったのはホントだけど、でもな……」
花咲は次の言葉を探すように視線を逸らし、しばらくしてからカメラに視線を戻して続けた。
「それだけじゃない。楽しかったんだ。毎日いっしょに夕飯を食うのも、夜のオフィスでのふしだらなやりとりも、二人での息の合った仕事も、仕事のあい間の何気ない会話も…」
花咲は下を向いた。そのまましばらく動かなかったが、不意に天をあおぎ、ゆっくりカメラに視線を戻した。明らかに瞳が潤んでいる。
「……学生時代に戻ったみたいで楽しかったんだ」
加賀谷は相変わらず無表情だ。
花咲はカメラから視線を外し、潤んだ瞳のまま遠くを見つめた。一瞬だけ頬が震え、そして再び視線を戻した。
「覚えてるか?いつだったか忙しかったころ、アポ先ですっぽかされて丸一日予定が無くなって……お互い精神的に疲れてたし、せっかくだからサボっちまおうってなって、二人で遊園地まで足を延ばしただろ?」
加賀谷の表情が、わずかに緩んだ。
花咲は笑顔を見せたが、目からは涙がこぼれ落ちた。
「あれ、楽しかったな。あのあと、そんな事は二度と無かったけど、こんなことになるなら一回ぐらい週末に帰るのやめてでもお前と遊びにいけばよかった」
花咲は涙を拭いもせず続けた。
「お前の顔は好きだ。知的な顔も色っぽい顔も優しい顔も。でも、あの遊園地での顔。少女のようにはしゃぐお前の笑顔に、いい歳した男がまるで高校生みたいにドキドキしてた。あの笑顔がまた見たかった………………ちょっと、ごめん」
花咲は体をひねって後ろを向いた。カメラから見えないように手で涙を拭っている。
それから涙のあとが残った顔を戻して続けた。
「でも、もう会えない。…会いに行けない。俺には泣かせる事が許されない守るべき人がいる。だから…だからな……」
笑っているのか泣いているのかわからない花咲の顔。
「先に向こうで待っててくれ。……生まれ変わってまた会おう」
花咲は手を振ると、やや上に視線を向けて頷いた。そこでビデオレターは終わった。
加賀谷は真っ暗になった画面をまだじっと見つめている。その横顔を桜子は少しのあいだ見ていたが、声をかけた。
「花咲さんに伝えておく事はありますか?」
加賀谷は画面から視線を外さずに言った。
『待ってます……と』
「うけたまわりました。必ずお伝えします」
そのまま加賀谷はしばらく動かなかったが、ゆっくり目だけで桜子を見た。
『……男ってばかよね。そう思わない?』
「どうしてですか?」
『自分勝手なことばっかり。でも、それで嬉しくなっちゃうわたしはもっとばか』
桜子はゆっくり、そして大きく大きく首を横に振った。桜子の表情と声が慈愛に満ちた。
「ばかじゃないよ。だって、それが恋でしょ?」
加賀谷は少し驚いたように桜子へ顔を向けた。
『わたしの気持ちに名前がついた。自分でも恋って言葉は使わないようにしてたのに』
「なぜ?」
『辛くなるからに決まってるじゃない』
「使わなければ辛くないの?」
『……ううん…やっぱり辛い』
「だったら、その気持ちをちゃんと恋って呼んであげて。その気持ちと一緒に大切な日々を過ごしたんでしょ?」
『…うん』
「ジョージだって大切だったんだよね」
桜子の言葉に、見ていた茉莉花と雅とマンチカンはハラハラした。だからといって、いま口出しや手出しをすることはできない。
ところが加賀谷は特に怒りだす様子もなく、恥ずかしそうに答えた。
『大切だった。彼のしたい事は何でも受け入れて、彼の望む事は全部してあげるの。そうすると、彼は特別なオモチャを手に入れた子供みたいにわたしに夢中になってくれるの』
加賀谷は初めて笑顔を見せた。それと同時に涙が溢れた。
『わたし、ホントはエッチな事なんてぜんぜん好きじゃない。そんなフリしてただけ。思い出すだけでも恥ずかしいし、次の日に平静を装うのに必死だった。彼ごのみにエスカレートしていく自分が信じられなかったし、ホントのわたしじゃないって思ってた』
桜子は聞きながら一言ひとことに頷いた。
『でも、でもね……彼は家族も仕事も立場も理性も全て忘れて、わたしを全身で感じようとしてくれて、わたしを全霊で悦ばせようとしてくれるの。そのとき彼はわたしだけのものなの』
桜子は大きく頷いた。
「その毎日が終わっちゃったんだもん。生きるのイヤになっちゃうよね」
加賀谷の表情が曇った。
『……最初は死ぬつもりなんてなかった。忘れようと思ってた。でも、ぽっかりあいた穴が塞がらなくて、辛くて眠れなくて。そしたらミナミさんが眠れる薬をくれて…』
「ミナミさん?」
『知り合いのお医者さんよ。その人に薬をもらったとき、たくさん飲んだら楽になれるのかなって。そう考えたら、もう止まらなかった』
「…そう」
『けど、それでも彼に会いたい気持ちは消えてくれなかったみたい…』
「それで、ここに来てたのね」
『……』
「まだココにいる?」
加賀谷は首を振った。
『向こうで待っててって言われた。生まれ変わって会おうって』
「ステキ。デートの約束ね」
『ふふ…そうね。そう考えると長いと思える待ち時間が楽しみになったわ』
「…よかった」
加賀谷はオフィス全体をいとおしむ様にぐるりと見回してから、桜子を見た。
『送ってくれるかしら?できるんでしょ?』
「うん」
桜子が近づこうとしたところで、加賀谷は止めた。
『ちょっと待って』
「なに?」
『ビデオレター、流してもらってもいい?彼の声を聴きながら逝きたい』
「う、うん…」
桜子はタブレットを手に取った。タブレットの画面はいつの間にか暗くなっている。何度もタップをするが反応しない。
「あれ?…あれ?」
そこへ雅が静かに入ってきてタブレットを操作し、無事にビデオレターは再生された。タブレットを机に置いて、雅は静かに下がった。
桜子はホッとし、加賀谷をそっと抱きしめて言った。
「逝かせてあげる♡」
桜子は目をつぶり祈った。すると加賀谷の姿が光り始めた。
『あっ…』
加賀谷の光が増していく。表情も恍惚としている。
『ああ…』
ビデオレターが進むにつれ、更に光を増していく加賀谷。
花咲の声が響いている。
「――でも、あの遊園地での顔。少女のようにはしゃぐお前の笑顔に、いい歳の男がまるで高校生みたいにドキドキしてた。あの笑顔がまた見たかった…………」
『あ…逝く……支社長………』
加賀谷の姿がひときわ明るく輝く。消えいく瞬間、加賀谷は少女のように無邪気に笑った。
桜子は懐から数珠を出し、手を合わせて何かを唱えた。それから涙のにじんだ目をゆっくり開け、茉莉花たちを見て言った。
「逝っちゃった…」
「おつかれさま」
茉莉花がねぎらいの言葉をかけて笑った。
次回「その7 格別なコーヒータイム」は7/16(火)に投稿する予定です。




