その1 期待の新人
桐生茉莉花の霊波による攻撃は間違いなく効いていた。
「スピリチュアルフレイム!!波ぁっ!」
問題の霊は恐ろしい形相で茉莉花に襲いかかろうとしていたが、ひときわ強い攻撃にたまらず逃げ出した。
北信州で150年も続く老舗の観光ホテル鈴代荘の構造は、幾度となく繰り返されてきた建て増しのせいでただでさえ入り組んでいる。そこへ、結界術者である香月雅がさらに結界の壁を張りめぐらせていた。そのため、それがまるで迷路のように行く手を阻み、スーツ姿の若い男性の霊は右へ左へと逃げまどった。
「波ぁっ!波ぁっ!」
攻撃しながら茉莉花は霊を追いつめていく。
長野市内の高校から授業が終わったその足で制服のまま来なければならない慌ただしさはあったものの、あとで入らせてもらえる貸し切り露天風呂の事を思うと仕事にも熱が入った。
「ソウルディストラクション!!波ぁっ!」
茉莉花の立てた作戦は完璧だった。このまま準備してある洋式の宴会場へ霊を追い込めば、そこで待ち受けている除霊師の高遠桜子が「悪霊退散っ!」とばかりに弱りきった霊を消し去ってくれるはず。
茉莉花は高遠桜子とは本日が初対面なのだが、中学在学中に百体以上も除霊した凄腕らしいと聞いていたため、こちらへ到着早々ではあったが今回の仕事に参加させた。
除霊能力に問題のあった茉莉花にとっては、やっと手に入れた確かな切り札だった。
「セイクリッドアロー!!波ぁっ!」
『ぎぃやぁぁ!』
茉莉花の攻撃に、霊は悲鳴をあげて逃げていく。その先の突き当たりでは香月雅が宴会場の扉を開いて待ち受けていた。
霊はそのままの勢いで宴会場へ飛び込んでいった。
宴会場全体は雅によって既に結界が張られていた。
茉莉花と雅は霊を追って中へ入ると素早く扉を閉めた。その扉に雅がおふだを貼りつける。これで宴会場の結界は閉じられた。
霊は出口を求めて壁際をぐるぐると回っていたが、出られないと悟ったのか止まって振り向いた。
宴会場の中央あたりにはスラリと背の高い燕尾服姿の初老の男性が立っていた。茉莉花の執事をしている笠井である。
そして笠井に付き添われるように立っている小柄な少女が桜子だった。か弱そうな桜子は百体以上も除霊している強者にはとても見えない。
『きしゃぁっ!』
案の定、霊は桜子に照準を合わせたようだ。睨みつける吊り上がった目と、人とは思えない歪んだ顔は、憎しみに満ちていた。
茉莉花はその様子にほくそ笑んだ。百体以上も除霊してきた高いスキルが目の前で見られるのだ。いやが上にも期待が高まってしまう。
――やっちーまえっ!やっちーまえっ!
茉莉花は楽しくてしかたがない。
――あっくりょーたぁいさんっ!あっくりょーたぁいさんっ!
無意識に両こぶしを小さく振っていた。
ついに霊が桜子に襲いかかった。
そして桜子は叫んだ。
「きゃあああああっ!」
桜子は転がるように、いや本当に転がりながら逃げ出した。
「えっ…」
茉莉花には、桜子の行動は予想外すぎた。とっさに動けない。
桜子が転ぶたびにスカートは捲れあがり、ウサちゃんの柄の入ったお子様パンツが丸見えになる。
笠井は静かに視線を反らし、茉莉花は思わず声を漏らした。
「ださっ」
桜子は惜しげもなくパンツを披露しながら霊が入ってきたのとは別の扉へ向かってジタバタと逃げていく。
そしてようやく扉に取りつくと、体重を乗せて押し開いた。そのままの勢いで外へ転げ出す。
霊は桜子のあとを追って扉から外へ出ると、桜子には見向きもせずにそのままどこかへ去っていった。
茉莉花は呆然と見送るしかなかった。
「ウソでしょ?」
作戦失敗である。
桜子はリビングのすみっこに膝を抱えて座り、ソファ周りの人たちの険悪な会話を肩身が狭い思いで聞いていた。
「話が違うじゃない!このチカン野郎!」
ソファに深く腰を掛けて足を組んだ茉莉花が、向かいのソファで腕を組んで座る若い男に文句を言った。
男は短い金髪で、ダボッとしたパーカーとジョガーパンツに身を包み、太いゴールドのネックレスをぶら下げたヒップホップ風なファッションをしてはいたが、実は徳満智寛という僧侶だった。
下の名前が「ちかん」なので、茉莉花は口が悪くなると「チカン野郎」と呼ぶ。
ソファの茉莉花の右隣にはいつの間にかメイド服に着替えた雅が行儀よく座り、茉莉花の左側には笠井が静かに直立している。
智寛は訊き返した。
「話が違うって、何がだよ」
茉莉花がさらに文句を言う。
「百体も成仏させたなんて、ウソじゃない」
「ウソじゃねぇよ」
「だってあの子、霊を前にして逃げ出したのよ。使えないじゃない」
茉莉花が視線を桜子へ向け、釣られるように一同も桜子を見た。
桜子がビクッと体を縮める。
智寛は視線を茉莉花へ戻し、顔をしかめて言った。
「いや、そんなバカな」
茉莉花は思いきり智寛の顔を指さして言い放った。
「バカはあんたよ。あんたなんかにスカウトを頼むんじゃなかったわ」
「はぁ?ボランティアで見つけてやったのに、なんだよその言いぐさは」
「見つけてやったってのは、使える子を連れてきて初めて言えることでしょ」
「いやいや、使えるはずなんだよ」
「どこがどう使えんのよ」
「だから到着したらそれも含めて今後の話をするつもりだったのに、なんで先に仕事に参加させるかな」
「あんたが凄い子だって言ったからじゃない。それに、今日の午後に着くから迎えにいってほしいって言ったのはあんたでしょ?」
そして笠井を見上げて同意を求める茉莉花。
「ねえ」
笠井は丁寧に頭を下げた。
「頼まれていたのはわたくしなのですが、お嬢様方を学校へお迎えにあがるとなると時間的に長野駅で桜子様をお乗せしたその足でとなってしまい、このような事態に。申し訳ございません」
「謝ることないわ。ホントならこのチカン野郎があの子を迎えに行くか、わたしたちをホテルへ送るかすれば良かったんだから」
智寛は申し訳なさそうな顔をしつつも口調は強気に返した。
「だから、今日は外せない法要があるって言ってあったよな。なのに、オレに連絡もせず仕事の日程を決めやがって」
元々は智寛が持ってきた仕事である。だが茉莉花も負けじと開き直った。
「だってあのホテル、今日しか都合つかないって言うんだもん」
依頼主である観光ホテル鈴代荘は、ゴールデンウィークが終わったあとに毎年メンテナンスのための休館日を設けている。
今年も夏の繁忙期に備えるため5月下旬の4日間を休館にしていたが、メンテナンススケジュールの空きが最終日である今日の午後しか無かったのだ。
メンテナンス業者が何社も入っていては除霊の仕事に差し支えるし、茉莉花的には楽しみにしている温泉が作業中で入れないのも大問題なのだ。
茉莉花はその事を急に思い出した。
「そうよ。おかげで温泉に入れなかったじゃないのよ。雅だって楽しみにしてたのに」
無表情で聞いていた雅が急に話をふられて苦笑いした。
「いや、あたしは別に…」
霊を取り逃がしたとなれば、さすがに温泉に入れてくれとは言えない。
仕事も後日あらためてという事になってしまった。
智寛は茉莉花の温泉の話を無視して立ち上がり、桜子の前まで行ってしゃがんだ。
「どうした?調子が悪いのか?」
桜子は少しのあいだ黙ってうつむいていたが、上目使いに智寛を見て言った。
「あんな恐ろしい顔の人は無理ですぅ」
「恐ろしい?」
「はい…。いきなり襲ってくるから、話もできません」
「な、なるほど」
そこで茉莉花が横槍を入れた。
「恐ろしくて当たり前でしょ?悪霊なんだから。だいたい悪霊と話すって、何?話をしてどーすんの」
それに対して桜子が弱々しく言った。
「あの人、悪霊なんかじゃないです。普通の人です」
「襲ってくんだから悪霊でしょ?」
「そんな邪悪なものじゃないです。ただすごく怒ってただけで…」
智寛は立ち上がった。
「ははあん、わかった」
智寛にしかめっ面を向けられて、茉莉花もしかめっ面を返した。
「な、なによ」
「おまえ、またイタいネーミングの技名を叫んで霊波を打ちまくったろ」
「イタい言うな。っていうか、おまえ呼ばわりすんな。マンチカンのくせに」
徳満智寛には到底「徳」などというものは無いという意味でフルネームから徳の字を取って音読みにすると「満智寛」=「マンチカン」である。
茉莉花は普段はこちらで呼ぶ。
マンチカンは元のソファに座り直し、茉莉花の顔を真正面から見据えた。
「オレの話をちゃんと聞いてなかったな?彼女を見つけてきたとき、写真まで見せて説明したよな」
彼女とは、もちろん桜子の事である。
茉莉花の目が泳いだ。
「ちゃ、ちゃんと聞いてたわよ。百人を成仏させた凄腕の除霊師だって」
「やっぱり聞いてない。百人を成仏させたのは確かだけど、除霊だったら成仏はしないだろ。他へ追い払うか、消滅させるだけで」
「……?」
「まさかおまえ、わかってないまま除霊してたのか?」
「バ、バカにすんな。わかってるってーの。成仏させんのは浄霊って言うんでしょ」
「彼女は除霊師じゃなくて浄霊師だよ」
「だからなに?たいして変わんないじゃない」
マンチカンはゆっくり、そして大きく溜め息をついた。
「もしかして、霊に対して念仏でも唱えたら浄霊できるとか思ってないか?」
「だって、そういう能力でしょ?違うの?」
「まあ最終的にはそうなんだけど、あっちへ送るのが消滅させるより簡単だと思うか?」
「わかんないよ。浄霊師なんて見たことないもん」
マンチカンは溜め息をついたあと、丁寧に説明した。
例えば立てこもり犯を排除する場合、高い狙撃技術さえあれば一方的に終わらせる事ができる。それが「除霊」に相当する。
しかし、頑なに居座ろうとする犯人を説得し、投降するよう導くのは難しい。それを可能にするネゴシエーション技術に相当する、霊に対する技術が「浄霊」である。
説得の結果として本人が成仏を望んだとき、それを助けるために門を開いて送り出すのは、あくまでも最終段階なのだ。
本人が逝く気も無いのに背中を突き飛ばして強引に送ることは不可能ではないが極めて難しい。
茉莉花は渋い顔をした。
「めんどくさい。なんで浄霊師なんて連れてきたのよ」
マンチカンは眉間にシワを寄せた。
「いやいやいや、オレ訊いたよな。浄霊師だけどいいかって。おまえ、いいって言ったじゃん」
「覚えてない。それにわたしは除霊師を連れてきてって言った」
「いやいやいやいや、おまえの注文にそもそも無理があんだろ。なんだよ、あの条件。優秀な除霊師で、おまえと同学年の美少女で、雅より背の低い萌えキャラで、それでいて胸はあって、でもおまえよりは小さくて……とか。除霊師ってとこ以外はだいたい合ってんだろ?彼女を見つけたのだって奇跡に近いんだからな。胸のサイズはおまえが教えないから正確には知らんけど」
茉莉花は自分の胸を両腕で隠して威嚇した。
「教えるわけないだろ、こぉの変態チカン野郎!」
「おまえが出した条件じゃん」
「条件なら、まだあったでしょ」
「はぁ?!」
「エロい方向性のロリ顔で――」
「そんなの主観によるだろが」
「声がエロ可愛くて――」
「なんでエロにそこまでこだわる」
「抱き心地が良くて――」
「それをオレが確かめたらホントにチカンだろが」
「コケてパンツ見せちゃったり、なわとびしたら絡まって縛られちゃったりするようなエロい方向性のドジっ娘で――」
「バカだろ、おまえ」
笠井が口を挟む。
「その条件ならクリアしてます、お嬢様」
宴会場でのお子様パンツ丸出しハプニングの事だ。
茉莉花は大きく頷く。
「そおね。そおね」
それから茉莉花は急に真面目な顔をした。
「あと、わたしが絶対に友達にしそうにないタイプの子」
そして桜子を見た。
「――も、クリアね」
マンチカンは無表情で答えた。
「それはおまえ次第だろ」
茉莉花は長い足を組み直し、体重をだらりと背もたれに預けた。
「とにかく除霊のほうがいい。彼女、除霊は出来ないの?」
マンチカンもため息と共に腕を組み直した。
「出来るんじゃないかとは思うけど本職じゃないし、何より本人が望んでない」
「なんでよ」
「そりゃ、狙撃して終わらせるより、投降してほしいからだろ」
「もう死んでんだから、いっしょでしょ?」
「いやいや、消滅するのと成仏するのは大きな違いだよ。消滅したら本当に何も残らない」
「何か問題?」
「相手は人間だぞ。害獣を駆除するわけじゃない」
「でも、そこの人に迷惑をかけてんだから、害獣と一緒じゃない」
「あのな…」
そのとき、とつぜん桜子が立ち上がって興奮気味に言った。
「違う!そこにいるのには必ず理由があるの!」
さっきまで蚊の鳴くような声を発していた少女が急に大きな声を出したものだから、茉莉花は目を丸くした。そして、その表情のまま言った。
「いや、理由があれば居座っていいって事にならないでしょ?」
「でも本人はたいてい居座ってる自覚なんて無いのよ」
桜子は両こぶしを握りしめて震えている。そして徐々に目を潤ませつつ続けた。
「それにね、自分や自分の大切な人がそうなったらって想像してみて?気軽に消せる?」
「いや、まぁそれは…」
正論に茉莉花は何も言えない。
「それでも除霊のほうがいい?」
今にも泣きそうな桜子の表情に茉莉花はうろたえた。
「いや、ほら、除霊アクションものみたいなほうがカッコいいかなって。コスチュームも考えてたのよ?美少女戦士的なやつ」
マンチカンが茶々を入れた。
「それでか。スピリチュアルなんちゃらとか、いろんなイタい技名を叫んでたのは」
「イタい言うな」
茉莉花は忌々しげにマンチカンへ一瞥をくれた。
うつむいたまま、桜子が小さい声で何かを言った。
「…………よね」
茉莉花が訊き返す。
「なに?今なんて言ったの?」
桜子は顔を上げた。
「……わたし……クビよね……除霊なんて……できないもん……」
言い終わるか終わらないうちに、茉莉花を見つめる桜子の目からは涙があふれ出した。
その途端、茉莉花の全身に電流が走った。
「ヤバっ。泣き顔が、くっそエロ可愛い。俺の心の息子さんが疼きやがる。どーする?どーしよう。クビなんてもったいないぞ。囲ってイロイロいぢくり回したい。もっともっと困らせたい」
茉莉花は心の中でそう思った――つもりだった。
マンチカンが茉莉花にツッコミを入れる。
「思ってる事が声に出てるぞぉ」
茉莉花は桜子に駆け寄り、肩を抱いた。
「だぁいじょーぶ、だいじょーぶ。クビになんてしないから」
「除霊できないよ?」
「なに言ってんの。浄霊でいい、浄霊でいいってか、わたしも浄霊がいいなぁって思ってたのよ、いま、うん」
「ホントに?」
腕の中の桜子に潤んだ瞳で見上げられ、茉莉花は口から唾液が溢れそうなのを飲み込んで言った。
「ホント、ホント」
「あの…学校も?」
「もちろん、学費は全額免除で転入できるよ。この家にはあなたの部屋もちゃんと用意してあるし、明日から一緒に通いましょ」
「ああっ…よかった…」
さらに涙があふれ、桜子は両手で顔を覆った。それを茉莉花がそっと抱きしめた。
身長の高い茉莉花の胸に、小さい桜子はすっぽり収まる。その抱き心地と漂う香りに茉莉花はめまいを覚えた。
「おうっふ」
茉莉花の表情がだらしなく崩れた。まだ鼻をすすっている桜子をとろけるような目で眺めながら、茉莉花は言った。
「いいのよぉ、全部わたしにまかしといて。子供服ともダサいパンツともサヨナラよ。わたしが萌える女子高生にしてあげる。あなたは全てわたしの言う通りにしてればいいのよ」
論点がズレすぎて、桜子には茉莉花の言う事が何一つ理解できていない。まだ鼻をすすりながら涙の残った目で茉莉花をきゅるんと見上げた。
それにたまらず反応して、茉莉花は桜子の頭を動物を愛でるように撫でくり回した。
「よーしょしょしょしょしっ」
茉莉花と桜子の意味不明な絡みが膠着状態に入ったのを見極めて、おもむろに雅は立ち上がった。
それを見て笠井が声をかける。
「お夕食の準備ですか?雅さま」
「うん」
「お手伝いいたします」
「ありがとう」
笠井もこの寸劇に付き合うのはいささかしんどくなったのだろう。雅とともにリビングを出ていった。
大切な話が終わっておらずに逃げられないマンチカンは、それを恨めしげに見送った。
初回の今日5/31(金)に限り、もう1エピソード投稿します。
次回「その2 前世の男」