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チキンでもヒヨるなかれ

作者: 山樫 梢

 小さな森の中央に立派なケヤキが生えていた。冬を迎え自身の葉をすっかり落としきったその木の枝のあちこちに、団塊状(だんかいじょう)の茂みができている。それはケヤキに寄生している植物の枝葉だ。

 寄生植物はヤドリギと呼ばれており、ある種の者たちにとっては特別な意味を持つ存在であった。


 幼い少女がケヤキに登り、やっとのことでヤドリギの茂みにたどり着く。少女はサロペットスカートのポケットからヒヨコのぬいぐるみを取り出すと、その体に花柄のハンカチを巻いた。

 少女の顔は涙でぐしょぐしょに濡れている。今まさにハンカチを必要としているのはこの子の方であったろうに。

「かならずむかえにくるからね」

 少女はぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて頬に口づけを落とすと、ヤドリギの茂みの中に押し込んだ。落ちてしまわないように、しっかりと中央へ。

「ぜったいに、わたしのことまっててね。ピーちゃん」

 作業を終えた少女は愛しいぬいぐるみに別れを告げ、そろそろと木から下りると、名残惜しげに何度も振り返りながら森を後にしていった。


 ◆★◆


 広大な森の中にひっそりと(たたず)むログハウスがあった。獣人の店主が獣人のために営むBar(バー)<とまりぎ>である。

 そのカウンターに突っ伏して、今日も今日とてひとりの(ニワトリ)獣人がくだを巻いていた。

「どーせよー、オレなんてよー……」

 鶏獣人はぐずぐずと自虐を続けながら、時折顔を上げては目の前の杯を翼の手で器用に持ち上げ、中の果実ジュースを(くちばし)に流し込む。幾度(いくど)かそれを繰り返したのち、空になった杯をカウンターの向こうに突き出した。

「おかわり!」

「ホントいいかげんにしなさいよね、アンタ」

 常連の態度に怒るより呆れを(にじ)ませて、店主の犬獣人が両前足を腰に当てた。トゲつきの首輪を着けた勇ましい見た目に似合わず、その所作はどら息子に呆れる母親といった様子である。

 これがお説教の始まる前触れであると学習している鶏獣人は、再び頭を伏せ翼で耳朶(じだ)を覆おうとした。

 そこへ――


 カラン カララン


 ドアにつけられた木製のドアベルが音を立てる。

 犬獣人の注意がそちらへ向くと、小言を締め出す構えだった鶏獣人も顔を向けた。

「お迎えが来たっす!」

 喜び勇んで飛び込んできたのは熊獣人だ。満面にしまりのない笑顔を浮かべている。

「あらおめでとう、クマちゃん」

「クマちゃんじゃなくて『カムイ』っす! ご主人に名前を貰ったっす!」

「まあ、素敵なお名前じゃない」

 犬獣人が祝福する一方、鶏獣人はゲップのような鳴き声をあげた。カムイと犬獣人は一瞬真顔になって鶏獣人を見たが、無視してすぐに会話に戻る。

 挟まれた非礼もなんのその、カムイはすこぶる上機嫌だ。

 犬獣人としばらく言葉を交わすと、カムイはぺこりと大きく頭を下げた。

「今までお世話になったっす! 犬さん、ついでに鶏さんも、早くお迎えが来るといいっすね!」

「ありがとう。ご主人様と仲良くね」

 ぶんぶんと両手を振って別れを告げるカムイを見送ると、店の中は一気に静かになった。


「あいつに話してなかったのか?」

 カムイが出ていった後、鶏獣人がぽつりと呟く。

「お前が捨てられたってこと」

「門出に水を差すことないでしょ。アタシの話なんてどうだっていいのよ」

 無遠慮な鶏獣人の言葉に気分を害した様子もなく、犬獣人が肩を(すく)める。

「アンタこそ。捨てられてもいないくせに、いつまでここにいるつもり?」

 犬獣人はじろりと鶏獣人を(にら)む。このやり取りも幾度(いくど)繰り返されてきたことか。

「お前でさえ捨てられたんだぜ。オレが受け入れられるはずがねぇ」

「そんなの、会ってみなきゃ分からないでしょ」

 鶏獣人は再びべしゃりと頭を伏せた。

「会わせる顔がねーよ。……あいつの可愛いヒヨコは、もうどこにもいねーんだ」


 ◆★◆


 一般の人々にはただの寄生植物の一種でしかないヤドリギは、ある種の者たち――魔法使いにとって特別な植物である。

 魔法使いとして一人前たりえる魔力を身につけた者は、獣を(かたど)った人形に己の魔力を宿し、ヤドリギの枝葉の中へ絡ませる。すると、その魔力に触発されてヤドリギは人形の中に実を植えつけるのだ。

 魔法使いの魔力により人形は血と肉を備えた体となり、ヤドリギの実は魂を宿した魔核(まかく)へと変化する。この魔核を心臓として誕生するのが、器となった人形(どうぶつ)の特徴と人間の特徴を併せ持つ魔法生物(まほうせいぶつ)――獣人(ツクモノ)である。

 こうして魔法使いが獣人(ツクモノ)を生み出す儀式を「宿魂(しゅくこん)()」、獣人(ツクモノ)の作り主である魔法使いのことを「宿(やど)()」と呼ぶ。

 人形(うつわ)に十分な魔力が籠められていなければヤドリギは反応しない。宿し手になれるのは通常齢15前後を迎えた魔法使いである。

 ヤドリギの実が魔核に変化し、人形(うつわ)が肉体を得るまでにはおおよそ3年ほどの時を要するため、宿し手は頃合いを見計らって自分の獣人(ツクモノ)を迎えに行く。獣人(ツクモノ)は迎えに来た宿し手と正式に契約を交わすことで契約獣人(ツカイモノ)となり、以降は主たる魔法使いの従者として仕えることになる。

 すなわち、魔法使いによって生まれ魔法使いのために生きるのが獣人(ツクモノ)の宿命であるのだが――。


 鶏獣人は10年前に命を得た際、宿し手である魔法使いに会うことなく逃走していた。


 鶏獣人の宿し手が宿魂の儀を成功させたのは、なんと6歳の時分。破格の若さは秀でた才能の証。が、その若さが故に問題は起きた。

 そもそも契約獣人(ツカイモノ)というは魔法使いの護衛を務める従者である。獣人(ツクモノ)の能力はイメージが反映されやすいため、好まれるのは役立つ獣。狼や熊や獅子(ライオン)のような力の強い獣か、犬や猿や(フクロウ)といった賢い獣が選ばれるのが常。

 しかし鶏獣人の宿し手が選んだ人形(うつわ)は、よりにもよってヒヨコであった。

 いかに魔法使いとしての資質が高かろうと、思考は子どものそれ。宿魂(しゅくこん)の器にヒヨコを選んだ魔法使いの話など例がない。

 宿し手の才によるものなのか、さして体積のない形体であったためか、ヒヨコのぬいぐるみの“ピーちゃん”は(わず)か1年で獣人(ツクモノ)への変化を終えた。

 この異例の早さがまた悲劇を生んだ。

 ぬいぐるみのヒヨコは永久(とこしえ)にヒヨコのままだが、ヒヨコ獣人は育つ(・・)。小さなヒヨコ獣人のピーちゃんは、宿し手の迎えを待つ間に大きな鶏獣人になってしまった。


 くりくりとした黒目は黄赤(きあか)虹彩(こうさい)に縁取られた炯炯(けいけい)とした(まなこ)に、ふわふわの黄色い毛はしっかりとした白い羽に変化し、頭には立派な鶏冠(とさか)、嘴の下に肉髯(にくぜん)(たずさ)えた、雄鳥(オンドリ)と人間の特徴を(あわ)せ持つ成人男性サイズの鶏獣人。

 愛らしいヒヨコのぬいぐるみの面影など欠片もない。


 成鳥した自らの姿を湖面に映して初めて目にした時のピーちゃんには絶望しかなかった。

 かろうじて残った共通点といえば花柄のハンカチぐらいだが、ヒヨコには大きすぎたそれも成鳥後の体では鳥足に巻くのが精一杯という有様。

 せめて雌鳥(メンドリ)であったならばとピーちゃんは(なげ)く。

 ――獣人(ツクモノ)は繁殖せず、卵を産むこともないので、雌鳥であったとしても実質大差はなかったろうが。


 可愛いヒヨコ獣人に会うことを期待して訪れたあの子が、こんな姿を見たらどう思うだろう? きっと泣き出すに違いない。

 ピーちゃんは宿し手の少女に拒絶されることを恐れて逃げ出した。それからずっと逃げ続けている。


 ◆★◆


 鶏獣人(ピーちゃん)は翼の隙間からちらりと犬獣人を(うかが)った。

 精悍(せいかん)な顔立ちに、鋭い赤の瞳。屈強な体躯(たいく)の二足歩行の黒犬。見た目は魔法使いの(しもべ)として十分な貫禄(かんろく)を備えている――けれども、この犬獣人でさえ捨てられてしまったという。

 犬獣人の宿し手は自分の契約獣人(ツカイモノ)に「雄々しさ」を求めていたらしい。


 魔法使いの用意した人形(うつわ)にどんな魂が宿るかは宿魂を終えるまで分からない。

 獣人(ツクモノ)と化すのに成功したとて、必ずしも宿し手と相性の良い性質を備えているとは限らないのだ。


 ――犬獣人(こいつ)でさえ捨てられるなら、鶏獣人(このオレ)はどうなる。


「どうなるかなんて実際に会って確かめなさいよ」

 思考を読んだかのように犬獣人が(たしな)めた。

 自分は捨てられたというのに、犬獣人はいつも鶏獣人に宿し手を捜すよう勧めてくる。それが同じ目に遭えという陰湿な巻き添え願望ではなく、純粋な気遣いからであるというのは理解しているのだが……。

「オレは見た目がこれな上に中身までこんなんなんだぜ」

 ふわふわした体にふさわしいふわふわした魂を宿していたとしても、いつまでもピヨピヨしてはいられない。結局育てば鶏なのだ。


 犬獣人の経た苦汁を知った時、鶏獣人は逃げ出して正解だったと確信した。

 あの子も今頃16歳。分別のついた少女は過ちに気がつき、宿魂の儀をやり直したかもしれない。

 今更のこのこと顔を出して、別の契約獣人(ツカイモノ)(はべ)らせた主人から「鶏獣人とかダサッ、マジいらないんだけど」とでも言われようものなら、ショックで魔核(しんぞう)が潰れてしまう。

 この選択で間違いない。そう、思うのに。

 <とまりぎ>がある森にはヤドリギの寄生した木が多く、ここでは他の獣人(ツクモノ)や魔法使いと顔を合わせることも少なくない。自ら逃げることを選択したというのに、迎えが来て去っていく獣人(ツクモノ)を見るたび鶏獣人の心はささくれ立つ。

 それでもヤドリギのある場所に居着いてしまうのは、獣人(ツクモノ)(サガ)なのだろうか。


 鶏獣人の態度に、犬獣人が見下げたように鼻を鳴らす。

「アンタってホントどうしようもないわ」

「どーせオレは臆病者(チキン)さ」


 ◆★◆


 鶏獣人がいつものようにカウンターに突っ伏して愚痴っていた日のこと。


 ガラン ガララン


 乱暴にドアが開けられ、(ガラ)の悪そうな狼の獣人(ツクモノ)が店に入ってきた。見るからに強者(ツワモノ)感を(かも)し出している。

「よぉ、久しぶりだなぁワン公」

 どうも彼は犬獣人と顔見知りのようだが、店に入り浸っている鶏獣人には覚えがない。

 カウンターに頭を乗せたままじろじろと様子を窺う視線を察して、狼獣人も鶏獣人に値踏みするような視線を返す。

手前(テメェ)は迎え待ちか?」

「来ねーよ、んなもん」

「なんだ、手前(テメェ)野良獣人(ノケモノ)かよ」

 手前(テメェ)もと言うからには、相手は野良獣人(ノケモノ)なのだろう。犬獣人のように、宿し手から契約を拒まれた寄る辺なき獣人(ツクモノ)

 実際のところ鶏獣人は明確に捨てられたわけではないのだが、相手は鶏獣人を同類と受け取ったようだった。

 狼獣人は顔色に邪悪さを浮かばせてにんまりと笑う。

「なら手前(テメェ)も一口乗るか?」

「待って、この子は……」

 犬獣人に割って入られ、狼獣人はやれやれとばかりに(あご)を高く上げる。

「おいおいワン公。仲間外れにしちゃあ気の毒だろ? 心配すんな、今度の獲物は上玉だ。多少分けてやってもお釣りが来る。もっとも、取り分は働き次第だがなぁ」

 なにやらきな臭い雰囲気に鶏獣人が半目になる。

「仲間って何のだよ?」

「決まってんだろ、魔法使い狩りよぉ」

 狼獣人から出た予期せぬ言葉に、鶏獣人は大きく目を見開いた。

「魔法使い狩り!?」

「なんだ手前(テメェ)、知らねぇのか。ワン公も獣人(ヒト)が悪りぃなぁ。教えてやんなかったのかよ」

 鶏獣人の驚きに、狼獣人は冷笑を(たた)える。

「しょうがねぇ。俺様が説明してやらぁ」

 狼獣人は鶏獣人の隣の席に腰を下ろして足を組む。鶏獣人が不作法な体勢を続けているのにも構わず、話を始めた。

「俺様たち獣人(ツクモノ)が宿し手の魔法使いとしか契約できねぇのは知ってんな?」

 鶏獣人がカウンターに乗せたままの頭で頷くと、狼獣人が続けた。

「ヤドリギの実を魔核に変えたのは宿し手の魔力。それを維持するにも魔力が必要だ。契約すりゃあ宿し手から魔力が供給されるが、野良獣人(ノケモノ)はそうはいかねぇ。儀式の時に結ばれた仮契約を一方的に解かれりゃ、1年も()たずに魔力が尽きて死んじまうんだよ」

「んなはず……」

 頭を上げて否定しかけた鶏獣人の嘴を、カウンター越しに前足を伸ばしてきた犬獣人が押さえつける。

「ショックなのは分かるが、(タメ)になる話をしてやってんだから黙って聞きな、世間知らず。いいかぁ、この死を回避する方法がひとつある。魔力の補充に、魔法使いを殺して肉を食うんだ。そうすりゃ、ちょいとばかし寿命を延ばせる。魔力量の多い魔法使いを食えば、その分延びる寿命も長くなるって寸法(すんぽう)よぉ」

 (くち)をきけない状態の鶏獣人だが、見開いた目から非難の意図は伝わったらしい。狼獣人は不快そうに鼻面に(しわ)を寄せた。

「おいおい、何を渋ることがある? そのナリだ。どうせ手前(テメェ)もロクでもねぇ理由で捨てられたんだろうがよぉ」

 勘違いを続けたまま、狼獣人は忌々しげに自分の腰を叩く。

「俺様はなぁ、元は魔女に作られた人形だった。だが、そいつが半端に手作(てさく)なんてしたもんで、尾をつけるのを忘れやがったのよ。あのクソアマは獣人(ツクモノ)になった俺様に尾がねぇのを見ると、失敗したとか言って捨てて行きやがった」

 語り口調こそ軽いものの、狼獣人の目は強い憎悪を浮かべてギラついていた。

 過去を思い返して虚空を睨みつけていた狼獣人が、鶏獣人に視線を戻す。

「で、手前(テメェ)はどうするよ? 俺様たちの仲間になるか?」

 つっぱねようにも、鶏獣人の嘴は犬獣人に押さえつけられたままだ。

「この子はいいわ。まだ気持ちの整理がつかないでしょうし」

 見当違いの返事をして、犬獣人が狼獣人に確認する。

「獲物はどこに?」

「すぐそこの北の街道だ。森に入る前にやるぞ。契約された後だと面倒だからなぁ」

「後から行くわ。先に行っておいて」

「分け前が欲しけりゃさっさと来いよ」

 狼獣人はドアを開けて外へ出ていく。

 その姿が見えなくなってからようやく解放された鶏獣人は、飛び起きて犬獣人に向かい(まく)し立てる。

「なんで好き勝手言わせてんだ!? あんなんデタラメだろ!! 契約せずに10年経ってもオレは死んでねー!!」

「アンタが死んでないのは、アンタの宿し手がアンタを見捨ててないからよ」

 犬獣人が鶏獣人を睨み据えた。怒られたことなら何度もあるが、その眼光はかつてないほど冷ややかで鋭い。

「仮契約をそのまま残して、自分の傍に居もしないアンタの為に魔力を送ってくれてるの。何度も言ったでしょう? 会いに行くべきだって」

「なっ……」

「会ってどうなるかなんて分からないわ。アタシみたいに、内面が理由で捨てられるかもしれない。けれど、少なくともアンタには今もまだアンタを待っていてくれるご主人様がいるのよ」

「じゃ、じゃあお前は?」

 <とまりぎ>がいつからあるのかは知らない。

 少なくとも、鶏獣人がこの森に来てから既に5年。

「お前は……食ってんのか? 魔法使いを」

「……野良獣人(アタシたち)は、そうしなきゃ生きていけないの」


 鶏獣人は今になってようやく、犬獣人がなぜここに居を構えているのか理解した。魔法使いを狩るのであればヤドリギの側ほど適した場所はない。

 自分の獣人(ツクモノ)を迎えるために、未契約(ひよっこ)魔法使い(えもの)が向こうからやって来てくれるのだから。


 鶏獣人の脳裏に、お迎えが来たとはしゃいでいたカムイの姿がよぎった。

「お前、まさか、熊の時も……?」

 カムイだけではない。ここに来てから何人もの獣人(ツクモノ)を見送った。店で交流した者も少なくない。

「気に入ってる子やその宿し手を傷つけたりはしないわ。……少なくとも、アタシはね」

 犬獣人(こいつ)はそうでも、狼獣人(あいつ)は?

 鶏獣人は先程までこの場にいた狼獣人の荒々しい姿を思い起こす。

 捨てられた身の上は気の毒ではある。けれども、彼らが長らえるためにこれまで一体どれだけの無関係な魔法使いたちが犠牲になってきたのだろう。


 呆然としている鶏獣人を置き去りに、犬獣人が店を出ていく。

 ()ねつけるようにドアが閉じられ、追い打つごとくドアベルの音が響いた。


 ◆★◆


 ひとり店に残された鶏獣人は翼で顔を覆って苦悩する。

 魔力を送ってくれているということは、あの子はまだ探しているんだろうか。いなくなってしまった“ピーちゃん”を。


 ――かならずむかえにくるからね。


 あの言葉を何故信じることができなかったのか。

「鶏冠にくるぜ。オレはどうしようもねー臆病者(チキン)だ……」

 宿し手から見捨てられていないと知っても、どうすればいいやら。戻ろうにも(すべ)がない。逃げに逃げ続けたせいで、魂を宿した(うまれた)場所がどこだったかも覚えていなかった。この期に及んで、まだ続いているらしい絆が会うことで絶たれてしまう可能性も恐ろしい。


 それよりも、差し迫った問題はあの野良獣人(ノケモノ)たちによる襲撃計画だ。

 この森の中には、今か今かと宿し手の迎えを待つ獣人(ツクモノ)たちがいる。現れた魔法使いを狩ろうと舌なめずりして待ちかまえている者たちがいるのも知らずに。

 放っておけば犠牲が出てしまう。

 かといって、行ったところで何になる? 獰猛(どうもう)な肉食獣を相手に、被食者にすぎない鶏ごときが。

 けれども、狼獣人のような野良獣人(ノケモノ)を野放しにしておいたら、自分の宿し手だっていつ襲われてしまうか分からない。

 これから起きることを看過して、いつかあの子と再会できた時に顔向けができるだろうか?


「くそっ、いつまでもヒヨってる場合じゃねー……!」


 ◆★◆


 意を決した鶏獣人が駆けつけると、狼獣人が赤いローブを着た一人の魔法使いと対峙(たいじ)していた。


 ――犬獣人(あいつ)はどこだ?


 辺りを見回し、鶏獣人は魔法使いの背後の茂みに隠れている犬獣人の姿を見つける。隙をついて今にも襲撃する構え。

 狼獣人に気を取られている魔法使いは気付いていないようだ。

「やめろ!!」

 身を潜めていた犬獣人が踊りかかった刹那(せつな)、ばっと飛び出した鶏獣人は覆い被さるように魔法使いをかばった。

 直後、臀部(でんぶ)に激痛が走る。

「アンタ……!」

 鋭い歯で尾羽を食いちぎった犬獣人が驚愕(きょうがく)の声を上げるのが聞こえたが、そちらを振り向くことなく。痛みを(こら)え、鶏獣人は両翼の内側に(かくま)った魔法使いを見下ろした。

「おい、大丈夫か!?」

 魔法使いが(うつむ)いたまま動かないので鶏獣人は焦る。

 恐怖で動けないのかもしれない。抱えて逃げられるだろうか。

「それ……」

 呼びかけが耳に入らなかった様子で魔法使いが呟く。

 相手が指差したのは、鶏獣人が左脚の蹴爪(けづめ)の上に巻いている花柄のハンカチ。

「ピーちゃん、なの?」

 震えた声で呼びかけられて、鶏獣人の魔核(しんぞう)が早鐘のように鳴った。

 誰にも明かしてこなかったその名を知る者はこの世に一人しかいない。

 おそるおそるこちらを見上げてくる若草色の瞳。ローブのフードが外れ、(あらわ)になった髪の色は薄い桃色。

 目の前の少女に、泣き虫だった女の子の面影が重なる。

「シャロン!?」

 名を呼ばれた少女の顔がくしゃりと歪む。あの日のような涙――ではなく、浮かぶのは憤怒(ふんぬ)の形相。

「この、裏切り者!!」

 シャロンは低い体勢のまま、器用に鶏獣人の右脚を蹴りつけた。

 ただでさえ尾羽を失った尻が痛むのに、脚にまで容赦のない連撃をくらい、鶏獣人は堪らず悲鳴を上げた。

「おい! ちょっと! 待て!!」

「待っててって言ったのに! ずっと探してたのに!」

 ふたりの様子を見て関係を察した狼獣人が、憎悪に満ちた唸り声を放つ。

「ちくしょうが! 手前(テメェ)野良獣人(ノケモノ)じゃなかったのかよ」

 鶏とはいえ獣人(ツクモノ)の加勢。狼獣人は警戒して少し距離を取りはしたものの、敵意は一層増した様子。

 少しも怯むことなく、シャロンは立ち上がって狼獣人を睨みつけた。

「私は獣人(ツクモノ)を捨てたりしない。ピーちゃんが私を捨てたのよ」

「捨ててねー!」

 鶏獣人は憤慨(ふんがい)する。

 逃げこそしたが捨てたつもりは毛頭ない。むしろ、捨てられるのではないのかと常に怯えて生きてきたのだ。全て宿し手を想うが故である。

 ――けれども、状況だけで判断するなら捨てたと思われても仕方がない、かもしれない。

「オレは……もうヒヨコじゃねー」

「だから何?」

 シャロンは(いぶか)しげに鶏獣人を見やる。

「この通り、可愛くなんてねーんだぞ」

「別にあんたは可愛くなくてもいいでしょ。その分私が可愛くなったんだから」

 鶏獣人は言葉を失い、胸を張ったシャロンを見つめる。


 動物寄りの姿を持つ獣人(ツクモノ)だが、感性は人間に近い。美醜の判断も(しか)り。

 確かに、幼い頃から愛らしかった少女の容姿は成長して更に磨きがかかっているように見える。宿し手への贔屓(ひいき)目は眉を釣り上げて怒った姿であることで差し引きゼロとして、これまで見てきたどの人間より抜群に可愛らしいと思う。

 しかし。


 ――性格の方は可愛げがなくなったな。


 泣き虫で甘えんぼうだったあの頃のあどけなさは一体どこへ。

 鶏獣人は嘴まで出かかった言葉を呑み込んだ。自分だって相手のことを言えたものではなかったので。

「私と契約する気はある?」

 確認というよりは脅すような口調でシャロンが尋ねる。

「当たり前だろ」

 剣幕にひよったからではなく、心からの言葉で鶏獣人が返す。

 束の間睨み合うように見つめ合うと、シャロンは(ふところ)から出したナイフで(てのひら)を切った。血の滲む手を鶏獣人の胸元に押し当てる。


 宿し手が血を与えるのは、正式な契約の証。これにより獣人(ツクモノ)契約獣人(ツカイモノ)となる。


 シャロンに触れられると、鶏獣人の中の魔核(しんぞう)が熱を持った。淡い光を放って、そこから細長い木の棒――魔法使いの杖が現れる。

 体を通して杖が引き出されたというのに、鶏獣人に痛みや違和感はない。胸を占めるのは、自分と宿し手との間にある目に見えない強固な繋がりだけ。


 契約獣人(ツカイモノ)の魔核から作り出される杖は魔力を効率的に集約するための道具であり、魔法使いには必須の代物である。

 魔法使いは獣人(ツクモノ)魔力(いのち)を与え、獣人(ツクモノ)は魔法使いに(ちから)を与えその身を(まも)る。

 それが魔法使い(やどして)契約獣人(ツカイモノ)の共生の形。


 鶏獣人――ピーちゃんは抱え続けていた不安をとうとう乗り越えた。

 成長してどんなに変わってしまっても、シャロンを捨てようだなんて思わない。その想いはお互い様。

 今なら、今更ながら、迷いなく豪語(ごうご)できる。


 シャロンはオレのもので、オレはシャロンのものだ。

 こんな臆病者(チキン)を長年見捨てずにいてくれたこの尊大で健気な主人を置いて逃げ出すような真似(まね)、二度とするものか……!


 ◆★◆


 護衛の必要などないのではないかというぐらいに、杖を得たシャロンの力は圧倒的だった。

 狼獣人はあっけなく倒され、残るは項垂(うなだ)れた犬獣人のみ。

 初撃でピーちゃんの尾羽を食いちぎって以降、犬獣人は戦意を()くした様子だった。シャロンもそんな相手をどうすべきか対処に迷っているようだ。

「なあ、お前……」

 ピーちゃんが犬獣人に声をかけて近寄ろうとした瞬間、倒れていた狼獣人がぐばっと牙を剥きだし、ピーちゃんの腹部めがけて襲いかかってきた。

 シャロンも対応しようのない不意打ち。


 ピーちゃんは目と嘴を堅く閉じて覚悟を決めた。

 が、いつになっても痛みも衝撃も訪れず――。


 こわごわと目を開くと、そこには横腹を大きく食い破られた犬獣人の姿があった。一瞬思考が真っ白になったのち、庇われたのだと理解する。

 狼獣人の方はそれで力を使い果たしたようで、歯噛みして悔しがるその体はぐずぐずと崩れていく。

 ピーちゃんは犬獣人の傍にへたり込んだ。

「お前、なんで……」

「言った……でしょ。気に入ってる子……は、傷つけたり……しない、って」

「――っ、シャロン、こいつを……」

 言わんとする先を察して、シャロンは力なく首を振る。

「だめ、治せない。魔法で獣人(ツクモノ)を癒せるのは、宿し手の魔法使いだけだから」

 ピーちゃんは絶句した。

 犬獣人は既に自分の魔法使いから契約を拒まれている。

 よしんばシャロンに犬獣人を癒す力があったところで、その先も生き長らえさせようとすれば、他の魔法使いを犠牲にし続けるしかない。

 その葛藤(かっとう)を察したように、犬獣人が自嘲(じちょう)の笑みを浮かべる。

「気にすること……ないわ。当然の……報い、だもの」

「お前……」

「アンタ……が、うら……やましい。アタシも……受け入れて、欲しかっ……」


 ああ、こいつはどんなに。


 ピーちゃんが肌身離さずハンカチを持ち続けていたように、犬獣人が身に着けているトゲつきの首輪も、まだ人形だった頃に魔法使いから贈られたものだという。

 捨てられた犬獣人に唯一残された宿し手との繋がり。

 なかなか迎えが現れず、<とまりぎ>にぼやきに来る獣人(ツクモノ)はこれまでに何人もいた。けれども、ピーちゃんの知る限り犬獣人は一度だって魔法使いに対する不満に同意を示さなかった。自分を捨てた当人に対する恨み言さえ口にすることはなく。

 これまで迎えの来た獣人(ツクモノ)たちや、(みずか)ら逃げ続ける自分を、どんな気持ちで見続けてきたのか……。

 耐えがたい煩悶(はんもん)に駆られながらも、ピーちゃんは犬獣人から目を逸らせない。


 シャロンが近寄ってきて、犬獣人の横にしゃがみこむ。

「あなた、名前は?」

「……グリム、よ。(アタシ)が……宿ったあとは、一度も……呼んでもらえなかった……けど、ね」

 シャロンがそっと触れると、犬獣人の体が淡く光を放つ。

「グリム」

 名を呼ばれたグリムは(まぶた)を震わせながら目を見開かせ――(うる)んだ瞳から涙をこぼす間もなく、そのまま動かなくなった。

 シャロンが手で撫でるようにグリムの目を閉じさせるやいなや、狼獣人と同様にグリムの体も崩れて消え去る。残されたのはヤドリギの実と首輪だけ。

 シャロンはその首輪を拾うと、ピーちゃんに押しつけた。


 獣人(ツクモノ)が息絶えると魔力でできた肉体は崩れさり、魔核(まかく)としての性質を失ったヤドリギの実だけが残る。

 獣人(ツクモノ)魔核(たましい)を与えてくれたヤドリギへの礼として、この実はそのままにしておくのが習わしだ。

 一度魔力を帯びた種は強い生命力を秘めている。残された実をついばんだ鳥が運ぶことで、ヤドリギは生息域を拡大していく。

 ――これもまた、魔法使いとヤドリギの共生のあり方。


「墓でも作ってやるか……」

 埋葬する体はないが、せめて首輪だけでも(とむら)いを。ピーちゃんが物憂(ものう)げに首輪に視線を落としていると――聞こえるはずのない声が聞こえた。

『これ……どうなってるの?』

「首輪が喋った!?」

 慌てたピーちゃんがわたわたと首輪を持て余すと、シャロンが溜め息をついた。

「グリムの魂を首輪に移したの。あの状態から獣人(ツクモノ)として助けることは私にはできなくて……魂を移して魔道具(まどうぐ)にするしかなかった。でも、魔道具はただ意識があるだけで、獣人(ツクモノ)みたいに自由に動かせる体はない。同意を得ずにやっちゃったけど、あなたはそれでもいい?」

 ピーちゃんは()の中の首輪を見下ろした。こんなトゲトゲの首輪として不自由に生きていけと言われたら、自分ならどうするだろう。いっそのことそのまま眠らせて欲しいような気もするが……。

『いいわ』

 首輪から苦笑したようなグリムの声が返る。

『もうしばらくアンタたちにつき合ってあげる』


 ◆★◆


 ――私、従者を裸のまま連れ回す気なんてないから。仕立屋(したてや)に行ってあんたの好きな服を作ってもらいなさい。


 シャロンからそんな宣告を受けて注文した服が仕上がった。

 獣人(ツクモノ)にとって服などあっても動きづらくなるだけなのだが、魔法使い様(シャロン)のお気に召さないとあっては契約獣人(ピーちゃん)に拒否権はない。


『アンタって、オシャレのセンスがまるでないのねぇ』

「うるせー」

 姿見の前でまじまじと服装を検分していたピーちゃんに、呆れたような声で首輪(グリム)が話しかける。

「んなもん無くて結構だ。お前を着けてる段階でオシャレもなんもねーだろ」

 (くび)に巻いた首輪を翼ではたいて――もはや何度目か、()りずにトゲで痛い目に遭ったピーちゃんがグエェと(わめ)く。


 残念ながら、シャロンの魔法でも食いちぎられた尾羽は生えてこなかった。

 このダボついた服装はそれを隠すためでもあるという文句が嘴まで出かかったが、ピーちゃんはかろうじて堪える。首輪になってしまった相手をそこまで責めるのもあんまりだろう。


「ちょっと、服どうだったの?」

 ノックの音がしたかと思えば、返答も待たずにシャロンが部屋に入ってきた。

 振り返ったピーちゃんは無言で両翼を広げて見せる。

 トゲ型の金属鋲コーンスパイクスタッズつきの赤い首輪に、若草色のオーバーオール。

 シャロンの視線は、そのオーバーオールのデザインでひときわ目立つ胸当て部分のポケット――そこだけやや色褪(いろあ)せたピンクの花柄に吸い寄せられた。

 何か言われるのではと身構えていたピーちゃんだが、シャロンは何も言わずに(きびす)を返して部屋を出ていく。

 ピーちゃんは緊張を追い出すように長く息を吐き出した。


『あの子、スキップしてたわね』

「言うなよ」

 からかうように報告してくる首輪(グリム)に鶏冠と同じぐらい赤くなった顔を見せまいと、ピーちゃんは大きく天井を仰いだ。

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