009 孤児院
二人と別れた後のグリードは一度家に帰宅し、ハンスに渡す材料を持って商店街へ向かった。そして、商店街で足りない分の調味料などを買いハンスの依頼を達成する準備を整えた。
ちょうど12時ほどの時間、グリードは約束の地へと辿り着いた。
「やれやれ。遅かったのう。」
「時間には間に合ったと思うけど。」
「時間より前に来るのが常識というものだろう。」
皮肉気に言ったハンスはその口調とは違い、その顔には笑みを湛えていた。その笑みを見ると二人の関係は祖父と孫というよりは、悪友同士とでもいった方が正しいような関係に思えた。
「そうだな。まぁいいじゃねぇか。議論しても結果は変わらないのだから。」
「ほっほっほっ。そうだな。グリードよ。」
「ハンスは相も変わらず元気そうだな。」
「まぁ、昨日ぶりだろう。変わらなくともおかしくはない。」
ハンスの言う通り人は昨日今日じゃあ、そう簡単に変わらないだろう。何らかの大きなことでもない限りだが。それにハンスくらいの年ならば、何らかの変化というのも起きづらいというものだろう。
そのハンスの言葉に納得したグリードは頷き、その手に持っていた品々を突き出した。
「それもそうか。とりあえず、これ。」
「おおう。いくらであった?」
「銅貨9枚といったところだな。」
その言葉に顎をさするような仕草をした後にハンスは特に何かを言うでもなく、素直にお金を差し出した。ハンスからしても適正な値であったのだろう。その反応からグリードはもう少し吹っ掛けておけばよかった、などと思っていたが。
「そうかい。ほらよ。」
「毎度。確かに。」
グリードはハンスから金を受け取り、その金の確認をすると懐に金をしまい込んだ。あの二人の食費を考えると頭が痛くなるようなグリードだったが、満面の笑みを浮かべていた。なお、言うまでもなく現実逃避である。
「さて、どうだったかのう?」
「どう、とは?」
ハンスはグリードが金をしまい込むのを確認した後に話しかけた。それは何の具体性もないただの世間話のようなものだった。具体性の欠片もないからグリードは何て答えるか困ったものであるが。
「なんか、面白いことはあったかのう?」
「ああ。色んなことがあったよ。この2日間で4人も印象的な奴と知り合った。」
「そうか。4人か。」
何かを思案するように顎に手を置いて下を向くハンス。このような仕草をよくハンスはする。何かを思い出しているような、考えているようなそんな仕草を。特にグリードの前では多くする仕草だった。
グリードはその仕草があまり好きでない。何故なら、大体その仕草の後にハンスに酷い目に遭わされるからだ。新しい訓練を思いついたなどと言ったりして。まぁ、それもためになっているためにグリードは愚痴を言うくらいに留めるのだ。
「それがどうかしたか?」
「いいや。別に何でもないさ。今日も出会うかもしれないな。」
「いや、勘弁してほしいな。」
グリードは本心から告げた。絶対にごめんだったからだ。もう2度も命を狙われているのだ。片方はエーレが対処したといってもだ。もう2つが良い出会いであっても、もう会いたくないと思うのは仕方のないことだろう。
「そうか。まぁ、そうだといいな。」
「なんだよそれ。」
笑いながら言ったハンスにグリードは気味の悪いものでも見るように言った。
「なんでもないさ。んじゃあな。」
「もうか?いつもより早いな。」
グリードとハンスの二人はいつもはこの後に訓練を行う。直接的な戦闘能力がものをいうこの世界だ。グリードがハンスという強者に教えを乞うのは何も不思議なことでもないだろう。
「用事があるからのう。」
「へぇ、そうなのか。じゃ、また。」
「ああ。」
そうして、二人はそれぞれに別れた。
「さて、何しようか。」
グリードの今日の予定はハンスと出会ったことで終わっており、午後は時間が余ったことになる。その時間に仕事をするということも考えはするものだが、なんとなく午後から仕事をするのも嫌かと思ったグリードはそれを選択肢から消していた。
何をするでもなく街を歩いていたグリードはふと思いついたように呟いた。
「暇だし、久々に孤児院に行ってみるか。」
グリードは孤児である。だれが母か、だれが父かも分からない孤児院育ちなのだ。とはいっても、この世界においては孤児という存在は珍しくなどない。この世界は一定金額を達成することで上の階層に移動するというシステムである。
そのシステム上、人間一人一人単位に金額が課されるため親と子は別々なのだ。そのため、親たちだけが目標を達成して上に行くなんてこともざらにある。非情というなかれ。この世界は基本こんなものだ。もちろん、本当の愛ってやつもあるのだろうが。
「懐かしいな。」
孤児院に着いたグリードは懐かしさに目を細めて、塀に囲まれた外からでも見える球場の部屋の窓を見た。そこには黒のロングコートを着た中年の男が窓の外を見ていた。目が合ったからか、その男はタバコを片手にグリードの方に手を振った。
タバコを吸っている姿は孤児院にはあるまじき光景であった。特にこの世界では孤児院が学校という側面も同時に持っているために、なおのことあり得ないことであった。そのあり得ない男は一応、この孤児院の院長である。
「また、タバコ吸ってるな。おっさん、怒られるんだろうなぁ。ははは。」
孤児院という学校は特に世間体を気にしなければならず、そこが主に収入であるのだからイメージダウンの原因である院長はよく副院長に叱られていた。それにも関わらず今の今でも吸うのを辞めないのは、依存症のようなものなのだろう。
それでも、この孤児院は規模が大きくはないが、中堅程度に位置するというのだからある意味すごい場所なのだろう。他から見た評価は良くもなければ、悪くもない。そんな評価であるのだが。
「やっ。」
「おっ、おー、グリードじゃねぇか。」
「久しぶり。」
「ははは。本当に久しぶりだなぁ。なんだ、帰ってきたのか?」
このちょっと口調が粗雑な男はグリードのかつての仲間で、今では友人のようなものだ。同じ孤児院で過ごした仲で仲間意識が強いのだ。今では違う道を行っているが、お互いに尊重しており、よい関係を築いている。
「いいや。ちょっと野暮用だよ。」
「そうか。……まぁ、元気にやっているならいい。」
「……すまんな。」
「いいって言ってんだろ。ほら、通れよ。」
ぶっきらぼうながら優し気な声と表情からグリードを心配、応援していることはよくわかるものだ。本来ならば、この男はグリードと共に孤児院で門番として一緒に働きたいはずなのに、それでもグリードの道を応援している気のいい奴なのだ。
「ありがとな。」
門を抜けたグリードがやってきたのは院長の部屋である。その部屋の扉の前で一息をついたグリードは意を決してノックをした。意を決してというと大げさに思われるかもしれないが、しかし何時になってもこういった場所では緊張してしまうものだ。
「入っていいぞ」
「失礼します。」
「よく戻ってきたな。」
グリードが扉を開けた先にいたのは窓から見えていた男だ。ふらっと消えて、消えたと思ったら孤児院にいる。どこで何をしているものかを知っているものは孤児院には存在しない。そんな謎多きあっさんである。
事実としておっさんが孤児院にいる時間のほうが少ないくらいで、子供たちや職員が孤児院の経営の管理をしているくらいだ。それでいいのかと思うかもしれないが、そういうものだと思うのだ。
「まぁ、ちょうど時間が空いたしな。ハンスが何故か訓練もなしに去っていくし。」
「もうそんな時期か。呆気ないものだな。」
「そんな時期ってなんだよ。」
「あ?ああ、子の成長の時期ってことさ。」
このおっさんが子の成長などと言うと少しの違和感を覚えるだろう。特に額から左眼にかけてついている切り傷の跡と、その光の届かず何かを写すことのない左瞳が一層違和感を強くしている。ただの偏見であるのだが。
ちなみにこのおっさん、本人によると27歳でありおっさんではないらしい。しかし、その老け顔を見るとおっさんとしか思えないので、おっさんでいいのだろう。そして、どうでもいいことだが、このおっさんの妻は美人であるらしく、人生勝ち組だ。
「子って。誰のことだよ。中身までおっさんになったのか。」
「だれがおっさんだ。お兄さんだといつも言ってるだろう。」
「そんなことを言う柄でもなかったくせにな。」
その言葉の通り、おっさんはそういうタイプではなかった。基本お堅い性格で、そのような軽い口調で話すようなタイプではなかったはずなのだ。こうなったのは美人な妻の影響である。
「はは。そうだな。しかし、そう言われたらこう返すものなのだろう。それがお約束だとかなんとか。そんな風に言われたのだが、間違っていたのだろうか。」
「いや、まぁそうかもしれないけど。無理するものでもないだろう。誰に言われたんだよ。そんなこと。」
そんな風に照れたような院長の言葉に呆れたような口調で返すグリード。これではどちらが大人か分かったものではない。
「仲間だよ。そうした方が受けがいいと、そんなことを言っていたな。あなたは顔が老けてるんだし、だとさ。」
「酷い仲間もいたもんだな。」
「いいや、最高の仲間だよ。俺にはもったいないくらいには。」
酷いというのもグリードはいい意味で言ったのだが、しかしおっさんはそれがいい意味だったとしても酷いとは言われたくはなかったのだろう。それが容易に伝わるほど強い口調での断言だった。それほどまでに仲間というものが院長にとって大きく、重要な自身を構成する根源のような存在であったのだろう。
「そうなのか。」
「ああ。」
その言葉によって二人の間には不思議な沈黙が降りた。気まずいというような沈黙ではなく、しかし心地よいとも言えない不思議な沈黙だった。
そんな不思議な空気が長く続くわけもなく、徐々に気まずい空気に移り変わっていくところをグリードの声が遮った。
「そろそろ帰るわ。」
「悪いな。もてなしとか出来なくて。」
「いいさ、そんなの。院長に会えただけで十分だ。ま、もう孤児院の所属じゃないんだけどな。」
冗談めかした声で返したグリードであったが、院長の方もこほんとわざとらしく咳を一つ入れて、大真面目な表情で言った。
「今はもう孤児院の所属じゃないとしても、孤児院の家族だってことに変わりはないからな。いつでも帰ってきていいぞ。」
「何くさいこと言ってんだよ。」
「はは。たまにはな。院長らしいことを言っておかないとな。」
「なんだよそれ。そんなことしなくても院長であることには変わりはないだろ。まぁいいけどさ。また来ると思うわ。じゃあな。」
「ああ。いずれまた会えるだろう。その時はまた会おう。」
「?ああ。また。」
そんな院長の言葉に微かに違和感を覚えたグリードであったが、その違和感が何かが分からず院長室の部屋から出ていった。
グリードの去った後の部屋でおっさん、いやミカルという名の男はタバコを一つロングコートのポケットから取り出して、指をぱちんと鳴らした。そうするとタバコに火がついた。そのタバコを男は口にくわえた。
「ふぅー。……すまんな、グリード。」
煙により見えなくなった表情の奥にはいかなる感情が浮かんでいたか。それは誰にも、ミカルにさえも分からず、煙が立消えると同時に感情が消えたかのように顔から表情が抜け落ち、右の瞳が虚ろに宙を眺めていた。
「……ミカ。あなたは悪くないわ。」
「……ははっ。俺が一番の悪だ。間違いようもなくな。」
ミカルの頬を伝る涙を悲し気に見つめる美しい女性は、後ろからミカルを抱きしめようとして、しかしすり抜けてしまいそのまま煙のように消えてしまった。ミカルの頬を伝る涙はもう消えていた。残ったのは空虚ばかりである。