006 会場入り
職業案内所は朝が一番込合う時間だ。依頼主と所属者のどちらもが職業案内所に訪れるためだ。ただ4時ほどとなると辺りはまだ薄暗く、人の姿も少ない。これが大体6時ほどになってくると、人で門の前が埋まりそうなほどに人の数が多くなる。
「おはようございます。」
「あら、おはよう。朝早くから、お疲れ様。」
「いえ、そちらこそ朝早くから大変ですね。」
「そうなのよね。まぁ、でも明日からは休みだし。」
受付嬢は昨日と変わらず同じ人である。大体受付の仕事は2時から始まり22時くらいまでである。拘束時間が異様に長い分給料はいいし、賄賂もありかなりの金額を短期間で稼ぐことができる。
それに休みも存外に多いものだ。かなりの重労働であり身目のいい人間しかできないため、一種のステータスとも見なされている。もう一つの重労働である色町のほうは拘束時間が短く、その人の腕により稼げる金額が変わる仕事であり、そのように差別化されている。
「そうなんですか。それはよかったですね。」
「ふふふ、そうね。今日は玉ねぎ刈りでよかった?」
「はい。」
「場所は分かる?」
「もちろんです。」
「なら、いいわ。これを渡しておくから忘れないようにね。」
そう言ってグリードに手渡されたのは依頼書とロッカーのカギである。農業は職業案内所の管轄なのだ。農業はというより仕事であれば、職業案内所の管轄であるという方が正しいが。
そのため仕事に必要な備品などは職業案内所の管理下にあり、もちろんのことながらロッカーや農工具は職業案内所の所有物である。だから、破損などがあると処罰が下る。大体が罰金である。
「分かりました。では。」
「ええ、行ってらっしゃい。」
農地は職業案内所の場所から約30分ほどのところにある。玉ねぎは万能野菜として知られるように使用できる料理の幅が広く、売れるので農地の中でも一番近いところに位置している。他の野菜などは1時間歩くなどはざらである。
グリードは慣れたようにロッカーの設置してあるコンテナ内に入り、持ってきた荷物を置く。そして、中に入っていた農具を取り出し、作業員の待機場所に向かった。
待機場所には仮設テントが立てられており、その下にベンチが幾つか並んでいた。その待機場所には仕事の30分ほど前であるのに一人の女が座っていた。グリードはその女から離れた位置に座り開始を待つこととした。
「ねぇ、何で働かないといけないの?」
突然にグリードの隣に移った少女が鈴を思わせるような美しい音色でそんなことを言った。それは声のようでしかし、美しすぎて音としか認識できないようなそんな不思議なものであった。
かく言うグリードもその音色を音として認識していた。いや、確かに言葉はきちんと聞こえていて、確かに言葉の意味も分かっていた。しかし、それでもなおそれらを音として脳が処理をしたのだ。
「……。」
「ねぇ、聞いてるの?」
次に続く言葉にグリードはようやく確かな声として認識した。それでも動けずにいたのはその少女のなせる業か、それとも美しい芸術品に心奪われてしまう人間の性か。どちらにしてもグリードは心地よい音色に身を任せて、脳内でその音色を反芻していた。
「……。」
「ねぇってば。」
「……っ。どう、なんだろうな。」
その繰り返される問いに対して、グリードはようやくその少女の方に向き直った。次の瞬間、思わずグリードは息をのんだ。この世のものとは思えぬ美しい芸術品がそこにあったからだ。それも見たこともないほどの美しさの、である。
黄緑に近いくらいに鮮やかな緑の髪を肩の付近まで伸ばし、くるりと巻かれた毛先が風によってたなびいていた。その少女の持つ瞳は透き通るような透明感のある緑でグリードの暗い黄色を射抜いていた。
「仕事しないといけない理由って何?」
「さぁ、金を稼ぐためじゃないか?」
グリードが芸術的に美しい少女に呆然と魅入るだけでなく会話を成立させることができたのは、他ならぬ少女が会話をすることを望んだからだろう。そうでなかったらその輝かんばかりのオーラに圧倒されて、ただただ時間を無為にするだけに終わっただろう。
「お金なんて空から降ってくるものでしょ?」
「いや、降ってこねぇよ。」
美少女から出た冗談のような言葉に思わずグリードは突っ込んだ。金が空から降ってきたら誰も苦労などしない。そんな夢のようなこと現実では起きないのだ。いや訂正する。ある意味同じことが起こる可能性はある。
この世界は階層を次に進める時、お金のすべてが没収される。そして第一層に還元されるのだ。その還元の方法は二つ。一つ、ダンジョンと呼ばれる場所の宝箱内に置かれること。そして、もう一つが落ちてきた人と上がってきた人、金のない階層の人に分配されるのだ。
後者はまさしく金が降って来たのと同等のことであり、ある意味で同じことが起こる。という意味が分かったと思う。
「えぇ、でも両親の財布にいっぱいあるし、それを使ったらお金が空から降ってきたのと同じじゃない?」
少女はとんでもないクズであった。先ほどまで芸術品が云々とあったが、本人の心が汚れていた。なんて残念なんだろうか。グリードもこの言葉には呆れ果ててしまった。そして、ジト目でこういった。
「親が働いてんじゃねぇか。降ってきてることにはならねぇだろ。」
「私から見たらどっちでも一緒だしいいじゃん。」
グリードは諦めた。どうしようもないやつなのだ。とはいえ少女が責められることでもないだろう。それはこの世界で当然のことなのだ。金を手に入れる手段は何でもいい。ここはそんな世界なのだから。グリードが少しばかり潔癖すぎるのだろう。
「そうだな。」
「でしょ。あんたわかってんね。誰か貢いでくれないかな。ちらっ。」
「ちらっ。じゃねぇよ。貢ぐわけないだろ。」
ちらっとか言ってグリードのほうを見た少女の目を少し細め薄く笑った顔は大変可愛らしいものであったが、発言が残念過ぎる。それにグリードが少しもぐらついていないわけではないが、だが貢ぐほどでもない。可愛いが、可愛い過ぎるが。
「どうしても?」
「ダメに決まってんじゃん。」
「こんな美少女フェイスに貢いでもいいって許可をもらっているのに?」
自分のことを美少女フェイスという自信は凄まじいものである。ただの事実だとしても、自分のことを美少女などというのは誰もができることではないだろう。圧倒的なこの少女にとってはそれは些事であるかもしれないが。
「いや、確かに美少女ではあるが性格がな。」
「でしょ。この美少女フェイス見てよ。すごくない?芸術的なまでに可愛いっしょ。いやぁ、褒めてくれるとはあんたいいやつだね。顔と体型だけはガチで努力してんだからさ。」
その少女の言葉通りその少女の芸術性と言うべきものは、整いすぎた顔だけではなかった。その体型も恐ろしいほどに整いすぎている。それは無駄というものがないのだ。どのような人間でさえ認めざる負えないほどの肉体美と言うやつだ。
それは少女は尋常じゃない努力によるものだ。もちろん生まれつきという部分はあるが、それをここまで作り、保つためにはどれほどの努力が必要なのだろうか。グリードには想像がつかないものであった。
特に凄まじいといえるのは、それらすべてが天然由来であるという点だろう。人工。すなわち整形の一切をしていないのだ。それにも関わらずに芸術と評されるものなのだ。それがどれほどに恐ろしいものかは分かるだろう。
「褒めてねぇけどな。ってか、その努力を少し仕事に回せばいいだけじゃね?」
「いや。何で私がそんなことしないといけないの?仕事なんて泥臭いこと私したくないし。そんな努力なんてくそくらえだわ。マジで。」
「そうかい。でも、顔は努力してんだろ。」
「顔だけじゃなくて、体型もね。そこんところ間違わないでよね。」
少女はグリードの言葉に不服そうに唇を尖らせて返答した。少女にとってそこは大事なところなのだろう。自分で努力をしているというほどだ。大事なところでないわけがなかった。
「すまんすまん。」
「まぁ、いいけどね。私の努力は一つのことにある。それは……。」
その後を言わない少女。二人の間に沈黙が落ちた。少女がグリードに目配せをする。どうやら、相槌かなんかが欲しかったみたいである。グリードは少女の目配せの意図を察し、言葉を発した。
「……。それは?」
「どどん。貢がれるためである!!」
「お、おう。」
堂々たる宣言であった。グリードは返答に困っていたが、とりあえず頷いたようだ。その様子に少女は不満そうな表情を浮かべた。心なしか頬が膨らんでいるようにも見える。それさえも芸術的なのは末恐ろしい。
それより効果音を自分で入れる美少女って、よくない?
「ノリ悪いなぁ。」
「いや、反応に困るし。」
「貢いでくれてもいいんだよ。私が許そう。」
少女は尊大な言葉を吐き手を皿のようにして、グリードのほうに突き出した。そこに金を置けということなのだろうが、グリードは首を振って拒否した。
「いや、だから貢がないって。そんなに貢いでほしければ配信でもしたら。」
「めっちゃ語弊があること言うね。それに配信するなんて努力したくないし。」
「でもみんな褒めてくれるし、貢いでくれるし、自己顕示欲マシマシで満たされるよ。」
グリードの言葉は偏見に塗れたものであったが、しかしある一面の事実でもあった。なにか、グリードは配信に嫌な思い出でもあるのだろうか。それに対しての少女の反応も酷いものであったが。
「ふっ、甘いね。私ほどの美少女になると厄介なファンがついて、ストーカー騒動に発展したり、醜い女どもからの嫌がらせや粘着にあったりするんだ。私の可愛さによってね‼」
「すごい自信だな。」
「そりゃ、努力してますから。当たり前っしょ。それよりあんたの名前何?おもしろいやつっぽいし。教えてよ。」
努力が裏付ける確信にも似た自信を少女は持っていた。その言葉と共に強気な笑みを浮かべる少女はその魅力を存分に引き出しており、なんとも魅力的なものであった。
「グリードだ。」
「へぇ、グリードね。リドでいい?」
「いや、なんで?」
名前を告げたすぐ後に愛称を勝手につける少女。そんな経験がなかったであろうグリードは思わず聞き返した。
「えっ?二文字のほうが四文字より喋るの楽じゃん。」
「えっ?そんなに喋っときながらその程度の文字数を?」
「もうリドは乙女心が分かってないなぁ。愛称で呼びたいじゃん。気になる人は。ぽっ。」
ぽっ。とか言いながら頬を赤く染めるさまはあたかもグリードに惚れているようにも見えるが、勘違いしてはいけない。決して惚れてなどいないのだから、何せ眼を金マークに変えている。それもわざとであるし、それを分かりやすくするために眼をそう変えたのだが。
「気になる人って、嘘でしょそれ。」
「ちぇ、ばれたか。ま、いいじゃん。それより私に聞くことないの?」
「聞くこと?あぁ、美少女フェイスを保つためにはどんな努力をしていますか?」
何故か取材者風にあたかもマイクを持っているかのように手を突き出すグリード。それに対して何故かキリっとした表情で向かい打つ少女。
「多くの努力をしているのですがまず一番は、ってちがーう。そうじゃないよ。リド君。」
「あぁ違ったか。んー、じゃあ。体型を維持するのにはどんな努力をしていますか?」
「それは栄養素を考えた料理に、適度な運動、ってだからちがーう。わざとでしょ。もうっ。」
「ノリ良すぎでしょ。」
「まぁね。貢いでもらうにはトークも必要なのだよ。リド君。」
「ガチで配信やったら?」
つい、本気で言うグリード。でも、もっともだろう。というかお金を恵んでほしいと言えば、少女のもとには大量の金が舞い込んで来るだろう。それほどまでの美少女なのだから。大人の中には何でもいいから貢ぎたいって言う、どうしようもない大人もいるのだし。
「そんなことより、聞・く・こ・と・は?」
「はいはい。君の名前は何ていうの?」
「えぇ、教えてほしいの?」
そうや言う少女は面倒くさ可愛かった。めんどい少女の方が可愛いのである。世界の常識だ。それは言い過ぎにしても補正がその分かかるので。特に美少女ならなおさらだ。ほら、よくあるだろ。※ただし、美少女に限る。ってのが。あれ、違ったか?
「あー、うん。教えて。」
「どうしても?いやー、どうしてもって言うなら教えてあげないこともないんだけどなぁ。ちらっ。」
可愛い。けど、面倒くさい。だから可愛い。そんな少女である。その少女の言葉に素直に返答していくグリードは我慢強いのだろう。こんな面倒くさいことされたら、一般人では倦厭するというものだ。いや、美少女だから許せるかもしれないが。
「どうしても教えてほしい。」
「なら、貢いで。」
真顔であった。本気で言ったのだろう。その言葉にグリードは言い放った。
「さようなら。」
「ごめんって、冗談だよ。私はエーレって言うんだ。よろしくね。」
「あぁ。よろしく。」
にこっと笑った少女は紛れもなく美少女でり、一人のただの少女のものであった。