003 森での戦闘
早速森に入ったグリードは大きく息を吸い、大きく息を吐いた。その動作を数回繰り返すとグリードの身体から何らかの湯気のようなものが浮かび出て、身体を覆うように揺らめきだした。
これは気力という力によるものだ。モチベーション的な意味ではなく、気法という技術を用いるために必要なエネルギーである。この気力はスタミナといった意味のほうに近く、精神状態とは関りがないということはないが、主に身体の調子によるものが影響としては大部分を占める。
気力の特徴として、全快までの回復が非常に早いが保有量が少なく、また消耗も激しいというものがある。要は瞬発力は強いが、持続力には劣る。そういうことである。
「ふぅ~。」
より一層大きく息を吐いたグリードの気力が可視化され、身体に纏うように気力が這う。これは気法の中の呼吸法、基礎。その名も隆気である。血液を介して気力の力を全身に至らせる技術だ。
最も使用が簡単な初歩的な技術である。しかし気法においては一番に重要ともされる技術でもある。効果は単純明快に気法の強化。あらゆる気力にまつわる技術や性質が強化されるというものだ。
「よし、今日は調子は悪くないな。」
次にグリードは身体を覆う気力を外に外にと広げた。気力は徐々にグリードの身体から波打つように浮かび上がり、次の瞬間目に見えぬ速さで断続的に波状に広がった。
これも気法の一種であり認識法に属する気配感知である。効果は気力に触れたものを感じることができるというものだ。今のところのグリードの感知範囲は障害物がないと38mほど。
グリードが扱う形状としては球状かつ波状である。この形状は人によって異なり、また同時にその感じ方も異なる。個人のイメージ、適性により変化するのだ。その性質上各人により得意とするものが違う。
「それに、ふっ。」
「ぎゃっ。」
グリードは弓に矢を番えて射ち放った。弓は放物線を描き、そして、ゴブリンの首を貫いて一撃で仕留めた。距離としては約18mほどであった。弓の腕前は悪くない方だろう。良くもないというのが現実だが。
「幸先もいいし。いい感じだな。」
解体用のナイフをカバンから取り出して、ゴブリンの体内に存在する魔石というものを胸から抉り取った。魔石とは魔物が体内に生成する魔力の保管器官のことである。その魔石は魔力を用いる魔道具といったものの動力源となる。
この魔石が職業案内所では魔物を討伐したという証となり、金に換金される。ゴブリンは他に素材となるものはないが、ほかの魔物などによっては素材となるようなものもあり、それを換金することも可能である。
ちなみにであるが人間も分類上は魔力を持ち、また魔石を保有しているために魔物であるとされている。
「さて、どんどん行こうか。」
そうして、グリードは森の中に向かって歩き出した。
「よっと。これで依頼分は完了っと。」
「ふはははは。まだだ、まだまだ。もっとだ‼もっと強いやつを‼」
「なんだ?」
グリードが銀杏鳥を仕留め解体しているとき、突然に若い男の笑い声が森に響いた。その笑い声からは粗雑さ、気性の荒さを十分に感じさせられるものだった。
グリードはその声に導かれるように、ふらふらと声の方へと近づいて行った。そうして、男を目視した瞬間に驚愕して目を見開いた。
「な、んだ、これ。」
それはまさしく地獄のような光景であった。辺り一面に広がる血の海の真ん中で高笑いをしながら数十ものゴブリンを相手取っているのは、恐ろしく鍛えられた肉体を持った巨漢である。
ゴブリンの小柄な体型と並べると男の体型がなお引き立っていた。男のゴブリンを葬るために振るわれる拳の風圧により、その男の大雑把に切られた赤髪が浮かび耳に着いたシルバーのピアスが見え隠れする。
万人が見ても恐怖という感情を思い浮かべるような原始的と言うべき暴力。血の海に浮かんでいる千切れた手足やすり潰したような肉片がそれを冗長させた。パッと見ただけでも50以上の死体はそこにはあった。
「いいぞぉ‼だが、足りんっ‼」
「なんだ、これ?」
「ふはははは。」
思わず二度目の同じ言葉を吐いたグリードであるが、その気持ちも分からなくはないだろう。男はたった今倒したばかりのゴブリンの死体の頭を片手で鷲掴みながら、狂ったような笑みをその顔に張り付けていたのだから。
その男が突然にグリードの方に振り向き、狂った笑いを張り付かせたままゴブリンの死体を投げつけた。その死体は物凄い速さでグリードに向かっていった。普通の人間では避けられなかっただろう。
「ちょっ。」
「おっ。避けるとはなぁ。楽しめそうなやつじゃねぇかよぉ‼俺の名前はレイジっつーんだ。以後お見知りおきをってなぁ。まぁ、すぐ死んじまうかもしれねぇけどなぁ‼」
しかし、グリードは避けられた。レイジという男を警戒していたというのもあるが、何よりもこの場から早々に立ち去ろうとしていた。そのおかげで突発的な攻撃にも対処できたのだ。
それの代償と言うべきか、グリードは咄嗟に全力で気法の強化法、身体強化を発動してしまった。その結果起こるのは気力の消耗である。気力が空になるというほどでもないが、どうなるか分かったものではない。
そのグリードに自己紹介?をしながら迫るレイジ。そして、その勢いのまま右拳を振るった。グリードは身体強化を維持しながらその拳を躱して、交戦の意思がないと伝えるために手を上に挙げながら声をかける。
「待てっ‼くっ、だか、あぶねっ。」
「おらよぉ‼まだまだいくぜぇ‼」
そう言いながら両拳を交互に振るうレイジ。それを避けるグリード。グリードはどうにか相手と戦うことを避けるために声をかけ続ける。しかし、相手は狂った笑いを浮かび上がらせながら戦う男だ。聞くはずがない
「こいつっ‼待てってっ‼」
「くはははは。楽しいなぁ、おい。もっともっと楽しもうぜぇ。ギア上げてくからよぉ。ついて来いよ。くはは。」
レイジのギアを上げるという言葉のあとに体の切れが大幅に上昇した。より強く、より早く、より効率的に身体を使い始めた。効率的と言いながらどこか獣のような動きが合わさり、それが余計にグリードを混乱させることになった。
今のレイジの状態を表すなら、多少知能がある獣だろうか。半端に人間の身体の使い方を知っているからこそ、どこか一部分がひどく非効率に思え効率的な動きと非効率的な動きがランダムで来る。そんなアンバランスさがあった。
「こいつ、速くなってるっ!?」
「くはは。おっ?これでも、まだついてくるか。」
「だ、か、らっ‼話を聞けぇ‼」
その様子に埒が明かないと悟ったグリードは拳を握りレイジの腹を殴った。しかし、グリードの拳はその硬い筋肉に防がれ、相手には何ら衝撃は与えられなかったようだ。だが、それでも自分に攻撃をしてきたことに喜ぶようにレイジはニヤリと笑った。
「おっと、反撃までしてくるとはな。もっと、もっと楽しめそうだな。」
「こいつっ‼ちっ、埒が明かねぇ。」
「どうした?お前の力そんなもんじゃねぇんだろ?せっかくもう一個ギア上げてやるんだ。楽しもうぜ。」
その言葉でレイジの雰囲気が変わる。先ほどの荒々しさをどこかに置いてきたのか、大木のようにずっしりとしながら、流れる水を思わせるような精錬された隆気。動と静を同時に併せ持つようなそんな矛盾を孕んだ存在がそこにはあった。
先ほどまでは気法を用いていなかったことに動揺するグリードではあったが、それを表に微塵も出さずに次の行動に移した。それは、逃げることである。
「はっ、御生憎様、そんな暇じゃないんでね。よっと。」
「煙幕?逃げる気か?だが、逃がすわけ、ないだろうがっ‼」
そう言ったレイジは腕を強引に横に振った。その結果煙幕は吹き飛ばされて視界が完全に晴れた。しかしそこにいるはずのグリードがおらず、レイジは逃げられたと悟り今日一番の凶悪な笑みを浮かべた。
「はっ?いない、だと?こいつは、くっ、くくく。いいねぇ。森とはいえ、この俺様から逃げられるとは。認めてやろう。おまえは本物だ。今度会ったときは楽しもうぜ。今度こそ。ってか、邪魔だ。ちっ、萎えるな。もう帰るか。あー、その前にこいつらの魔石どうするかな。」
哀れゴブリン。闘いの音に誘われてやってきたゴブリンは、適当に殴りつけただけの拳で頭が弾け飛び息絶えた。どさりと肉体が地面に倒れる音を聞いたレイジは途端に興味が薄れたように静かな表情をしていた。
「ほんと、バカみてぇな力だな。ゴブリンとはいえ拳で殴っただけで頭が弾けるんだからよ。こっちはもう、会いたくないぜ。まぁ、感知はこっちのが精度が高く、広そうだから気づいたら逃げれそうだからいいけどな。」
木の上を枝伝えに移動していたグリードはもう追ってはこないと確信すると、地面に降り立ち知らず知らずのうちに顔を伝っていた冷汗を振り払った。一つ間違えれば確実に死んでいただろう。それが分かっているからこそのだ。
「ふぅ。時間はそんな経ってないけど疲れたな。身体能力だけならハンスを抜いてるなありゃ。技術面だと圧倒的に劣っているけど。あんなバケモンが上にはゴロゴロいるんだよな。いやだねぇ、ほんと。」
そんなことを言いながらも、グリードは狂ったような笑みを浮かべていた。その笑みはレイジと同様のようで少し違う類のものであったが、しかし狂っているということに関してはきっと2人は同類なのだろう。
「頂はまだ遠い。だが、頂が遠いほど嬉しいだろ?俺にはまだ先があるって確信できるんだから。それほど嬉しいことはない。」
誰に言うでもなくただ呟いたグリードは凶悪な笑みを浮かべた。レイジの最後の笑みと完全に同一のものであった。それにハンスとも同様のものである。人間の欲を濃縮したようなそんな醜い笑みであった。
そして、神がいるなら神をも魅了する。そんな魅力的な笑みでもあった。