017 闘技場での戦闘
「くははは。おら、かかってこいやぁ。」
「くっ、お前は何なんだ。アーク神様のご加護の中でどうして平然と動ける!?」
「アーク神だぁ?それがどこのどいつかは知らないが、この程度の重圧でへばる俺じゃぁねーぞ。アーク神だかは大した事ねーんじゃねぇーか?」
そう。竜神の威光の正確な効果は味方の士気の上昇および能力上昇。敵対象の士気の減少及び能力減少。それと全対象に火属性の攻撃、耐性の強化である。それぞれすべて割合と固定値の加算で変動する。
それに神の名を冠しているからには効果は大きく、並大抵の戦士でも動けなくする程度の効力はある。優秀な戦士でも動きは鈍るだろう。レイジが特別に抜きんでた存在だからこそ、平然と動けるに過ぎない。
「な、なにをっ。アーク神様を馬鹿にするなどっ、万死に値するっ。死ねぇえええ。」
「うはは。良い殺気じゃねーか。ほらよぉ、もっと楽しませてみろやぁ。」
「くそっ。」
「なんだかなぁ。おまえ、拍子抜けだな。」
幾ばくかの拳を交えた後、レイジは途端につまらなそうに言葉を吐き、これまたつまらなそうな表情をした。決して戦闘中にする表情でもないだろうが、レイジにとってはこの程度戦闘にもならない程度の些事に過ぎなかったのだ。
「なっ。」
「もういいか。」
「う、ぐおぉおお。」
レイジのつまらなさそうに振るわれた拳は身体を簡単に貫き、その場に内臓をまき散らした。それを一瞥したレイジであったが、興味がないようでため息さえついてみせた。
「断末魔までつまらん。ここから覚醒の一つや二つでも無いとなぁ。残りもそうなのかぁ。なぁ?」
「貴様っ!!よくもっ、よくも私の同胞をっ!!」
「いい怒りだなぁ。くははは。ほら、そのぐらいの気概で来ねぇと、虫のように踏みつぶしちまうぜぇ。」
そのレイジのセリフに怒声をあたりに響かせるのは、アーク教会の所属の実行部隊の部隊長であり、その見た目はまんまに騎士のようである人物だ。それも女性のシルエットが分かるようなものであり、この世界でも貴重な女騎士のものだった。
仲間のために怒る騎士と命を何とも思わぬ巨漢。もはやどちらが悪党か判断もつかない様相であったが、しかして先に襲撃したのは教会側の人間だ。そのような扱いを受けるのも仕方がないのかもしれない。覚悟の内である。
「お前らっ!!こいつをっ!!殺せぇええ!!」
「「「「うおぉおお。」」」」
「くはは。ほらほら、それではまだ遠いぞぉ。もっと頑張れよ、なぁ。」
どれだけ気合を入れようと純粋たる能力差というのは覆しようもない。この五人がどれだけうまく連携しようが、今の実力では到底レイジには勝てないであろう。もし潜在能力を今以上に引き出せたら、傷の一つや二つを負わせることもできる程度にはなるかもしれないが、それでもやはり勝てはしないのだ。
「こいつっ。」
「怒れ怒れ。心の隅から隅まで身体全身の最後の一滴まで絞り出せやぁ。そうじゃなくちゃぁ踏みつぶし涯がないだろぉ?」
「どこまでも我らのことを。許せん。許せんぞぉおおお。」
女騎士の部下Aが怒りに無謀な突撃をした。それを見逃すレイジではない。レイジは部下Aに拳を叩きつけた。その瞬間に部下Aの身体は吹き飛び、観客席後方にある壁にぶつかり、血をまき散らすに終わった。
実のところ、この五人は優秀だったのであろう。先ほどはレイジに勝てないとは言ったが、必ずしも負けるとは言っていないのだ。剣を、拳を交えていられる程度には実力はあったのだ。
もし生きるのに全力を傾けていたのなら、レイジ自身も短い時間では殺しきることは決してできなかっただろう。もちろん、時間をかければ可能である。だがもう少しレイジを疲れさせるなんてことは十分に可能であったはずなのだ。
「おらっ。ただ感情的になればいいってわけじゃねーんだよ。あほがっ。ほらなぁ、お仲間さん一匹死んじゃったなぁ。これじゃぁ虫以下か?」
「おのれぇえ。我が同胞よ。絶対に奴を許すな。ここでこいつは仕留めるぞ。これほどの卑劣漢、他に見たことがないっ。我が理想の世界のためにっ!!」
「「「世界のためにっ!!」」」
「くくく。世界のためかぁ。まぁ、理由はどうでもいいが、本気になってくれて嬉しいぜぇ。じゃあ。俺も少しはギアを上げるとするか。特別サービスだ。本来なら、お前らごときに使うものでもないんだがな。」
まぁ、レイジが気を使うと決めたならすべての前提条件は崩れ、一瞬にして片が付いたのは変えられない事実であるのだが。その極限の鍛錬により、常人では絶対にたどりつけない領域に立っているのだ。
五人の優秀な人間程度では叶う道理はない。五人にとってはこれは最初から勝ちがない無謀な戦いでしかなかった。最初から終わっていたのだ。逃げる。それこそが唯一の正答であったのだ。
「気をつけろっ。雰囲気が変わったぞっ!!」
ぞわっ。その瞬間に女騎士は死の幻想を抱いた。全身から血の気が引き、心臓がドクンと一つ大きく跳ねた。脳は冷静を通り越し目の前の現実から機能を止めようとして、五感のすべてが情報を受け取るのを拒否しようとした。
魂は震え、格の違いというのをその身で感じ取った。それでも意識を保ち、目の前の現実を受け止めようとした姫騎士は素晴らしい精神の持ち主だった。残りの部下の3人は意識を保つこともできず、昏倒したというのに。
「お、お前ら、しっかりしろ。こんなの、こんなのこけ脅しだっ!!」
それは部下に言っているようで、自分に言い聞かせていたのだろう。とうに本能は目の前の生物に屈し、理性までもが無理だと叫んでいた。女騎士を支えたのはただの意地だけだ。人間らしい感情というものだけが、その身を立たせていた。
「やはりいらなかったか、これ。おまえらでは最低条件にも満たないな。おまえらが竜神の威光と呼んだものは一つの技術に過ぎない。威光。その系統のな。ものによっても効果は違うが基本的には味方の鼓舞と敵への威圧。それに過ぎない。」
「それが神と同じ技術だとでも、言うのか。」
女騎士は目を見開いた。信じたくなかったのだ。信じてしまっては自分の信じる神の名が揺らいでしまうと思ってしまった。いや、そう思った時点で揺らいでしまっていたのだろう。
目の前の生物は格が違う生物だ。だから、言うことに間違いはないだろうと。その瞬間に膝が崩れ落ちそうになった。地面がなくなったかのように平衡感覚がなくなったのだ。それでも女騎士は剣を地面に突き刺し方膝立ちで耐えた。
だが、まだレイジの話は終わっていない。
「違う。それは大きな間違いだ。本来の神に技術はいらない。本来、神が持つのは絶対的な権能とそれを扱うだけの器、資格だ。威光など神の力とは呼べないただの残滓だ。その残滓を真似て人間が使えるようにしたのが、威光という技術だ。」
「神の存在の一部を模写しただと?」
「何を言っているのだ?お前もそうだろう。人間の技術と呼ばれるものなど、ほとんどはお前らが神と呼ぶ存在の権能を落として落として、再現したに過ぎないではないか。」
「そ、そんなもの認められるかっ!!神とは絶対なのだ。再現しようにもできないものなのだっ。それが神というものなのだっ!!」
女騎士の想い抱く神の像というのは最早、崩れ去ろうとしていた。信じるものが、信じられなくなった絶望。信じていた時間の分だけそれがのしかかる。信じていた時間に行った鍛錬がその身を痛めつける。
神のためだと信じて生きてきた人生がこの一瞬にも崩れてゆく。希望が絶望に。夢が悪夢に。何のために生きてきたのか。何もかもが分からなくなった。自然と涙が女騎士の頬を濡らした。絶望に塗られた表情は見るに堪えないものだった。
もう立ち上がる意思もなく、膝は完全に地面に着き、力の入らない両腕を何とか剣で支えるのに必死であった。その姿は懺悔をする聖職者のようであり、断罪を待つ咎人のようであった。
「そう信じるのもまたよしだ。どっちが正しいかなんて分からないからな。俺の言うことも全部人伝てに聞いたことに過ぎないのだしな。」
「あ、あっはは、そうだっ。そうに決まっている。やはり、神の敵は滅殺しなければ、そうでなければ、いひひひ。」
フォローするようなレイジの言葉により、逆にさっきの事実が本当であったかのような印象を女騎士は抱いた。完全に精神が壊れた瞬間であった。
「壊れているなぁ。この程度の軟な精神でよく生きてこられたな。まぁ、もう安らかに眠れ。最期ぐらいは一思いに殺してやる。」
「神のて……。」
レイジによる魂をも震わす重圧に信じるものが破壊され、希望が絶望に変わった日、女騎士の屍は丁重に葬られることもなく、ただ野ざらしに捨てられてしまうだろう。襲撃者の末路などその程度のものなのだ。
幸運だったのは首を手刀の一発によって落とされたことだろうか。痛みを感じる前に、死を実感する前に息絶えたのだろう。それは女騎士にとっては一番の幸運なことだろう。
「はぁ。悪い癖だ。この状態に入る前の俺は傲慢に過ぎるからなぁ。やれやれ。まだ未熟だな俺も。さて、合流しないとな。」
レイジの足が何かを蹴って、カランと音を立てて転がっていった。
「ん?……ロケット?……エミリー、か。」
それはさっきの女騎士のものであろうロケットであり、中には女騎士の中の人の似顔絵らしきものと名前が記されていた。女騎士の名前はエミリーであったらしい。今日この日、何でもないように一人の女騎士の人生が終わった。
「あら、終わったの。」
「そちらもな。」
「なかなかいい気をしてるわね。」
「ありがとさん。だが、まだまだ未熟さ。そっちはどう無効化したか分からないが、無効化は出来てるみたいだな。」
そこは不思議な状態であった。ここは戦場であるはずなのにも関わらず、戦闘した後がなく、六人の人間が意識を保ったまま跪いたまま微動だにしなかった。意識がないわけではない。ただ、従っているのだ。
このミリアムという魔性に。ミリアムは天性の魔性を兼ね備える存在だ。生まれつきそうなるべくして生まれた存在であり、この人生すべてが魔性ありきの存在であった。従って男を跪かせるなど容易なことなのだ。
「ええ。皆お願いは快く聞いてくれたわ。」
「あぁ、そうか。それより、あいつら危なそうだが?」
その言葉の通り闘技場のリング内で対峙している二人の様子がよろしくないのだ。邪神官に押されているのだ。このままではいずれ負けてしまうだろう。
「ええ。そうねぇ。でも、助けはいらんって言ってたわよ。」
「どうしたものか。まぁ、でも助けるのだろう。」
「ええ。もちろん。私はお留守番するわ。ここでこの子たちを監視しなくちゃならないから。」
監視といっているが実際は監視の必要はないだろう。効果範囲から抜け出せば確かにこの効力は落ちる。しかし、一度でも魅了されるとその存在は身に、魂に刻まれるのだ。もちろん個人差はあるが。
だから、少し離れる程度なら問題ないはずだった。それをミリアムは断った。
「分かった。じゃあ、行ってくる。」
「行ってらっしゃい。」
「あれは素晴らしい逸材ね。欲しくなっちゃう。うふふふ。久しぶりに高ぶって来たわ。」
断ったのはこれが理由だ。高ぶっているから。これに尽きる。ミリアムは英雄体質であり、天性の魔性というのがそれにあたる。それの代償は感情の制御ができなくなるというものだ。
そして厄介なことに魔性の性質上、感情によって効果が大きく変わってしまう。もちろん、感情が高まれば魔性も効力を高める。敵味方見境なくなるのも困るし、ミリアムの困った性による衝動を抑えるための自衛策である。




