010 色街
「あっ、金渡すの忘れてた。ま、いいか。今度で。」
グリードは孤児院の門を目指す際にふと頭を上げて呟いた。そのまま一人で納得したように頷きながら歩いていると、グリードは曲がり角から出てきた人とぶつかった。グリードは態勢を崩すだけだったが、相手は地面に転がっていた。
「いたっ。」
「っ。ごめん。」
グリードの顔を上げた先にいたのは気の強そうな一人の小柄な少女であった。少女は強い意志のこもった赤い瞳を持ち、その吊り上がった瞳からは少女の気の強さがにじみ出るように感じられた。
赤い髪を頭の高い位置にツインテールに結び付けて、その毛先は地面に着きそうなほどに長かった。その髪を振り回し飛び跳ねるように起き上がった少女は、グリードに詰め寄ると下から覗くように睨みつけた。
「あんた。ふざけんじゃないよ。」
「いや、だからごめんって。」
確かにグリードも前を見ていなかったという責任もある。しかし、謝ったのだしわざわざ絡まなくてもいいものだとグリードは思うのだった。だが、相手は気の強い少女で餓鬼なのだ。そんな大人な対応をとるはずもなく、グリードの言葉にますます怒るのだった。
「何っ?謝ったからって許せって言うの?不愉快だわ。」
「んじゃあ、どうしたら、許してくれるんだ。」
「あんたが考えなさいよ。って言いたいところだけど、ちょうどいいからあたしに付き合いなさい。行ってみたいところがあるの。」
その言葉を吐いた少女は何とも魅力的な笑みを浮かべていた。それが当事者でなかったとしたらである。当事者からしたら、その笑みは悪魔の笑みと変わらないものに思えた。実際、グリードはそのように見えたのだろう。口元が引きつりそうになるのを抑えて返答した。
「あいよ。仰せのままに、っと。」
「ふんっ。それでいいのよ。じゃ、行きましょ。」
「はいはい。」
グリードは一周回って、少女がなんだかきゃんきゃん一生懸命吠えている子犬のように思えて微笑ましく思えた。
「はいは一回。」
「はい。」
「ふんっ。」
そんな風に鼻を鳴らす少女は、やはり憎たらしいかもしれない。だが、一応グリードも大人だ。餓鬼の戯言に怒りを覚える前に流すことができるのだ。
「なぁ、着いていくのはいいんだが、どこ行くんだ。」
「あら、言ってなかった?」
孤児院の門を出て少し経った後にふと疑問に思ったグリードは少女へと問いかけた。問いかけられた少女は立ち止まり首を傾げて言った。
「ああ。言ってない。」
「そう、じゃあ秘密ってことね。」
何がじゃあなのかは分からないが、少女は一人でこの話は完結したとでもいうようにまた歩き出した。それにグリードは納得できるわけもなく、少女を追いかけて続けて不評を露わにする。
「なんだよそれ、教えてくれてもいいだろう。」
「まぁ、いいじゃない。どうせ知ってもあんたが行く場所は変わらないんだから。」
「なら、話してくれてもいいだろ。」
「はぁ、めんどくさいわね。あんた、それより名前は?」
心底めんどくさいとでも言うようにため息を吐いた少女はグリードの要望に応えるわけでもなく、あくまでも話すつもりがないみたいだ。先のグリードの言葉とは関係のない問いかけをグリードにした。
「名前?」
「えぇ、あんたあんたって言うの、なんだか嫌だもの。」
「それだけの理由で?」
「えぇ、十分じゃない。早く名乗りなさい。」
少女は基本譲るつもりはないのだろう。自分のしたいようにするだけなのだ。それ以外をするつもりもないのだろう。だから、グリードに説明など絶対しないし、妥協などを一切しないのだ。そんな少女は気が強いというよりも、ただ自分勝手なだけかもしれない。まぁ、子供であるし仕方のないことかもしれないが。
「グリード。君は?」
「そう、グリードね。私の名前はイリア。」
「イリアか。いい名前だな。」
「あら、口説いてるの?」
そのグリードの言葉に口元に手を当てて、わざとらしく目を瞬かせてみせたイリアはからかうような口調で言った。グリードからしたら憎たらしい限りだろう。
「いや、口説いてないし。」
「そう、こういうのをなんて言うんだっけ?」
「な、なにが?」
首を傾げて、片手で眉間をもむ仕草をするイリア。そこだけ見ると少女がおっさんの仕草をしているように見えて、少しおかしく感じるだろう。グリードも例にもれず少しおかしく思えたが、笑うほどでもなく普通に言葉を返した。少し口元が震えているように見えるのは気のせいなのだ。
「少女が好きな男のこと。」
「だから、違うって。」
「えぇ、そうだわ。そう、ロリコンってやつね。」
「違うって言ってんだろ。」
さすがにロリコン扱いは不服なのかグリードは強い言葉で返した。周りにも普通に人が歩いているのだ。周りに聞かれたらどうなることか。まぁ、どうもないだろうけど。世界が世界だし。
「ふん、どうかしら。冗談も通じない男だしね。」
「冗談でもきついわ。」
「そう。ま、いいわ。そろそろ付きそうだし。おしゃべりはここまで。」
その言葉を最後に二人の間に言葉はなく、目的地に向かってただ歩くのみである。
グリードとイリアが着いた場所は色街にある、その中の一つの店である。そこは大人があれをする、そういう店であり子供を連れてくるような場所ではない。それもイリアのような小柄な子供が来る場所などでは断じてない。
「ここって。」
「あら、何か?」
「子供が来ていいところじゃないでしょ。」
「えぇ、本来はね。でもあたしはいいの。お姉ちゃんを迎えに来ただけだし。」
何でもないように言うイリアではあるが、常識的に考えて夜の店に人の迎えとしてであっても子供の、それも女の子が来るところではないというものだろう。しかし、イリアの言い方からして何度もこうして色街に来ていることは想像に難くない。
本来はいけないことであるが安全が確保されており、また店を利用するのでないなら自己責任の範囲内だろう。本当にイリアが安全を確保できているかは不安に残こるところであるが、五体満足であることを考えると実際に危険な目に遭ったことはないのだろう。
「お姉ちゃん?」
「そう、あたしの自慢のお姉ちゃんに。一部の悪癖を除けば本当に完璧なのだけど。」
「悪癖?」
「まぁ、会えば分かるわ。」
そう言ったイリアの顔に浮かんでいたのは呆れを含ませながらも、心の底から姉のことが好きであるのだと分かるそんな顔であった。
イリアが手慣れたように店の扉を開けるところを、グリードは少しもたつきながら後に続いた。実はグリードはこういう店に厄介になったことがない。グリードが孤児院を卒業したのはここ最近であるのだから、それもそうなのかもしれないが。
そういってもこのくらいの年ならば怖いもの見たさで入っていくものなんだろうが、グリードは案外に真面目なのだろう。
「いらっしゃいませー。」
「お邪魔するわ。」
「いつもご苦労様ね。何時ものところにいるから。」
「そう。分かったわ。」
いつもご苦労様で子供を通すのは如何なものかと思うのだが、まぁ子供を入れてはいけない。そんな規則なんてあって無いようなものなのだろう。やはり、店としてどうかと思うのだが。
それにこの店は色街の中でも大きい方の店なのだが、そういったスキャンダルというのはまずいはずなのだが、まぁ子供を通すくらいなのだからそういうところは大丈夫なのだろう。
「それより、後ろの子は?」
「あたしの連れよ。」
「ふーん、まぁいいわ。君もまた暇な時でいいから来てね。」
店の受付がそう言って笑った。そういう店であるから当然顔のよいものであり、男に受ける笑みというものを知っており、その笑みはたいへん魅力的であった。それでも常識の範囲内でであるが。
最近のグリードが知り合う人間たちは顔が整いすぎており、普通に魅力的な笑み程度ではなんらグリードの心を動かすということはなかった。グリードが心を動かされるとしたら、エーレなどもはや常識を逸したものだけだろう。
「はい。その時はまた。」
「えぇ、グリードはロリコンなんでしょ。この店には用はない気がするのだけど。」
「あら。ロリコンさんでしたか。」
「だから、違うって。はぁ、まあいいや。それでいいよ。」
もはや、諦めたのであろうグリードはニヤニヤ笑う二人に投げやりに返事した。その返答に唇を尖らせせて、受付の女は言い放った。
「つまらない男。」
「大変、結構。」
その返答にさっきとは反対にグリードが、にやりと笑ってみせた。その後に勝ち誇ったような顔を浮かべた。そのグリードを見て二人は何とも言えない、呆れたような表情を覗かせた。グリードもまだまだである。
「なぁ、イリアの姉のこと教えてくれよ。」
廊下を歩く中でグリードがイリアに問いかけをする。どうにもイリアの姉というものがどういう人か気になるみたいだ。事前情報は多いに越したことはないと考えたのだろう。
「何?あたしの次はお姉ちゃん?節操なしね。」
「だから違うっつーの。悪癖ってなんだってこと。」
「仕方ないわね。教えてあげる。」
「おお。教えてくれるんだ。」
意外に思ったのかグリードは驚きの声をあげた。その瞬間にイリアから鋭い眼で睨まれていた。バカである。こうなるのは分かっているのにそうするのだから。
「何?やっぱりいいって?」
「あー、聞かせてください。お願いします。」
「ふんっ。最初から素直でいなさいよ。全く。」
「……。」
何かを言いたいような雰囲気を醸し出すグリードだが、ここで何か言うと収拾がつかないのは分かっているのか、特に何も言うことはなく黙ったままを選択したみたいだ。
「ふんっ。お姉ちゃんの悪癖って言うのは性に奔放なところよ。」
「ここで働いているくらいだからね。」
「そうね。でも、お姉ちゃんに触れることさえ出来ず果てていく男ばかりだから、奔放とは違うかもしれないけどね。」
「ええ?何それ。」
恐ろしい。何がどうなったら触れることもできずに果てるのか。それとイリアがその知識があることに疑問を持ってはいけない。そういうものだと捉えるのだ。下手すると犯……。何でもない。
「気をつけなさいよ。気をしっかり持たないとまずいことになるわ。」
「分かった。覚悟は決めておくよ。」
「そうしておきなさい。一つ耳寄り情報をあげるわ。」
「ん?」
耳寄りな情報という言葉に僅かな興味を表に出すグリード、それと相対するイリアはそれはもうあくどい顔をしていた。グリードは自分の顔が引きつるのを感じていたが、今更引けずイリアの耳より情報を聞いた。
「お姉ちゃんはね。――なのよ。」
「……それを聞いてどうしろと?」
反応に困る言葉であったらしい。どうにもイリアには勝てそうにもないグリードである。立場が逆転することはあるのだろうか。
「どうもしないわ。それだけよ。」
「……。」
「さっ、行くわよ。」
今度こそ二人は何も話すこともなく、廊下を歩いていく。




