見目麗しい人魚の王子に足が生えたら
真面目に読むものではありません
嗚呼、あなたさまがヒトならば――
その麗しいお姿をひと目見た日から――
「もう聞き飽きた」
「そう言わずに、受け取るだけ受け取ってください」
侍従のブールが貝を押しつけてくるので仕方なく受け取る。
陸では紙に言葉を綴り気持ちを伝えるらしいが、人魚の世界は大きな巻貝に言葉を閉じこめ気持ちを伝える。人間はそれを真似て僕に貝を送りつけてくるのだ。
「人魚のことを知りもしないくせに、顔だけで好きになるとは愚かな」
「あ、またパティラ様から届いてますよ」
「宰相の娘か。言葉を閉じこめる貝は高価だというのに、家の財力にものをいわせて自分ばかりアピールしようなど、まさに愚の骨頂」
「一応聞いてあげないと気の毒ですよ」
ブールが貝の蓋をひらくと、いつものようにパティラ嬢の落ち着いた声。顔は覚えていないけれど、声は嫌いではない。
《コモードさま、アーワン家ではあなた様を迎え入れる準備が整いました。不自由はさせませぬ故、ぜひともわたくしを選んでくださいませ。それから――》
「止めろ」
僕の言葉にブールが慌てて貝殻の蓋を閉める。
「もう、愛の言葉ですらありませんね。選んでくださいという割には、なんだか決定事項のような口ぶりですし」
ブールが半笑いで貝を僕に渡す。ブールもパティラ嬢の言葉には軽口をたたくほど、毎日のように貝が届く。
「どいつもこいつもくだらない。誰を選んでも変わらないなら僕も見た目で選ぶ。ただ宰相の娘はどんなに見た目が好みでも選ばない」
「確かに良い噂は聞きませんね。何やら変わった生き物を集めているのだとか」
「はっ、やはりな。子が人魚ならコレクションにする腹か」
「さすがにそこまでひどい方だとは思いませんが……さあ、明日は忙しくなります。今日はゆっくり休んでください」
♢ ♢
大昔から、海は人魚の王が、陸はヒトの王が世界を支配していた。
お互いが交わることもなかった時代、浅瀬に迷いこみ魔物に襲われていた人魚の姫を、ヒトの王子が助けた。
海の王は大層感謝し、ヒトが航海に出るときは人魚たちに水先案内をさせるようになり、危険の多かった航海が格段に楽になったという。
そして海と陸の交流は活発になり、友好的な関係を築いていった。
それがなぜかいつの世からか、五十年に一度、人魚の姫か王子をヒト(王族か由緒ある家柄の者)に差し出すという流れにかわり、いまも続いている。
ヒトが大昔の恩をいつまでも着せ、人魚を利用し続けているから、そろそろやめてもいいという意見も耳にしたことがあるけれど、そういう話はよくわからない。僕は何も知る必要はないと育てられた。
とにかく僕は、明日になれば決められたとおりに陸の誰かの婿になるだけだ。
不安は、ある。
王子が婿に行くのは僕でまだ二人目。
一人目は遥か昔。どんな人生だったのか知りたくて、魔女ババアに聞いたら忘れたと言うし、王族に伝わる記録貝も欠けていて聴くことができず、どんな王子が婿にいったのか結局わからなかった。最期は何を思っていたのかを知りたかったのに。
僕は、若い令嬢たちと波打ち際で顔合わせをした日を思い出す。
令嬢たちは僕の顔を見れば顔を赤くし恥じらうばかりで、誰とも会話らしい会話ができなかった。それなのに女性たちからは愛の言葉を送られ続けている。
(見た目が麗しいなんて聞き飽きた。僕の見た目など関係なく、国のために婚姻するのだ、と言い切るような娘なら楽しめそうなのに)
考えるのも馬鹿馬鹿しくなり、僕は人魚として最後の夜を憂鬱な気分で終えた。
♢ ♢
僕がヒトになる日、両親や兄弟には涙もなく見送られ、海の宮殿をあとにした(生まれた時から婿にだすのが決められていたから、家族との関係はアッサリしたものだ)
侍従のブールは、王の命令で海面まで付き添うらしく、いつもどおり僕のすぐうしろを泳ぐ。これも最後かと少しだけ寂しくなる。
途中で魔女婆さんのいる海の洞窟に寄り、
「これを飲むと足が生える」と、小瓶を渡され、その場で飲めと言われた。
海面に出る頃には足が生えている、と。
――これで、僕もヒトになるのか
複雑な気分だけれど、生まれた時から決まっていたことだ。諦めるしかない。僕は何も考えず、一気に飲み干した。
それからすぐに出発して、
海面の光が見えるところで
僕は一旦止まる。
キラキラして美しい。
この光景も見納めか、としばらく眺めていたけれど、ブールが遠慮がちにヒレに触れてきた。
(わかってるよ)
まだ足びれがある。いつ二本足になるのか、と思いながら、再び海面を目指した。
♢ ♢
※人魚、ブールの視点
ブールは、常に王子の斜め後ろにいたので、異変にいち早くきづいた。
ブールは思った。
(え、そっち!?)
しばらくして王子も異変に気づき、目を丸くしたものの、すぐに早く誰かに見せたくてたまらないという表情でニヤリと笑った。
(だろうな)
ブールは王子の変化していく泳ぎを眺めながら、このあとのことを考えてため息をつく。
(これからは、人魚の王子は断られるに違いない)
♢ ♢
※ヒト、見届け人(男性35歳)視点
名家の令嬢たちが、今か今かと人魚王子を待っている。
先に侍従のブール君が海面に顔を出す。
何度か打ち合わせをしたから顔馴染みだ。
わたしと目が合うと、苦笑いのようなものを浮かべた。
続いて、海面に人魚の王子が顔をだす。
こちらは満面の笑みだ。
これは惚れる。
会うのは二度目だが、記憶より美しい。
どれだけのツラか拝んでやろうと
悪意をもって集まった男たちも見惚れている。
みなが納得の麗しさだ。
それから、王子はスイーと波打ち際まできて。
おもむろに腕が出て、
指先が砂浜に触れた。
そして、
肩や上半身、
均整のとれた肉体があらわれ
それから
それから―――
王子は四つん這いで上陸。
そこには、
腰のあたりからトカゲのような太い足が生えている
王子の姿。
足ヒレは、ない。
先が細くなって尾のように変化している。
まだ、四足歩行が慣れないからか、
砂浜を這いずるように進んできた。
ここで、多数の令嬢が
悲鳴をあげ逃げまどう。
その様子を人魚の王子は笑顔で眺めながら、
「やあ」
とわたしに挨拶した。
王子の声を初めて聞いたが、声も良い。
「ようこそ、陸へ」
わたしは歓迎の意をこめて頭を下げる。
残った男たちも口々に「ようこそ陸へ」と温かく迎え入れた。人魚の王子は満足げに頷いた。
王子が陸を気に入ったようで安心した。
♢ ♢
令嬢たちが逃げ、
男たちも渋々解散し、
見届け人や王族の者たちが
トカゲの受け入れ先をどうするか決めるあいだ、
僕はその場で待機していた。
やることもないので生えてきた足について考える。
(まさかの“足”だ。人魚姫はヒレが足になったと記録されていたが、なるほどなるほど。
あの魔女ババア、“足が生える”とちゃんと言っていたのが頭にくる)
「ババアは男嫌いだからワザとだな」
思い出してつぶやくと、
「ババアとは言葉が悪いですね。どなたのことでしょうか」
と聞き覚えのあるというより、毎日のように聴かされた宰相の娘の声が頭上から。
「パティラ嬢……か」
「わたくしの声を憶えておいででしたか」
パティラは四つん這いの僕を見下げて微笑む。
「あれだけしつこく送られたらイヤでも覚える」
「まぁ。それは嬉しいお言葉ですが、時間がございません。とり急ぎ我が家にまいりましょう」
「…………は?」
「まだ足が生えたてですと、薬の原料でもある魔獣の血がまだ馴染まず、ヒトを喰らいたい衝動に駆られると聞きました」
「え? え?」
「昨日贈りました貝でお伝えしたように、既にあなた様を迎え入れる準備は整えております。徐々にヒトを喰らう衝動を抑えていきましょう」
「きゅっ、急にそのように言われても困る。話も事実かどうかもわからない。それに、そんな面倒なことをせずとも一度海に戻って……」
どれだけ顔がよくても足がトカゲなら誰も引き取らないし、海に帰れると思っていた。魔女ババアならもとに戻る薬もつくれるだろうと。
そんな風に考えていたのだけれど、どうやら違うようだ。
パティラがゆるゆると首を横に振り、呆れたように
大きくため息をついた。
「なんと愚かな。それでも王子ですか。なにも学んでこなかったのですね。その魔獣の血の衝動は、特に人魚を好んで襲うという習性があるというのに」
僕は、パティラの嘲りの表情を見て、
どちらが強者か、そして決して逆らってはならないものは誰かを本能的に悟った。
それから、僕は大きな網にいれられ、水の入った樽に下半身をつけた状態で急ぎ出発することになり、移動中に一人目の王子の謎を知ることとなる。
遥か昔、婿になるために上陸した一人目の王子は、その姿から人魚の王子と思われず、神の使いとまつりあげられた。そしていつのまにか姿絵は二本足で描かれるようになり、陸のものはそれが人魚だといまだに気がついていない。
人魚側はそれを知って気まずくなり、王子の記録を残さないことにしたそうだ。だから記録貝が欠けていた。
魔女は不死だ。全てを知っているし忘れない。
パティラは貝の買い付けでよく魔女と顔を合わせるうちに気に入られ、人魚の王子の秘密を全て教えてもらったのだそうだ。
「女好きの魔女ババアめ」
「そこは聞き捨てなりません。魔女さまは、トカゲが好きなだけの、わたくしのお仲間です」
「だからってなんで男だけトカゲの足なのだ」
「それです!! 女性もトカゲにするべきですよね!!」
パティラが鼻息荒く同意を求めてきた。
「……そこまでは言ってないが、君がもしそうなったらそんなこと言えないのでは……」
「だから! わたくしはそうなりたいのです!!」
パティラがキラキラした目で僕の言葉を遮った。
そう。パティラはそうなりたい子だった。
トカゲが三度の飯より大好きで
自分もトカゲになりたいと言う変わった令嬢。
家にはたくさんトカゲがいるらしい。
飼っているのではなく、仲間にいれてもらっているとかなんとか……ちょっと意味がわからない。
「そ、そうか」
「わたくしは男性に興味がありませんので、父には婚姻はしないと告げておりました。ですから家の存続のためには養子もやむを得ずという話でしたのに、人魚の王子が婿入りするとは。これは運命ですわ」
「運命……」
確かに僕は、容姿で選ばない子を望んでいた。
これは、そういうことなのだろうか。
運命って……
トカゲになりたい令嬢が?
僕は、パティラを見る。
目を輝かせて僕を見ている。
視線の先は足だけど。
瞳は美しい。
姿勢もよく、知的な雰囲気も悪くない。
(中身は頭悪いけど)
声と話し方は初めから好きだ。
そして、トカゲの足を持つ僕を好きだと言う者はきっとパティラだけだろう。
――彼女の思い通りになるのは癪だけど、まあいいか。確かにこの出会いは運命かもしれないな。
「あのさ、世継ぎとか――」
「問題ありません。致せます」
「いたせますって……」
「子も産めるそうです」
再びキラキラした瞳で見つめられる。
僕はドギマギしてしまった。
「でも…顔が……トカゲじゃないけど大丈夫?」
「そこまでワガママは申しません。それに王子のお顔は嫌いではありませんから」
「そ、そうか? それならよかった」
「はい。末永くよろしくお願いいたします♡」
海と陸はそれからも友好的な関係が続いた。
ただ、海と陸との婚姻の義務はこの機会にやめましょうという話で王たちは合意した。
理由はヒトの王が、ようやく人魚に理不尽を強いていたことに気がついたからだという。
――難しいことはよくわからないけど、過去にヒトになった姫たちは愛されていたようだし、別に理不尽とは思わないけど。
僕に寄りかかりながら眠るパティラに口づけし、僕も目を閉じる。
――僕の記録貝の最後は、
ふたりは末長く幸せに暮らしましたとさ、かな?
めでたしめでたし。
最後まで読んでくれたかた、ありがとうございます!
トカゲのモデルはコモドオオトカゲです。