7.新たな誓い
◇
カッライスは驚きの中にいた。
これまでだってずっと、アンバーは一緒だった。しかしそれは姉弟子として、頼りない妹弟子を心配しての事だとカッライスは思っていた。
寝台を共にする回数が増えていっても、カッライスはアンバーに必要とされているという自覚がなかった。
だが、違った。
カッライスはその水色の目でアンバーを見上げた。沈黙が続き、アンバーがふと不安そうに窺ってきた。
「……駄目かな?」
その問いに、カッライスは我に返り、首を振った。
「ううん。駄目じゃない。駄目じゃないよ」
とっさにカッライスは寝台から立ち上がり、アンバーの両手を握った。毛布が落ち、隠していた裸体がさらされてかなり冷えた。
それでも、カッライスは構わずに、アンバーに言った。
「アンバー、わたしだって君が必要だ。君がいないとわたしはきっと暴走してしまう。一日中ルージュを追いかけて、奴の術中にはまってしまう。君がいなかったら、わたしはこの世にいなかった。それに……わたしも同じだよ。わたしも……君がいるから、明日が楽しみに思えるんだ」
勢い任せにそう言ったところで、カッライスはとうとう凍えてしまった。
アンバーはそんなカッライスを見つめると、床に落ちていた毛布を拾ってその体を覆った。そしてそのまま背後から抱きしめると、その首筋に軽く口づけをした。
「じゃあ、決まりってことでいいのかな?」
その囁きにカッライスが小さく頷くと、アンバーはそっとカッライスの肩を掴んで振り向かせた。そのままアンバーはそっと身を屈め、カッライスの唇を奪う。軽くではあったが、唐突なその味をカッライスは静かに受け入れた。
思えば、酔った勢いでもない中でこのように唇を重ねることはあまりなかった。素面に近い状態でこうして抱き合ってみれば、アンバーの存在がどれだけ自身の支えになっているのかをカッライスも強く実感できた。
その後の二人は、交わす言葉も少なかった。
言葉による誓いはもう十分出来ている。それでも、お互いにお互いの必要性を確かめ合うように、肌と肌を重ね合う。
幸福と安心感の中で、カッライスはアンバーと共に眠りについた。そしてその最中にふとした疑問が頭に浮かんだ。
今宵の事もまた、何処かでルージュに見られていたのだろうか、と。
◆
小鳥が騒ぎ出すより少し早い朝、目を覚ましたカッライスは寝台からそっと抜け出した。
隣ではアンバーが寝息をかいている。彼女の朝が遅いのはいつものことだが、昨日はさらに遅かった分、まだまだ目を覚まさないだろう。
一緒に眠っていてもいいが、今日はこの町を去る日でもある。アンバーが目を覚ますまでに、旅立ちの準備を進めておこうと思い、カッライスは着替え始めた。
ルージュを仕留められなかったのは不満だったが、今の気持ちは実に爽やかだった。
これまで何故かついて来ていただけの姉弟子が正真正銘の相棒になるということは、それだけ嬉しい事だったのだろう。
私物をまとめながらカッライスはそのことを実感し、静かに微笑みを浮かべた。
孤独に追いかけるよりも、心は安定するだろう。
それは、隙あらば精神を乱そうとしてくるルージュに有効的な対処法になり得ることでもある。
いや、わざわざそのような言い訳を求めることもないだろう。
カッライスは単純に楽しみだった。
相棒と共に歩むこの先の日々のことが。
「アンバー……」
小さくその名を呟き、カッライスは胸に手を当てた。
彼女がいれば、自分はきっと大丈夫だと。
幸福感を覚えながらカッライスは片づけを進めていった。そして、あらゆる私物を鞄につめて、いつも着る外套をさり気なく手に取ったその時、忘れかけていたある物が綺麗な音を立てて床に転がった。
カッライスは何気なくそれを見つめ、そして息を飲んでしまった。
指輪だ。
あの日、あの夜、朦朧とする意識の中でルージュに持たされた、あの指輪だった。
──私が迎えに来るその日まで、その命は大事になさい。
色気のあるあの声を思い出し、カッライスは身震いしてしまった。
だが、すぐに自身の心を奮い立てて、彼女はその指輪を拾い上げた。
迎えに来る日を待つまでもない。
ルージュは獲物だ。恐怖の対象ではない。
自ら追いかけてその息の根を止めることを夢見るならば、こんな挑発にいちいち動揺するわけにはいかなかった。
カッライスは指輪を握り締め、深いため息を吐いた。
指に嵌めようだなんて思えるはずもない。しかし、捨ててしまう気にもなれないのは何故だろう。
──ルージュ。
カッライスは心の中でその名を呟くと、少しだけ昔の記憶を手繰り寄せた。
何も知らなかった少女時代、ただベイビーとだけ呼ばれていたあの頃、ルージュと二人きりの世界はカッライスにとって実に華やかなものだった。
ルージュはいつも甘い声で愛を囁き、カッライスはそれを信じていた。
助け出された後も、しばらくはペリドットたちの話を信じることが出来なかったほど。
けれど、全ては偽りだったのだ。あの頃に感じていた綺麗な日々は、ルージュの嘘だけで出来ていた。
その事を教えてくれたのが師匠であるペリドットであり、彼女たちが当時のルージュの家で発見したカッライスの実の母親の亡骸だった。
人形に加工され、長い間ずっとルージュに大切にされてきたその亡骸をペリドットたちが丁重に埋葬したその日の記憶は、今でもカッライスの心に焼き付いていた。
真実を知ってしまった以上、もう昔のようにはなれない。
かつて愛した分だけの憎悪が膨らみ、それらが混ざり合って今に至る。
逃げ隠れすることも出来ないまま、ただ自分の人生をめちゃくちゃにしたルージュを追いかけながら、同じく危険な吸血鬼たちを討伐し続けてきた。
そして、アンバーという相棒が出来た今、ルージュにならば殺されてもいいという思いも露と消えてしまった。
生き残らなければ。
そして、やり遂げなければ。
──ルージュ。
指輪を強く握りしめ、カッライスは新たな誓いを胸に抱いた。
──お前は誰にも渡さない。