6.お互いのために
◇
結局、この町でカッライスがルージュに会ったのは、あの夜だけだった。
翌日以降は、どんなに探しても赤い印はなく、闇夜からカッライスに襲い掛かるようなこともなかった。それどころか、三日に一度ほどは現れた犠牲者もぱったり現れなくなり、そのまま平穏な時が続いていった。
やがて、半月ほども被害者が現れなくなると、依頼主も危険が去ったと納得したらしく、カッライスたちにそれなりの報酬を支払うと申し出てきた。
ルージュの亡骸はないため、報酬は半額以下。それでも、悪くない稼ぎだ。その額に不満はない。ただ、カッライスは落ち着かなかった。
ルージュは何処へ消えたのか。
もやもやとしたものだけが心に残り、解消されないまま仕事は終わってしまった。
「良かったじゃないか。無事に終わったんだし」
夕食の席で、アンバーはそう言った。
少しばかり長すぎる観光に飽き飽きしていたのか、旅立ちが決まったと分かってからは妙に生き生きとしていた。
そんなに退屈だったなら、一人でさっさと旅立てばよかったのに、とカッライスは内心思ったりもしたのだが、アンバーがずっと一緒だったお陰で心細くなかったのは確かだ。
だが、そんな正直な気持ちを面に出すのは癪だった。
カッライスは軽く睨みながらアンバーに言った。
「何も良くない。ルージュを仕留めそこなったんだから」
カッライスが求めているのは、まとまった金よりもルージュの命だ。
勿論金も大事ではあるが、ルージュを取り逃がしての報酬となれば不満なのは当然。焦る気持ちを落ち着かせるのも一苦労だった。
そんなカッライスの表情を見つめ、アンバーは言った。
「見逃して貰ったのはお前の方なんだけどな」
揶揄うようなその口調に、カッライスは不満げに溜息を吐いた。
だが、アンバーの言う事も確かだと分かっていた。そっと首元の傷に触れ、カッライスは小さく目を伏せた。
ルージュに噛まれた後は、アンバーの応急処置のおかげもあってすっかりふさがっている。だが、もしも一人きりだったなら、今頃ここにはいなかったかもしれない。
──わたしはまだまだ未熟だ。
認めたくはないが、それは事実だった。
このまま闇雲に追いかけ続けたところで、いつかはルージュに命を刈り取られて終わる可能性の方が高い。
カッライスもさすがにそれは分かっていた。
ならば、どうするべきなのか。
カッライスには分からないままだった。
「おいおい、しけた顔すんなよ」
アンバーが言った。
「ちょっと揶揄っただけじゃないか。御免って」
カッライスは鼻で笑い、果実酒をあおる。
その後、アンバーを睨みつけながらも、力なくその言葉を吐き出した。
「事実を言われちゃ、返す言葉もない」
「面倒くさいやつだな。じゃあ、いっそのこと、あんなおっかない化け物、追いかけるのは諦めなよ。嫌でも向こうからやって来るだろうし。いちいち心配しちまう私の気持ちも考えて欲しいくらいだ」
そう言って、アンバーもまた酒をあおった。
同じ量の同じ果実酒だと言うのに、飲み干したアンバーはカッライスに比べて実にけろりとしている。
早くもとろんとしてきた眼でカッライスはその顔を見つめ、羨望交じりのため息と共に小声で呟いた。
「わたしに……君の半分でも力があれば……」
出自が少し特殊なだけで、元はただの娘であるカッライスにとって、それは切実な願いでもあった。
姉妹弟子として師匠ペリドットの下で共に修行をしていた頃から、アンバーとの実力には差があった。我武者羅に努力を重ねて少しでもその差を埋めてきたつもりではあるが、独立した今でもふとした瞬間にその劣等感を思い出してしまう。
その結果が焦りを生み、焦りが失敗に繋がってしまう。
たいして酒に強くないのに一気飲みをしてしまったもの、そのせいだろう。激しい頭痛と後悔に段々と潰れていくカッライスに、アンバーは呆れながら囁いた。
「そろそろ宿に戻ろう」
◆
空気がひんやりと冷たい真夜中に、カッライスはふと目を覚ました。
料亭でアンバーと夕食を食べた時の記憶はあるが、そこから宿まで戻ってくるまでの記憶はおぼろげだった。
だが、だいたいの事は把握していたし、驚きもなかった。
寝台の上で毛布を手繰り寄せ、冷える裸体を包み込んでから、カッライスはそっと身を起こした。
いつもなら隣で寝息を立てているアンバーがいない。
若干の心細さを覚えながら探してみれば、彼女は窓際の椅子に座っていた。軽装で窓から月を眺めている。その姿にカッライスは少々不安を感じた。
今宵は異様に月が美しい。
その形は不気味な満月ではなかろうか。
けれど、昨夜見た月の形を思い出し、不安はすぐに薄れていった。
「ああ、カッライス。目を覚ましたのか」
月光に照らされながら、アンバーは振り返った。その長い髪を見つめ、カッライスはふとルージュの髪を思い出す。
同じなのは色だけ。それなのに、カッライスは度々アンバーにルージュを重ねてしまうことがある。いらぬ対抗心を抱きがちなのも、発作的に劣等感に苛まれるのも、そのせいなのかもしれない。
ただ今だけはそんな複雑な思いを引っ込めて、カッライスはアンバーに言った。
「すまなかった。また迷惑をかけたらしい」
「気にするな」
軽く笑うアンバーに、カッライスは問いかけた。
「眠らないの?」
「ああ、ちょっと考え事をしていてね」
「考え事?」
身を乗り出してカッライスが問いかけると、アンバーはそのオオカミのような目をそっと細め、頷いた。
「将来のことだよ。私自身のね」
そして、アンバーはいつものように親しみのある微笑みを浮かべ、カッライスに言った。
「聞いてくれる?」
カッライスが恐る恐る頷くと、アンバーは語りだした。
「かねがね言っている通り私は食うに困らなければそれでいい。敢えて強敵に挑むことで名をあげたいとは思わない。稼いだ金で遊ぶことにゃ興味があるが、命を懸けてまで大儲けしたいとも思わない。お前みたいに何か目的があるってわけでもない。正直、ひとりで生きていくには不自由しないはずさ」
だが、と、アンバーは窓から夜空を見上げた。
「お前も知っての通り、私には持病がある。満月になれば、いつもの発作で満足に動けなくなっちまう。そういう日はお前の世話になるしかない。いや、カッライス。そうでない日だって、私にはお前が必要なんだ。お前がいるから毎日が楽しい。明日が楽しみに思える。分かるかい? 私は一人になるのが、正直不安なんだ」
カッライスは言葉も忘れてアンバーを見つめた。
それは、意外でもあるし、想像すらしていない吐露だった。
「お前には目的がある。宿敵を倒すっていう目的が。でも、私は怖い。奴もお前を狙っている。いつその宿敵にお前が奪われるか分からない。だから、考えたんだ」
そして、アンバーは音もなく椅子から立ち上がると、寝台に座るカッライスの元へと近づいてきた。
手を握りしめ、じっと顔を見つめ、アンバーは言った。
「お前の旅に、これからも同行したい。姉妹弟子としてではなく、人生の相棒としてお前と一緒にいたいんだ」
いつになく真剣なその言葉に、カッライスは惚けてしまった。