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5.頼れる助っ人


 ルージュが血の味に我を忘れている今が絶好の機会。

 痛みと恐怖とそして名状しがたい欲望に抗いながら、カッライスはナイフを取り出し、ルージュの首にさがるネックレスを強く掴んだ。

 ネックレスに通された指輪を掴み、そのまま引っ張る。そして、牙を離したルージュが軽く混乱している間に、その喉元を切り裂こうとした。しかしその前に、ルージュはカッライスの体を強く突き飛ばし、距離を離した。その衝動でネックレスは千切れてしまった。


 指輪の転がり落ちる音を聞きながら、カッライスは息を整えた。

 血を吸われたせいか、頭がくらくらする。しかし、倒れそうになる前にどうにか踏みとどまると、真っすぐルージュを睨みつけた。

 手ごたえはあった。ナイフには血がついている。自分の血ではない。現にルージュは右手を抑え、眉間にしわを寄せていた。


「……やってくれたわね」


 怒りを滲ませた声でルージュはそう言った。

 傷は浅い。だが、与えたダメージは大きいはず。それだけ、銀のナイフは吸血鬼にとって脅威でもある。


「苦しいか……ルージュ」


 カッライスは問いかけ、ナイフを握り締めた。


「ならば、すぐに楽にしてやるよ……」


 首からの出血は止まらない。ふらふらとしたまま身構えるカッライスに対し、ルージュは興奮気味に笑いだした。


「やれるものならやってみなさい。大人になったその身体に叩き込んでやりましょう。食物連鎖がどういうことなのか。種の違いというものを、分からせてあげる」


 怒りを滲ませながら、ルージュは迫ってきた。カッライスはすぐさまナイフを手に応戦しようとした。しかし、その足取りは覚束ない。ルージュに与えた傷以上に、ルージュに与えられた傷は深刻だった。

 それでも、カッライスは諦めていなかった。自身が助からないのだとしても、せめて相打ちに持ち込みたかった。ルージュを倒す絶好の機会は逃したくない。彼女を仕留めるのは自分だという思いが強すぎて、今やもうわが身を省みる余裕なんてなかった。


 けれど、気力だけではどうにもならなかった。

 二、三、攻防を繰り返したところで、とうとうカッライスの足の力は尽きて、倒れ伏してしまった。ルージュはゆっくりと近づくと、カッライスの体を抱き起した。


「楽しい遊びもこれでおしまい。安らかにお眠り」


 終わってしまう。

 カッライスはぼやけた視界の中でルージュを見上げた。そこには、幼い頃に優しく寝かせてくれた時と同じ顔があった。

 その顔を見た直後、カッライスの瞼は閉じてしまった。



 月の光だけが頼りの路地裏で、カッライスは意識を失いかけていた。

 ルージュに抱かれ、噛みつかれ、いつ死を賜れてもおかしくはない。そのやり取りを見守るように、辺りはしんと静まり返っていた。

 だが、沈黙は突如破られた。

 聞こえてきたのは獣の遠吠えだった。野良犬か、はたまた狼か。あちこちから声は響き、会話をするように応答していた一つの声が近づいて来る。

 そして、段々とその声は、人語へと変わっていった。


「おおい! カッライス! どこにいるんだ、返事をしろ!」


 ──アンバー……。


 姉弟子の顔を思い出した途端、カッライスの意識は一気に戻ってきた。

 ルージュは牙を離すと、カッライスの体を抱えたまま、遠吠えのする方向をじっと見つめていた。


「どうやら、お邪魔虫が来たようね」


 嫌に冷めた声でそう言うと、ルージュはそっとカッライスの体を地面に寝かせた。名残を惜しむかのように、カッライスの髪を指に絡めると、ルージュは囁いた。


「ああ、名残惜しい。せっかく手に入ると思ったのに。でも、仕方ないわね。あれとやりあう気はないの」

「……待て」


 曇る視界の中で、カッライスは訴えた。

 立ち上がろうとするも、体に力は入らない。手をあげる事だけでも精一杯だった。その手をルージュは握り締めて、優しい声でカッライスを諭した。


「無理をしては駄目よ。寂しがらなくても、いずれまた会える。その時に好きなだけ可愛がってあげるわ。良い事? くれぐれもつまらない輩に食べられたりしないでね。私が迎えに来るその日まで、その命は大事になさい。約束よ?」


 そう言うと、ルージュはカッライスの手に何かをしっかりと握らせて、そのまま音もなく立ち上がった。


「行くな……ルージュ!」


 逃げられてしまう。

 カッライスの頭はその事でいっぱいだった。

 正しくは見逃して貰えたはずなのに、その状況を正しく判断する余裕も今の彼女には残されていなかった。

 引き止める術もなく、ルージュの気配は消え去った。同時に、カッライスの体力も限界を迎えつつあった。


「カッライス!」


 悲痛な声が闇夜に響いたのは、その時の事だった。

 駆け寄る靴音がしたかと思えば、すぐに温かな手がカッライスを抱き起した。


「しっかりしろ。噛まれたのか?」


 確かにアンバーだ。

 薄っすらと目を開け、カッライスはその顔を見つめた。

 彼女のオオカミのような目を確認すると、少しは緊張が解れた。


「なんて無謀な。じっとしていろ。今、消毒してやるから」


 アンバーはそう言うと、懐から小瓶を取り出した。蓋を開けると途端に薬品の臭いが辺りに立ち込めた。液体を綿に沁み込ませると、アンバーは容赦なくそれをカッライスの首筋にくっつけた。

 刺激が全身を駆け巡り、薄れていたカッライスの意識を呼び覚ました。

 傷が沁みて小さくくぐもった声で唸るカッライスに、アンバーは言った。


「沁みるか? このぐらい我慢しろ。約束すっぽかして死にかけた罰だ」

「……悪かった」


 これについては返す言葉もない。

 言い訳など出来るはずもなく、カッライスはただただ誤った。

 そんなカッライスの顔を覗き込むと、アンバーはほっとしたおうに息を吐いた。


「よし、顔色も良くなってきたかな。全く、吸血鬼に噛まれると吸血鬼になってしまうなんて話が迷信でよかったよ」

「ああ……同感だ」


 カッライスは短くそう返し、ふと自身の握っているモノの存在を思い出した。

 ルージュに握らされたそれ。アンバーが治療の後片付けをしている隙に手を開いてみると、そこにあったのは指輪だった。

 ルージュに噛まれた時、咄嗟に掴んだネックレス。そこに下がっていた指輪だ。

 この指輪には覚えもあった。カッライスが幼い頃からルージュはいつも首からこの指輪を下げていたのだ。何の謂れがある代物なのかは分からない。ただ、偽りであったとしても今も懐かしい思い出の一部であることは確かだった。


「全くさぁ」


 ため息交じりにアンバーが振り向いて来る。

 カッライスは慌てて指輪を握り締めた。


「悪かったって思うんなら、最初から無茶するんじゃないよ。私がいなかったらどうなっていたことか。感謝してほしいくらいだね」


 アンバーに睨みつけられたまま、カッライスは惚けていた。

 何故、ルージュはこの指輪を握らせたのか。

 その疑問ばかりに頭が支配されてしまう。


「おい、聞いているのか、カッライス?」


 アンバーに迫られて、カッライスはようやく我に返った。


「あ、ああ……」


 ぎこちなく頷いてから、カッライスはアンバーを見つめた。


「助かったよ……ありがとう、アンバー」


 素直なその言葉に、アンバーは安心したように笑みを見せた。

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