#17 お師のお師
「あ、歩いてやがる……」
ドーザはクロードの、ひいては聖王竜の能力を試しに受けたことがあった。
その時は気こそ失わなかったが、その場から一歩も動けなくなり、盾にしがみつくのが精いっぱいだったことを今でも鮮明に覚えている。
クロードいわく聖王竜の原素魔法、『墜空』は重力という謎の現象に干渉し、その強弱を自在に操る能力らしいが、聞いたところで全く理解できなかった。
これはソアラとイェールも同様で、当のクロードでさえよく分かっておらず、聖王竜に説明されたがまま伝えることしかしていない。
「剣を抜いていないという事は、原素魔法で対抗しているわけではないようですね」
「ううむ……雷魔法をあんな風に使うとはの。お主の師も案外大馬鹿じゃな」
「むっ! お師をばかにするなぁばばばばば」
ソアラは引き続き襲いかかっていた水玉を解除し、びしょ濡れのまま睨みつけているシリュウに向かって指を弾く。
「馬鹿にはしとらん。大馬鹿じゃといっとるんじゃ」
ピッ―――ブワッ!
「ぶふぉっ! もっとわるくなってる! あ、かわいた」
指先でシリュウの洗浄から乾燥まで終えたソアラは、まともに相手はしない。
「お主、もう少しで師に破門にされるところじゃったぞ」
「なにっ!?……そ、そんなうそでこんらんさせようたってそうはいかないぞっ」
「嘘なもんかい。さっきまでのお主、かなーり臭かったぞぃ」
「く、クサい……?」
「そうじゃ。どこのもの好きがゲロまみれで平気なヤツと共に居たいと思うかぇ?」
「お師はゲロまみれのでしはイヤ……ふぐぅっ」
「じゃが安心せい。ワシが洗ってやったからもう大丈夫じゃ。よかったのぉ。ワシのおかげでお主は破門を免れたのじゃ」
「ほ、ほんとか!? シィもうクサくない!?」
見上げるシリュウに、ソアラとイェールはにっこりとほほ笑んで肯定し、ドーザは自分の臭いを嗅ぐやいなや、そそくさとその場を後にした。
「なーっはっはっは! これでお師はシィをはもんできない! おば……ソラばぁ、ありがとう!」
師が未知の力に襲われ、必死の抵抗をしている間の出来事である。
「……私は名を呼んでもらうのに結構苦労したんですが」
「んん? 馬鹿な弟子ほどかわええもんじゃて。ひょっひょっひょっ」
「さすがです。あちらも終わったようですよ」
◇
迅雷を解除した俺に、容赦のない激痛が体中を駆け巡る。
ビキビキビキッ!
「ぐっ!」
「あんま無茶すんじゃねーよ。別に取って食いやしなかったってのによ」
「ははは……あの状況では、私の悪いクセです……っつ!」
顔をゆがめて体を押さえる俺に、肩を貸そうとクロードさんが手を差し伸べようとしたその時、癒しの光が俺を包み込んだ。
「おおっ」
みるみる痛みが消えてゆき、身体が自由に動くようになる。治癒魔法の発動者であるイェールさんはこちらに向かって歩いて来ているが、未だ離れたところにいる。
「ありがとうございます、イェールさん。御見それしました」
治癒雫魔法、いわゆる飛ばす治癒魔法は、対象のダメージに見合うだけの魔力と生命力を術に込めなければならない上位魔法である。
未熟な使い手ではそもそも飛ばせないし、飛ばせたとしてもダメージを正確に見極める能力が必須となる。治癒具合を低めに見誤ると、戦闘中に何度も治癒魔法を飛ばさなければならなくなるし、その逆だと魔力の無駄に終わる。
ちなみにあえて大量の魔力と生命力を込め、相手に治癒の拒否反応を起こさせる魔法は過剰回復魔法と呼ばれ、治癒術師の攻撃手段となっている。
「いいえ。これが私の役目ですから」
後ろ手にこちらに向かって歩き、何事も無かったように振る舞うイェールさんに、これこそ神聖闘士の実力なのだと改めて舌をまいた。
「も少し後先考えんか」
「え?」
それとは対照的にあきれ顔で歩み寄ってきたソアラさんと一緒に、シリュウも駆け寄ってくる。
「さっきの雷。仲間に治癒術師がおるならまだええがのぅ。それでも明らかに負荷が過ぎるわ。ワシならこう―――」
「始まっちまったな。ソアラの講義」
「ジンさん。諦めてくださいね」
「え?」
ソアラさんが突然身振り手振りを踏まえつつ、あーでもないこーでもないと話し出した。先ほどまでの落ち着きは鳴りを潜め、何やら興奮した様子である。
今度はクロードさんがあきれ顔をソアラさんに向け、イェールさんは同情するような表情を浮かべている。
「ソラばぁ! お師におしえるなんてひゃくまんねんはや」
「お主はだぁっとれぃ!!」
「ひゃいっ!?」
シリュウはソアラさんの一喝であっさりひっこんでしまった。
まさかシリュウがこうも簡単に屈するとは思いもよらなかったので、洗濯以外に何かあったのかと訝しんでいると、
「ジンっ! 聞いとるんかっ!」
「はいっ! き、聞かせて頂きますっ!」
鬼が顔を出した。
◇
ドレイクの街に来てから一月余りが経過した。
当初は竜の狂宴のメンバーから世界の守護者について有用な情報が得られればと思っていた程度で、こんなに長居するつもりはなかった。
しかし、ちょうど大樹海の周期に当たったこと、毎日歯ごたえのある魔獣や魔物と戦える環境がシリュウのお気に入りとなったことが滞在延長のおもな理由である。
ついでに、ソアラさんが俺の迅雷が気に入らないと言い、修行をつけてくれたのも大きい。
ここはドレイクから少し離れた草原。
俺はここ数日の特訓の成果である、新たな雷魔法の仕上げに入っている。
(移動先まで雷の魔道を形成……全身を雷で包んで……)
「―――瞬雷!」
パァン!
「うおぉぉぉ! お師すごい! ばかみたいに速いです!」
「ふぅ……馬鹿は余計だ」
瞬雷は迅雷のように刺激によって身体能力を強引に引き上げるのではなく、自身を雷と化すイメージを持って同化し、雷並みの速度を得るという新たな移動法である。
迅雷は雷の肉体ダメージを軽減すべく、強化魔法の上に重ね掛けする必要があったのだが、瞬雷はそれが必要なくなった分魔力効率は格段に上昇。
加えて身体への負担は雷を内包する迅雷よりはるかに軽く、得られる速度も同等かそれ以上という驚くべきものだった。
移動先までの雷魔法の通り道、いわゆる魔道をあらかじめ作っておく必要があるが、戦闘前に予想される戦域全体に蜘蛛の巣のように無作為に魔道を広げておけば、使用時にわざわざ魔道を作る必要もない。
はじめソアラさんからこの手段を聞いたときは開いた口が塞がらなかったが、よくよく考えてみると、雷魔法の権化であるルーナが使用した『紫電の雨』。あれこそこの魔法の行きつく先ではないかと思ったのだ。
「あらかじめ目標にできる術を知っておったのはやはり大きいのぅ」
「はい。王都全域に魔道となる雷雨を降らせた女王とは比べるまでもありませんが」
相変わらず体が光るのと髪が逆立つのは避けられないが、戦闘においては些事でしかない。
「あとは姿勢を崩さず、発動までの時間を短縮じゃ。さらに連続発動できるようになれば十分戦闘に使えるじゃろうて。あとはこのやかましい破裂音じゃが―――」
パパパァン!
ソアラさんは三連続で発動させ、一瞬にしてシリュウの背後へ移動する。
「雷である以上、これは摂理じゃて。諦める他ないの」
「しょ、精進します……」
「ソラばぁ、バケモノ……です」
シリュウはビクリと背中越しに降参を口にする。ここ数日で戦わずとも本能的に敵わないと思ったのか、いつの間にか彼女なりの敬語を付けるようになっていた。
驚くべきは、ソアラさんはあらかじめ習得していたのではなく、俺の迅雷からヒントを得てこの術を編み出したことにある。それをもうこの次元で使いこなし、さらに自身が編み出した魔法にも関わらず、使わないという理由で名付けは俺に任せるという懐の深さだ。
特性と見た目を加味して名付けてやるのが魔法名を決める際の勘どころである。雷のごとく瞬時に移動する。我ながら良い命名だと自分を褒めているところだ。
「ありがとうございました、ソアラさん。出会ったばかりでここまでしていただけるとは。かのアナスタシア・ソアラに教えを乞うた身として、名に恥じぬよう精進します」
「こんなつまらん弟子は初めてじゃ。せいぜい長生きするんじゃな。お主もな、シリュウ」
「おまかせだ! うでっぷしだけじゃないせんしになって、いつかぜったいエルにかつです!」
「そりゃ長い道のりじゃのぅ。まぁ、やってやれんことは無かろうて。ひょっひょっひょっ」
こうして俺とシリュウはハンタースでの経験を経て、明日ドレイクの街を後にする。




