Ⅲ
翌日。世七は紗七と共に朝未研究所を目指した。零区を出た辺りで紗七から「あの機械のこと、分かった?」と訊かれたが、世七は曖昧にしか返事ができなかった。機械の動かし方に関しては多分解決した。しかしそうすべきではないと思ったからだ。きっと、昨夜の叔父の言葉通り、姉は世七が望めば電池を購入する手助けをしてくれるだろう。紗七は世七の望みとあらば努力を惜しまないことを世七も知っている。だが、それが自分のみならず結果として姉までも危険に晒してしまうとあっては、世七も我慢できないなどと言うつもりはなかった。弟がぽつりと「もういいんだ」と呟くと、紗七はそれ以上詮索をしなかった。何となく察したのかもしれない。返事代わりに緩く手を握られた。十四にもなって姉に手を引かれることは恥ずかしかったが、相変わらず紗七のひんやりとした冷たい手は、暑い日の慰めにはちょうどよかった。
滞りなくおつかいを済ませ、証明書を受け取り、帰る。まだ陽は高く、普段であれば近辺に見知った顔がないかと期待しながら探すところだ。けれど、今日はカイトや卯月、伊勢といった友人と呼べる少年たちの顔は見たいと思わなかった。しかしながら、残念なことにこういう日に限ってすぐに見つけてしまう。同じくこちらに気づいたのだろうカイトの姿があって、彼の表情がぱっと笑顔になったことが遠目からも良く分かった。商店街の人混みをかき分けて、カイトがこちらへ走ってくる。
「……挨拶だけしてもいいかな」
その姿を見遣りながら、世七は紗七へと問いかけた。姉はすぐに頷いてくれた。
「よう、世七! 運良いな、今日は新しいゲームやろうぜ」
「カイト」
「どうした? いつものとこにあいつらも居るぜ――世七?」
名前を呼んだきり何も答えない世七に、カイトが訝しげに彼を覗き込んだ。どんな表情をしたらよいのかわからないまま、世七は口を開く。できたら彼を傷つけたくないし、御礼を言いたい。でも、自分の家のことを言うわけにはいけない。上手い誤魔化し方が見つからないままだった。
「……ごめん、カイト。俺、もう行けない」
だから、結果しか伝えることができなかった。理由は言えないけど、もう行けません、など。説明も不十分だし、あんまりな最後じゃないか。分かっていた。
「そ……っか」
しかし、こんな時まで察しの良い少年は、それで納得してくれた。二度、世七の肩をぽんぽんと叩き、もう一度「そっか」と呟く。
「分かった。なんつーか、その、オレ、お前に会えてよかったよ。なんてったって命の恩人だからな」
カイトの言葉に、世七は顔を上げた。困ったような、しかし笑顔の少年の顔が見えて、世七は「俺も、ありがとう」と呟くのが精いっぱいだった。
「じゃあな、気を付けて」
「うん――元気でね。卯月や、伊勢にも、よろしく」
「おう」
世七の肩に置いていた手を離して、ひらひらと振り、少年は背を向けて去っていく。遠くなる後ろ姿が雑踏に消えていくのをぼんやりと見ながら、世七は何も言えないまま立ち尽くしていた。それが、数分だったのか、数十分だったのか。完全に姿が見えなくなって暫くした後、彼の手を紗七が引いてくれて、ようやく世七は歩き出すことができた。
「世七」
とぼとぼと歩く彼を、繋いだ手で引っ張ってくれる紗七が口を開く。
「きっとまた会えるよ」
「……そうかな」
確証のない慰めをする姉は珍しく、それほど自分が落ち込んでいると見えるのだろうと、ますます世七は小さくなる。しかし、もっと珍しいことに、前を歩く紗七がくるりと振り返って世七に笑ってみせた。外で彼女が笑うのは、とても稀だった。
「刀が生めるようになって、仕事がしっかりできるようになってからだったら?」
「え……」
「車も運転できるようになるし、もっと色んなところに一人で行けるようになる。きっと会えるよ」
きっとこんな姉の笑顔を見れた日には、卯月は泣いて拝みそうだしそれを伊勢やらカイトやらが散々茶化すに違いない。そんな彼らと会える日はもう二度とないかもしれないが、もしかしたら、会える未来があるかもしれない――自分の足で、あの虫篭から出て。世七は紗七の手を握り返した。
二人は商店街を抜け、零区への帰路についている。先ほどいつもの廃倉庫につながる道を横切ったが、少し寂しさはあったものの、紗七が励ましてくれたおかげで持ち直してきた。
「世七の世界は、広がっていくんだね」
すると、ぽつりと紗七がそう呟いた。先ほどとは打って変わって、妙に寂しそうな響きだ。どうしたの、と世七が問いかけようとした言葉は、首元のざわつきによって遮られることとなる。
この感覚には覚えがありすぎた。そして、世七だけでなく紗七も感じ取ったようだ。お互いすぐに視線を合わせ、感覚の示す方角へと体を向ける。
「――出るかな」
「出るね、どうする?」
「走ってこのまま零区に入った方が良いかも――」
首の後ろ辺りがちりちりとざわつくのは、赤光に反応している証拠だ。年を重ねるごとに、センサーのようなその反応は強くなっていた。今ではサイレンが鳴るよりも前に、なんとなくではあるが何処ら辺で出現しているのかくらいは察知できるようになってきた。そして、二人の会話を遮るようにして鳴り響く不穏な音――サイレンだ。二人の感覚を違えることなく、赤光出現の知らせが辺りに響き渡る。周囲の建物に反響してやや聞き取りづらくなっているが、二人はサイレンの後に続く出現情報に耳を澄ませて――赤光一体出現。地点は朝未区中央東、工場跡近くより――そして、世七が小さく「うそだろ」と零した。
「工場跡、って溜まり場じゃ……」
傍目からも分かるほど、さあっと世七の顔から血の気が引いた。まさに今、拡声器から流れた情報の位置は、いつもカイトたちとじゃれ合っていたあの場所のすぐ近くに違いない。
「……世七」
声を掛けられ、世七は縋るように紗七を見た。紗七自身どう声をかけるべきかとても悩んでいるようで、叔父の言葉が頭にちらつく。きっと、紗七はお前がしたいことを止めはしないだろう。その通りだと思った。そして、自分の選択で姉を危険に晒す可能性がとても、とても高いことを。しかし世七は迷っていた。先ほど紗七は、きっとまた会える日が来ると世七に言った。でも、現在の情報を照らし合わせて考えれば、このままでは二度とカイトたちに会うことはできないだろうな、とも思った。
万が一にでも、もう別の所にいるかもしれない。いいや、カイトは言っていたじゃないか。あいつらもいつものとこに居るぜ、と。そしてカイトだってそこへ向かったはずだ。たった数十秒の中、世七はぐるぐると頭を回転させて選択肢を並べた。
「紗七、俺、行く。カイトたち、もういないかもしれないけど――このまま引くわけにはいかない!」
そして片割れを見据えながら、世七はそう告げた。
「紗七は――」
「分かった。武器が要るね……これでいいかな。頼りないけど」
「いや、紗七、逃げて」
「世七」
淡々とした様子で、積みあがった廃材の中から手ごろな長さの鉄パイプを二本引きずり出し始める姉に、焦って世七は声をかける。しかし、ぴしゃりと名を呼ばれて遮られてしまった。
「私が世七を置いて逃げるとでも?」
自分と同じ色をした赤い虹彩が、宝石のように煌めく。差し出された鉄棒を受け取り、世七は笑った。
「さすが、俺の紗七」
その言葉に当然だと言わんばかりに、誇らしげに紗七が口の端をつり上げて笑う。既に世七の方が数センチ身長は高いし、紗七は一つに高く括った長い髪を揺らしていて、形は昔のように瓜二つではなくなっている。しかし、その笑い方はまるでそっくりだった。
先ほどまではゆっくりと歩んでいた帰路を遡るように駆けてゆく。大体普段はシェルターへ逃げ込む時でさえ周囲の民間人に合わせるため、零区外でこんなに速く駆けたのは初めてだった。首のざわつきが大きくなり、より赤光に近づいていることを示している。そして、廃工場へつながる角を曲がろうとした姉弟は、対象の姿を捉えることに成功した。赤光が一体。相変わらず炎が燃えるように揺らめく、赤い光を纏うヒト。獲物を探してゆらゆらと彷徨っているようだった。
「――どうする」
「カイトたちが無事かを確認したい。あれが、溜まり場に行く前に何とか」
「じゃあ私が引きつける。できるだけ零区の方に誘導するから、その間に……万一彼らが感染してたら世七はすぐに私と合流。それだけは約束ね」
「分かった、約束する。無事なら北西のシェルターへ誘導する。紗七、気を付けて」
こつんと拳同士を合わせると、紗七はすぐに物陰から飛び出した。世七も、紗七も、たかが鉄パイプで赤光をどうこうできるなんて思っていない。それでどうにか出来てしまったのなら、そもそも自分たちの家など必要ないからだ。短い打ち合わせ通り、紗七は赤光に姿を認識させると素早く逃げることに徹したようだった。少女の姿を見咎めたバケモノは、一度体を震わせて大きく鳴き、俊敏に追い始める。まずまず速い個体のようだったが、きっと紗七ならば追いつかれずに済みそうだ。
バケモノが廃工場に背を向けて姉を追い始めたことを確認すると、音をたてないようにかつ素早く世七は工場の入り口に到達した。万が一の可能性を考えて、既に赤光ウイルスに感染した民間人――友人たちでないことを祈るが――が中にいるとすると、退路を確保しておくことが必要だ。世七は慎重に工場の重たい扉をスライドさせた。相変わらず埃っぽくて薄暗い室内に細い光が差し込む。僅かに息をする音が聴こえる。複数名。人間がいることは判断できた。
「――かいと」
小さく、しかし奥に届くように世七は声を発した。数拍置いた後、「……世七か?」と、やや震えた声が返ってきた。世七はほっと息を吐いた。
「卯月も伊勢もいる? 怪我はある?」
「皆いる。怪我はない」
「分かった。ここから北西にあるシェルターならまだ閉まってないはずだ。そこに行くよ」
廃工場の奥から、三人の顔が覗くのが見えた。怯えた表情の少年たちに、有無を言わさず世七は告げた。
「はやく。死にたいの――」
そこまで告げて、世七はぶわりと粟立つ首筋に咄嗟に振り向いた。燃える赤い光が見える。一体だけだと出現情報は言っていたし、あれは先ほど紗七が引きつけていった個体とは違う。ならば、一体目に襲われた新たな感染者と考えるのが妥当で、世七は思わず舌打ちをした。
「計画変更、そこで待機だ!」
語気強く吐き捨てると同時に、世七は得物を構えた。俊敏に距離を詰められ、鋭く長い爪が構えた鉄材に食い込まんと近づく。力ではあっという間に押し負けてしまうことが明白で、体の向きを変え、世七は赤光を往なした。おそらく倉庫内の少年たちにも赤い光が見えたのだろう。息を殺すような、引き攣った悲鳴が聞こえた。これまでの稽古やおつかいの中で、世七は学んだことがある。それは、世七たち常陸の人間同様、赤光もまた五感に優れているということだ。そして、奴らは常陸の者――所謂監視者たちと、普通の人間たちを嗅ぎ分けることを可能としている。つまり、カイトたち一般人が居る倉庫の正面というこの場で距離を詰められてしまった世七が採ることのできる選択肢は、もう一つしかない。倉庫の扉の前で、この赤光を通さないよう死守するのみだ。
中段で得物を構え、世七はじり、と砂を踏みしめる。目の前で唸る赤光は、稽古で相手をするものよりも若干力が強そうだが、速さはそうでもないだろう。しかし今世七が持っているのは、いつも父から借りる監視者の赤い刀ではない。ただの、しかも古びた鉄パイプだ。真剣ですらない。背後には守りたい友人らを据え、手にしている得物は鉄材一本。世七にとってひどく不利な状況だった。
幸いにして、得物の片端は尖っている。もしかしたら突き刺すことで動きを止めることくらいは可能かもしれない。しかし、それも不利な賭けのように思えた。とにかく、近づけさせないようにしながら、ひたすら攻撃を往なすしかない。平均して、監視者の一団が派遣されるまでには一時間は見た方が良いだろう。いくら零区に近い場所とはいえ、彼らが直ぐに招集できるかと言えばそうでもない。何せ、監視者の絶対量が少ないのだから。とすれば、まず待つのは街の取り締まりに従事している高梨や加苅といった、監視者ではないが腕の立つ者たちだ。彼らが来るまで、多く見積もって三十分。その間、世七は此処で立ち続けていなければならなかった。
「ッガアアァアアアァ!」
一際大きく絶叫しながら迫りくる赤光に内心で毒づきながら、世七は鉄パイプを振る。ギィン、と嫌な金属音が響いて、軽く火花が散った。鋭い爪を往なし、横っ腹と思しき場所に思い切り蹴りを入れる。派手な音を立て、態勢を崩したままの赤光が道の端、積まれた廃タイヤの山に突っ込んだ。一拍後、倉庫の中で外の様子が気になるのだろう、おずおずと動く気配がして、世七は再度声を張り上げた。
「そこから出るな!」
少年たちの輪の中で、世七は今まで一番大人しい男子だったはずだ。それが発する気迫の籠った声に、びりびりと緊張感を孕んだ空気が震える。倉庫内の少年たちもまた、びくりと動きを止めた。まだそうして固まっていてくれた方が、よっぽど世七にとっては守りやすい。それに今のたったの一撃で赤光が倒れるなんてことは、所詮少年たちの淡い期待が見せる幻想でしかないということを、世七はよくわかっていた。そして案の定、再びゆらりと立ち上る赤い光に向き直る。
短く息を吸って、吐く。瞬きもせず、世七は地面を蹴った。未だ態勢を整えきれない赤光の胴めがけ、得物を横に薙ぐ。重たい衝撃が腕から伝わり、着地と共に腰を落として踏ん張って、体全体で押し返した。再び、タイヤを巻き込みながら赤光は地面に転がる。このバケモノに痛覚があるかどうかは不明だが、少なくとも連続であちらこちらに転がされたことが不快ではあるようだった。一層悍ましい鳴き声を上げ、世七へと向かってくるそれは、まるで世七が憎いと言わんばかりの形相だ。人相など、光の中でほとんど分からないというのに、少年にはそう見えた。赤光はこちらへ向かいながらも傍に散らばるタイヤを一つ鷲掴み、世七目掛けて投げつける。もし受けたとしても世七にとっては多少怪我をするだけかもしれないが、視界を覆われるのは不味い。避けた先、伸びてくる赤い爪に鉄パイプで対抗した。不快な金属音が鳴る。長い爪のくせに、がっしりと得物を掴まれてしまった。
「は、なせ……ッ」
低く呟き、世七は体を反転させる。掴まれたままの鉄パイプを軸にして、捻じ切るように赤光の体を回転と共に突き放した。思っていた通り、力が強い個体だ。対抗するために随分体力が要る、世七の息は若干切れ始めていた。しかし、此処で引き下がるわけにはいかないのだ。世七は再度ぐっと得物を握りしめた――が、当の得物は中心が細く捻じれた状態になっているのが目に入る。
「やばい」
思わずそんな言葉が洩れた。家では一度も使ったことはないが、恐らくこれはカイトたちと関わる中で移った言葉だろう。きっと先程赤光から逃れようと無理やり体を反転させた際、当然ながら軸にした部分にそのまま力が加わったに違いない。この状態では一撃受けただけで簡単に折れてしまう――そんな推測をしている最中に来た攻撃を往なしたところで、予想通りにぽっきりと鉄パイプが中心から折れた。
「――ちっ」
追撃に、体を逸らせて避ける。僅かに爪が掠り、ぴっと頬に赤い線が走った。引きながら態勢を整えようとした世七には目もくれず、赤光は近づいた倉庫の入り口へと視線を走らせている。一歩その赤がそちらへ歩もうとして、世七は折れた鉄の端を無理やり背後から突き刺した。
「行かせ、ねえ……ッ!」
そのまま、背負い投げるようにして自分よりも大きなバケモノを扉から遠ざける。しかし、突き刺したまま投げたことで少年の手は空っぽになった。鉄パイプもよっぽど得物としては頼りなかったが、それでも素手よりもずっとましだった。
倉庫の入り口を背に、目の前には唸り声を上げながら迫りくる赤光。折れた鉄パイプの片側は、斜め右。此処で避ければ、そのまま倉庫へ赤光を突っ込ませることになってしまう。倉庫には、友人がいる。
「世七!」
唐突に、鋭い声が背後からかかった。そして、世七の五感は拾う。カイトが、倉庫の中に転がっていたスチール材の椅子を持ってこちらへと来ている。一瞬で世七は判断した。このままカイトを外に出してはいけない。そして、彼はカイトの手から椅子をひったくった。見た目からは想像ができないが、よっぽど世七の方がただの少年よりも力が強い。あまりの強さに、遠心力で入り口の端に転んだカイトを尻目に、あっという間に少年の手を離れた椅子で、倒れこみながらも世七は赤光の爪を何とか直前で防ぐことに成功した。
ぎちぎちと、食い込む爪に押される。両手に加えて右足で椅子を突っ張っているが、一時凌ぎにしかならなさそうだ。先ほどの一本の鉄材と違って、振り回すには分が悪い得物だ。完全に膠着した状態で、後手に回ってしまっている世七に、昨夜の叔父の言葉がちらついた。
民間人を守ろうとして死んだ。私の息子だ。
まさに、今同じ道を世七も辿ろうとしている。昨日約束した傍から言いつけを破った挙句に、同じ方法で。しかし、世七にはこれしか選べなかったのだ。言いつけを守ってカイトたちを見捨てるには、心を砕きすぎていた。そして、友人を見捨てたその先に民間人を守る使命を負うなど、少年のちっぽけな正義感では抱えきれなかった。
「く、そ……ッ――いいから動くな!」
倉庫の中の気配が、焦りと不安を纏って揺らめいている。助けに入りたいのだろうが、世七にとっては悪手にしかならない。はやく。はやく、来てくれ。鋭い爪を眼前にしながら、世七がしたのは祈ることという、最も生産性に欠けることだった。煌々と燃える赤いバケモノが、ニタリと自分の上で笑っているように見える。その背に浮かぶ丸い太陽よりも、よっぽど眩しくて禍々しく見えた。
その時、ふと、光が陰る。赤い光のその先――夏の太陽のぎらつきが一瞬遮られ、その次の瞬間、目の前の赤よりもよっぽど強く光った。
「――世七を、離せ」
馴染みのある、落ち着いた声が上から降ってくる――紗七が、赤い粒をその手に集めた姉が、世七が見たことのないほどの怒りを湛えた赤い眼をしていた。瞬きをする間もなく、姉の手にはうつくしい刀が現れる。生んだのだ、刀を。そして、呆気ないほど一瞬で、紗七は世七の上に陣取って笑っていた赤光を斬り払った。
それまでぎちぎちと組み合っていた重さが一瞬で無くなり、砂となって降り注ぐ。負荷を失った勢いが余って世七は椅子を放る形で、今度こそ仰向けに転がった。少年の顔近くにすぐ紗七が片膝をついて、様子を確認する。
「世七、せな、大丈夫?」
気づけば、紗七も充分息を切らしていた。余程急いだに違いない。顔中に汗が滲んで、黒い髪が乱れている。世七も肩で呼吸を繰り返しながら、何度も頷いた。顔中に土やら砂やらが降りかかったのを、雑に拭う。
「は、――ハア……ッ、だ、いじょうぶ。紗七、もう一体は?」
「撒いたし、すぐに監視者が来て片付けてくれた。もうすぐ此処にも来るはず。怪我は?」
「顔のとこ掠っただけ、大丈夫」
姉弟が会話を交わしている矢先に、次々と気配が増えた。赤光ではない。紗七の言葉通り、監視者を含む街の自警団たちが到着したようだったが、まさか監視者として派遣されたのが理世と、当主である祖母だとは想像だにしておらず、世七は驚いた。理世は自警団たちに指示を飛ばし、周囲の見守りと、倉庫内に残っていた少年たちをシェルターまで護送するよう手配している。すぐにきつい叱責が来るとばかり思っていたが、祖母は姉弟の前まで歩み、二人を静かに見遣っていただけだった。
そして、自警団の者たちに囲まれた少年たちが倉庫から出てくる。間近で監視者を見る機会など、きっと人生で一度あるか無いかに違いない。噂通りの漆黒の袴姿で抜身の刀を持つ者の姿を放心しながらも見、そして、世七の前を通り過ぎようとしてゆく。物言いたげな少年たちの視線は感じていたが、世七は何も言えなかった。
「――ありがとう」
通り過ぎようとして、小さく、声がかけられた。カイトだ。顔を上げられないままの世七に、彼は言葉をつづけた。
「お前は俺のヒーローだよ」
そんなんじゃない。世七は否定したかった。この倉庫の入り口一つ守ることすら、彼一人では結局ままならなかったはずだ。それでも。
「ありがとう」
「……ありがとな」
銘々にそう告げて去っていく少年たちが後ろ姿になって、ようやく世七は顔を上げた。遠くなっていく背を、見送る。いつかまた会える日が来るかもしれない。その可能性は消えなかった。ちっぽけな正義感だけで、どうにか繋ぐことができたのだ。
「――帰るぞ」
暫くして、周囲の赤光の気配が消えたと判断した祖母が短く告げる。迎えの車の中は、痛いほど沈痛な空気だった。