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CIPHER  作者: 川昌 幸(かわうお)
 一、 虫篭のこどく
6/19

 理世という新しい「常陸」の者が家に来たことにより、子どもたちの環境に変化が生じた。部屋替えである。今まで当然のように一緒の部屋にいた世七と紗七も部屋を分けられることになり、北から理世、世七、紗七、そして親元から一人の部屋へと仲間入りした玲紗の四人が同じ区画に部屋を並べることになった。


 部屋替えをしたその日に、世七たち三人の子どもたちは理世の元へ改めて挨拶をしに訪れた。彼の部屋は来たばかりということを差し引いても何も物がない。畳まれた布団が隅に置かれているだけで、他には何もない、殺風景な部屋だった。祖母の部屋で紹介された時と同じ、赤茶色の短い髪の毛に、似たような色をした瞳。切れ長の涼し気な目元を細め、口元に弧を描いて理世は子どもたちを部屋へ迎え入れてくれた。


 シンプルに名乗るのみの自己紹介を済ませてしまえば、あっという間に沈黙が訪れる。何となく居心地が悪く感じて、世七は口を開いた。


「刀を……生むのって、どんな感じ?」

「難しい質問だな」


 笑い交じりに答える理世の声は、変声期を過ぎた落ち着いたものだ。的外れな質問をしてしまっただろうかとやや委縮している世七に、「俺の意見だけれど」と少し掠れた声で理世はゆっくりと語りかけた。


「何も。痛くもなければ高揚感もない。ただ必要だから……そうだな、例えば文字を書きたいときにどうする?」

「えっ……紙と、書くものを持ってくると思う」

「それと同じようなものだよ」

「赤光を倒すのに、必要だから、ということ?」

「はは」


 世七の問いかけに、彼がわらう声。俯いた理世の表情は分からなかった。


「――生き延びるためにだよ」


 そして、理世の言葉で会話に終止符が打たれてしまう。世七は彼の言葉に何と返したらよいのか分からず、姉も、従妹も、特に何も動く様子はみられない。


「……お、俺、お茶淹れてくるよ。ちょっと待ってて」

「兄さん、私も行くわ」


 お茶など用意してしまった暁にはあの気まずい時間が延長されてしまうことの証明なのだが、世七は他にどうしたら良いのか分からなかった。そして、残した紗七には大変申し訳ないが手伝いにと名乗り出た玲紗と共に部屋を出れば、なんだか吸える空気がより多くなったような錯覚がして、つい小さく溜息を吐いてしまった。最後に聴こえた理世の笑い方がやや嘲りを含んでいるように思えたのは、新たな人間に対して世七が過敏になっているだけなのかもしれない。言外にこの大きな邸宅で育ってきた世七たち三人を揶揄されているようで、知らずうちに世七は手をぎゅっと強く握って廊下を進んでいた。


「なんか緊張するなあ。玲紗はそうでもない?」

「多少はね。ほぼ初対面なんだから当然だと思うわ」


 廊下を歩みながら玲紗に声をかけてみれば、そつない返事が返ってくる。「そんなものかあ」と返事をしながらも、年下の少女が最近以前にも増して大人びてきたことがなんだか世七には擽ったい。厨に行けば、厨房を預かる高梨の者たちがきちんと二人に気づき、四人分のお茶を盆に乗せてくれた。おまけに、と、剥いた林檎も添えてくれたので、少年少女は礼を述べて厨を出た。


「紗七大丈夫かな」

「どうかしら。姉さん、あんまり話すタイプじゃないものね」

「ああー……この間もそうだったからなあ、早めに――」


 世七がひと月前のおつかいにて、カイトに対しまるで素っ気無い態度を取った時の姉を思い浮かべ、戻る頃の部屋の空気が殊更心配になった、その時だった。


「――なあ、新しく来た『常陸』の噂、聞いたか?」


 廊下の突き当りからそんな言葉が聞こえ、思わず世七も、そして隣を歩んでいた玲紗もぴたりと立ち止まる。話をしているのが誰なのかは判断が付かず、世七のぴんとくる声ではない。高梨か、加苅か、はたまた政府の役人か。選択肢はたくさんあった。しかし、誰か分からない者たちが話題に上げたのは、今まさに世七や玲紗がお茶を持っていこうとしている人物に違いないことははっきりと理解できた。


「何だよ、お前も『赤光くずれ』とか言うんじゃないだろうな」


 赤光くずれ。初めて聞く単語だ、正確な意味は分からないが少なくとも良い意味として言っているとは思えなかった。怪訝そうな男の声に、「馬鹿、そんなこと思ってねえよ!」と食い気味の訂正が入る。


「まあ確かに十五になる前に刀を生むなんて信じられねぇよな。つっても、適正な検査を受けて、五代目が認めたんだってんだから俺らには信じるほかねえけど」


 十五になる前に刀を生んだ? 世七はその言葉に衝撃を受ける。廊下の突き当りの先、二人の男たちはまだ会話を止める様子はない。このまま聞いていて良いのだろうかという不安と、その先を知りたいような好奇心が綯交ぜになり、居心地が悪いまま足は廊下に縫いとめられていた。


「噂ってのはさ……民間人まで殺してたんじゃないかってやつだよ」


 どきりと世七の心臓が跳ねた。先ほど自分らを穏やかな表情で迎え入れてくれたあの理世が、民間人を――ヒトを、殺していた? 世七と同じくらい戸惑った表情の玲紗と目が合ったが、言葉を発することが互いにできないようだった。


「はァ? そんなこと――」

「でもまだ十四のがきだぜ。あり得るだろ。刀が生めて、武器も力もあって……それで金や食料を奪って生きてたって――」


 生きるためには食わねばならない。それは世七にも理解できた。しかし、監視者の刀をそんなことに使うだなんて、許されることではない。もし今の話が事実であれば、部屋に置いてきた姉のことがひどく心配であるし、何より、先ほどの理世との会話での違和感の証明になってしまう。――生き延びるために、刀を生んだ。


「ふうん、理論上は可能かもな」


 すると、急に言葉がずっと近くで聞こえて、世七も玲紗も思わずびくりと肩を跳ねさせてしまい、その所為でやや湯飲みからお茶が数滴零れてしまった。いつの間にか少年の背後に来ていたのは佐伯だ。言葉と共ににゅっと後ろから伸びてきた彼の手が世七の持つ盆の上に乗った林檎を一つつまむ。


「まあ一般人を殺ったとして……監視者の刀で斬られればそいつは赤光化するだろう。その後赤光を始末しちまえば砂になっちまうから分っかんねぇしな」


 そして、佐伯の声に反応したのは勿論世七たちだけではない。当の噂話をしていた男たちにもばっちり聞こえたようで、慌てて息を呑む音が聞こえた。


「りょ、遼ちゃん……今の話、本当?」

「さあなあ。俺は所詮、政府に上がる情報くらいしか知らねぇよ」


 シャクシャクと林檎を咀嚼し、飲み込む。三人の隣を気まずそうに、先ほど噂話をしていた二人が通り過ぎていった。


「あなたの情報で今の噂は本当かどうかは判断できないってこと?」


 半ば佐伯を睨むようにして、玲紗が言葉を加える。


「そういうこと。後半は()()()俺の推測」

「本当だったら?」

「何だ、裁きの話か? それは俺が決めることじゃない。さあて少年少女、良いことを教えてやろう」


 にやりと笑いながら佐伯は世七と玲紗の頭に手を置く。厭そうに玲紗はそれを振り払ったが、構うことなく佐伯は言葉をつづけた。


「情報は財産だ。得るためには正式な対価を払う必要がある。噂話ってのは最も危険な情報だ。対価を払わず得るものは特にな」


 そう言い、彼はひらひらと手を振って去っていく。佐伯の言う必要な情報の対価、というのなら、今の情報の対価は林檎一切れと言ったところだろうか。


「つまり、あんまり噂に左右されるなってこと? はっきり言えばいいのに。気障ったらしい男」


 ぷりぷりとする玲紗に、世七は苦笑した。思春期に入った従妹は気難しいことこの上ないのだ。佐伯は噂に左右されるな、と言った。しかし同じ口で、世七が思わず納得してしまうような推測を述べてみせる。


「……部屋に戻ろう」


 先ほどの噂の真偽は分からない。理世は此処に来る前にヒトを殺していたかもしれないし、それが事実かどうかは最早誰にも分からないのだ。理世本人を除いては。世七には判断できないし、するべきではないのだろう。しかし未だに部屋に残した姉への心配は拭えず、少し早足で世七は廊下を進んだ。





 一方、部屋に残った二人である紗七と理世は沈黙を保ったまま。元々口数の少ない紗七と、この家に来たばかりの理世では弾むような会話もないのかもしれないが、それにしても沈黙は長い間続いていた。


「……理世、って呼んでもいいですか」

「うん? ああ、もちろん大丈夫。君は紗七だね」

「はい」


 とうとうぽつりと会話が発生して、短く止むかと思ったそれは、紗七がすうと息を吸い込んだ音で続きができた。


「何か、気分を害されたのなら謝ります」


 静かな紗七の声が部屋に響き、そして消えていく。先ほどの世七とのやり取りの中で、剣呑な理世の雰囲気を感じ取ったのは紗七も同じだった。少女の赤い目が二度瞬いて、理世の視線と絡み合う。


「とてもじゃないけど、謝るって顔じゃないね」


 二人の視線は絡んだままだ。目を細めて笑う理世の瞳の奥底は冷たく、一方の紗七は無表情のまま視線を合わせているという状況で、理世の言葉はもっともだった。表情の乏しさや会話に対するそぐわなさは周りからよく指摘されることでもあり、紗七はしまったと溜息を吐いた。そして、少女は一度目を伏せ、再度理世と視線を合わせる。


「失礼。私含め、弟たちも世間知らずだ。だから、どう嫌な思いをさせてしまったか分からない……けれど、できれば同じ家の人間だ、うまくやっていきたい。なので、教えてもらえたらと思っている」


 怖気づくことなく言う紗七に、理世は苦く笑った。先ほど部屋を出ていった弟と似ているのは形ばかりで、視線も逸らさず、ともすれば不遜とも取れる物言いをする少女に同じ手は通用しないと判断したようだ。


「……そう。いや、俺の方こそ良くなかったね。あまりに今までと環境が違うもんだから、驚いたんだ。これでお相子にしよう」


 そう言いながら、理世は笑ってみせる。紗七も一つ頷いた。その後は、再びの沈黙だ。二人ともあまり音のないことを気にしない性質であるのか、暫く静かな空気が流れていた。


「私の思ったことを伝えてもいい?」

「うん、どうぞ」


 唐突に、視線を畳に落としたままの紗七が質問を投げかける。すぐに理世から同意の答えが来た。


「この間初めて外で赤光のサイレンを聞いた。まだ私は刀を生めないから、世七と一緒にシェルターに逃げるしかできなかった。逃げなきゃって」


 紗七の言葉は淡々としていて、感情が入りづらい。一見すると独り言のようだった。しかし、理世は気にすることなく「仕方ないよ」と相槌を打って続きを促した。


「必要だって判断して、それで『生めた』ことは、とってもすごいと思うんだ」


 紗七の視線が上がる。話の意図が伝わりづらかったのか、不思議そうな表情を浮かべた理世がいた。


「あなたはすごいと言いたい。生きて、此処に来てくれて、今、話せて……私は嬉しいと思う。……? 何か、言葉がおかしいな……」


 んん、と紗七は口元に手を当てて首を捻った。幼い頃から考えていることや感じていることを表現することを苦手としている少女は、何とか言葉を尽くしたいと考えて行動に移してみたのだが、どうにも本人の思うようには言葉を選べなかったようだ。先ほど、世七に対して、そして自分に対しても理世が棘のある態度を取ったことは気になっていたし、うまくやっていきたいというのも偽りなく事実だ。それと並行して思ったことを伝えたかったのだが、と、再び言葉を選ぼうと紗七が口を開きかけた時だった。


「大丈夫。……はは。すごい、なんて言われたのは初めてだ」

「そう。みんな思っていると思うけど」


 理世は口元を覆う。彼の反応に紗七はただ首を傾げた。無表情の奥に不思議そうな様子が浮かび、先ほど部屋を出ていった弟よりも僅かばかりに長い、黒い髪の毛が揺れる。


「紗七、きみ」


 理世が何か言いかけた直後、障子の先から声がかかる。世七と玲紗が戻ってきたのだ。理世は言葉を止め、「どうぞ」と声をかけた。すらりと障子を開き、二人が部屋に入ってくる。湯気を立てる湯飲みをそれぞれ受け取り、理世は一口緑茶を含んだ。世七や玲紗に礼を述べ、紗七は林檎を一口噛む。シャリ、と華やかな音を立てる瑞々しい欠片を堪能しながら、理世に問いかけた。


「何か言いかけてた?」

「いや、いいんだ」


 お茶を持ってきてくれた二人を労う言葉をかける理世に、紗七も話が終わりだと判断する。


「――君たちは、仲が良いね」


 そしてぽつりと呟いた理世に、紗七は柔らかく目を細めて頷いた。




 新たな常陸の一員が増え、半年が過ぎていた。季節は冬、小春日和の良い気候だ。この日も例に漏れず、日課である剣術の稽古に向かう。世七は紗七と共に道場へ続く廊下をやや急ぎ足で歩いていた。


「間に合うかな」

「おそらくは。世七、次からもう五分早く支度しよう」

「うっ……ごめん」


 紗七の言葉に、世七は申し訳ない気持ちで謝罪する。というのも、今日稽古だと自室に呼びに来てくれたのは紗七だけではなく、理世も居たのだ。理世に対する何とも言えない苦手意識は半年経っても健在で、つい支度をもたついてしまったために時間がぎりぎりになってしまった。その結果理世は先に行ってくれたので、世七の中ではほっとしたというのが本音である。怖い人じゃないよと姉は言うが、何となくやりづらさはある。最近になってようやく世七は「唐突に、これまで知らなかった親戚の兄が増えたようなものだ」と思うようにして日々やり過ごそうと考えられるようにもなってきた。というのも、理世と(最近は玲紗も座学に顔を出すようになった)共に師範に稽古をつけてもらう日常の中で、彼はとても模範的で指示に対し従順な姿勢だったからだ。にもかかわらず今日の有様では、先が思いやられるが。


「ああーほんと、紗七ごめん」

「大丈夫、大丈夫。間に合うよ」


 宥めてくれようとする紗七の言葉にやや安心する。そして、先に道場へ向かっていた理世の姿が視界の端に映った。充分余裕をもって出ていた彼に追いつけそうなことで安心する気持ちと、冷静な世七とは別の緊張感がむくりと顔を出す。別に怖い人じゃない、姉の言葉を思い出しながら世七は努めて平静であろうとしていた。


 理世にようやく追いつき、世七も紗七も歩みを緩める。有事でもない限り廊下を走るなど、師範に見つかった日にはお小言を食らってしまう。二人が追いついたことを横目で確認した理世がやや微笑んだのが見え、世七も少し笑ってみせた。この半年で世七は少し身長が伸びたと喜んだが、隣の紗七はもっと伸びて世七よりも今は背が高い。一般的に女子の方が成長が早いらしいと小耳に挟んだが、何となく悔しい気分だ。そして、前を歩く理世はそれよりずっと身長が伸びて、細身ではあるものの遠目から見れば大人の体躯とそう変わらなくなっていた。


 時を同じくして、前方から数名歩いてくる姿が見える。世七たち子どもらが着るような道着ではなく、上下共に黒で揃えた着物に袴。この格好をしているのは、監視者として働いている加苅の者たちだ。先ほどまで道場を使っていたのだろう。木刀を手にした大人たちと、さして広くもない廊下ですれ違う、直前。


「――でかい顔しやがって、赤光くずれが」


 その単語に、世七は聞き覚えがあった。確か、初めて理世の部屋に挨拶に行った日、廊下で聴いた噂話に出てきた単語。そして、これは噂話ではない。陰口でもない。真正面から理世にぶつけられた、紛れもない侮辱であると世七には理解できた。


「……ッおいどういう意味だ!」


 かあっと頭に血が上る。気づいた時には、世七は声を発していた。大人たちは世七の声に、にやにやと笑いを浮かべている。どいつもこいつも、片目だけが赤くてちぐはぐに見え、世七は余計腹が立った。


「おや、常陸の坊ちゃんには関係のないことですよ」

「ふざけるな……!」


 揶揄う加苅の物言いに、世七がぐっと拳を握りしめる。「世七」と隣から声がかかり、紗七がその拳をゆるく包み込んだ。姉の手が制してくれたため、私闘は厳禁との言いつけを世七も思い出すことができた。彼の隣に立つ紗七は、世七の手をゆるく離し、口を開く。


「五代目が決めたことに文句があるのなら、五代目に言え。いい大人たちがみっともない」


 そして、言い放つ。相変わらず感情の乗らない平坦な声音ではあるが、いつもより少し低い声から紗七が不機嫌であることが世七には分かった。


「へえ! 言うようになったね、紗七ちゃん」


 ひゅう、と茶化すような声。加苅の大人たちの中で最も若い男の声に、ひどく紗七が嫌そうに眉根を寄せた直後だった。


「――いいよ、二人とも」


 ひとつ穏やかな掠れ声。理世の声だ。はっと世七は彼を見遣った。相変わらず、いつものように僅かに口角を上げた理世の表情――しかし、彼の茶味がかった赤の目の奥は、見たことのないほど冷たい。何もかもを蔑むような視線に、世七は首の後ろがぞくりと粟立った。


「五代目になんて、この人たちは言えないんだ。だからこうして此処で喚くしかないんだよ」


 それは十四、五の子どもが発する大層皮肉な言葉だったが、声も体躯も青年のそれに近い理世が言うといやに迫力があった。世七たちも含めてだが、得てして常陸の人間は、そして常陸に準ずる加苅の人間たちは、怒りの沸点が低く攻撃的な性質を兼ね備えている。だからこそ身内間の私闘は厳禁だと定められているのだ。しかし残念ながら、いや案の定、見事なまでの理世の煽りに大人たちの顔は怒りで赤く染まってゆく。


「調子に乗るなよ、ガキ……!」


 赤く染まったのは顔だけではない。最も上背のある男、おそらく初めに暴言を吐いた男だ。その手に、赤い光の粒が集まっている。この場で刀を抜こうとしているのは明白で、流石に世七は焦りを感じた。曲りなりにも監視者であるこの大人たちは、皆刀を生めるものばかりだ。そして何故かこの時、世七の頭の中には場違いにも理世のわらう言葉が過ぎった――生き延びるために。声が脳内に響いた気がして、思わず世七は理世の手元を見た。此処で、()()()()()()のではないか。網膜に白い光が散ったような錯覚さえした。


「そこで何をしている!」


 唐突に大きく響いた怒号に、びりびりと空気が震える。はっと息を吸い込み声の発生源を辿れば、きっと道場から来たのだろう師範の姿があった。監視者一と言っても過言ではないほど厳格な男がこちらへ歩んでくるのを見れば、加苅の者たちは子どもらに目もくれず場を去っていく。一触即発だった現場は、常陸家次期当主候補の一喝によって終息を迎えることができた。


「お前たち、なかなか来ないと思えば……加苅の者らに何か言われたか」


 此処で何が起こっていたのかをなんとなくでも察したのだろう。師範は額に手を当て、大きな溜息を吐いた。


「あいつらは気性が荒い。できる限りうまくやり過ごしなさい。いずれ仕事を共にすることもある――さあ、稽古をするぞ、来なさい」


 師範の言葉に世七はつい思い切り嫌そうな顔を浮かべてしまったため、軽めに小突かれた。頭を擦っている世七に、紗七が少し困ったような顔で笑う。すると師範に声を掛けられ、姉は小走りで師範の元へ行った。きっと準備に駆り出されたのだろう。


「悪かったね」


 紗七を見送りつつ自らも道場へ歩み出した先、理世から声がかかった。先ほどまで底冷えするような冷たさを孕んでいた視線が嘘のようで、なんだか焦ってしまい、世七はたくさん首を振った。


「ううん、別に……。理世が謝ることじゃないでしょ」

「いや、そうじゃなくて――」


 はは、とわらう声。理世もまた道場へ向かうために歩きはじめ、ぽん、と世七の肩を叩いて。


「――()()()思ったんだろ?」


 囁かれた声に、再び世七の背筋が凍った。歩みは止まり、呆然とした表情で理世を見遣る彼に、理世はいつもの表情でわらってみせる。結局、世七だけ稽古に遅刻した。再度師範からの厳しい声が飛んでくるまで、世七はその場で立ち尽くすことになったからだ。知らない親戚の兄が、増えたようなものだ。同じ常陸だ、大丈夫。怖い人じゃない――色々自分を宥めるワードを思い浮かべてみるものの、どれもしゃぼん玉のようにすぐに弾けて消えてしまう。理世に対する苦手意識は、世七の中で明確な恐れとなって形どられ始めていた。

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