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CIPHER  作者: 川昌 幸(かわうお)
 一、 虫篭のこどく
4/19

 道場での打ち合い稽古に、徐々に演習場で赤光を相手にした練習が混ざっていく。初めに見た時のような、磔にされた状態のものを斬るところから始まり、形が小さく動きが鈍いものを追い詰め、斬る。姉弟は少しずつ段階を踏んでいた。

 その日も演習場で赤光斬りの稽古を終え、世七は汗を拭いながら縁側に腰かけ、そのまま仰向けに寝転がった。夏の陽ざしがじりじりと照り付ける暑い昼間に、少年の体力は奪われてしまったのだ。弟の様子に紗七は飲み物を持ってくるねと弟に声をかけて早々にその場から立ち去っていった。しかし、姉の姿が演習場から消えて数分後、現れた珍しい姿に世七は疲れも忘れて跳ね起きた。


「遼ちゃん! あっ……――」

「よう、坊主。いいよ世治、気にすんなって」


 少年から呼ばれた人物は片手を軽く上げ、咎めるように世七の名前を短く呼んだ世治へ視線を送り、ニヒルに笑ってみせた。しかし、厳しい表情を崩さないまま世治は緩く首を振った。


「なりません。世七、慣れた口を利くのは慎みなさい」

「すみません――佐伯さん」

「相変わらずだな。固いのは苦手なんだが」


 笑いながら佐伯は呟く。「政府のお役人が何を言っているんです」と皮肉っぽく世治が野次った。

 世七はこの男性を気に入っている。和装ばかりのこの家の中で、タイトなスーツ姿で来る人物など限られており、そのほとんどは三途の外、政府からの人間だと知った。その中でも佐伯は一番知的な顔をしており、それでいて竹を割ったような性格の彼は世七のような子どもに対しても分け隔てなく話をしてくれる。彼の話す内容は世七の知らないことばかりで、それもまたとても興味深かった。もっと幼い時分など、佐伯の姿を見かければうろちょろと傍を付いて回って面白い話をねだったものだ。彼のことを「遼ちゃん」などと軽々しく呼べたのはまだ世七が幼いから許されていたのであって、本来であれば政府と監視者とを繋ぐ連絡役であり仲介人でもあるこの男性と、常陸の人間とはいえ未だ刀を生むことのできない世七とでは、気安く話せるような間柄ではない。しかし、この日も佐伯は変わらず口の端に笑みを湛えて世七の頭をぽんぽんと撫で、稽古終わりの少年を労わってくれた。


「もう赤光を斬ってんのか。刀は世治のものを紗七と交代で?」

「いや、父さんの。紗七はおばあさまに借りてる、ます」


 叔父からの厳しい視線に、慌てて世七は丁寧に言葉尻の辻褄合わせをしようとしたが、うまくいかない。それでも佐伯が気にしていないように、むしろ世七の言葉ではなく話の内容に大分驚いた表情をしたのだから、幾分恥ずかしさと気まずさは紛れた気がした。


「吠世が? はあー、よく借りることができたな」

「兄は世七に甘いんですよ」


 世治が肩を竦める。世七は叔父の態度に曖昧に笑うことしかできなかった。というのも、父は一頻り世七にはまだ早いと叔父に文句を言ったが叔父から何かしらの一喝をされた後はあっさりと認めたのだ。そして、練習時にはこの刀を使えと世七に与えてくるまで変化した。流石に世七も驚いたのだ。てっきり自分は叔父の刀を使わせてもらうものだとばかり思っていた。


 しかし、世治の刀を世七が、そして紗七が使うことはできなかった。叔父の刀は彼の手にあるときは赤く美しい形を保つというのに、姉弟どちらもの手に渡った瞬間淡雪のように消えていってしまうのだ。祖母が「血が近ければ使える」と言った意味がこれだった。叔父と姉弟では、遠かったのだろう。


「ほんと、監視者の刀ってのは不思議だよな――と、そんな話をしに来たんじゃねえんだよ、今日は。坊主、姉ちゃん誘って俺とドライブへと洒落込もうか」

「えっ?」

「ああでも着替えてからだな、流石に着物じゃあすぐ身元が割れる。いいよな、世治。もう稽古は終わったんだろ?」


 突然の佐伯からの誘いに、世七は目を白黒させる。慌てて師範を見てみたが、彼もひとつ頷くだけ。「五代目の許可があれば」「当然、もらってあるさ」短く大人同士が会話を交わしていた。そこへ丁度、飲み水を持ってきたのだろう、紗七がぱたぱたと早足で駆けてくる。少女もまたスーツ姿の佐伯を目にし、少し驚いた表情で、しかし柔らかく目を細めて丁寧に頭を下げた。


「じゃあ着替えに行った行った。十分後に正面玄関に集合な」

「じっぷ……十分!? 紗七、行こう!」

「えっなに? わっ」


 車の鍵だろう。ちゃりちゃりと指先で遊ばせる佐伯を背にし、世七は姉の手を引いて自室へと走り出した。たまにこうして佐伯が家の外に連れ出してくれるのが楽しいことだと知っているからこそ、なんだかとてもわくわくした。



 きっかり十分後、大慌てで準備を済ませてきた姉弟は正面玄関へ走り出た。大きな正門に凭れるようにして立っていた佐伯は、相変わらずそっくりな二人の姿に苦笑しているようだった。しかし、世七が十を超えてきたあたりから少しずつだが確実に、二人の姿形は男女のそれに分かれていっている。


「紗七、少し背が伸びてきたな。世七よりちょっとお姉さんになったって感じだ」

「? 私は前から世七のお姉さんだけれど……」

「ああ、違う違う。大人っぽくなってきたってことさ。ほら、車に乗りな」


 字義通り律義に返答する紗七に笑いながら、佐伯は車の後部座席へと紗七をエスコートした。一方された側の紗七としては、明確にお嬢さん扱いをされて尻の座りが悪そうにしている。そんな姉の様子をくふくふと笑いながら、世七は食い気味に佐伯に話しかけた。


「俺も背は伸びてるんだよ」

「そうさな、健康に成長しているようで何より」

「いつか遼ちゃんだって追い越すからね」

「そりゃあ楽しみだ」


 会話を交わしながら、世七が乗り込んだことを確認して佐伯がドアを閉める。自らは運転席に座り、スムーズに車を発進させた。


「今日はどこまでいくの?」


 答えを待ちきれない様子で座席から身を乗り出して世七は問う。その隣でお行儀よく座っている紗七は、本来世七にと思って用意した水筒で手遊びしているようだった。姉弟の様子をバックミラー越しに見ながら、佐伯は笑う。


「零区の外に行ってみるのはいかがかな?」

「零区の外!?」


 いよいよ興味が抑えきれず足をばたつかせる世七に、紗七が小さく「だめだよ」と告げる。小さな注意にようやく世七はシートに体を沈ませたが、興奮覚めやらぬ様子で姉の肩に頭を凭れさせた。


「さてここで問題だ。零区に隣接する区はいくつあるかな?」


 元気のよい子どもに顔を顰めるでもなく、朗々と佐伯が問う。んん、と考えるそぶりを見せる世七を見てから、紗七がそっと声を出した。


「七つです」

「正解だ。南西から反時計回りに内訳を出してみ?」

「え……っ南西……(あかつき)区?」


「残念、そっちは零区の北西だ」


 ええ、と困ったように紗七が唸る。姉が位置感覚に混乱している間に世七の頭の中の地図がぼんやりと浮かび上がってきた。


夜更(よふけ)区?」

「お、いいね世七。その調子だ」

「反時計回りだよね? ええと……」


 時計の針はどちらに進むだろうか。視線を左上に向け考える世七に、今度は紗七が「こっちの向きだよ」と人差し指でくるりと円を描いて助言をした。


「じゃあ次が初更(しょこう)区だ。その東に黄昏(たそがれ)区……北に行って黎明(れいめい)区、東雲(しののめ)区……紗七、今いくつ?」

「五つ。私が言った最初のも含めれば六つだから、あとひとつ」


 この様子だと、おそらく姉は答えが分かっているのだろう。しかしすぐに正解を仰ぐのは悔しくて、世七はうんうんと頭を捻った。


「はーい時間切れ。ほら、そろそろ零区から出るぞ」

「えー!」

「各地区のどこに監視者の拠点があるのかとか、関連施設が何処なのかとか、まあいずれ世治が教えてくれるだろ。必要なことだからな」


 佐伯の言葉に不服そうにシートに身を沈ませ、世七は窓の外を見た。先ほどの青年の言葉通り、零区の境界を示すフェンスが見える。その出入口にて守衛と短くやり取りをして車は零区の外へと出ていく。


「零区の周りに囲いがあるのは、此処に一番赤光が多く出るからですか」


 姉の言葉に、佐伯が「そうだ」と返事をした。世七は振り返り、自身の暮らす屋敷のある広い区域を囲うフェンスを見遣る。


「……虫篭みたいだ」

「世七、なに?」

「ううん……何でもない」


高く聳え立つ金網に囲われる区域は、少しずつ遠ざかっていった。





 佐伯が二人を連れてきてくれたのは、先ほど世七が正解を出せなかった最後の一つの区域である朝未(あさまだき)区。零区からも然程離れていない場所に駐車し、三人は車を降りた。少しずつ傾き始めてはいるが、依然として陽射しが強い。


 少し歩くがいいな、と言う佐伯の言葉には是も非もなく了承をした。とにかく少年にとって、これまで生きてきた十年間と少しの期間自身の屋敷の外に出ることはほとんどなかったものだから(広い屋敷のためその必要性があまりなかった、ともいえる)、零区のフェンスを越えたというだけでも一大事、ビッグイベントなのだ。自分の足でその地を踏んでいると思えば、わくわくしないわけがなかった。


「多分そのうち、朝未区にはおつかいで来させられることになるんじゃねえのかな? 事前の下見ってやつだな」

「おつかいに?」

「そ。実際監視者として仕事に就くのはもっと先だろうが、赤光を斬る以外にもやることはあるからな。それに、いざ監視者になった時に自分が守る街のどこに何があるか分かりませんじゃ困るだろ」

「確かに!」


 無邪気に同意をしながら、佐伯が自分たちを何処へ導こうとしているのかは分からなかったが、世七も紗七もきょろきょろと辺りを見回しながら歩いた。均等な感覚で生えている電信柱、時折いっとう大きな柱の先にくすんだ鋼色をしたラッパ状の拡声器が乗っかっていた。立ち並ぶ店のペンキの剥がれた看板にはマジックで書かれた垂れ幕が引っ提げられている。何かの店だろうか。三人以外にも人が居り、佐伯が「着物じゃ目立つ」のようなことを言っていた意味が良く分かった。着物を着ている人間など一人もいない。


「――まず此処からだな」


 宛てのない旅と思われていたが、目的地はあったようだ。佐伯が立ち止まり、ちょいちょいと人差し指で示した先には大きな鉄の箱があった。道中目にした拡声器の真っ赤な色をしたものが、箱の上から蝋燭のように一本生えている。「ここは?」と疑問を呈する世七に、佐伯は目を細めて笑ってみせた。


「ここに、おつかいに来るの?」

「おつかいの目的地ではねーだろうな」


 はは、と笑う大人に、世七は首を傾げる。いずれ来るおつかいの下見だと言われていたので質問をしたのだが、どうやら的外れだったらしい。


「避難用のシェルターだな。零区以外にだって赤光が出ることはある。基本的にあいつらは日が暮れてからの方が多く出るが、稀に昼間っから出る迷惑なやつもいる。そういう時のために一般人が逃げ込む先がここ」


 説明を聞いて、姉弟はなるほどと頷いた。先ほどから道を行き交う人々、時折店の中から明るい話声さえ聞こえる。此処は監視者以外が暮らす、しかし赤光が出現する「封鎖地区、三途」の一部なのだ。先ほどからちらほら見える赤い拡声器は、赤光が出現した時いち早く知らせるためのサイレンが鳴るのだと理解できた。


「例えば、今後起り得る未来として……刀が生めないお前らが今ここで、サイレンを聞いたら。迷わずシェルターに行け。赤い拡声器が目印、その下にシェルターはある。ただ、あんまりにも赤光が近くなると閉じちまうからな。刀が生めないうちはとにかく逃げる。いいな」


 佐伯の声は有無を言わせない響きだった。世七も、紗七も、唇を引き結んで同じ顔で頷いたものだから、その様が面白かったのだろう、二人の子どもの頭をやや乱暴に撫で、佐伯は笑った。


「よしよし、がきんちょども。聞き分けが良くて何よりだ。さて、おつかい先候補でも見て帰るかあ」

「がきんちょって言わないで! そういう遼ちゃんだって何歳なんだよ」

「おーおー、人に年齢を訊くのは社会人としてマナーがなってないぞ」


 家の中でないので、存分にじゃれついても咎める大人はいない。結局その日は佐伯にいくつかの研究施設の入り口まで案内してもらって、車に戻って零区の屋敷まで帰ることになった。再び零区のフェンスを潜る際には、稽古とちょっとしたドライブの疲れから、姉弟二人とも眠ってしまっていた。

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