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CIPHER  作者: 川昌 幸(かわうお)
 三、 鍵のないたからばこ
18/19

「十六夜睦儀?」


 怪訝そうに復唱した声が思っていたよりも大きく響き、世七は慌てて口元に手をやった。紗七の姿が昨日から見えないことが心配で、玲紗に聞いても分からないときた。となれば、指揮を執っている祖母に聞くのは自然な流れで、共に聞きに行った玲紗とその言葉を知ることになった。その後すぐに政府役人の訪問により部屋は追い出されてしまい、祖母から詳細を得ることは叶わず、傍にいた辰濃を引き留めれば詳細は申し上げられませんと断られてしまった。そして離れには絶対に近づくなと。思わず世七は玲紗と顔を見合わせる。


「よく分からないけどとりあえず屋敷には居るんだよな?」

「聞いたことのないものよね。書庫にでもいけば資料があるかしら」

「探してみよう」

「今日は非番?」

「そう。玲紗も付き合ってくれる?」


 当たり前でしょと返してくれる従妹に、世七も少し気が紛れる。唐突な身内の死は、世七と玲紗を共に過敏にさせていた。任務でもない。むしろ、今後予定されていた紗七の任務は暫くの間外されて別の者が宛がわれている。事情を聴きに理世の部屋にも行ってみたが理世も居らず、それがまた世七の焦燥感を煽る一端となっていた。


 二人は書庫に辿り着く。重たい扉を開ければ、埃が僅かに漂ってきて、二人共袂で口を覆った。陽の入らない場所ではあるが、乾燥している。扉の内側にあるレバーを下して電気を点けた。


「うーん、どこだろう。監視者関連のとこにあるかなあ」


 蔵書は決して多いわけではない。虱潰しに探したとしても、一日もあれば見つけることは可能だろうと踏んで、世七は高い位置の本を一冊手に取ってみた。案の定埃を被っていて、ぱたぱたと軽く払ってやる。無作為に確認していく世七の様子に、玲紗も倣ったのだろう。彼女も数冊取り出し、確認を始めた。


「あったわ、兄さん」


 数十分後。玲紗の声に世七は振り向いた。身を寄せ合い、一冊の本の記載を確認する。


「十六夜睦儀……常陸のつがい同士が子を成すための……」


 読み上げている途中で、玲紗の言葉が止む。世七も同じく文字を追っていたので、玲紗が言葉にせずとも理解できた。二週間近い間、軟禁状態であること。女はその間、離れから出てはいけないこと。その間はつがい以外の男は離れに近づいてはならないこと。


「な……んだよ、これ……()()()()()()のか? 今?」


 恐る恐る玲紗を見てみると、青い顔をした少女がいた。どうやら従妹にとっても予想外だったらしい。「こんなに早いものなの」と、震える言葉が零れ、小さな手から冊子が滑り落ちる。ばさりと音を立て地に落ちたそれに目をやり、世七は一瞬時が止まったような感覚を覚えた。


 紺地に、銀色の装飾がされた本。掠れた字で「監視者記録」と書かれている。呆然としながらそれを拾い上げ、少年はその中身を見た。


 百年以上前から続く常陸家の家系図。いつだったろう、祖母が自分と姉に教えてくれたときはずいぶんと簡略化されたもので教えてくれたものだ。その詳細を目で追い、初めから狂っている家系図の裾まで来て、ついに吐き気がした。理世の名前から上に引かれていった先にあるのは、自分と同じ父の名だ。


 これと同じ装丁の本を、此処以外で見たことがある。吐き気の中、世七は記憶を辿った。


「――りせ。理世だ、あいつ」


 そうだ。理世の部屋だ。理世はこの本を読んでいる。知っていたのだ、すべて。知ったうえで紗七とつがいになり、今、あいつは何をしている?


 記憶は燃え滾るような怒りを呼び、腸が煮えくりかえる心地に包まれ、世七は冊子を掴んで書庫を出た。後ろから慌てた様子の玲紗が自分を呼ぶ声が聴こえたが、彼を止めるには不十分だ。


「待って、兄さん駄目よ……っ!」


 悲痛な従妹の声に離れにはつがい以外の男は近づいてはならない、そんな馬鹿げた文字がちらつく。しかし、世七は歩みを止めるわけにいかなかった。可笑しな仕組みの中に放り込まれた姉を出すのは、自分の役目だ。離れに向かう世七は、母屋の角を曲がった理世の姿を捉えた。相手も彼を認識したのだろう、僅かに目が細められる。勢いそのままに理世の元まで歩み、世七は青年の胸倉を掴んだ。


「お前……ッふざけんなよ」


 憤る世七とは対照的に、理世はひどく冷めた視線で彼を見下ろしている。その様がまた腹立たしくて、憎らしかった。


「知ってたんだろ、血が繋がってるって! なら何で請けたんだ……ッおかしいだろ!」

「……此処に来るなと言われたのでは? 何故来た」


 世七の答えに直接返事はせず、理世が問う。どちらかと言えばそれは、世七ではなく、止めようと追いついた玲紗に投げかけられたものだったかもしれない。玲紗の息を呑む音が、世七の怒りを増幅させた。何故だと? そんなもの決まっている。


「紗七は俺の――」


 しかし、言葉は途中で遮られた。理世の手が、鬱陶しそうに掴まれた襟元を正す。


「あれは俺のつがいだ。……離せ」


 吐き捨てるような低い声に、少年の手が離れた。理世は当初の進行方向へ歩いていく。行き場を失った手で、世七は思い切り壁を殴りつけた。


 大事だと思っていたものが、次々と揺らいでいく。人を守るための刀を生むということもできず、代々続く監視者、常陸家の純粋な血統というのは狂った枠組みの上に成立していたとも知り。そして、片割れまでも喪おうとしていた。――すべて、理世が持っていく。


「……兄さん、この先はまずいわ。一先ず部屋に」


 触れるのも勇気が要っただろうが、玲紗がそっと世七の肩に手を触れ宥めようとしてくれた。その矢先だ。

 雷が直撃したかのような大きな音が響き、地響きと共にぐらりと屋敷全体が揺れた。同時に、ひどい首元の疼きを感じる――近い。ハッとして世七が顔を上げるのと、視界の端々に赤い光が舞い踊ったのはほぼ同時だった。


 いくら鞘持ちと謗られようが、これほどまでに常に打刀を携帯していてよかったと思った日はない。こちらへ向けて襲い掛かってくる赤光に、世七は佩いた刀を抜き、後ろ手に玲紗を庇って斬り伏せた。散るように勢いよく砂と、庇った際少し掠ってしまった玲紗の赤茶の髪が舞う。


「……ッごめん玲紗! 髪が」

「そんなのちっとも重要じゃない、感謝してる! どうなってるの!?」

「分からない――こうなったら離れとかどうでもいいよな!」

「良いと思うわ!」


 紗七と合流することができれば、玲紗を任せて世七は屋敷内に点在するであろう赤光討伐に行ける。そう踏んで駆けだそうとした二人の横で襖が開き、祖母が立っていた。


「おばあさま、これは」

「分からん。目につく奴らを全て始末するしかあるまい」


 すらりと刀を生んだ祖母は、携えていた別の真剣を玲紗に手渡した。自衛しろということだ、玲紗も迷わず受け取る。


「問題は自衛手段のない使用人らだ。無限に増やされてはたまったものではないが、大元が居るはずだ。世七、行くぞ」

「は、はい」

「玲紗は紗七か実紗子と一緒に居なさい。刀を生める者の近くだ。合流出来次第、使用人らを一か所に保護せよ」

「分かりました」


 果たしてこんなことが現実に起こるのだろうか。疑問に思ったとしても、これは夢でも何でもない。事実、監視者の屋敷に赤光が何体も猛威を振るっているのだ。祖母は大元が居ると瞬時に判断していたし、世七もそう思っていた。いっとう、疼きが強く反応する場所がある。こういうのは、強い個体が居る証拠だ。内庭に降り立ち、感覚の指し示す方向を見、世七は絶句した。母屋の屋根に一体赤光が居る――刀を握っている。


「……あやつか。追うぞ」


 祖母の言葉に頷き、世七は駆ける。母屋の屋根に居たそれは俊敏に動き、何処かを目指しているようだった。私は屋根から追う、短い言葉で祖母の気配が移る。赤光が駆けるたびにばらばらと瓦が散っていくのを、只管に追いかけた。行く先が分からないが、なるべく非戦闘員らが少ない所の方が良い――そんな世七の願いを聞き届けたのか、それが向かったのは広い坪庭に面した場所、ちょうど六代目常陸の執務室の向かいにあたる場所だ。奇しくもそこには数名の監視者が居り、銘々に刀を携えている。しかし、上から降ってくるそれが刀を薙いだ瞬間、風に圧されて退いてしまった。赤光自身に呼吸が必要かは不明だ。しかし、それはフーッフーッと、何処か肩で息をするような印象がある。そして、今までの個体には見られない赤く光る刀。異様だった。


 上から斬り払うように紗倉の刀が躍るが、赤光はそれを刀で弾き返した。軽い老女だ、力での競り合いには分が悪すぎる。素早く判断し、紗倉も飛び退いて態勢を整えていた。これまでの赤光は爪で刀を弾こうとする個体も居たが、今のように明確な武器を擁して対抗してきたものは初めてだ。世七は柄を握りしめ、地を蹴る。祖母を弾き返したその背を目掛け、体を滑り込ませた。しかし、素早い動作で振り向きざまに薙ぎ払われる。刀同士が擦れ、ぢりっと嫌な音が走った。今まで対して来たものよりも強いのは明白だ。


 世七は、自分の稽古をつけてくれた師範の言葉を思い出していた。こういう時は基本に戻れ。急所は何処だ? 教えたはずだね。頭、首、胸、それに胴。細く息を吐ききり、相手を見据える。大丈夫だ、やれる。下段に構え、空を切る。下から仰ぐように抜けば、確かな手ごたえがあった。


「よし……――ッ!」


 最早顔の造形など分からないというのに、斬られた反動で仰け反る赤光の目が、ぎょろりと世七を見下ろした、そんな気がした。


 ――お前は仕留めた後が一番油断しやすい。気をつけなさい。


 何故こんなにも師範の言葉を思い出すのか。世七は、気づきたくないものに直面したくなくて、赤光の刀から逃れようと体を捩った。その隙に態勢を立て直した紗倉が、脇から斬り込む。世七を薙ごうとしていた刃先が標的を替え、老女の左肩から先をごっそりと裂いたが、勢いを失うことなく紗倉はその白い刃を赤光の喉元に突き立て、赤光ごと執務室の中に雪崩れ込んだ。


「おばあさま!!」


 世七が声を上げるのと同時かそれより早いか。今度は爆音のような大きな音が稽古場の方から上がった。再びぐらぐらと地が揺れる。先ほどまで感じていた首元の疼きは、もうほぼない。ならばあの音は何だ? 目の前の祖母と、音の発生源と。瞬時に判断を迫られた少年に、厳しい声が飛んだ。


「世七、此処は良い。仕留めた。行け」

「おばあさま」

「……案ずるな。それに、私だけでは難しかった。ようやった」


 今までになく優しい声掛けに、世七は刀を握りしめた。そして、一礼し、音の発生源へと駆けていく。遠ざかる孫の姿を見届け、紗倉はひとつ息を吐く。ごぼりと一緒に血も吐いた。


「――たつの」


 そして短く呼ぶ。常に傍に控えていた側近は、この時もすぐに彼女の傍へと寄った。肺が傷ついているし、この失血量では大したことはできない。紗倉は最期の指示の優先順位を付けた。


「燃やせ……私ごと、此処を、全部。赤光に殺された者も、すべて、放り込んで灰に……」


 途切れ途切れに指示を出す。側近の視線は諦めないでくださいと声高に語っていたが、紗倉はゆるく首を振った。いくら常陸とはいえ、腕は生えるまいよ。笑ってやりたかったが、もう難しい。後は任せたぞ、と最後の言葉は果たして聞こえる音になっただろうか。老女の赤い目から光が失われるまでじっと見つめ、側近は静かに立ち上がった。指示を遂行せねばならない、そうして、すべて終われば、自分もこの(ひと)と共に逝くのだ。

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