Ⅳ
翌日。この日は気温も高く、たっぷり降り注ぐ日差しが暖かい。昼食摂りがてらで良いかと問われ、駄目だなどと言う気は毛頭ない。紗七はおにぎりとお茶を傍らに、世七はお茶のみを携えて縁側に座った。
「あ、あのさ」
昨夜ぐるぐると考えを巡らせ、結局良い話のきっかけが見つかる訳でもなく、ほとんど眠れなかった。しどろもどろになりながら言葉を紡ぐ少年は、自分の手の中にある湯呑をぎゅうと握る。
「最近、ごめん。なんか……避けたりして」
それ故、彼は謝罪から入った。うん、と短く紗七は返事をする。ひと口握り飯を食み、しばらくゆっくりと咀嚼していた。
「話そうって言ってくれて、嬉しかった」
ぽつりと呟き、またひと口。どうやら中に入っているのは梅干だろう、赤い果肉が見え隠れし始めた。
「なんていうか、俺、悔しいし羨ましさみたいな、そういうのがある。それに――」
理世とつがいになってしまったし、とは、呑み込んだ。この話は今しなくても良いだろうと判断した。
「……いや、うん。役立たずが何言ってんだって感じだよね」
乾いた笑みが漏れる。てっきり世七は、姉も同じように苦笑してくれるとばかりいたのだが、いざ紗七の顔を見てみるとその顔に浮かぶのは怒りだ。実のところ、世七は紗七に怒りを向けられたことが今の今まで一度もない。自分のために他者へ怒ってくれたことは何度もあるが、いざその表情が自分に向けられた迫力に、世七は慌てて笑みを引っ込めた。
「ねえ、世七。もし逆だったら。私が刀を生めなかったら、世七は私に『役立たず』と言うの?」
抑揚の乏しい紗七の声には聞き馴染みがあるものの、この時ばかりは嫌にずしりと重く響く。
「そんなこと、言うわけないだろ」と、咄嗟に否定をした。きっとそう答えると分かっていたのだろう。紗七がひとつ頷いた。
「なら今の私が世七に欠片も役立たずなんて思ってないって、分かるよね」
「それでも、俺は」
「なに」
いよいよ世七は口を噤む。たった二文字の単語で、充分過ぎるほど姉の怒りをかってしまったことが理解できたからだ。この時、純粋な血、常陸の直系という言葉が姉弟両人の頭にちらついたのが世七にも分かって、小さくごめんと呟くことでそれを打ち消した。そうすることで、紗七の表情から少しだけ、怒りが和らぐ。最後のひとくちで米を全て口の中に入れ、ゆっくりと咀嚼し、呑み込む。手拭きで指を拭って少女が口を開いた。
「赤光を殺せる、それで充分じゃないか」
「うん……だけどさ。今は父さんから刀を借りているからそうできてるけど、もし……この刀が消えたら、とか。不安なんだ」
刀は基本、生んだ人間の死とともに消滅する。父は未だ死ぬには若すぎるとはいえ、こんな職業だ。いくら強いと言えど常に死と隣り合わせでいることには変わりない。刀を喪った時、自分は一体この家でどう生きていけばいいのか。先の見えない状況が何よりも少年の心を重たく沈ませていた。
「……そうだね、不安だよな」
弟の吐露に、紗七もまたぽつりと呟く。茶をひとくち嚥下し、ふうと息を吐いた。
「れーが言ってたな……生むことに拘る必要がないって。監視者の刀以外でも赤光を殺せればいいのに」
ふと、昔の会話を思い出したのだろう。独り言のように呟いた紗七の言葉が、すう、と、一筋の光を伴って世七の脳内に滑り込んだ。
「……そうか。そうか!」
そして、急に立ち上がって明るい声を出す弟に、紗七は目を丸くする。春の日差しを反射し、少年の瞳はきらきらと輝く赤いていて、思わず姉は眩しさに目を細めた。
「生めなくても、殺す方法があればいいのか……!」
世七にとって、それは天啓のような衝撃だった。閉鎖された虫篭でこのまま存在意義を見出せず、蛹のままで死んでいくのだろうと絶望的になっていた彼に、それは篭を打ち壊し外へと羽ばたきだせる可能性を秘めた大きな希望に見えたのだ。
ほぼ無意識のなか、紗七は思わず世七の手を掴んだ。そうでもしなければ、離れ離れになってしまう――そんな錯覚を覚えた。不思議そうに、しかし久しぶりに見る笑みを湛え、こちらを見る世七と視線が合う。その瞳には、彼女が持つことの無い外への希望と未来が詰め込まれているような気がした。紗七は眉尻を下げ、微笑む。なんでもないよ、と、ゆるりと手を解いた。
「世七は今日、仕事だよね。仮眠は必要?」
「うーん……少し寝ようかな」
今更眠気が訪れて、謀ったかのように欠伸が出そうになったのをどうにかかみ殺す。そんな彼をくすくすと笑いながら、紗七が自分の太腿を二回叩いた。心地よい陽気に、大好きな姉の膝。何とも魅力的なお誘いについ身をあずけそうになるが、昨日玲紗と話したことが世七を引き留めた。是非とも玲紗には、十六にもなった弟を幼子の時と変わらず扱うこの姉にも注意指導をしていただきたい。
「あー……凄く……もったいないけど遠慮する……」
「どうした?」
「いや、別に。理世とはどう?」
ぐっと堪えて、話題転換。紗七はきょとんとしつつも、素直に答えた。
「普通だよ。今まで通り」
「……理世って、どんなやつ?」
世七は、あまり理世と会話をしたことがない。二人きりで話した最長記録は、音楽プレーヤーの電池について話したあれだ。業務連絡を交わすことはあるが、それも極稀に。周りが囃し立てるほど仲が悪いという訳では無いが、相変わらず何を考えているのか分からない薄気味悪さと恐怖心から、なんとなく関わりづらい。世七の質問に少し考えつつ、紗七はゆっくりと口を開いた。
「そうだな。信用できる人――」
紗七が言いかけた直後だった。突如、屋敷全体を震わせるような警報音が鳴り響く。滅多に聴くことのないこの音は、緊急召集を示すブザー音だ。一瞬で眠気など霧散し、世七も紗七も立ち上がった。
「こんな昼間から?」
「とにかく急いで支度しよう」
本日任務の入っていた世七はともかく、紗七は普段着のままだ。二人とも自室まで急ぎ、世七は刀を手に取って指令室でもある六代目の執務室へと走った。
しかし、世七同様に召集の合図で集まった面子は、皆一様に狼狽えている様子だった。理世も居るが、どうやら少し離れた場所で遠巻きにしている。周囲の者たちがざわつく原因はすぐに分かった。執務室は空で当の六代目の姿がない。やや遅れて紗七が合流した数拍後、元監視者総統である紗倉が眉根を寄せた表情でやってきた。
「愚息ども、何をしておる……居ないことには仕方がない、私が代わりに指揮を執る。朝未区北西にて赤光が大量発生した。現在自警団の者が先に現場に行っているが、とてもじゃないが制圧不可能とのこと。現在屋敷外に居る他の監視者にも一様に連絡は飛ばした、近くの者から現場に向かっているはずだ」
紗倉の後ろに控えていた辰濃が、地図を開く。五代目として指揮を執っていた時代に使われていたものだ。紗倉は暁区と朝未区の境目を指で指した。
「理世、紗七、そして世七。お前たち三人は此処だ。発生源の最も近い場所へ鎮圧に向かえ。残りの者は朝未区北西部を重点的に見回り、随時南東に向け散らばった赤光を追うこと。異常を感じたらすぐに端末で連絡、よいな」
端的な命令に、銘々返事をしてすぐに行動に移る。理世の傍に来た高梨の青年が、「車を出します」と立候補した。以前、理世に傾倒していると言われた青年だ。世七たち三人を乗せ、車は零区を滑り出した。
「……六代目、そして吠世様と連絡がつかないそうです。お二人ともこんな時に、どうされたんでしょう」
運転席に座る青年は、小声だがしっかりと後部座席まで届く声音で話す。真後ろに座っている理世が「さあね」と興味もなさそうに呟いた。
「それより、計太。おまえは車から出ず待機。数が分からないから連絡を入れるまでは鍵も開けるな」
「し、しかし理世さん」
「赤光を斬れる奴以外は出るなということ。分かった?」
きつめの言い方に、助手席に座っている世七の方がなんだか委縮してしまう。計太と呼ばれた役に立ちたくてたまらないといった様子の高梨の青年は、目に見えるほど落ち込んでいるようだった。祖母に指定された地点へ向かうまでにも、ちらほらと赤い光が見える。あれらを全て斬り伏せるよりも先に、彼らは発生地点を疑われる場所までいかねばならない。
「……多いな。これ以上多い位置だと降車が面倒じゃない?」
ぽつりと呟いたのは紗七だった。特殊な素材によりかなり頑丈に作られた車のため、ちょっとやそっとの赤光の攻撃ではびくともしない。しかし、内部に入り込まれてしまえば話は別だ。理世も頷き、車は停まった。
地に降り立ち、三人は街並みを見る。首元はざわつくし、視界で分かるほど赤い光が多く、うっすらと雲がかかり始めた空に反射するほどだった。
「発生地点を目標に分かれようか。俺は正面。世七、右を頼めるか?」
「大丈夫」
「紗七」
「左ね、任せて」
頷き合う姉弟にうっすらと笑みを浮かべる理世の手に、刀が生まれる。ほとんど仕事を共にした機会のない世七が、理世が刀を生む姿を見たのは初めてだった。
「行こうか」
鍔を鳴らし、短く言葉を紡ぐ。そして、三人は駆けだした。
まだ明るい街中を滑るように駆ける。報告通り数はかなり多いが、生まれたばかりだろうか? 動きの鈍い個体が多い印象だ。発生地点に向け、目につくものを追って斬っていた。一時はキリがないと思われた数の多さも、三十分程度斬り続けていれば終わりも見えてくる。そして、分かれる前に打ち合わせた発生地点も目前となっていた。そもそもなぜ、こんなに集中して赤光が発生しているのか。一日に封鎖地区内で多くて十体というのが通常の出現数だが、この一角、世七が斬った数だけでも既に二十は超えている。
「……なんだ?」
違和感に思わず世七は零す。赤々と光っているのは全て赤光だと思っていた。しかし、パチパチと爆ぜる音や焦げる匂い、何処かで火が上がっている。しかも、おそらく火元は発生地点と言われる所の間近だ。嫌な予感がして、世七は強く地面を蹴った。
少年の眼前に広がったのは、赤く燃える建物。コンクリート造りの四角い箱は、窓から激しく炎を噴き出している。
辺りを見回し、まだ姉は来ていなさそうだと判断した世七は、燃え盛る建物の周囲を見廻ることにした。迂回して此処まで辿り着いた世七や、現在向かっているはずの紗七はさておき、正面から真っ直ぐに向かっていた理世は既に辿り着いていてもおかしくない。砂利道を踏みしめ、一層強く刀を握りながら歩く。赤光に反応する首元の疼きは、あまりない。近くに赤光は居ないだろうに、それとは別の嫌な予感をひしひしと強く感じていた。
時計回りに建物の周囲を歩き、真北にあたる位置への角を曲がったところで、世七はようやく理世の姿を見つけた。声をかけようと口を開き、そこで彼の動きは止まる。青年の足元にあるものに目が止まったからだ。
「……理世、それ」
ごう、と一層大きく炎が揺れる。赤い火は青年の刀ぬらぬらと、そして地に伏せる者の姿を、赤く照らし出した。この着流しには見覚えがある。思わず、世七は自分の刀を確認した。未だ赤い光の粒は喪われず、刀の形も保たれたまま。しかし、目の前に伏しているのは。
「父さん……? 嘘だろ……?」
少年は、それと青年とを交互に見た。しかし、理世はふいとそれに背を向け世七へ告げる。
「処理班を呼べ。今直ぐに」
「ま、待てよ、まだ」
「死んだ」
最終宣告は為された。端的な言葉に、びくりと世七は体を強ばらせる。
「処理班を呼べ。俺は五代目に連絡――」
不自然に切れた理世の声に視線をやり、世七は息を呑んだ。紗七が到着している。驚愕に見開かれた赤い目が、一心不乱に物言わぬ屍を映していた。自身を蔑ろにし続けた存在の末路に、姉は何を思っているのだろう。想像などできるはずもない。少年の知る限り父は誰よりも強かった。そんな男が、何故、こんな所で――世七の頭の中はそれでいっぱいだったのだから。




