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CIPHER  作者: 川昌 幸(かわうお)
 三、 鍵のないたからばこ
14/19

 屋敷に戻り佐伯に礼を述べ、世七は自室への道を歩いていた。日没まで一時間、ちょうど紗七と、理世が、揃って向かいから歩いてくるのが見えた。本日の仕事に割り当てられている二人は、上下共に黒の袴を着ている。当然ながら鞘は携えていない。


「世七」


 空っぽの二人に対して鞘を佩いている自分が惨めに感じられて、呼びかけられた紗七の声につい俯いてしまう。そんな弟の様子に、ただ柔らかく笑みを浮かべた表情で、紗七は小さく「行ってくるね」と呟いた。


 紗七が、理世と共に去っていく。その状況になんだかひどく焦って、世七は手を伸ばした。遮るもののない廊下だ、すぐに姉の手を掴むことができて、それがとても少年を安心させる。引き留めても、姉は仕事に向かわねばならない。直接見てはいないが、咎めるような視線が刺さるのはきっと周囲からだ。


「りい、少し先に行ってて。大丈夫、すぐに追いつくよ」


 すると、ふわりと手が包まれた。すぐ傍で紗七の声が聴こえ、顔を上げずとも姉が振り向いてくれたのが分かる。理世は短く了承し、先に行くようだ。


「ごめん……呼び止めて」

「ううん。世七、どうした?」


 廊下の真ん中で手を取り合って立ち尽くす世七に、紗七は優しく問いかけた。


「明日、時間あればでいいんだけど、無理にとは言わないし、その、最近ちゃんと話してないなって」


 言い訳のようにつらつらと述べてみる。ようやく世七は顔を上げ、姉を見た。想像通り、優しい表情の姉が居る。紗七はすぐに頷いてくれた。


「私も世七と話したい」

「じゃあ、明日……あと、仕事、気をつけて」

「うん」


 包まれていた手を緩くほどけば、紗七は手を振り、去っていく。まともな話をしたわけでもないのになんだかほっと肩の荷が下りた気がした。そして振り向いたすぐ先に玲紗が居て、ずっと近くにある気配に思わず「うわっ」と声が漏れた。


「兄さん。ちょっと」


 来なさいと言外に語られ、黙って世七は頷く。誘導されるがままに辿り着いたのは、自分の部屋だ。入っても? と律義に言われ、断れる雰囲気は微塵もないためすぐに了承した。世七は外に出かけたままの服装であるが、玲紗に一枚座布団を勧める。少女の眉間に皺が寄っているということは、もしかしなくとも不味いことをやらかしてしまった可能性が多分にあった。刑罰が下されるのを待つ受刑者の気分になりながら、世七が黙って座っていると、玲紗の口が開いた。


「人目がある所でああいうこと、もうしない方が良いと思うわ」


 少女の指す行動が何か分からず、つい首を傾げてしまう。


「ああいうこと……?」

「さっき何をしてたかちょっと振り返ってみたら」

「さっき……」


 素直に世七は自分の行いを振り返った。玲紗が指摘するとするならば、帰宅してからだろうか。佐伯に礼を述べ、まあこれは許容範囲だろうとし、その後。


「紗七を引き留めたこと? 確かに、仕事前にまずかったな」

「んんー……合ってるけど違うわ」


 額に手をやる従妹の姿に、いよいよ分からない世七は「教えてください」と腰を低く乞うことにした。ひとつ咳ばらいをし、周りに気配がないことを確認した玲紗は、じいと世七の目を見据えた。


「その前に確認させて」

「う、うん」

「兄さん、あなた、姉さんとつがいになりたかったの?」


 数刻前に全く同様の言葉を投げかけられた。世七は目をぱちくりとさせ、首を傾げる。


「ね、ねえ。もしかしてその質問流行ってる……?」

「つまり私以外にも訊かれたのね」

「あーうん。佐伯さんに」

「うわっ無理最悪」


 未だに佐伯に対して苦手意識(どちらかと言えばアレルギー反応に近い)を見せる玲紗に、つい世七は苦笑いしてしまう。世七にとってはカッコ良い憧れの大人の男性という佐伯のイメージなのだが、従姉にとってはただの飄々とした気障野郎に成り下がってしまうらしいのだ。嘆かわしいことである。玲紗はひとしきり両手で自分の腕を擦っていたが、気を取り直したのかもう一度話始めた。


「……他には? 誰かに言われた?」

「いや、二人だけ」

「そう。何故そんなことを訊かれたのか、は……その様子じゃ分かってないわよね。それはさておき、さっきの質問の答えは?」

「つがいにってやつ? 思ったことなんてない。考えたことすらないよ」

「……もう一つ確認してもいい? つがいになるってことの意味、分かってる?」


 先ほどとは打って変わって、やや言いづらそうに切り出す玲紗に、世七は彼女の言葉の意味を噛み砕きながら頬を掻いた。


「流石に分かってるよ。夫婦になって、それで……あー……年下の従妹の前であんましたくない話なんだけど」

「そこで言い淀むなら答えとして完璧だわ」


 どうやら合格がもらえる回答だったようだ。この部屋に入ってから咎められようとした行動の中身と、玲紗の質問。両者を照らし合わせた世七は、一つの結論に至った。


「さっき、俺が理世の前で紗七の手を握ったから? 俺がつまり、その、紗七のことが好きでそういうことしてるって思われ兼ねないってこと? いや好きだよ? 紗七のことは好きだけどそういうんじゃなくて」

「落ち着いてってば。大丈夫、よく分かってるわ」

「だって疑ったから訊いたんだろ?」

「確認よ。ずっとあなたたちを見てきたんだから兄さんと姉さんの関係上、男女のではないだろうって多少自信はあったけれど、私は兄さん本人じゃないもの。訊かないと分からないわ」


 至極最もな玲紗の言葉に、世七はぐうと黙る。確かにそうだ。


「でも、なんだってそんな考えになるんだよ。きょうだい同士だし……そりゃあ、距離は近い……んだろうけど」

「そんなの決まってるじゃない、血だのなんだの言う奴らが居るからでしょ。あなた自身が常陸の直系男児であるなら、姉さんは直系の女児だわ。言ってる意味わかる?」


 いきなり凄味を増した少女の気迫に、世七はたじろぐ。しかもよく話の流れが分からなくなってきて、素直に首を横に振った。


「去年、父が六代目を継いだわね。加苅やら高梨が騒いでた理由は?」

「え……っと」

「遠慮なくどうぞ」


 世七が言い淀んだのも瞬時に察せられ先手を打たれてしまえば、もう素直に白状するしかない。じゃあ、と世七は口を開いた。


「俺の父さんが圧倒的に強いし、現場での指示が上手いから、腰巾着の加苅たちが反発した。でも、人材管理や配置とか。あと単純に人望? みたいなのは師範――っと、六代目の方があるだろうし、後方支援の高梨はそっちを推してるから喜んでたみたいだね」


 世七の言葉通り、代替わりというのは得てして周囲の期待と不安、絶望や嫉妬というのを巻き起こす。世治の六代目就任も例外ではなく、勢力を大きく二分させた。玲紗も満足げに頷く。


「その通り。六代目の次は? あなたと理世よ」

「そんな。比べるまでも――」


 言いかけて、世七はようやく理解した。先ほどの玲紗の言葉を思い出したのだ。あなたは、常陸家の直系の男児だ。世七にとっての価値などそれしかないと言っても過言ではないが、それがどれほどの重みを持つのか、世七自身、全く知りませんとは言う気はなかった。周りから見れば、実力のある理世に対するのは、常陸直系の血を明らかに継いでいる、世七なのだ。


「あのね、兄さん。あなたがあんまり理世を得意としてないことは分かる。姉さんのことを何にも代えがたいくらい大事に思ってることも、知ってるわ。でも、此処で拗れてしまったとき、矢面に立たされるのは姉さんになるの」


 玲紗は、懇願するようにつづけた。


「どちらの子だ、なんて言われるの、見たくないわ」


 どうしてそうなるんだ。世七はがんと頭を打たれたような衝撃を感じた。世七は、一ミリたりとも紗七と子を成したいなんて考えたことはない。それはこれからもだ。しかし、周囲は彼らのことなど置き去りにしてそう考える可能性が大いにある。


「それは、俺が。俺たちが、常陸だから……?」


 分かっているくせに、世七は玲紗に答えを求めた。優しい従妹が、静かに頷いてくれるのを、待った。


「残念ながら、あと数年したら私も他人事じゃないわ」


 しかし、玲紗は頷く代わりに別の言葉で答えた。数年後。きっと、彼女自身が刀を生める年齢になったら、という話なのだろう。そして、その時どうなるだろうか。世七は従妹に視線をやった。玲紗のことは勿論嫌いではないが、紗七と同じくらいどうこうなることを想像したこともない相手だ。しかし、きっと数年後、世七につがいとして宛がわれるのはこの少女になる。


「……まさかとは思うけど」

「きっとそのまさかが起こるでしょうね。()()()、常陸だもの」


 そして、その答えに僅かな衝撃と、何処か納得する自分がいた。常陸だから。少年は自分で制御不可能な大きな仕組みの中に閉じ込められていることに気付いてしまった。


「……今夜は赤光が多く出そうだね」


 落ち着かないのは話題だけではなく首元の疼きを感じるからだろう。世七は項に手を当て、ぽつりと呟く。玲紗が小さく同意した。世七のような非番の者が駆り出されるまでは行かずとも、この分では待機班たちは出ているかもしれない。紗七に無事に帰ってきてもらい、明日。どんな話をしようかなと考えながら、世七はその日の夜を過ごした。

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