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CIPHER  作者: 川昌 幸(かわうお)
 三、 鍵のないたからばこ
12/19

 いつだったろうか。未だ漠然と監視者という使命に憧れのみを抱いていた日に、世七は誰かに問いかけたことを思い出していた。刀を生むのは、どんな感じ? その問いに、相手は何と答えていただろう。ぼやけた輪郭が、徐々にはっきりしてくる。小さな鉄格子の中から必死で腕を伸ばしている世七に、冷たく笑う姉の口が開くのが見えた――世七には、一生分からないよ。姉の手を引いて、男が連れていく。鉄格子を越えられず、藻掻きながら叫んだ。待ってくれ!


「――ッッ……はあっ、はあ」


 世七は布団から飛び起きた。まだ気温の高低差が激しい初春の頃というのに、寝間着の浴衣は染みができるほど汗で濡れている。額に手を当て、強く目を閉じた。夢を見ていただけだ。それも、最悪な。長く息を吐き、肺の中の空気を入れ替えて思考をクリアにさせていく。大丈夫、大丈夫、現実ではない。数回とんとんと額を掌で叩き、もう一度、息を吸って、長く吐いた。刀を生めると言われた年齢を迎えて、既に一年が経っていた。



 あの時の衝撃を受けた大人たちの顔は一生忘れないだろう。何せ、散々純粋な常陸と言われていた世七が、常陸として生めるべき刀を現すことができなかったのだから。そんな世七をすぐに労わってくれたのは勿論片割れの紗七だったが、その慰めは素直に受けることができなかった。紗七は刀を生むことができているし、加えて半年前――姉弟が赤光に立ち向かい、謹慎を食らった直後だ――に、姉が理世のつがいになるということを言い渡されたからだ。それまで当然のように、何なら全く他の選択肢を意識することなく、世七は紗七と死ぬまで一緒に居るものだと思っていた。それは浅はかな勘違いに過ぎなかったのだ。幸いだったのは、つがいに据えるとの決定が五代目常陸からされた後、特に婚儀がされるわけでもなく、けったいな()()()()が即始まるというわけでもなかったことだろう。あくまでもそれまで通りの中に、ひとつ、新たな枠組みが設けられた形だった。


 当時の世七にとって一番意外だったのは、彼の父、吠世が世七を咎めることをしなかったことだ。勝手な想像でしかなかったが、常陸としての欠陥品だと、すぐさま罵られるものばかりと思っていた。十五を迎えた二月後半を過ぎ、三月に差し掛かった頃。父は唐突に世七の部屋を訪れ、そして一振の刀を息子へと差し出した。黒い鞘に納められた打刀は、一見すると稽古時に使う真剣のように思える。戸惑う表情を浮かべる世七に、吠世は短く告げた。


「監視者の刀だ。お前が使え」


 その言葉に、世七はより一層困惑した。通常、監視者の刀を生めるのは常陸家の者と、加苅の一部の者のみである。そして、一人一振。父が誰かから奪ってきてしまったのではないかと考えるのが、世七の中では一番この状況を説明づけるのに合理的だった。


「稽古時に貸していただろう。そのまま仕事に使える」

「え……、でも、それじゃあ」

「俺はもう一振りある。分かっているだろうが、本来お前のものじゃない刀だ、自らを傷つけないように」


 言うだけ言って、吠世は世七に刀を押し付け、すぐに部屋を出る。父のことだろう、恐らく独断だと決め打ち、即世七は祖母に相談しに行った。しかし、祖母にはすぐに追い返されてしまう。決して意地悪でされたのではなく、監視者総統はもう六代目に移ったのだ。とするならば、意見を仰ぐのは六代目である世治が妥当だと言われ、世七は委縮しながら以前の執務室をそのまま六代目常陸の部屋として成立させていた叔父の元へと伺った。刀を生めない世七に一番驚愕の色を濃くし、焦りを孕んだのは外ならぬ世治だった。それもあって、世七は第一に相談をする相手に祖母を選んだということもある。結局無駄な徒労に終わってしまったが。


 世七から事情を聴いた叔父は、世七から刀を受け取り唸る。抜身は淡く赤い粒が光っており、間違いなく監視者の刀だろう。暫く考え込んだ後、叔父はゆっくりと口を開いた。


「……吠世に確認しておこう。二本生めたという可能性が一番高いか? 現在の監視者で刀を手放した者がいないかは、念のため調べるよう伝えるが……。世七、これで仕事に出なさい」


 叔父の問いかけに、世七はすぐに頷いた。そのつもりで居たし、そうすべきだと思っていた。このまま自分だけが取り残されていくのだけは、何としても避けたかった。


「では、軽めの任務からこなすよう手配しよう。誰か常陸の者が他に同行できればよいが……そうだな、うちの家内とにするか。娘が大きくなれば任せるんだがな」


 世七を紗七と組ませないようにされたのは、確実に前回の失態を引き摺られている。紗七は世七の言に基本意を唱えることはないし、任務の都合上それが不利益になることでも世七のためなら遂行してしまうだろうと叔父は理解していた。そこまで考慮しながら世七が動くには、父が与えた刀での初仕事という舞台は重荷過ぎる。そして、なぜ世七を理世と組ませないのかも何となく少年には察しがついた。明確な比較を避けるために違いない。手合わせにおいて、成長を重ねた世七は紗七に八割は勝つ。しかし、短い期間ではあったが、理世と稽古を共にした二年間、彼が理世に勝てたことは一度もなかった。そして、現場に出た理世と、刀を生めない世七。とても実力の差が縮まったとは思えない。六代目が据えられ、次の常陸はどちらなのだと周りは騒がしい。当の世七を置き去りにして、勢力が大きく二つに分断され始めていた。



 そんな状況が一年と続き、今。十六を迎えても尚刀を生むことができない世七は、鞘に納められた一振りを携えて過ごしている。監視者の者たちは、赤光を斬るその場で刀を生む。そのため、鞘など必要がない。いつか理世を赤光くずれと揶揄していた者たちが、今度は陰で世七を「鞘持ち」と謗るようになったことも、この一年で嫌というほど思い知った。仕事に関して、世七は何の問題もない。赤光がどの辺りで出現したかの感知は得意だし、素早く駆けて複数体斬り払うことは日常茶飯事だ。しかし、生めない。自分の刀という基本的な常陸としてのアイデンティティを、いつまで経っても得ることができないままだった。


「よう、坊主。なんだ、シケた面してんな」


 春が近づき、日も長くなってきた日中。世七に声をかけたのは、佐伯だった。相変わらず年齢不詳のこの政府役人は、世七と同じだけ年を重ねたはずなのにほとんど外見が変わっていないように見える。


「俺とドライブに洒落込むか? 今日は仕事無いんだろ」


 タイトなスーツを着こなした彼は、いつかのように人差し指で車のキーを遊ばせて、彼を誘った。気持ちがささくれ立っている少年は、可愛げもなく「政府の人って常陸のメンタルケアも仕事なの」と問いかける。


「ガキの頃から知ってる奴がしょぼくれてるからな。行くのか? 行かねえの?」


 しかし、からっと笑われてしまった。何かの行動をとるのは正直億劫でもあったが今はこの虫篭から出ていきたくて、世七は了承した。


 日中だが赤光が出る可能性があることなど嫌というほど知っているため、世七は刀をケースに入れ、背負って行く。暗黙の了解で、洋服にも着替えた。昔は姉と共に後部座席ではしゃいでいた少年は、この日はひとり助手席で黙ったままぼんやりと窓の外を眺めていた。佐伯は目的地を告げることなく、世七も特に訊くことはない。零区の出入り口を過ぎ、サイドミラー越しに遠ざかるフェンスで囲まれた区域は、この日、とても小さく窮屈に見えた。


「なあ。窓開けて吸ってもいいか?」


 隣から声がかかり、世七は右を見た。シフトレバーを操作していた佐伯の手が、とんとんと小さな箱を叩いた。煙草だ。流石に知識としては知っている。世七が了承すると、窓を開けた佐伯は箱から一本咥えて取り出し、シガーソケットで火をつけた。


「俺は構わないけど、これ政府の車じゃないの?」

「公用車っつーことはイコール俺の車だ」


 適当なことを言いながら、佐伯が紫煙を吐き出す。窓を開けてはいるが、少なからず世七の方へと漂うそれから甘い香りがして、ふと世七は遠い日の記憶を引っ張り出した。


「これ、煙草の匂いか」

「ん?」

「いや、前も嗅いだことがあったなって」


 嗅覚は記憶に結び付きやすいらしい。しかしもう何年も昔の話だ、いつどこで嗅いだかなど覚えていなかった。


「お前ガキの癖にこんなもん吸ってんのか。悪い奴だな」

「吸ってない。こんなもんって、遼ちゃんだって吸ってんじゃん」

「俺は大人ですし」

「マジで幾つなの、実際のところ」

「おお? 年齢を訊くのは――」

「マナー違反、でしょ。はいはい」


 くつくつと笑う声が隣から聞こえ、つい世七も笑みが漏れた。車内は煙たいし、窓からまだまだ冷たい空気がガンガン流れ込んでくる。それでも、あの家にいるより、ずっと呼吸がしやすかった。


「どうして俺は生めないんだろう」


 ほとんど独り言のそれは、窓の外へ流れる景色と共に消えていく。さてなあ、と、のんびりとした佐伯の声が響いた。



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