8月22日 コボルトの集落
青空を仰ぐ。鳶が旋回している。雲ひとつない。
本当は少し雨が降ってくれると助かるのだけど。
トニは今朝から、屋根の修理に駆り出されている。
コボルトは皆背が低いため、単純に背の高い彼は重宝されていた。
軍人らしいが、建築や薬学などにも深い知識を持っているようだ。
コボルトの建築技術に興味を持ったらしく、職人を質問攻めにしたりする。
素直で、好奇心が強く、貪欲。そして何より頭がいい。
一方ジャン。こちらは根っからの軍人なのだろう。
若者を集めて武術の稽古をつけたり、時には軍学や兵器に付いての講義もしている。
こちらも冗談交じりに「師匠」などと呼ばれてなかなか楽しんでいる様子だ。
実直、堅実。しかし人当たりが良く、教えるのもうまい。
隊長だというが、さぞ信頼されている事だろう。
そして、彼に率いられる部隊は、恐ろしく強いはずだ。
天は、なにかの意図を持ってあのふたりをここに遣わされたのだろうか。
普段人間と接することのないコボルト達。
当初二人を客人扱いする事への反発も多少あった。
若い兵長などは、顔を真っ赤にして怒ったものだ。
しかし二人の人柄を見るに連れ、そういった言は消えていった。
さて、どうするか。もはや二人をとどめておく理由は無いが。
集落の中央近くの広場。木々に陽光が踊る。軽やかな空気の中子供達がはしゃぐ。
「ドメキア様・・・ちょっといい?」
コビが小さな子たちとの鬼ごっこを抜けて、こちらに寄ってきた。
今年8歳になる子。抜群に利発な子で、剣も良く使う。
ちょっと思いつめたような表情で言葉を探している。
言いにくい事なのだろう。
急かさないよう、じっと待つ。
「・・・・あのね、ドメキアさま」
「なあに?」
「あの人たち・・・ジャンとトニはきっと、どこかへ行く途中なんだよね。
ボク、あの人たちについていきたい。
人間の世界を見てみたいんだ。」
驚いた。この子がこんなに積極的に・・・
「それは・・・危険なことだと思います。
全ての人間があの二人のように優しく賢いわけではありません。
あなたも歴史を勉強したでしょう?」
「わかってるけど。
でもこのまま、この集落にずっといるのは・・・
ボクたちは別に悪いことはしてないでしょ?
こそこそ隠れるのは嫌だ。」
当たり前だ。
若いし、この子は賢い。
できるだけ、色々なものを見たほうが良いし、こんな危険な森の近くに住まずに済むのなら、そのほうが良いに決まっている。
「よくわかります。あなたは賢いですね。でも少し考えさせてください。
他の長老にも相談したいし・・・・やっぱり、危険なのよ。
あなたにとっても、他の住人にとっても。」
「でも・・・・」
「わかってください。必ず検討します。信じて、コビ。」
「はい・・・・じゃあ・・もどります。」
悲しそうな顔。
こっちまで悲しくなる気持ちを抑え、無理矢理に微笑んでうなずく。
そうだ。
「ちょっと待って、コビ。」
コビが振り返る。
「あなたに謝らなければならないわね。
あなたがあの二人を信じてここに連れてきたのは、正しかったわ。
あんないい人たちはいない。
あの時は大人達にあの二人を受け入れる余裕や、人を見る目がなかったのね。
あなたにも辛い思いをさせた。ごめんなさい。」
コビは笑って首を振り、子供達の輪に戻って行った。
ふたりとは、牢での会話以降も夜な夜な語り合った。
いまのオルドナ、昔のオルドナ。
そして周辺国。
コボルトの歴史、巨人戦争後の世界。
二人とも、オルドナという国が全てだとは思っていないことが分かった。
それどころか、オルドナ軍のやり方に対して、疑問を持っている。
いままでもきっと二人で語り合ってきたのだろう。
そこかしこに二人の共通認識のようなものが見て取れた。
そして、良い国とはどんな物か、国と国はどうつながっていくべきか。
そんな事まで話に上った。
ジャンが言った言葉。
「あんまりかわらないよな。コボルトも人間も。」
コボルトと人間がともに暮らせるというのか。
それは、到底実現しえない夢のようなものではなかったろうか。
彼らが語った国々の繋がりに、この集落も入れてもらえるだろうか?
いや、それならばこんな所に隠遁せず、もっと人間の近くで暮らすことも許されるのだろうか?
それは、いままで数を減らし続けてきたコボルトの未来を、大きく拓くのではないか。
私には、そう思えてならない。
そして、コビ。彼は将来かならず族長になれる人材。新しい未来を後の世代に託すのであれば、あの子がその中心になる。
奇しくも、トニとジャンとコビ、この3人が出会った。
あのふたりと共に人間の世界を見て回る事は、コビにとってこの上ない経験になる。
コボルトの寿命は、人間の半分程度。私は四十を少し過ぎ、既に老齢の域に入っている。
生きている間に一族の為になにが残せるか。
長らく燻っていたその思いが、彼らが現れた事で現実的な形になった。
実はふたりには、魔法などかけてはいない。
あの時使ったのは、薬草を燻した少し眠くなる煙。
魔法の光に見せたのはヒカリゴケの粉。
もともとコボルトは魔法を全く使えない。
ふたりがおかしな気を起こさないように演技をしたが、あのふたりにはそんなことは不要だった。
ジャンはどうかわからないが、トニは最初から全て見抜いているように思う。
それでもその演技に騙された振りをして、ここに留まってくれている。
もはや、あのふたりを疑う気持ちなど微塵もない。
明日、ふたりにコビの事を頼んでみよう。
そう決心して今一度晴天を仰ぐ。抜けるような空。
子供のころに聞いた古い詩が思い出されそうになったが、甲高い鳶の一声で空に溶けてしまった。