8月5日 魔法都市ペ・ロウ
しばらく雨が降っていないのだろう。石畳には砂埃が積もっている。
ここはペ・ロウの街。
魔法都市で有名だが、巨大な建造物が並ぶ荘厳な街並みは中心部だけで、庶民の住むこの辺りは他とさほど変わらない。どこにでもある活気のある街だった。
建物は様々。レンガ、石壁、塗り壁・・・
統一感のない町並みが、独特の、ごちゃついた雰囲気を醸し出している。
中央通りから一本入った路地。ユリースはキョロキョロと辺りを見回し、あの修道女-マイが教えてくれた酒場を探す。
ペ・ロウで一番大きなその酒場は、この近辺の情報交換の場で、様々な商談の場所にもなっているし、魔物退治の依頼や商隊の護衛などの仕事紹介屋にもなっているらしい。
ユリースは、つまりここに仕事を探しに来たのだった。
別にそのまま修道院にいることはできたのだが・・・
ただ世話になっているのがユリースにはどうにも心苦しかった。
修道院を出たのは2日前。さびれた街道を歩いて南下し、1日半でこの街に辿り着いた。
まだ日暮れまでは時間があるがすでに夕刻、もう酒場にも人が集まり始める頃。
混み始める前に行け、とマイに指示されていたので、急がなければならない。
「魔力の杯亭」入口。
古びた、異様に分厚く重い木彫りの扉を押し開ける。
生ぬるい空気が吹き出し、ユリースの白い前髪を持ち上げる。
客はもう20人程いる。時間など関係なく飲んでいるのだろうか。
意外とうるさくはないが、酒場独特の喧噪。
酒と香辛料の匂い。
空腹と喉の渇きを覚えながら、店の人間を探す。
カウンターの向こうに小柄なヒゲ男。
銅のグラスを磨きながら、調理場の大男をどやしつけている。
給仕の女達のふるまいと会話から、この男が店主だろうとユリースは当たりを付けた。
が、何から話したものか全くわからない。
ヒゲの小男が気づく。
「どしたい姉ちゃん?誰かの娘か?お迎えか?」
独特の高い声。そして早口。
「いや、あの・・・・仕事・・が欲しいんだけど」
「あー?ん~いまウチは手が足りてるんだよな。悪いな。他を当たってくれ。
あー、研究院で雑用係をさがしてたぞ。」
グラスを拭く手を休めもせずに、早口でまくし立てる。
「いや、もっと身入りのいい・・・こういうのは?」
貼り紙には山賊退治の募集。報酬として、半年は暮らせる額が書いてある。
「山賊退治か??ハッハッハ!!!!
向こうさんも攫ってくる手間が省けたって大喜びだな!!」
カウンターでやりとり聞いていた一番近くの男たちがユリースを冷やかし、大笑いする。
しかし店主は笑っていない。
「冷やかしはいけねえよ。お嬢ちゃん見ねえ顔だが、ウデに覚えがあるわけじゃないだろう?
こっちも商売なんでね。返り討ちに合うのがわかってて前金なんぞ払えねんだ。」
「前金もって逃げられてもつまらねえしな。」
横からあばた面の男が口を挟む。
「冷やかしじゃないよ。生け捕りにしてくれば良いのなら自信はある。
何をすれば受けさせてもらえるの?」
ユリースは少しむっとした様子で語気を強めた。
これには店主もさすがに少しカチンと来た様子。
「あ?ふざけんなよ?殺すんじゃなくて生け捕りのほうが何倍も難しいのわかってんのか?
わかったよ、そこまで言うなら・・
そうだな、おいクラウ!!」
「あ?」
奥にいた大男がこちらを向く。
「お嬢ちゃんよ、こいつに1発でも当てる事がもしできるなら、受けさせてやってもいいぜ。
まあ、出来そうにないなら今のうちに謝っちまいな。」
「力くらべだと厳しいかも知れないけど・・・戦えない状態にすればいいなら簡単だよ。」
ユリースがこともなげに言う。
「オイオイ本気かよ!」
周りに集まってきた男ども、爆笑。
「色仕掛けならクラウには効かねえぜ?なんつってもこいつは男しか受け付けねえからな!」
また爆笑。
「うるせえよてめえら。おい小娘よ?俺に勝てるって?」
奥にいた大男がこちらに向かってくる。
「負けることは・・たぶんない。」
「・・わかったよ。ちょっと相手してやる。おいてめーら場所を開けやがれ!」
すぐさまテーブルと椅子が端に寄せられた。
店内にいた客のほとんどが立ち上がり、ニヤニヤしながら成り行きを見守っている。
「俺に恥をかかせたんだからな。女とは言え多少の怪我くらいは覚悟しろよ?」
クラウが腰を低くし構える。
ユリースは構えない。
牽制のためにクラウが緩めに拳を出す。
当てる気はない、単なる牽制。
(甘い)
ユリースが手でその拳を取る。
そのまま体をひねって飛び、両足を大男の腕に絡みつけて腕を極めようとする。
--速い--
クラウは慌て、振りほどこうと腕を床に叩きつける。
ユリースはすかさず体を離して回避。
クラウの腕が床を叩く。
そして間髪入れずにユリースががら空きになったクラウの顎に向けて軽く素早い蹴りを見舞う。
当たった。
軽い蹴りとはいえ急所。頭が激しく揺れ、体が痺れる。
ユリースはゆっくりと左腕をとり、関節を極める。
同時に首を圧迫し、動きを完全に封じてしまった。
「アガ・・・」
大男、クラウは意識を失いかけている。
何が起こったかも分からないようだった。
全員が静まり返る。
それもそのはず、ここにいる全員、クラウには一撃たりとも当てることが出来ないのだから。
「これでいい?」
ユリースはクラウを解放し、ヒザの埃を払いながら涼しい顔で立ち上がる。
クラウが激しく咳こんだ。
「ごめん、ちょっとやり過ぎたかな?」
「・・・・・信じられねえ。あんた何者だ?」
クラウがまだ痺れる頭を振りながら立ち上がる。
店主も野次馬もまだ夢でも見ているような顔をしている。
「すげえ」
「クラウのやつ手加減じゃねえのか?」
ざわつきが広がる。
ユリースが答える。
「何者か・・・っていうのはちょっと思い出せなくて。
だけど、とりあえず生きていかなければならないので、仕事がほしいって思って・・・」
そう言って店主のほうを見る。
「訳ありか・・・わかった!
まずはあんたのその強さを信用しよう。
この山賊退治、任せてみるよ。ただし、あんたひとりでは行かせねえ。
おいクラウ、お前何人か見繕ってついて行け!」
店主がいきなり仕切りだした。
「俺が??なんでだよ!!」
「おめえこないだ喧嘩してうちのテーブルをたたき割りやがったよな?
その貸しを返してもらおうってんだ!
いいから黙ってこのお嬢さんの力になって差し上げやがれ!」
「てめえ・・・まさか・・・年甲斐もなくこの娘にのぼせやがったか・・・」
男ども、爆笑。
「うるせえ!黙って言う通りにしやがれってんだ!
ほら、あんた!今日は前祝いだ!奢るから好きなだけ飲んでけ!」
「あ・・どうも・・・あ、ありがとう」
そのあとはユリースを交えての宴会になった。
皆クラウの無様な負けっぷりの話題で持ちきりだ。
クラウは最初こそ憮然としていたが、機嫌を直した後はユリースを質問攻めにし、どんな風に動いたかを事細かに聞き出し、自分の軽率な動きを反省し、納得すると机に突っ伏して大いびきをかき始めた。
あっけらかんとした豪快さと勉強熱心で細やかな所が同居してる、面白い人間。
ユリースはクラウに安心感と興味を覚えていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
深夜、酒場の二階。下の喧騒はまだ続いている。
店主の計らいで酒場の二階の狭い部屋を貸してもらった。
しばらく居てもよいらしい。
仕事は早速明日から。
何度も勧められたが、結局酒は飲まなかった。
特に必要と感じないし、いざというときに体の動きが鈍るのは避けたい。
ミトラ修道院で2週間ほど過ごしたあたりで、ユリースの体はようやく痛みなく動くようになった。
そして体が動くにつれ、わかって来たことが2つ。
1つは、自らの戦闘能力が異常に高い事。
治療の一環で武器を振ることを勧められたのだが、持った瞬間になぜか使い方がわかる。
武器はなんでも構わない。槍、シミター、レイピア、メイス、そして盾。
もちろん武器無しでも相当戦える。
自衛のための厳しい訓練を受けたはずの修道院の僧たちが5人全員でかかっても、ユリースは危なげなく全ての攻撃を受け、かわし、数秒で全員の武器を奪う事が出来た。
そしてもう1つは、修道院に運ばれる前は、どうやら酷いものしか食べていなかったらしい、という事。
発見された当初痩せて乾き黒ずんでいた肌が、修道院で暮らすうちにずいぶんとハリを取り戻し、ユリースは歳相応の健康美を取り戻していた--とはいっても自分の歳がはっきりわかるわけではないが--。
白い髪は汚れ、もつれて絡まっており、一度はかなり短く切らなければならなかったが、いまは耳が隠れる程度まで伸びていた。
なぜそんな危険な状態で浜辺に倒れていたのか。記憶は結局全然戻らない。
近頃ではもうあきらめてしまい、思い出そうと試すこともなくなった。
修道院の人たちには良くしてもらった。
そして、ここの人たちも良くしてくれる。
毛布があり、食べ物があり、明日からは仕事もある。
自分がなんなのかわからない、そんな不安がずいぶんまぎれる。
(よし、大丈夫。寝よう。)
ユリースは大きく息を吐き、毛布の中で丸くなった。