8月4日 炎の森
新月。遠く闇の中に朱色の火柱が踊る。
とにかく暑い。
真っ黒な地面に時折温度が高いところがあり、そこだけが鈍く赤く光っている。
黒と朱色だけの世界はちょうど熾火のかまどの中のようだが、外から眺めるのと自分がその中にいるのでは全然話が違う。
「まだかな・・・?」
金髪を短く刈り込んだ青年、ジャンは足を止めずに首だけを後ろに向け、幼馴染みのトニ -長身で栗色の髪の優男- に話しかける。
ジャンは自分の身長よりも長い筒状の荷物を持っている。
「もう少しで一番危険な所は抜けられると思うよ。方向も間違ってないと思う。
それより、前向いて!危ないよ。」
トニもなかなかの大荷物。旅の荷物と思しき大きなずた袋を背負っている。
トニの言うとおり、ここはよそ見をしながら歩くには危険な場所だった。
炎の森。
オルドナの首都ビルトからみて北西に位置する魔境。
数十年前は深い森だったこの一帯だが、ある時期を境に突然そこかしこから溶岩が吹き出した。
今では木々は殆ど焼け落ち、生き物達も多くは死に、生き残った者もかなりの数逃げ出していた。
現在では溶岩はほとんどが固まっているが、いまだに高温になっているところも多いし、時にはたまった熱気がドロドロに溶けた岩石と一緒に噴き出す。
油断をすると大火傷を負うし、下手に踏み込むと命にかかわるような天然の罠もそこかしこにある。
それに、常に蒸気が霧を発生させ視界を奪う。溶岩のせいで磁石も用をなさないため、方向の把握も難しい。
ここは、東アストニア地方の中でも最も死の匂いが濃い場所の一つだった。
そして二人はそんな場所を、もうかなりの時間歩き続けている。
「こんな道しか無かったのかよ。王の使者なのに。」
ジャンが情けない声を出す。
「仕方ないよ。使者と言ってもあくまで密使だし・・・
トラギアに行くには普通西のメルケルか南のマリーアス領を通らなければならないけど、僕らオルドナは彼らに随分嫌われているらしいから・・・。
炎の森を抜けてこっそり海沿いを抜けるしか道がないんだよ。」
「そうだな、最近の軍のやり方はえげつないし・・・・。
でもさ、炎の森を抜けたって、そこに見張りでも居たらオワリなんじゃないのか?」
「大丈夫、メルケルはそんな所にまで見張りを置く余裕は無いはずだよ。」
「そっか。まあ、お前がそう言うなら信じるけど・・・しっかし重たいな・・・いったい何が入ってるんだろうな。」
「開けてみるわけにはいかないよね。王様にもお父上にもきつく止められてるし。」
ジャンの父親は、最近オルドナの大将軍に就任したメディティス卿だった。
今回の任務は王と大将軍直々に命じられたもので、来年建国千年を迎えるトラギア王国の王さまに、千年紀のお祝いと手紙を送るという大仕事だった。
ただしあからさまに使者を送ることは、マリーアス、メルケルを刺激する事になる。
トラギアはオルドナと敵対する2国の背後にある国。
もちろんトラギアにとってもこの2国は重要な隣人で、むしろオルドナとは歴史的に関係が薄い。
つまりオルドナと表立って親交を深める事は、トラギアにとって全く利点がない。
オルドナ王はトラギア対しては敵対の意思がない事を示したい。
しかしトラギアと周辺国との関係に悪影響を与えるのは本意ではない。
そこで今回は極秘で贈り物だけを行う事になったのだと言う。
ジャンとトニは、オルドナ軍に属している。
ジャンはオルドナの誇る特殊攻撃隊の中隊長。
トニは王族や貴族、重臣の警護を担当する近衛隊。
どちらも精鋭部隊で、19歳という年齢にしては異例の抜擢だった。
今回もその能力を買われての重要任務だ。
千年紀の祭りはまだ少し先なので、特に急ぐ旅ではない。
ただ、敵国メルケルの人間に捕らえられる、贈り物の中身を見られる、奪われる・・・
そういった事だけは無いようにと、厳命を受けている。
「まあそうだけど・・・そう言われると逆に気になるよな。やけに重たいし・・・宝剣かな?」
「そうかもね。贈り物に良くあるのは・・・宝弓とか?そんなものかな。
あれ、この辺はちょっと涼しいね。」
少し窪地になっているので冷気がたまるのだろうか。確かにこの辺りは他より少し涼しい。周囲に熱い溶岩も無さそうだ。
いまはひたすら北西に向かっているはず。森を抜けるには少なくともあとまる1日はかかる。
トニとジャンは、このあたりで仮眠をとることにした。
携帯していた水を飲みながら、少しでも平らな所を探す。
植物があまり生えていないので、寝心地のいいベッドは用意できそうになかった。
比較的柔らかい砂地を見つけ、腰を下ろす。
「ちょっと疲れたね。夜明けまで寝られるかな。」
「そうだな、ここは昼でも夜でもどうせ暑いし、ここで誰に見つかることもないだろ。」
言いながらもジャンの目はすでにとろんとしている。
「結界頼むよ・・・」
言いながら早くも横になる。
「わかったよ・・・はやいなあ。」
トニは印を切って周囲の木々や地面に向かって淡い光を放つ。
初級の精霊魔法で、光に何かが触れると術者にわかるようになっている。
結界というほどのシロモノではないが、野営の時の結界と言えばこれの事だった。
ちなみにジャンは魔法は全くダメ。
トニも決して得意ではないが、ごく初級の精霊魔法のみ使うことができた。
結界を張り終わる。結界内に何かが入ってきたら、トニだけが気付ける。
見るとジャンはすでに寝息を立てている。
ちょっとあきれたような顔をして、トニも横になった。
--最近の軍のやり方はえげつないし--
さっきのジャンの言葉。
トニもそれは感じていた。
もともと軍事大国で知られ隣国との戦争を繰り返してきたオルドナだが、ちょっと前から戦に魔物を使うようになった。
それでソラスとマリーアスにあっさりと勝利し、南方に版図を広げた。
当然隣国からは大きな非難を受けている。
ジャンはソラス、マリーアスとの戦に従軍しており、その卑劣なやり方を間近で見ている。
メディティス大将軍の人柄も知っていたが、もともとそのようなやり方を好む人ではない。
どちらかというと堅実な、生粋の軍人だった。
王も、気性は激しいが正義感の強い人だったように、トニは記憶していた。
最も、直接会ったのはかなり前になるが・・・
しかしそれがなぜ突然こんなことを始めたのか。
そして他国にこんなに嫌われてまで、いま領土を拡大する意味は?
軍や国全体が、なんとなくおかしい。
裏に誰かいる?王がご乱心?
そんな噂が絶えない。
この贈り物にも何か裏があるのか・・・?
荷物の中身を確認してみたいが、任務は任務。
軍人はただ命に従うのみ。それでいい。
そんなことを考えながら、トニもようやくうとうとし始めた。
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チリチリと、指先を不快感が襲う。
トニは飛び起きた。すぐにジャンも飛び起きて剣を抜く。
(さすが)
一瞬お互いに顔を見合わせ、周囲を見回す。
すでに夜明けが近く、東の空が白んでいる。
ガサッ
岩陰に何かいる。
「誰かいるのか?」
ジャンが緊張した声をかける。
おずおずと木陰から出てくる小さな影。
「コボルト?」
トニが驚きの声を上げる。
古来この地方に住んでいたという亜人で、人間よりもずっと背が低く寸胴。
髪は生えているが髭は生えない。
山中で暮らし、木の実や小動物、虫を食べて生きる、おとなしい種族。
しかしこの大陸では姿を見なくなって久しい。
トニもジャンも、伝説のようなものだと思っていた。それが今目の前にいる。
ジャンが剣を下ろす。
「俺たちはオルドナの者だ。たまたま通っただけで別に害意はない。俺たちに何か用か?」
そもそも言葉が通じるのかわからないが、とにかく話しかけてみる。
ジャンには珍しく、優しそうな声。トニはちょっと笑いそうになる。
「ボクも通りかかっただけ・・・木の実、取りに・・・」
少し訛ってはいるが、しっかりした回答が返ってきた。まだ子供なのかもしれない。
「このあたりに住んでるの?」
トニが興味深々に聞くが、コボルトは答えようとしない。
おそらく、住処を人間に知らせる事は禁じられているのだろう。
だが、彼がかなりの軽装であること、子供が一人であることから、住居はかなり近くだろうとトニは推測していた。
なにかする必要があるか。このまま離れるか。
しばし逡巡した、その時。
ゴウン・・・
ゴウン・・・
突然地鳴りが響く。
「なんだよ・・・地震か?」
ジャンが剣を構え警戒する。
「わからない・・・・君は?」
コボルトも黙って首を振り、恐る恐る辺りを見回す。
ゴゴゴゴゴ・・・・
ぱちん、と雷のようなものが走る。
ゴン、と南の丘が弾けた。
真っ赤な溶岩が吹き出す。
「溶岩だ!」
トニが叫ぶ。
溶岩は赤黒い水のようになめらかに丘を下ってくる。ここは窪地。
「まずい!走れ!」
ジャンが北側の斜面を登りはじめる。
宝剣はしっかり背負っている。
トニも手近な荷物だけ抱えて走る。
コボルトも必死で登るが--遅い!
どうする・・・・
トニとジャンは顔を見合わせ、同時にうなずく。
トニはおもむろに荷物を捨て去り斜面を下る。
そして脇にコボルトの子供を抱え上げて登ってきた。
溶岩は大量だった。すでに下の窪地にまで達し、渦を巻き、どんどんせりあがってくる。
熱気、霧。
もう二人とも息が上がっている。
鬱蒼と茂った下草が邪魔でなかなか登れない。
後ろでは木々が焼け落ちる激しい音。
熱い。息ができない。
「うおおおお!」
ジャンが叫びながら草をかき分けて進む。トニも必死で追いかける。
しばし登ってから下を見ると、溶岩は東に向かって逸れ、流れていた。
「ぜえ・・・ぜえ・・・」
大きく息をつく。トニがコボルトを降ろす。
彼はおびえた様子で溶岩を見つめる。
「あり・・がとう」
コボルトはしっかり二人のほうを向き、礼を言った。
「怪我はない?良かった無事で。」
「危なかった・・・こんなこと良くあるのか?」ジャンがコボルトに尋ねる。
「噴火は時々。でも溶岩があんなに出ることはない。それよりあの・・・荷物・・・」
「ん?ああ・・・困ったな。水も食料も・・・野営道具も全部燃えちゃったね。路銀だけは腰袋に入れてたから無事だけど。」
「一応こっちは無事だったぜ。よっぽど捨てようかとも思ったけどな!」
ジャンは背中の大荷物を叩きながら笑う。
「ごめんなさい。ありがとう。僕はコビ。コボルトの・・・子供。」
もう一度礼を言い、しばらく考えてからコビは一人うなずく。
「もしよかったら、ボクらの集落に来てほしい。お礼をしたいし、失くしたものを返したい。」
ジャンとトニは顔を見合わせる。
期待に満ち溢れたトニの顔を見て、ジャンは軽くため息をつく。
断ったら一生恨まれそうだし、そもそも荷物をなくしては旅が続けられない。
「そうさせてもらうよ。」
コビは二人を斜面のさらに上にいざなう。
子供だと言ったが、なかなかしっかりしている。
コボルトというのはこういうものなのだろうか。
登るにつれて溶岩の熱が去り、涼しい風が吹いてくる。
潮の匂い。海が近いのか。
思ったよりもずっと北に来ていたらしい。
面白い旅になりそうだ--
疲れは溜まっていたが、若い二人の足取りは先刻までよりずっと軽やかだった。





