7月4日 トケイト丘陵
少し蒸し暑くなってきた。
雨季もそろそろ終わって、これからは風が弱くなる。
この国では乾季は農繁期になる。その前に戦を終わらせなければならない。
我がマリーアス王国の兵士・・・特に歩兵には職業軍人が少なく、普段農民である者が多いからだ。
ここしばらくおとなしかったオルドナが、突然隣国ソラスに侵攻したのがふた月前。
そしてあっさりとこれを滅ぼしたのがひと月前。
さらに息つく間もなく我が国マリーアスに越境して来たのが三日前。
兵数は七千程度。攻城兵器は持ってきていないようだ。
まったく甘く見られたものだ。それくらい送り込んでおけば砦のひとつくらいは落とせると思ったか。
ソラスごとき小国を滅ぼした事で、自らの力を過信したのだろう。
「ジャジール様、右の森、伏兵は無いようです。」
斥候が報告する。この斥候はまだ若いが信頼できる。
適度に慎重でかつ機転がきく。武勇もあるようだし、目も耳も良い。
そろそろ名前を覚えてやらねばなるまい。この戦が終わったら呼び出してみよう。
もしその気が有れば、中隊長くらいには採りたててやっても良いかもしれない。
「良し、頃合だな・・・。騎乗せよ!」
騎馬隊に伝える。
砦前面に拡がるこの台地に陣を敷いて4日目。これまで小競り合い程度にしかぶつかっておらず、そろそろ兵も惓んでくる頃だ。
これ以上待つと、訓練された兵でもそこかしこに緩みが出てくる。
砦には守兵1200。
前面に展開する兵は歩兵弓兵併せて3500、騎兵は1200。
数でこそ劣るが、兵の質、地の利を考えるとこちらが優位ないくさだった。
伝令と旗で作戦の開始を伝える。
優位とて抜かりはない。最小限の被害で敵を撤退に追い込むために策を練り、それを各隊に細かく伝えてある。
合図を受けて歩兵1000が正面から突撃する。
ぶるりと、体が震える。
老骨とて血は沸くのだ。
弓の射程に入るところで盾を出し、弓を嫌がるように左前方向に進路を変えて駆けさせる。
相手側の右陣は、明らかに構えが弱く訓練されていない。
恐らくソラス占領後に徴発された兵だろう。そこを突く構えを見せる。
弱点を見抜かれたのならば通常は増援を送って囲む。放置は出来ない。
そして少しのズレが敵陣の別の場所に隙を作る。
よく練られた、いい動きだ。後で歩兵隊長どもを褒めてやらねば。
「第二大隊を。」
旗が振られる。右の丘から歩兵の大隊1000が、敵の中央大隊の横腹めがけて逆落としに突撃する。
同時に、先程まで歩兵が居た丘の上に、直属の精鋭騎馬隊400を動かす。
自分もその騎馬隊と共に丘に登る。
いま中央の本陣に残っているのは重装の歩兵、弓兵あわせて1300と騎馬の残り800のみ。
しかし、軍旗を多めに立てており、傍目には先ほどと比べて兵力が変わったように見えない。
そして第二大隊の突撃による砂埃は、丘に登る騎馬隊400の姿を完全に隠していた。
敵からは見えない精鋭騎馬400。これがこの戦の切り札だ。
次は本陣の重装歩兵を正面から突撃させる。
重たい一撃。敵の注意はまた正面に向いた。
連続した攻撃に敵が浮き足立つのがわかる。
騎馬400は丘の稜線に隠れ右前の森--敵の斜め後ろ--に向かって降りる。
騎馬が通り過ぎたのを見計らい、第二大隊は押し返されたように丘に戻る。敵が追い討ちをかける。
これもまた、騎馬隊を隠すための動き。
敵将はメディティスというらしい。聞いたことのない名前だが歳は40を過ぎていると言う。
ここまでの戦いを見る限り堅実かつ慎重な印象で、少なくとも虚実を弄するようには見えなかった。
それに、向こうはどうやら傭兵や新兵が多いらしく、組織的な戦闘ができる印象もない。
ソラスの攻城戦の情報は不思議とあまり入ってきていないが、この程度の軍に滅ぼされるとは、まったくもって情けない。
「戦は騙し合いと兵の質が決めるのだよ。」
ひとりごちて自らの騎馬隊を見渡す。
兵の質、馬の質、命令への反応。どれを取っても大陸随一と呼ばれるまでに育て上げた。
このジャジールの騎馬隊であれば、一撃で敵本陣に届く。
「行こう。今日で終わらせる。」
森を出る。気付かれずに敵の背後をとった。
自らが先頭に立って敵陣後方から突撃する。
すでに齢50を過ぎたが、国では今なお武勇で後れを取ることはない。
湿った風をきって駆ける。本陣を見つけた。
敵兵の表情が見える。将の姿を探すが、すぐには見つからない。
伝令が走っている。兵達はこちらの突撃に気付いても落ち着いているようだった。
普通このジャジールの騎馬隊に相対しただけで浮き足立つものだが。なんだこの敵は・・・
傭兵のようないでたちに見えるが、実は余程訓練された精鋭なのか
--いや、待て。まさか--
「止まれっ!罠だ!」
その時、地面が揺れた。
一段目の馬が突然恐慌状態に陥り、何頭かが棹立ちになる。
いきなり転んで頭から地面に突っ込む馬も居る。
落馬する者も多く、そこに後続の騎馬が突っ込んで取り返しのつかない混乱が起こっている。
ジャジールの馬も突然歩を止めた。流石に訓練された良い馬で、無闇に暴れるような事は無かったが、やけに足元を気にしている。
なんだ?地面。
「魔物...?」
地を蠢く、土くれのような塊。なんとかという、精霊と魔物の中間のようなやつだ。
それが、馬の脚に絡みついている。見るとそこら中にいる。
敵陣を見やる。弓隊が突出してきた。
「なんだと!?」
こんな場所に弓隊を隠していた。そして、魔物がここに居ると知っていた?
いや違う。そもそもこの魔物が自分の意思で馬の脚を止めるなどあり得ないのだ。
こいつは普段から土の中にいる。人間や他の動物を害することなどない。
ただ土塊を食って生きる、おとなしいやつだ。
操ったのか?しかし、どうやって?
いや、それは今はよい。
すぐに立て直さなければこの戦は負ける。
兵をまとめて本陣にもどらねば。
本国にはまだ援軍を出す余裕があるし、近くの街にも駐屯兵が居る。
半日持ちこたえればよい。
最悪、砦は破壊し一旦放棄してもよい。
すぐに取り返せる自信はある。
弓の雨。馬はまだ恐慌状態のまま。
ジャジール直属の騎兵は攻撃に特化した特殊部隊で、盾を持っていない。
「森へ!一旦後退しろ!馬は捨ててもよい!」
後方・・・第二大隊の居る丘を見る。空から、鳥とも虫ともつかない魔物の攻撃を受けている。
「ぐっ‥」
砦までの退路がない。
矢が肩に刺さった。刺激臭。
ご丁寧に毒まで塗ってあるようだ。
魔物を戦争に使うとは。
こちらの騎馬の動きも読まれていた。
しかも敵兵の質を見誤った。今目の前にいる敵兵は、精鋭と言って良い動きをしている。
統一されていない武具も偽装か。今日まで完全に隠し通すとは。
もはや、こちらに良い材料はひとつもない。
「無念!この戦は駄目だ!私は毒矢を受けた!もう助からんので最期にひとあわ吹かせてやろうと思う。だが、手傷を負っていない者は逃げろ!後追いで死ぬことは許さん!深手を負った者、毒矢傷を受けた者で動けるものは騎乗して私に続け!」
軍令は絶対。例え仲間を見捨てて逃げよ、という命であっても、守られねばならない。
それは普段から徹底していた。
周囲の兵が軍令を得てなんとか我を取り戻し、口々に私の名前を呼ぶ。
「・・・みな今までよく尽くしてくれた!走れるものは走れ!馬に乗れるものはそのまま乗って去れ!なんでもいい、生き残れ!』
斥候の若者が近づいて来て、側に残ろうとする。
一度は落馬したようだが手傷は負っていない。
「・・・お前もだ。」
ハッとしてこちらを見る。死ぬ覚悟だったようだ。
「どのみち私は助からん。命を無駄にするな。今は逃げて国を支えよ。」
斥候は涙をこらえ、唇をきつく結ぶ。
比較的落ち着いた馬を素早く探して騎乗し、さらにもう一頭探し出して手綱を取る。
替え馬か。こんな時でも、判断が適切で、早い。
「将軍...」
「戻って代王に伝えてくれ・・・まず堤壁までの砦を放棄、壁の内側まで軍を引き防御線とし、そのまま1年は守りを固め、周辺国の動きを見守られよと。さあ行け!!」
5年前に、当代一の名君と言われた先王が流行病で死んだ。
跡継ぎはまだ幼い王女だったが、王として独り立ち出来る年齢になるまで、宰相のシュケルが代王となり統治を担っていた。
そして来年には王女が18になるので、成人の儀を行い正式に王位が継承される予定だった。
見ると斥候はまだ逡巡している。
心意気はよい。だがこんな所で命を散らすには、惜しい。
「おぬし、名は?」
斥候の若者はハッとしてジャジールを見返す。
「ロジェの子、テテロと申します。」
「テテロよ。命は聞こえたな?代王への伝言は今後の国の命運すら左右する。行け。伝えよ。そして堤壁まで下がってオルドナを追い返し、国を守れ。」
「しかし・・・将軍が戻らねば・・・わが軍はこれからどうやって・・・」
「四の五の言うな、軍令は与えたぞ。それとも、私に今ここで切られるか?」
テテロは涙を流し、打ち震えながら手綱を取る。
「将軍・・・ご武運を。」
駆け出す。
いい馬だ、あれなら逃げ切れる。
敵。矢を撃ち尽くした弓隊が下がり、騎兵が掃討に出て来た。
さて。死に時か。
いつの間にか魔物の姿は消え、愛馬は落ち着きを取り戻していた。
毒が回るにはまだ時間がありそうだ。
大半が命令に従って逃げ散った。
残った者は敵の騎馬の攻撃を受け後退しながらも、隊列を組み直そうとしている。
追撃の手は厳しい。
口惜しい。
慢心していたのは己だったではないか。
下がりながら70騎程度に減った部隊をまとめる。
400いた騎馬隊。何騎が死に、何騎が逃げおおせたのか。
「さて、蹴散らそうぞ。ここが死に場所だ。逃げて行った奴らのために時間を稼ぐぞ。」
「ハッ」
「おう」
苦しそうな声がそこかしこから上がる。
剣を振りかざす。10年前、大将軍に就任した際に先王より賜った馬上剣。
柄の大きな緑石には強化の付与魔法がかけられており、普通の剣相手であれば刃こぼれすることも無ければ磨ぐ必要も無い。
そうか、この剣が敵の手に渡るのか。それならばあの若者に託すべきだった。
先王の顔がよぎる。
我が主。我が生に意味を与えて下さった。
感情が押し寄せる。
しかし今は戦場。
瞬間目を瞑り、様々な想いを追い出す。
目の前の敵を倒す。
軍人はそれだけで良い。
「2列!突撃!」
剣を敵に向けて振り下ろしながら、先頭で駆ける。
2列、縦に並んで突っかける。
勝ちに油断していた敵の騎馬の陣形はゆるい。
ぶつかる直前に左に逸れ、かすめて削るような動きで駆け抜ける。
一本の鞭。敵の一枚目の何騎かが倒れる。こちらの損害はない。
そのまま右直角に方向転換。今度は横2段に並んで前進。前後1組で同時に敵の1騎を攻撃する。
通常騎馬ではできない密集隊形を作ることで局所的な数的優位を作る。
敵が次々と倒れる。味方も7~8騎倒れたか。
一旦引いて方陣。敵はあっけに取られて動きが取れない。
それほどに騎馬隊の動きが圧倒的で、鮮やかだった。
「弓が来るぞ。」
一度下がった弓隊を押し出してくる。
隣の兵が馬上で突っ伏した。もうひとり、落馬する。
毒がまわってきたか。それとも血を流しすぎたか。
「3隊に別れる!左右先行して弓を受けろ!!」
即座に兵達が反応する。よい兵だ。死なせるには、惜しい。
まず左右が突出し、弓を打たせる。皆剣で矢を払っている。
中央は、動かずにいっとき待つ。
大半が一矢目を打ち終え、弓の勢いが弱まる。
ここだ。
「突撃!」
先頭に立ち、中央の1隊と共に突撃する。
敵の2矢目は間に合わない。それほどに馬の脚が早い。
弓兵に届く。5人、6人と切り伏せる。
後続は。
まだ付いてきている。
剣は切れ味を失わない。敵の鎧が紙のように裂ける。噴き出した血を浴びる。
視界が狭まる。手が痺れる。
もう痛みもない。
十分に生きた。戦に明け暮れて、戦で死ねる。武人冥利に尽きるではないか。
無理やりにそう思おうとしても、やはり口惜しい。
オルドナめ。
胸に矢が突き立つ。冷たい、と感じた。
味方の兵がなにやら叫んでいる。
「我がマリーアスに、栄光あれ。」
声になったかどうか。
ふっと、世界が白く--





