8月31日 街道沿いの漁村
コボルトの集落を出て6日。
僕らはメルケルの勢力範囲を避け、とにかく海沿いを西に向かって辿ってきた。
ここまでは特に問題もない。
路銀は十分にあったし、もうメルケルの勢力範囲からはとっくに抜けている。
もしオルドナの人間だとわかっても、捕縛されるようなことは無いだろう。
もちろん密使であることは変わりないから、目立たないに越したことはないけど。
今日はペ・ロウとメルケルのちょうど中間くらいにある、小さな漁村で宿をとることにした。
明日からは海沿いの街道を逸れて、内陸のトラギアに向かって移動することになる。
泊まるのはこの辺では珍しく大きな宿で、旅人用に大きな共同風呂や酒場まで併設されていた。
コビは初めての大浴場を大はしゃぎで楽しむ・・・はずだったのだが。
「ごめんね。ボクのせいで・・・・」
水の入った陶磁器のジョッキを見つめてコビが呟く。
ここは宿屋の地下にある酒場。
ジャンとトニ、コビの3人が丸テーブルを囲む。
「お前のせいじゃないさ。あいつらがおかしいんだよ。まったく頭にくるぜ!」
ジャンは怒りが収まらない様子。
もう3杯目のエール酒を空にしそうな勢いで、酔いも随分回ってきている。
事の顛末はこうだ。
風呂の脱衣所ではしゃいで飛び跳ねたコビが、隣にいた他の旅人にぶつかった。
コビを見て亜人と気づいたその旅人が、亜人を揶揄する「カビ頭」という言葉を使って馬鹿にした。
それをジャンが見とがめて、旅人に掴みかかった。
店主が仲裁に入ったが、その店主もコビを見るといきなり迷惑そうな顔をして僕らもろとも追い出された。
よくある話だった。人間は基本的に亜人に対して冷淡だ。
コビも集落を出る時からある程度覚悟はしていたかもしれないけど・・・
「ごめんね、コビ。人間全員がああなわけじゃないけども・・・
やっぱりああいう輩は居るんだ。情けないと思うけど。」
自分でも言い訳がましい、と思う。
「わかってる。トニやジャンがあの人たちとは違うのも。
だけどこれからは顔を隠そうと思う。旅の邪魔になるでしょ?」
ああ、この子は賢い。でも
「馬鹿、そんなの駄目だ。オレたちは何も悪くないのになんでコソコソしなきゃならない!」
だよね。ジャンはそんなの嫌いだもんね。
「ん。そりゃそうだね。コビは悪くない。ジャンの言う通りだ。
でもさ、僕らの任務を考えるとそうも言ってられないんだよなあ。
トラギアまで、なるべく目立たずに行かなければならないよね。」
ああ、またズルい言い方をしてしまった。
判断を相手任せにする言い方。
クセなんだよなあ。
「そりゃ・・・!そうだけどよ・・・」
ごめんジャン。君は間違ってない。
「コビ、気遣いありがとう。繰り返すけど、君は何も悪くない。
でも変に揉めるのも困るし、きみもイヤだろうし・・・
変装・・って言ってもそんなに大げさじゃなくていいけど、わかりづらくなるような服を明日そろえよう。」
・・・ごめんね、コビ。
コビがうなずき、僕とジャン、両方に礼を言う。
この子はなぜこんなに賢く、人の気持ちに寄り添えるのか。
この6日間、何度となく思った。
コボルトに比べて人間が優れているなんて事は、全然ない。
この子を見てると、心底そう思う。
それでしみったれた話は終わり。
コビは初めて見る人間社会の珍しい物の事を楽しそうに喋るし、ジャンはジャンで戦や作戦以外でオルドナから出たのが初めてで、興奮している。
僕も新しい物をたくさん見た。
なにより、炎の森を抜けてからこちら側には、戦の匂いが全くしない。
メルケルにはオルドナを阻む、有名な高い壁がある。
東南側は領土的野心のないトラギア。
西は名目上の君主国だが全く干渉してこない魔法都市ペ・ロウ。
南のマリーアスとの間には険しい山岳地帯があるので、トラギアを経由せずに陸路で直接ここに来るのは不可能に近い。
北は海。
つまりこのあたりで軍事的な脅威となるのは東のオルドナだけ。
メルケルの壁さえ抜かれなければ、安全なのだ。
だから、軍事以外の「もの」や「こと」が充実している。
「銛がさ、鉄でできてたんだよな。」
ジャンがぽつりと言う。
「珍しいの?コボルトは鉄を嫌うからほとんど使わないけど・・・
オルドナには鉄の産地があったよね?」
コビ。
「ああ。鉄は多分どの国よりも豊富だと思うよ。
でも、それは全部・・・全部じゃないな、ほとんどが武器になってると思うんだ。
だから銛とか農具なんかは木製か、ケチって刃の部分だけ鉄とか・・・かな?
全部鉄製の銛って贅沢だなって思ってさ。」
「いざというときは銛で戦うんじゃないの?意外と使いやすいかも?」
茶化してみたが、ジャンはやっぱり鋭い。僕は気づかなかった。
オルドナは何につけても軍事最優先。昔からの伝統でもあり、最近の国の方針でもある。
そしてそれは、国民の豊かさを守るためだと言い聞かせられてきた。
だけど、コボルトの集落やこの地域を見ると、それが欺瞞なのではないかと思わざるを得ない。
果たして、オルドナはこの漁村より豊かと言えるのだろうか。
そして、魔物まで使って版図を広げるのに意味があるのか・・・
他にも・・・使えるものは使っていくのか。
魔法。魔物。異種族。ドラゴン。魔獣。
魔獣
ああまずい。妹の死にざまを思い出してしまった。
酔っ払うとこういうのがあるからいけないな。
幼いころコルテス島で魔獣に襲われて
大量の血を流し激しく泣き叫ぶ妹
半狂乱で治療を試みる母
何もできない僕
だめだ。
頭を振って回想を追いそうとする。
なかなかうまく行かない。
「どうしたトニ。調子でも悪いのか?」
「大丈夫・・・ちょっと酔っぱらったかも。」
「顔が青いよ、トニ。もう休む?」
「そうだね。明日も早いしそろそろ寝ないと、だね。」
ジャンが支払いを済ませ、コビが荷物を持ってくれた。ありがたい。
部屋に戻る。今日は一人部屋だ。こんな時は助かる。
小さくて質素な部屋。
ちょっとだけかび臭いけど、落ち着く。悪くない。
「はー。」
ベッドに腰を下ろす。ちょっと固い。
・・・すっかり酔いが醒めてしまった。
気を取り直して明日の準備をしないと。
トラギアは目立った産業はないけど、東西南北の交易の要衝に位置していて、豊かな国と聞いている。今から楽しみだ。
さすがに歩きだときついかな。でも馬だと目立つんだよな。
用が済んだら折角だからメルケルや魔法都市ペ・ロウもゆっくり見てみたいけど・・・
さすがにそんな時間はないのかなあ。ふたりに相談してみよう。





