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母の小舟

作者: 湖灯

 夫婦。

 それは樹形列の一部。

 一組の夫婦の子供が結婚して夫婦になり、その子供がまた結婚して夫婦になる。

 そうやって、夫婦の木は大きく育ってゆく。

 若い夫婦は良い。

 夫も妻も元気いっぱい。

 休日は、大好きなパートナーと色々な所に遊びに行って想い出を分かち合う。

 子供が産まれると、それぞれの親から祝福を受け、その祝福に似合った

 幸せな家庭を築く。

 しかし・・・。

 やがて、子供に手が掛かるようになる頃、夫は仕事に程度責任を持たされる立場になり、その喜びに仕事一辺倒になってゆく。

 夫婦間で子供関係のイザコザがあったとき良く聞く「子供のことは、お前に任せているはずだろう」という、ごくありきたりの台詞をテレビではなく、夫から聞かされる。

 妻は身重のときから様々な苦労を重ねてきた。

 子供が宿った途端、半年で体重が急に5キロ以上も増え、特にそのために鍛えていなかったので体に堪える。

 前かがみの姿勢が出来なくなる。

 寝返りに気を使い、うつ伏せに寝転ぶ事が出来なくなる。

 そして、子供が産まれると子供を抱えて買い物。

 急に泣き出したり、常に子供に気を使いながらの掃除、洗濯、食事の支度。

 子供のお風呂や、オムツの交換。

 授乳期には2~3時間おきに、おっぱいをせがまれて熟睡もできないくて昼寝をするのが癖になる。

 酷い夫や舅だと「いつもゴロゴロ昼寝ばかりして」などと、ののしられたり、言葉に出されなくても、そのように見られているのではないかと気に病んでしまう。

 しんどくて、いつも家に居たいけど、子供には太陽の下ですくすくと育って欲しいと思い、外に連れ出すと、わずらわしい人間関係が待っている。

 そして幼稚園、小学校でのPTAや参観日、お母さん同士のお付き合いに、お弁当・・・。

 中学、高校での受験シーズンになると子供以上に気をもんでいるのに、夫は私に任せっぱなし。

 もっと悪い関係の夫婦もあれば、逆に良い関係を築いている夫婦もあるとは思うが、おそらく今書いた事柄は酷いように思うけど、ごく平均的な妻の仕事だと思う。

 この事を酷いと思うか、当り前だと思うかは、それまでの夫婦関係や育った環境で決まる。

 やっと子供に手が掛からなくなってくると次は、それぞれの親の問題。

 看病、看護、葬式・・・

 特に夫の親の場合は大変だ。

 夫は、自分の親にも拘らず、なんとなく他人事。

 親の容態が気になる歳になるということは、まだ仕事をしている夫であれば、もっとも責任の重い立場に立たされている場合が多いはずで、親の心配どころではなく亡くなったら慌てて駆けつけお線香をあげて仕事に戻ってしまい、それで御仕舞い。


 最悪なのは、その前後。

 妻に向かって「俺は仕事で忙しいから親のことは宜しく頼む」

 親と同居もしていないのに、こんな事を言われたら、いくらおとなしい妻だって『私は貴女の親と結婚したんじゃありません!』と、そう思うだろう。

 でも、それを口にだして言うことはできない。

 長い結婚生活の中で、いつのまにか妻の立場は”便利な物”扱い。

 子供に費用が掛かり出しても、夫の給料は似合ったようには上がらず家だってアパートでは狭いからと一軒家かマンションを購入しローンも高い。

 掃除、洗濯、食事の支度、PTAや町内会・・・

 すべてを抱えたまま働きに出る。

 さすがに疲れて、毎日していた洗濯は二日に1回になる。

 すると、夫は追い討ちをかけるように「あれ?俺のシャツがない!」

 お気に入りのシャツは今洗濯中。

 疲労困憊して家に帰って、外食にしようかと言うと「それじゃあ何のために働いているのか意味がないじゃないか」

 なんて正論を言われてしまう。

 たしかに外食費用は私の日当分で消えてしまう。

 夫は休日に会社の友達や同僚、学生時代の仲間と呑みに行ったり遊びに行ったり。

 でも、私は・・・

 私にも、かつて勤めていた会社や学生時代に仲の良かった友達が居た。

 しかし今では、その友だちとも年に一回の年賀状を交わすだけか、せいぜいメールのやりとりをするだけ。

 友だち関係の楽しみといえば、私の親戚関係の冠婚葬祭で逢える従兄妹だけ。

 私の私生活はすべて、この家庭に呑み込まれてしまった。

 でも、わたしはこの家庭が好き。

「私の人生って煌々と流れる川に浮かぶ小船のようね」

 そして行き着く先は大きな青い海ではなくて深くて暗い滝。

 小船にあるオールを使っても、もう私の力では流れに抗えない。

 かつて家族は一隻の大きな船だった。

 しかし今では、その船から一人ひとりが小さな小船をだして好きなように旅に出た。

 夫の乗る小船は、そのたくましい腕に握られたオールに操られ、またたく間にどこかに行ってしまった。

 子供達の船も暫くは私の船に寄り添っていたけど、そのうちに素晴らしい回転でオールが操られ、どこかに消えてしまった。

 川も流速が増し、そろそろ滝が近いらしい。

 いまさら小船を放棄しても岸に辿り着く前に、おぼれてしまうだろう。

 今の私にできることは、滝のある方向に向かって座るか、滝とは反対側の今まで流れてきた方向に座るかの、ふたつしかない。

 いずれにしても私は直に滝に飲み込まれる。

 それなら前に向かって座ろう。

 後ろはもう見飽きたから。

 前を見ていて気がついた。

 いままでハッキリと見えていたと思っていた後ろの風景が霧に包まれていることに、そして霧に包まれていた前の風景が、やけに明るくハッキリと見えることに。

 前を向いて座ることで、いままで不快に感じていた流木などの障害物も良く見え、舵を左右に動かせて簡単に避けることができる。


 葦で覆われた河原には近づけないものの、舵を大きく切ると小船を川の中で一回転させることもできた。

 だいぶ船が揺れ冷や汗も出たが、とてもスリルがあって可笑しかった。

 転覆する危険があるので、もう一回転は止そうと思ったが、たまに蛇行するのは面白い。

 大きな船のときは風に任せて移動していたけど、こうして小さな船に乗ってみると頼りないけど面白い。

 川の流れが前にも増して速くなってきた。

 もうそろそろ滝に落ちるのかな。

 じたばたしても、もう何も出来ない。

 私は舵から手を放し狭い小船の中に身を埋めるように大の字に寝転んで

 空を見つめる。

「なんて青くて澄んだそらなんだろう」

 聞く人も居ないのに声に出してから目を閉じる。

 そして深呼吸をして森の新鮮な空気を思いっきり吸い込む。

 船が小刻みに揺れる。

 その揺れ方が、私が赤ちゃんだった頃、お母さんに抱かれていた記憶を思い出させる。

 お母さんの胎内に戻ったように体を横に丸めると、お母さんの優しく歩く足音が聞えるようだ。

「あれ?お母さんっていつもバタバタ歩いていたよね」

 でも確かに聞えてくる足音は優しい。

 こうして目を閉じて、どのくらい時間が経ったのだろう。

 5分か、10分か、1時間か、それとも10時間か・・・

 小船に何かが当る音がして目を開けた。

 目に広がった空の模様が横にずれてゆく。

 小船が少しだけ横に傾く。

 誰かが私の船の針路を変えていることは容易に想像できた。

 でも一体誰が?

 私は上体を起こせずに空を見上げたまま横になっていた。

 葦の林が掻き分けられていく。

 一人なのか、それとももっと多いのか私には分からない。

 でも確実に私の小船は、もう滝壺に落ちることは無いだろう。

 船の底が岸の砂浜に押し上げられたのが分かった。

「誰!?」

 子供の頃に遊んだ目隠しごっこを思い出して口に出した。

 眩しい太陽にフッと影ができ、私の目から暖かい涙が頬を伝う。


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