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神の容

作者: ぷLUトo

「キャアアア!」

 その悲鳴が上がったのは、昼休みの事だった。

「やべぇ! スズメバチ入ってきた!」

 どうやらスズメバチがウチのクラスの男子が窓を開けている所に襲撃してきたらしく、あっさりと教室への侵入を許してしまったみたいだ。

 スズメバチはクラスメイト達が慌てふためいて教室から逃げ出しているのを楽しむかのように、教室中をブンブンと飛び回っている。

 残念ながらこのクラスにはスズメバチに対抗できる者はいないらしい。

「……」

 そんな騒然とした教室の窓際最後尾にただ1人、神野じんのさんだけが少し俯き気味にぽつんと立ち尽くしていた。

 ……って、あれは大丈夫なのか?

「神野さん?」

 立ち上がっているという事は、騒ぎには気づいてると思うんだけど……

「……」

 一向に神野さんは動く様子を見せないでいる。

 そんな神野さんに興味が湧いたのか、スズメバチは完璧なホバーリングでブーンとゆっくり近づいていってしまった。

 扉側最後尾の自分の席に座って事の成り行きを見ていた僕は、神野さんがスズメバチへの恐怖で動けなくなってしまったのかと思い、助けようと思ったが……


「……クククッ」


 突然、神野さんが浮かべた唇をニヤリと吊り上げたブキミな笑みとまるで嘲笑でもしたかのような声に、歩み出した足を止めた。

 すると、スズメバチの方も何か身の危険でも感じ始めたのか、神野さんの周りを縦横無尽にブンブンブンブン! と目で追うのがやっとの速さで飛び回っている――


「――フハハハハハハハ!」


 不意に響き渡った奇声によって、この教室内の空間は完全に支配されてしまった。

 ただぶら下げているだけだった神野さんの右手が天井高く振り上げられていたのに気付いたのは、神野さんが奇声を発した後のことだった。

 そして、その右手にはスズメバチが顔だけが見えるように握られている……

 クラスメイト達は目の前で起きているあまりの出来事に、呆然と立ち尽くし不自然なほどに静まり返っていた。

「フハハハハ! 貴様の様な羽音のうるさい群れるだけが取り柄の虫けらがぁぁ我に盾突こうとはぁぁ笑わせてくれおるわぁぁ! フハハハハ!」

 神野さんはそんなクラスメイト達の様子を気にする事もなく、右手に握りしめているスズメバチの目を見て語りかけている。

 ……何? どうしたの?

 正直な気持ちを言うと、今そこでスズメバチに語りかけている人は神野さんではないと言っても差し支えないくらい僕の知る神野容子じんのようことはかけ離れた人物だ。

 ……いや、人物と言ってしまうと語弊があるかもしれないので言い直すと、僕の知る神野容子とは人格がかけ離れちゃってる。

 確かに見た目は神野さんそのものではあるけど、僕の知る神野さんはスズメバチを握りしめないし、フハハハハハ! とかいう笑い方しないし、一人称が我なんてこともない。

 つまり、今の僕の気持ちを言うと、あれは誰? てなってる。

「ア」と「レ」と「ハ」と「ダ」と「レ」が円周率の如く僕の頭の中を駆け巡っていってる状態になってしまっている。

 そんな僕に、神野さんは容赦なくおそれ多い言葉を突き刺していく。


「貴様ら虫けら風情がぁぁ! 我に逆らうとぉぉどうなるのかぁぁ――」


 ――神野さんが転校してきたのは、つい一ヶ月前の事だった。


「その身体にぃぃしかとぉぉ刻み込んでやらなくてはなぁぁ――」


 ――真面目で、優しくて、少しおとなしくて、すぐにクラスにも馴染むような子で。


「フハハハハハハ――」


 ――そんな彼女に、僕は……


 奇声を発し終えた神野さんは、スズメバチを捕え続けている右手をゆっくりと高く掲げていった。

「……」

「……」

 その異様といえる光景を僕もクラスメイト達も、ただ黙って見続けることしか出来なかった。

「……」

 そんな僕らの沈黙を促すかのように、神野さんもスズメバチを掲げてからは何の奇声も発さずにじっとスズメバチを睨み続けていた。


 ……。


 …………。


 ………………。


 誰一人として沈黙を破ろうとはしない中、僕の頭の中には静かな音を奏でているけれど逆に恐怖心を煽ってくるクラシック音楽が流れて来た。

 ――映画かなにかの影響だろうか?

 そんな、まるで時間が止まってしまった中で、自分だけが意識を保っているかのような気分を、太陽の光を遮り教室内に影を落とした雲に晴らされた瞬間……


 …………グチュン!


 スズメバチが駆除され、本日2度目の悲鳴がクラスメイト達から上がり、学校中に響き渡った……。

 



 あの事件によって神野さんは、神として恐れられるようになった。

 ……正確に言うと「殺虫神さっちゅうじん」というあだ名が学校中に浸透してしまった。

 あの後、神野さんはスズメバチを駆除し終えた後いつもの神野さんの口調で……お手洗いに行ってきます。と言い残し、そのまま早退。

 だけど今日の朝には、いつも通りの神野さんが登校してきた。

 てっきり一日くらいは休むかと思ってたんだけど……。

 だって、あんなことのあった次の日の教室が、いつも通りなわけがないんだから。

「おはようござ…い…ま……」

 神野さんのいつも通りの勢いで放たれた挨拶は、クラスメイトの昨日までとはまるで違う反応や視線に煽られ、出来の悪い紙飛行機みたく、高度を落としていった……。




 キーンコーンカーンコーンンンンン――

 放課後を知らせるベルが鳴り響き、教室内の雰囲気も少しだけいつもの様子を見せていた。

 そんな中を一人の女子生徒だけがせっせと荷物をまとめ、そそくさとその場を後にしていった。

 やっぱり今日のクラスの雰囲気にはさすがに堪えたんだろう。朝の言いきれなかった挨拶の後、神野さんは一言も会話出来てなかったみたいだし。

 ……って、んなこと考えてる場合か!


「神野さーん!」

「……成田君?」

 まだ人で溢れきる前の廊下を一人淋しげに歩いていた神野さんは、僕の呼びかけに振り返って驚いたというか不思議そうな表情を浮かべている。

「あ、あのさ……よかったら一緒に、帰ろうよ」

 昨日のスズメバチの件について聞きたかった僕は、とりあえず歩きながらでもと思い、帰り道に誘うことにした。

「え……あの、えっと……私で、よければ」

 神野さんは若干戸惑いながらも、突然の一緒に帰ろうという無謀な誘いを了承してくれた。

 ……よかったぁ。


 しかし……

「……」……。

 アカン。これはアカンでぇ。

 神野さんが速攻で帰ろうとしたのを引き留めなきゃという一心で行動した結果、とても気まずい雰囲気の帰り道になってしまった。

 そりゃあ、そうだよね~。

 ほとんど話した事ないもんね~。

 そんなの会話が続くわけがないよね~。

「……」……。

 昨日のスズメバチ殺しがどうとかいう事ではなく、それ・・以前の問題だった。

 ただ、それでも神野さんはあの軽く常軌を逸した誘いを受けたわけで……

 ――なんとかしなくては。

 そんなことを思っていると、隣から視線を感じた。

「……成田君のおウチって、私の家の方だったっけ?」

「えっ? うん、まぁ、なんていうか、急がば回れってカンジというか……ははは」

 今、僕は、我が家からどんどん離れていく道を神野さんと二人並んで歩いている。

 てか、学校出て最初の分岐から帰り道から外れるとか……きっとギャンブルは向いてないな。

「ん? 急がば回れ?」

「結局は近いって意味だから、あんまり気にしないで」

「うん……」

 神野さんは言葉の意味が腑に落ちていない様子だ。当たり前だけど。

「……」……。

 そして再び、気まずい空気が流れていく。

 ちくしょう、こんなことになるなら朝の占いをチェックしておくんだった! 

 ……。

 もういっそ単刀直入に、スズメバチに対しての奇行について尋ねてみるべきか?

 学校を休まずに登校してきたってことは、神野さんもそれなりに覚悟して来たんだろうし……よし!

「あ、あのさ、今日は神野さんに聞きたい事がある……って、あれ?」

 昨日の事を問いただそうと隣に目を向けると、並んで歩いていたはずの神野さんの姿はなくなっていた。

 隣へと目を向けた勢いのまま後ろを振り返ると、15メートルほど離れた所に俯き気味にじっと立ち尽くした姿勢の神野さんがいた。

「……神野、さん?」

 神野さんの視線を目で追っていくと、そこにはアスファルトの上でウネウネと踊っているミミズがいた。

 とてもすごく嫌な予感がした――


「……クククッ」

 

 ――とか思ってる内にブキミに微笑みだしちゃってるんで、もう予感というよりは実感したっていうほうが正しいと思います。

「貴様の様なぁぁ土と共に生きるだけが取り柄の臭い紐虫がぁぁ! 我の歩みを妨げようとはなぁぁ!」

 あ~、やばいなぁ。

 安全適切な距離を保ってあの光景を見てると、完全にイカレてるもの。

 突然大きな声で、地面に向かって会話を投げかけてるんだもんなぁ。取り返しがつかないよね。

 あぁでも、演劇部部長が中3最期のステージに中学校生活の全てを懸けるため、日常的に役になりきっている、という風に考えてみればなんとか……

「貴様のその勇気にぃぃ! 我が全力でもってぇぇ応えてやろうぞぉぉ!」

 神野容子はそう叫ぶと同時に、神速の一撃を振るう。

 スズメバチを捕えた時には目で追えなかった右腕での神速の一撃は、アスファルトを切り裂かんばかりの勢いでウネウネしているミミズへと振るわれた。

「フハハハハハハ!」

 僕の心をむしばんでいくようなイタイ笑い声が、余所ヨソ様のお家の塀にピタリと張り付けられた何の罪もないミミズへと放たれた。

「どれ、ちょうど小腹が空いてきおったところだ……」

 ――神野さん、もうそれ以上はダメだ!

「貴様を我の糧として終えさせてやろうではないか……」

 ――それ以上は、もう戻ってこられなくなる!

「我と貴様では住む世界が違うという事を、その心へと深く刻み込むといい」

 ――君が、僕の中からいなくなってしまう!

 神野容子は塀にへばりついたミミズを指でつまむと、そのまま頭上へと持ち上げていき、だらしなく口へと、運んで……


「ヴォロロロロロロロロルォォォォォォェェェェェェェェェ!」


 胃の中のモノアシッドブレスを吐きかけた。

「……ぬぅあっ? い、一体どうしたと、いうのだぁぁ!? わ、我の本能が、コレを拒絶している、だと!?」

 神野容子は自身で招いた行動に対しての自身の拒絶反応に困惑しているようだった。

 そして、僕自身の反応はというと怖いもので、不幸中の幸いといったところに納まっている。

 まぁさすがに、噴水の如く天へと胃酸を吐くことに成功した神野容子の神懸かった臓器に対しては、恐怖と驚きを隠せない。

 すると、神野容子は単純なことに気づいたようなしぐさを見せた。

「クククッ。なるほど、そういうことか。この臭い紐虫は雑魚共を捕える為の餌として用いられていたのであったな。つまり、コレを食すという事は水と共に生きるしか取り柄の無い雑魚共と同じ世界へと、この我が踏み込んでしまうという事か……」

 神野容子は全身を怒り、あるいは本能での拒否反応によって震わせると、胃酸にまみれたミミズを、

「そのようなことはぁぁ! 断じてあってはならぬぅぅぅ!」

 と叫び、余所様の塀の向こうへと放り投げた。

 そして、神野容子は力が抜けたようにそのまま膝を落とした後、ゆっくりと絶望を帯びていく目を僕へと向ける。

「な、なな、なり、なりり、ななな……」

 おそらく「成田君」と言おうとしているんだろうけど、絶望に口を重たくされた神野さんは上手く言葉が発せられないみたいだ。

「わ、わわ、わた、わたたったたった……」

 あまりの絶望に寒気まで覚えたのか、ガクガクと震えだした神野さんにそっと歩み寄った僕は、

「とりあえず上着脱いで……公園でも行こっか」

 と、ポケットに入ってた水色のハンカチと一緒に手を差し伸べた。


 公園にて事件の後始末を済ませた僕は、ただでさえ口数が少なかったのにその上呼吸数すらも減ってしまった神野さんを心配に思い、家まで送り届けることにした。

「ここが、神野さんの家?」

「……ぅ」

 未だ絶望を漂わせている神野さんは小さくうなずく。

 目の前には存在によって景観を損なわない、ご近所さんの家たちに自然と溶け込んでいる神野さんがあった。

「そっか。……じゃあ僕はここで」

「……うん」

「……また明日、学校で」

「……今日は、色々と、ありがとう」

 僕と神野さんは、二人並んで神野さん家と向き合いながら言葉を交わした。

「……」

「……」

 家に着いたのに神野さんが帰る気配を見せないのが気になってというか釣られて、僕も一緒に沈黙を作った。

 まぁよく考えてみれば、公園の水を使って多少きれいにしたとはいえ、酸性雨を浴びた体で絶望を帯びた目をした娘が「……ただいま」って帰ってきたら、それはもうただ事ではない。

 被害者自分、加害者自分という、ある意味完全犯罪の事件をどう説明すればいいというのか……。

「もしかして、家に帰りづらかったりする?」

「別に、そういうわけじゃなくて……それに、この時間は、誰もいないはずだから」

「なら、どうして帰らないの?」

「……今日は成田君に、結局迷惑かけちゃったから、せめてものお礼にお茶でもって思ったんだけど……こんな状態を見せちゃった私の入れたお茶なんか、誰も飲むわけないよねって」

 そうやって神野さんは自嘲気味に言うと、少しずつ全身を震わせつつも続ける。

「でも、それでも、こんな私を避けないでいてくれた成田君に、何か出来る事ないかって考えて……だけど全然見つからなくて」

「そんなに気にしないでいいよ。元はといえば僕が誘ったからとも言えるしさ」

 僕はそう言って、神野さんを後に歩き出した。

「え? 成田君?」

 神野さんは戸惑った表情で、神野さんの敷地内に侵入した僕を見ている。

「あれ、神野さんがお茶をご馳走してくれるんじゃなかったっけ?」

「こんな私の入れたお茶でも飲んでくれるの?」

 神野さんは怯えたようなような目で、まっすぐに僕の目を見つめて聞いてきた。

 そんな目で見られるとさすがに困るんだけどな……。

「一応言っておくけど、僕は女子からのお誘いを気軽に断れるほど充実した学校生活を送ってないんだよね。むしろチャンスがあればいつでも飛びつく覚悟だったよ」

 そんな僕に、神野さんはちょっぴりだけ微笑んでくれた。

 ……内心どう思ってるかはわからない。

 ……でもそれは、きっとお互いさまで。


 神野さんは僕をリビングまで案内すると、恥ずかしそうにモジモジしながら「先にシャワー浴びてきて、いいかな?」と聞いてきたので「お、お先にどうぞ」と不意に生まれた動揺を隠しきれずに返し、見送った。

 そして、今、僕はソファに体全体を沈み込ませるようにして、ちょっとした後悔に浸っている。

「なんだよ、お先に、って……」

 後で入るつもりかよ。

 不意に出した言葉とはいえ、自分のことを嫌に思う。

 こういうちょっとした言葉のやりとりに気を遣えるかどうかで、人としての格も変わってくるんだろう。そんなことをついつい思っていたら、


「いやあああああああああ!」


 と、神野さんの悲痛な叫び声が耳に突き刺さった。

「ッ! 神野さん!」

 僕は反射的にソファから跳ね起きると、すぐさまリビングから玄関通路へとつながる扉を開け放った。すると、


「あくまああぁぁ! あくまがあああぁぁ!」


 再び、神野さんの悲鳴が家中に響き渡る。

「あくま? 悪魔って言ったのか」

 よく意味の分からない言葉に戸惑いながらも、はやく神野さんを見つけようと悲鳴が聞こえた奥の方へと進もうとした時、

「だれかぁぁぁ! 我をぉぉぉぉ! 我を助けれぇぇぇぇ!」

 その奥の方から僕に助けを求める声が聞こえてきた。

 ――って今のは、あの状態の?

 瞬間的にそんな疑問を浮かべていると、奥から全身下着姿なのに何故か頭に制服のスカートを被っている女子が奥の方から飛び出してきた……って、

「えええええええええええええええエエエエエエエエエエエエエエエエぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 ななななな、何がどうしてどうなったら、そんなことに!

 そうこう思ってる内にその女子は通路の壁にぶつかりながらも、接近してきて、

「ぐはぁ!」

 僕になかなかに鋭いタックルを決め、そのまま覆いかぶさられる形で僕は倒れ込んだ。

「うううぅぅぅ、あくまがぁ、あくまが我をぉぉぉ殺しにぃぃぃ」

「痛たたっ……」

 人にノールックタックルを喰らわせて覆いかぶさった今も尚、彼女は呻き続けていた。

 僕はそんな目の前の彼女に人生で初めてのスカートめくりをして、

「大丈夫? 神野さん?」

 と、泣きじゃくった顔の神野容子と対面した。


 落ち着きを取り戻し、我に返り、自身の現状にまた落ち着きを無くし、スカートを正しい位置に戻し僕の上着を羽織って、ようやく落ち着きを完全に取り戻した神野さんから事情を聞いた僕は、急いで装備を整え悲鳴現場である脱衣所へと向かった。

「だいぶ顔色が悪く見えるんだけど、ほんとに大丈夫?」

「だ、大丈夫。それに、この目でちゃんと見届けるまで、安心なんてできないから……」

 怯えながらそう呟く神野さんは僕の背中に隠れるようについてきて、悪魔を見たところを教えようと無理をしていた。

 自然と武器を握る両手にグッと力が入った。

 そしていよいよ、扉が開け放たれたままの脱衣所へと足を踏み入れた瞬間、背中にぎゅっとしがみつかれる。

「さ、さっき見たのは、洗濯機近くの、壁に……」

 押し寄せてくる恐怖感と必死に戦っている神野さんにそう言われて、脱衣所の壁を見回していく。

 神野さんの家の脱衣所は少し広めの四角形に近い造りになっていて、入って右側に洗面台があり、左側に洗濯機やかごが置かれている。

「えっと、洗濯機近くの、壁に…………いた」

 神野さんの言うところの悪魔は、まるでラスボスのように堂々と僕らの事を待ち構えていらっしゃいました。

 続いて神野さんも僕の背中越しに悪魔の存在をその目で確かめた。

「ひぃぃぃ! 1ミリも動いてないぃぃぃ!」

「ミリ単位でわかるんかいぃぃぃ!?」

 まるで証拠画像を脳内フォルダに保管してあるみたいだ……って、ダメじゃん? それ?

「おのれぇぇ、魔界から召喚されし悪魔めぇぇ。そんなに、我の命を欲しておるというのかぁぁ」

 悪魔の位置を目で直接見たせいなのか、口調の変わった神野さんはそう言って、僕の背中で顔を隠した。

「神野さん! 目を逸らしちゃダメだ! ヤツはいつ飛びかかってくるかわからない、だから身を守るためにも決して目は逸らしてはいけない」

「ううぅぅうぅ……」

 神野さんは恐怖に全身を震わせながらも、顔をなんとか悪魔へと向けた。

「大丈夫。あの位置なら一瞬で戦いを終わらせられる!」

 そう言って、僕は駆け出し左手に持ったペットボトルの底を切り取った物を壁に垂直に突き付け、悪魔をペットボトルに閉じ込めた。

 さすがに身動き一つせずに待ち受けていた悪魔も動揺したのか、カサカサとうごめきだしペットボトル内に降り立った。

 そして再び動きを止め、こちらをじっと様子見している悪魔に対して、右手に持っていた殺虫剤スプレーをペットボトルの飲み口に差し込み、発射した。

 プシューという音と共にペットボトル内が白く染まっていく……

「……なっ」

 しかし、殺虫剤を浴びせられたはずの悪魔は1ミリと動かずにじっとしていた。

 どうしよう……死んだかどうかわかんないんだけど、さすがに死んだよね? ってかお前、なんでさっきからあんまり動かないんだよ。あれか、もしかしてすでに何者かによる襲撃で致命傷でも負っていたりするのか?

 そんな事を思いつつ、壁からペットボトルが離れないように注意しながら悪魔をペットボトル内でカランコロンさせてみた。

 あぁ、死んでる。

 さすがに死んでた。

 悪魔に対して少し悪いことしたなぁと思いながら後ろを振り返ると、そこには両手を胸の前で握り合わせまるで神の御業を目にしたかの様な顔で見つめてくる神野さんがいた。




「……どうぞ」

 神野さんが湯気がうっすらと見える紅茶を差し出して言った。

「あ、ありがとう」

 神野さんはシャワーを浴びてきた後だからか顔に赤みがさしていて、その表情に少しドキッとした。

 僕はすぐに紅茶をズズズッっと口に含み「うん、美味しい」と思ったままの言葉を漏らした。

 そんな僕を見て「よかった」と安堵し微笑んだ神野さんは自分のカップを僕の左側に置き、そしてそのまま僕の左隣へと座った。

 ……え。

 確かに僕は幅の広いソファの真ん中あたりに座っている。

 だけどリビングに置かれたソファは全部で3つあり、テーブルを囲むようにコの字型に配置されているわけで……なんとなく僕から見て左側か右側のソファに座るんだと思ってたんだけど。

 これは、普通のことなのか?

 わからない。僕にそんなのわかるはずない。

 そんな事に動揺し戸惑っていると「今日は、ありがとう」と声が聞こえ、目を向けた。

「誰とも話せずに学校終わっちゃったなぁって思ってたとこだったから、声をかけられた時、嬉しかった。それに今だって、私とこうして一緒に紅茶を飲んでくれてるのが、嬉しいし、ちょっと救われてる……だから、今日はありがとう」

「どう、いたしまして……」

 すぐ隣でいつも通りな笑みを向けられ照れてしまった僕は、つい反射的な返しを口にして持っていたカップを少しだけ揺らしてから置いた。

「でも実は、そんなに気にする事でもないんだよ。僕が一緒に帰ろうと声をかけたのも、こうして一緒にお茶を飲んでるのも、神野さんだからしてるだけなんだよ」

「……」

 僕の含みを持たせた言葉に、神野さんはどう応えたらいいのかわからないのか、黙ったまま視線をティーカップへと落としている。

 だけど、もう引くつもりはない。

「それに苦手な事や嫌いなモノに対して無理する必要なんてないと思うしさ。だから神野さんに、この先何かどうしようもない事が起きたら、僕に頼んじゃえばいい、というか……」

「……」

 あーやばいなぁ。やっちゃったなぁ。

 なんかさっきから、悪くいう所の無視をされてる気がする。

 あ~あ、もう、テンション上がっちゃった時の勢いでの行動って後悔確率8割をゆうに超えちゃってるよね、ハハハ……

 あぁ、もうなんか、いいや。

 このまま、言ってしまおう。

「神野さん。僕は……ずっと前から、神野さんの事を――」


「――クククッ」


 僕が告げようとした秘めた思いを遮るかの様に、神野さんは唇を吊り上げブキミに笑いだした。

 それを見た僕は瞬時に、また虫が神野さんに近づいたのだと思いその視線を追おうとした時、横目で向けられた蔑むような神野さんの目と、目が合った。と、

「ッッッ!?」

 ほぼ同時に右頬に凄まじい衝撃が襲ってきた。

 ソファの背もたれへと激しく体がぶつかり、反動によって体が背もたれから浮く。

 そして、神野さんの右腕が大きく振りかぶられてるのが見え、そこで自分が神速の裏手打ちを受けたことを知り、さらに神速の追撃が来る未来を予知した。

 

「フハハハハハハ!」


 という奇声と共に右腕での神速の平手打ちが左頬に振るわれ、僕の身体はテーブルの上を滑るようにぶっ飛ばされて、床に体を打ち付けた。

 両側の頬にジーンとした痛みが広がり、徐々に熱くなっていくのを感じながら、テーブルを挟んだ向こうからこちらを見下している視線に気づく。

「ッ……神野、さん?」

 そう呼びかけると、神野さんはスッと人差し指を突き付けてくる。

「貴様の様な独りに耐えるだけが取り柄の寂しい害虫がぁぁ! 悪魔を払った程度で調子に乗るでないわぁぁ!」

 …………えっ。

「貴様の様なクラスの空気を取り込むすべを持たぬぅぅ残念な毒虫がぁぁ容子に近づくなどぉぉ断じて許さぬぅぅ!」

 え。え、え。え……えぇぇぇ!

 僕の事そんな風に思ってたんすかぁぁ!

 あーかなりしんどい……ってかもう、苦しいの域。

 ……って、ん? 

 ……あれ、今、何か変なこと言ってなかったか?

 確か、容子に近づくな、とかって……

 そんな黙りこくってあれこれ考えてる僕に向かって、

「帰れえええええぇぇぇぇぇぇ!」

 と、ものすごく怖い形相の神野さんに率直な思いを叫ばれた。

 それでも僕は、床に這いつくばっていた体を起こして、神野さんを見据える。

「それが神野さん自身の言葉なら、おとなしく帰るんだけど……君は、神野さんなのか?」

 その問いかけに神懸かった表情筋によって作られていた出来れば見たくなかった表情を崩し、胸に手を当て、言う。

「我は神野容子であって神野容子ではない存在。我は、神野容子に願われこの身に降臨した――」


 ――神である。


 こうして、僕と神による神野容子を巡る戦いの日々が始まったのだった。


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