3
クロネが目を開くと、そこは見知らぬ場所だった。
視界には緑の木々と小さな泉と、そしてーー
「純潔を捧げます……!」
金髪碧眼の美少女が泣きじゃくっていた。
仕立てのいい服を着ていることから少女の実家は裕福な家、恐らく商人か貴族だろうと当たりをつけるクロネ。
そして悪辣な魔導師に召喚されなかった事に安堵しつつ考える。
純潔を捧げるとは、はて何の事だろうかと。
混乱するばかりだったが事実を伝えてみることにした。
「わし、女なんじゃが……」
「えっ?」
ようやく落ち着いてきたのか、服の裾でごしごしと涙を拭ってクロネを凝視するエレナ。
その表情が絶望に染まっていく。
事態が呑み込めないまま、しかしこのままではエレナが泣いてしまうだろうとクロネは判断した。
「おぬし、先ずは説明せい!契約云々も話はそれからじゃ!」
「は、はいっ!実はーー」
なんとか話題を逸らす事に成功したクロネは召喚された経緯やエレナの身の上などを時折「むぅ」と相槌を打ちながら聞き終えた。
「つまりおぬし、エレナは魔法が使えんで困っておった。そして謎の本に従ってわしを召喚したと」
「そ、そうです!ロリネ様」
「誰がロリネじゃぁ!わしゃクロネじゃ!!」
「ごめんなさい!!」
「ふんっ」
クロネは考える。
人様を勝手に転移させるなど悪質な悪戯だと。
この場合エレナを責めるのは筋違い、責任を問うべきは魔導書を書いた人物。
それは恐らく、
「シロネのやつじゃな……あんのババアめ」
「あの、どうかなさいましたかクロネ様?」
「なんでもありゃせん」
魔導書にロリネなどとふざけた名前が書いてあったらしく、だとすれば本を作ったのはクロネよりも年上のはず。
クロネが知る中で、こんな訳の分からない嫌がらせをする者など、シロネ以外には思い浮かばなかった。
癪ではあるが、その本のおかげでシロネに襲われた所から逃げ出せた。
ならば術者である目の前のエレナに感謝くらいはすべきだとクロネは結論付けた。
暇潰しに付き合ってやろうと。
「よかろう。契約してやるのじゃ」
「本当ですか!?」
「うむ。対価はーー」
「……純潔ですよね? 本にそう書いてました」
「ちーがーうーのじゃー!!何故わしがおぬしの純潔を求めねばならん!」
クロネは、酷い悪戯にやっぱり本を作ったのがシロネだと確信した。
「魔法を使えるようにしてやる対価として、わしは食事とお菓子を所望するのじゃ」
「……へ? お菓子ですか?」
「うむ。一日三食と毎食後に甘味を用意せい。貴族の娘なら出来るじゃろう」
「毎食後ですか……」
「金は出す。わしは旨いものを食いたいが、自分で動くのが面倒なんじゃ。親にでも頼み込んでその伝でかき集めればよかろう」
「そういう事なら多分……」
「むふふー、では早速契約じゃ!」
エレナが納得した所で、クロネは契約を結ぶ。
元々人間種のお菓子に興味があったので今回の出来事は渡りに船だった。
というのも龍の貴種の一族は基本的に引きこもりかつ閉鎖的で、龍の住まう大陸全体に張り巡らされた結界が、まだ幼いクロネが外の世界に出る事を許さなかった。
そのため嗜好品の類いは母龍経由でしか手に入れられないというのに、いつも纏わり付いてくるシロネに邪魔されて、菓子類はプリンしか食べた事がなかったのだ。
なので今後は何にも邪魔されずにお菓子が食べまくれると思うと、楽しみでクロネは胸が踊っていた。
「エレナよ、そこに立ってちょこっと身を屈めぃ」
「こうですか?」
「うむ、契約じゃ」
「ぁーー!?」
エレナの両頬に手を添えて唇を奪い、クロネはそのまま舌をねじ込む。
一瞬驚いたエレナは、すぐにこれが契約だと察して顔を赤くしながらクロネの舌に自分の舌を絡める。
女性同士だというのに不思議とエレナに不快感はなかった。
むしろ、自分より一回り小さなクロネが背伸びしながら懸命に舌を絡めてくる事が愛おしいとさえ思えた。
(クロネちゃん、クロネちゃん!ああ、可愛いなぁ!)
ドキドキと高鳴る胸の鼓動に、「これが恋!?」などと思っているエレナだが、実際はこれから魔法が使える事に期待して深層心理で気持ちが昂っているだけである。
「んむ……ぴちゃ……」
「ぁ……ぁむ……んっ……」
契約には色々と種類があるが、クロネが選んだのはその中でも最も強力なもので、互いの体液を交換して結ぶ契約だった。
これには理由が幾つかある。
まずエレナは魔法を使えないが、条件を整えれば使えるようになる。
というのもクロネの縦に瞳孔が長い金色の瞳。
龍眼でエレナを診たところ、身体の各部に魔力詰まりをおこしているのが見てとれたのだ。
魔法を使うために必要な魔力回路がぐちゃぐちゃになっていたので、さっさと治してやろうと思った次第である。
龍の体液には自然治癒力を高める効果があるので、何度か同じように体液を与えてやれば完治するだろうと。
これで魔法を使う下準備は出来た。
とはいえまだまだ問題は山積みなのだが、後はエレナの努力次第で小さな魔法ぐらいならば使えるようになったのだ。
そこで問題となるのは契約である。
魔法が使えるようになったからと心変わりして、ある日突然契約を破棄されたり、襲ってこられたら困る。
なので強力な契約を交わして、互いに危害を加えたり一方的に契約を破棄できないようにした。
全てはお菓子の安定供給のために。
クロネは食い意地が張っていた。
「ぷはぁっ……これで契約完了じゃ」
「……んっ……はぁ……はぁ……」
唇を離すと、二人の間に粘り気のある糸がツーっと垂れた。
エレナは頬を朱に染め潤んだ瞳でクロネを見下ろす。
「あぁ……クロネしゃまぁ……」
「むぅ」
もしかして苦しかったのかとクロネは若干罪悪感を覚えた。
実はエレナは単に幼女とのディープキスに興奮していただけなのだが。
それが分からないクロネは少し譲歩することにした。
「……エレナよ。わしらは対等な契約を交わしたんじゃから今後は敬語も様付けもいらん」
「ですが……」
「いーらーんーのじゃー!!」
「は、はい!……じゃなくで、分かった……これでいいの?」
「無論じゃ。これからエレナの家で一緒に暮らすというのに、堅苦しい喋り方ばっかりじゃと肩が凝りそうじゃ」
「……っ!!」
エレナは「一緒に」と聞いて胸が高鳴る。
やはりこれは恋なのだと。
いや実際はこれから家族に龍と暮らしたいと報告することが心の深層で不安になっているだけなのだが。
(これ、なんなのさぁ……胸がドキドキしてる、あたしやっぱりクロネちゃんの事が……)
念願だった魔法が使えると思って、テンションが高くなったエレナは勝手に色々と勘違いを重ねていた。
「あの、これからよろしく……」
「うむ!!」
こうして魔法を使えない辺境の姫は、強大な力を持つ龍と契約を交わした。
エレナはこれからの未来に思いを馳せて、数年振りに心の底から笑った。