92話
四国遠征を終えた2日は、さすがに休み。
3日と4日は練習し、本日5日は明日から学校が再開するという事で、午前練習で終わった。
そうして今日、俺は沙希の部屋にお邪魔していた。
沙希の部屋にお邪魔した理由は、電気ストーブがあるからだ。
我が家には、ストーブやコタツなんて言う、温まれる物が存在しない。
親父に文句を言えば「男は黙って乾布摩擦!」とかほざきやがる。
なので、近所でストーブがある沙希の家にお邪魔しているという訳だ。
「悪いな沙希」
ついでに出してもらった温かい茶をすすりながら感謝をする。
ここ最近、ずっとポカポカ陽気が続いていたのに、今日は寒の戻りか何かでめちゃくそ寒い。
おかげで、電気ストーブの前から動けない英ちゃんなのである。
あっ、ちなみに選抜甲子園は俺の予想通り、隆誠大平安の優勝。
なんか知らんがエースがめっちゃ怪物投手だったらしい。秋までは確かにそれなりに評価されていたが、プロ注目とまでいかない程度の評判だった。しかし、ひと冬越して大化けしたらしい。
確か数年ぶりの選抜甲子園でのノーヒットノーランを達成していた。
沙希の部屋にある電気ストーブの前で、猫のように丸くなりながら、机と向き合っている沙希を見る。
どうやら、もうすぐで市のコンクールがあるらしい。
んでその仕上げを、家でやっているそうだ。
「悪いな沙希」
もう一度沙希に一つ謝る。
「別に良いって。英雄がいたところで邪魔にならないしね」
などと言いながらも、絵から視線を外さない沙希。
何か忙しそうなのに、沙希の家におしかけた事を反省しながらも、電気ストーブの前から動けない俺であった。
「ねぇ英雄」
「うん?」
沙希は俺を見ず、机に体を向けたままの状態で、俺の名前を呼ぶ。
俺は顔だけを沙希に向けて返事をした。
「……ごめん、なんでもない」
少し沙希は手を止めて、何かを考えた後、また手を動かしながら、そんな事を言っていた。
なんという、もったいぶり方。これが激しくなると、焦らしプレイに成長するんですね。わかります。さすが淫乱娘だ。こういうプレイが好きなのだろう。
好きな子がこんな淫乱だと哲也も苦労しそうだ。いや、哲也なら喜々として受け入れるか、あいつ相当なむっつりスケベだし。
「言いかけてやめるとか、なんつう焦らしプレイだ。俺が不快になる事なんて無いんだから、話せや」
「いいよ面倒くさいから」
などと沙希は言って、言おうとした事を言わない。
まったくがんこちゃんめ。俺は手で届く範囲にある蜜柑を取り、剥いて食べる。美味い。
ふとノックされずにドアが開かれた。
「あぁ! 英雄だ!」
沙希の弟の健太はドアの前で、俺へと指差した。
お前、仮にも姉ちゃんの部屋なんだからノックしろよ。沙希がいかがわしい事してたら気まずくなるだろうが。
ちなみに我が家も妹二人はノックしない。なので、いかがわしい事をしている最中にドアを開けられると凄い困る。
「うるせぇクソガキ、年上にはさん付けしろ。ってか、俺には様を付けろ。英雄様とな」
電気ストーブの前で丸まっている俺が言っても、説得力は無いのだがな。
「なんで姉ちゃんの部屋に居るんだよ!」
「居ちゃ悪いのかよ。寒いからお邪魔してるんだよ」
健太と俺が結構大きな声で話す。
分かってます沙希さん。迷惑ですよね。はい。
「英雄は居ちゃ悪い! 大体、姉ちゃんと付き合ってるわけじゃないのに、部屋に居るなよ!」
なんだその理論は? 俺が沙希と付き合えばここにいていいのか?
「じゃあ、今ここで告白してでも、ここに残るぞ! 家は寒いんだよ!」
ここで沙希の絵を描く手が止まった。
「だいたい、なんだよ乾布摩擦って! 朝早く起きたおっさんかよ! そんなんで体が温まるかっての!」
愚痴を言う俺。だっていまどき乾布摩擦って、なんやねん!
大体、千春や恵那は乾布摩擦なんて出来やしないだろう。せめてあいつらには電気ストーブでも買ってやれよと思う。
「って事で沙希、付き合ってくれ!」
もちろん冗談である。まぁいつもの流れだし、沙希も冗談だと受け止めるはずだ。
いつもなら「冗談でしょ? なんで私が、あんたと付き合わないといけないのよ! あんたと付き合うくらいなら、ダニと結婚した方がマシよ!」ぐらいは言うはずだ。
沙希は机に向いていた体を、俺に向ける。
顔が何故か赤い。あれか? 寒いからストーブ付けたら、意外に暑くなりました現象か?
「その…私でよければ…」
そう赤い顔のままペコリと頭を下げる沙希。
俺と健太は拍子抜けした。え? なにこいつ受け入れてるの? そこは罵詈雑言ぶつける展開でしょ?
そして一度、健太と顔をあわせて首をかしげた。
「あの沙希さん…非常言いづいらんですが…冗談です…」
「…はぁ?」
俺の言葉に顔を上げた沙希は、驚いたような顔をしていたと思ったら、今度はさっきよりも赤くなっていく。
その姿が面白くて、健太と同時に噴き出した。
「わはははは! なに本気にしてんねん! 俺が本気で誰かに告白すると思ってんのかよ!」
「姉ちゃんの反応面白すぎ! あはははは」
男二人、馬鹿みたいに笑う。うん…凄く失礼だね。
でも面白かったんだから仕方ない。沙希が俯き、ふるふる震えている事に気付くのは、目に涙をためるくらい笑ったあとだった。
「ひーでーおー…!!」
ドスの効いた唸り声が、沙希の口から漏れる。
…その瞬間、全身の血が引いた。こりゃまずいですわ。
俺は電話が来た振りをして、スマートフォンを耳に当てた。
「もしもし? Heyジョン! どうしたんだい、こんな時間に? ハニーにお預けを食らったかい? なに? ふんふん…ふんふん…。HAHAHA!! そりゃ傑作だ! オーケーオーケー! すぐさま行くよ」
俺はすぐさま通話ボタンを切った振りをして、ポケットにスマートフォンを入れる。
「ワリィな沙希! ジョニーに呼び出しを食らっちまった! じゃあ「待ちなさい英雄!!!」
俺が話し終わり前に、沙希の怒号が部屋に響いた。
一度部屋を見渡す。健太がいない。あいつ逃げやがったな。
あのクソガキ! 逃げるのだけは一丁前な!
「…ごめんなさい」
「そんな一言で許すわけないでしょうが!! なんであんたはいつもいつもそんなことばっか言って!!」
って事で、沙希さんのお説教が始まった。
さすがにこのお説教は甘んじて受け止める。全面的に俺が悪いわけだし。
口は災いの元と言うが、まさにこの事だな。反省しなければな。
結局、沙希にこの後1時間近く説教されて、お疲れモードで沙希の家を後にする俺だった。
英雄に説教し、彼が部屋からいなくなったあと、後悔だけがつのってしまった。
彼の言葉に疑いを持たなかった私が悪いのに、彼を怒鳴ってしまった。
普段なら、あんな冗談交じりの告白なんて受けないし、信じたりなんかしなかった。
どうやら、私は焦っているようだ。
それもこれも、インターネットのあるサイトを見たからだろう。
私は英雄を好きになってから、事あるごとに、インターネットで佐倉英雄と言う名前を検索してしまう。
おそらく私だけかもしれない。正直変な行動だとは思っているが、どこかで私の知らない英雄を知れるかもと期待していたからだろう。
いつもなら、英雄とは無関係の佐倉英雄さんの話ばかりがネットに浮上するのだが、ある日、私は英雄が載っているサイトを発見してしまった。
それは高校野球ファンが、高校野球のドラフト候補を紹介するサイトだった。
偶然見つけたそのサイトには、英雄の事が書いてあった。
佐倉英雄 山田高校 177cm78kg 左左 MAX149km スライダー・カット・チェンジ
安定したフォームから伸びのある最速149㌔の直球と、切れのある130㌔台の高速スライダーを武器にする。
二年の夏に初登板しており、一年の頃はベンチ入りすらしていなかった。
今のところ目立った実績を残していが、練習試合では全国クラスの打線を無失点で抑えているなど、実力は十分。
今年の春、夏で名を全国に轟かせる可能性が高い選手。
短く英雄の総評していたその文章の最後には「プロに行ける逸材」と書かれていた。
前から英雄は、凄い人間になるとは思っていた。
だけど、それでも哲也や私の傍にずっといるものだと思っていた。
しかし最近、英雄が、私には遠い場所に行ってしまうんじゃないかと言う不安が、頭をよぎるようになった。
今は目の前で、いつものように馬鹿な事をしているけど…。
いつかは、私を置いて、遠くへ一人で行くのだろう。
そうなったら、私は英雄と喋れなくなるの? もう英雄と会えなくなるの?
「そんなの…やだよ…」
思わず呟いていた。いつの間にか目じりが熱くなり、涙腺が緩んでいた。
ベッドに倒れるように寝転がり、顔を枕に押し当てる。
そしたら、次第に泣き出していた自分が居た。
英雄が遠くに行くなら、英雄と一緒にそこに行きたい…。
ならどうするの? 英雄に言うしかない…。
好きだって事を…。
だけど、今は言えない。
言えば、間違いなく英雄は断る。
英雄は今、高校野球に情熱を注ぎ、日々を過ごしている。今は言えない。
だとすれば高校野球が終わってから。
そうなると八月が過ぎてからだ。
私はそれまで我慢できるのだろうか? それまで英雄が遠くに行ってしまわない保証があるのか?
どんどんと不安なってくるが、それを払拭するように、私はガバッとベッドから起き上がった。
不安になっても仕方がない!
今は、自分も絵の事を集中しよう!
…集中できるかな。
そうして新たな不安が私の胸によぎるのだった。




