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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
4章 春はまだ遠く
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87話

 2月も早々と終わり、3月を迎えた。


 球春到来。

 長くもあり、短くもあった冬は終わりを告げ、プロ、アマチュア問わず野球のシーズンが訪れた。

 高校野球も3月10日から対外試合禁止期間が終わり、各校がそれぞれ練習試合を組んで、直近の県大会、地区大会に向けて、試合感覚を取り戻す動きを始めた。

 だが山田高校は練習試合を組んでいない。

 佐和ちゃんは「山相戦を冬明けの初陣とする」と当初から口にしており、せっかく春を迎えたというのに、山田高校にはまだ春が訪れていない。


 寒さもだいぶ和らぎ、春の訪れを感じるというのに、試合ができない事に悶々とする俺だった。



 そんなある日の練習終わり。明日は卒業式だが、野球部は今日も通常通りの練習をこなした。

 そういえば、今月の21日からは選抜甲子園が始まる。

 つまり山相戦の翌日からだ。


 我が県からは理大付属高校が出場することが決まった。

 同じ地方では、島根の浜野と広島の承徳が決まっている。

 まさか地方大会準優勝校の山口の宇部水産が選ばれないとはな。まぁ選抜甲子園の選考は時に理不尽というか、理解を越す選考されることもあるし、仕方がないことか。



 「選抜、どこが優勝すると思う?」

 練習が終わり、部室に帰り雑談していると、恭平が聞いてくる。

 最近の恭平は、何故か野球の話題をしてくる。だからといって下ネタが減っているわけではない。だがそれでも昔よりかは落ち着いた気がする。一年生の頃なんかは酷かったものだ。


 「自分はやはり横浜翔星ですね。エースの箕輪はプロ注目ピッチャーですし、園田だって高校通算47本打つスラッガーですしね」

 亮輔が一番最初に意見を出した。

 やはり横浜翔星が一番人気だよな。神宮準優勝校だけど、優勝校の浜野に比べれば選手もそろってるし、大本命って言われてるしね。


 「僕は理大付属かな。やっぱり同じ県の高校が優勝して欲しいし」

 そうニコッと笑う哲也。

 いや、さすがに理大付属は、勢いで行けたようなもんだし、選抜じゃ無理だと思う。


 「いや、同じ地域なら浜野じゃないっすか? エースの神田って凄いピッチャーなんでしょ?」

 西岡が声をあげた。

 浜野は神宮大会優勝校。優勝候補にも上がる学校だ。

 守備とエース神田に関しては、ほかの学校よりずば抜けていると好評だが、その反面、打撃で良い評価は聞かない。典型的な守り勝つ野球が持ち味だ。

 出会い頭の衝突事故のような得点がある高校野球では、ある程度点を取る力がないと勝ち上がるのは難しい気がする。


 様々な意見が飛び交う中で、遂に俺が口を開いた。


 「俺は京都の隆誠大平安(りゅうせいだいへいあん)が優勝すると思う」

 「マジかよ! だって隆誠大平安って良い選手居たか?」

 驚く一同に、思わず苦い表情を浮かべる俺。

 いやまぁ、確かにその通りだ。


 隆誠大平安は秋の近畿大会ベスト4。

 エースは確か府大会決勝戦途中で、負傷していたはずだ。

 注目選手はそのエースだけで、あとは突出した選手は居ない。

 失点を少なく、数少ないチャンスを物にし、綿密なチームプレーで秋の大会は勝ち上がっていた。


 確かに良い選手というか実力ある選手が居れば強く感じるが、実際問題、そいつを抑え込めば良い。

 バッターなら最悪歩かせるという手もある。ピッチャーならば待球作戦などを使えば容易にスタミナを削れる。

 だがチームプレーで勝ち上がってきたチームは、小技も駆使しするし、連携が一番の武器だ。それを崩すのは難しいし、中々手強い。

 正直、ワンマンチームよりも、バントとかエンドランとか、スクイズとか、小技を駆使してくるチームのほうが個人的に厄介だ。


 「へぇ! みんな詳しいなぁ!」

 話題の発起人である恭平が感心している様子。


 「俺なんかエロ甲子園のほうしか詳しくないからなぁ」

 などといって腕を組み、うんうんと頷いている。

 もしかしてお前、それを言うためだけにこの話題を出したのか?


 「ちなみに一番チアガールがエロい学校は、鳴東(なりひがし)高校な?」

 別にどうでもいい。いやどうでもよくない。あとで調べてみよう。


 「英雄今、調べようって思ったろ」

 にやりと笑う恭平。

 心読まれたのがスゲェ悔しい。


 「まぁな」

 「ふふ、やっぱりな。俺とお前はエロで通じ合ってるだけあるな!」

 そういって笑顔で頷く恭平。

 なんかめっちゃ今泣きたいんだけど…。


 「まぁその話は置いといてさ、そろそろ帰ろう!」

 むっつり哲也は、エロ話を盛り上げようとせず、話をくぎって立ち上がる。

 そうだな。明日は卒業式だしな。



 翌日3月11日。山田高校の卒業式だ。

 卒業生253名が今年、山田高校を卒業する。

 と言っても、俺にはどうでもいい話だ。

 正直、今年の卒業生とはまったくと言っていいほど関わりがない。強いてあげるなら、野球部のキャプテンだった松下先輩と、俺に愛の告白をしてきた古山先輩ぐらいだろうか。

 卒業式中も、俺はボケーっとしながら椅子に座り、早く終わらないものかと考えていた。


 そうして卒業式も終わりを告げて、改めて三年生は卒業となる。



 卒業式後、昇降口や正門では卒業生を送り出す在校生がちらほら見えた。

 哲也や龍ヶ崎、大輔、恭平、そして岡倉、さらに亮輔、耕平君も例外ではない。

 野球部唯一の卒業生、松下先輩に一言声をかけていた。


 「先輩! 今までありがとうございました!」

 「おぅ哲也! 俺の分まで頑張れよ!」

 目元を赤くさせた松下先輩が、次のキャプテンである哲也にエールを送る。

 松下先輩は確か丘城市内の企業に就職したはずだ。社会人野球はするつもりはないらしい。


 「龍ヶ崎も今までありがとう。頑張れよ」

 「はい。松下先輩も頑張ってください!」

 なんだかんだ言って龍ヶ崎も松下先輩とは一年生の頃からの付き合いだ。

 さすがに応援の一言ぐらいは口にするらしい。


 「それから岡倉…えっと、ありがとうな」

 「大樹先輩頑張ってください!」

 岡倉に告白したせいか、松下先輩は気まずそうにしているが、岡倉は特に気にしていない様子だ。

 いつものようにふわふわとした声色で、松下先輩を送り出す。


 「松下さん、今までありがとうございました」

 「おぅ三村。今年の夏、お前のバッティング期待してるからな!」

 「はい! また今度、焼肉おごってくださいよ!」

 笑顔で大輔も送り出す。

 一年の終わり頃から入部したとは言え、野球部の先輩だった松下先輩を笑顔で送り出す。

 だが松下先輩から笑顔が消えた。もしかして大輔の焼肉をおごったのかあの人。そりゃ笑顔も消えちまうか。


 「松下先輩! おめでとうございます!」

 「おう嘉村か。お前のハイテンションをこれから見れなくなるの残念だな」

 「俺も松下先輩と巨乳の女性についての話が出来なるのは残念です…!」

 そういって恭平が泣いたふりをしている。

 お前ら、そんな会話をしていたのか。


 「そ、そうだな…」

 さすがに岡倉の手前だからな、松下先輩はぎこちなく頷いている。


 「俺からのせん別です。受け取ってください! 先輩が好きな巨乳な女の子の裸体が描かれてます! 辛くなったらぜひ読んでください!!」

 「お、おぅ…」

 そういって恭平がカバンから取り出したのは、エロい本だ。

 松下先輩、めっちゃ気まずそうに受け取っている。

 好きな子の前でエロ本受け取るって、凄い恥ずかしいことだぞ。


 「あぁ、そうだ…佐倉」

 エロ本をカバンにしまい終えた松下先輩は、最後にそばで見ていた俺へと視線を向けた。


 「なんっすか?」

 「ありがとうな」

 「は?」

 急に感謝されて、俺はいぶかしげにみた。

 俺は、松下先輩になにかしたっけか?


 「お前が入部してくれたおかげで、俺の後輩がこうして試合ができるようになって、甲子園なんていう夢を見れるようになった。お前のおかげだ。ありがとう」

 そういって朗らかに笑う松下先輩。

 その笑顔に俺は、思わず照れ笑いを浮かべてしまった。


 なんだかんだ言って、後輩から慕われる先輩だなこの人。

 あまり関わることはできなかったが、哲也や龍ヶ崎、大輔、恭平、岡倉、耕平君に亮輔。部員全員がこうして送り出される価値ある人だったんだろう。

 あまり関われなかったが、少し残念に思えた。


 「いえ、三年間お疲れ様です」

 「おぅ、甲子園…頼むぞ!」

 そういって拳を向けてくる松下先輩。

 期待のこもった笑みを浮かべて、俺を見てくる先輩。その笑顔に微笑んでから、向けられた拳に自身の拳をぶつけた、。


 「うっす! 甲子園行ったら応援来てくださいね」

 「甲子園とは言わず、決勝進出したら行くよ。期待してるぜ」

 「はい!」

 こうして三年生は卒業していく。

 残された一二年生で迎えるのは、春の県大会。そして新一年生の入学。



 俺たちも今年から三年生。

 一年後の今日、俺はどれほど後輩達から笑顔で送り出されるだろうか。

 俺は笑顔で卒業できるのだろうか?


 「…どうでもいいか」

 松下先輩が立ち去り、それぞれが校舎へと戻っていく。

 一人残った俺は、そばに生える桜の木を見上げる。

 まだ桜は咲かず、それでも蕾は実り、春の訪れを感じさせる。


 「英ちゃーん! 戻ろうよー!」

 遠くから岡倉の声。

 俺は桜から昇降口へと視線を向けた。


 「おう!」

 今は来年のことなど考えなくて良い。

 まもなく訪れる春の大会、そして夏。そちらへと意識を向けよう。


 最後の一年が始まる。

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