85話
2月13日、俺は恭平の家にお邪魔していた。
そこに居るのは、俺と恭平、さらには同学年の富塚博巳、井上勇之助、毎原駿一の三人。
「今日、お前らを呼んだのは他でもない。ここにいる面子を見て、みんな気づいていると思うが、明日のアレに関してだ。モテないお前らなら何を言いたいか分かるだろう?」
恭平だけが立ち、床に座る一同を見下ろしながら聞いてくる。
まぁ十中八九バレンタインデーだろうな。
明日14日はバレンタインデー。
女の子が男の子にチョコをあげるという年に一度のあの行事だ。
「うむ、口にしなくていい。あの言葉は我々が言うには少々呪いが強すぎるからな」
呪いってなんだ恭平?
「そう今年もやって来てしまったんだ。モテない男達を選定する最後の審判の時が…」
そう忌々しそうに呟く恭平。
恭平の言葉を聞いて周囲の男たちが悔しそうにため息をつく。頭を抱えている奴すらいた。お前ら、いくらなんでも追い込まれすぎだろう。
ちなみに恭平、最後の審判じゃないぞ。毎年あるからな。
「俺たちモテない男は、明日をどうすることもできない。中止なんて不可能だ。まったく人々を苦しめるだけの行事など、さっさと廃止すればいいのに…。国は何をやってるのか。クソ! 無能どもめ!」
バレンタインデーにお怒りの恭平は、机を思いっきり叩いた。その他もろもろも恭平に続くように「そうだそうだ!」と声をあげる。
ぶっちゃけ、カップルどもにとってみれば幸せな一日なんだし、こんなこと廃止するために国が動くはずがないだろうが。
なによりバレンタインデーの経済効果はバカにできない。チョコ一つ動かないモテない男どもを優遇する理由はないだろう。
「なればこそ、俺たちに明日はない! これだけは言おう。明日は出歩くな! 明日は外を歩くだけで…死ぬぞ」
なに神妙な顔で馬鹿言ってんだよ恭平。
「いいかお前ら! 明日、もしイチャイチャしているカップルを見つけたら、迷わず殴れ! 殴り飛ばせ! ただし男のみだ!」
殴ったら傷害罪だぞ恭平。
ため息をつきそうになった。まったく呆れた。こんなこと言うために俺らを家に招いたのかこいつは。
などと俺は思いながら、鞄から、来る途中に買ってきた板チョコを取り出す。今だけは板チョコが好きな英雄君を演じることにする。
んで俺がチョコを鞄から出した瞬間、周りが悲鳴を上げた。ノリ良いなお前ら、なけなしの金で払った甲斐があるよ。
「…!? 英雄貴様!! よくもそんなものを! 早く燃やせ!! とにかく燃やせ! もしくは俺によこせ!」
めっちゃ動揺している恭平。
ってか、なんでお前にやらないといけないんだ。女の子同士が友チョコするならまだしも、男同士がチョコを渡しあうとか、それ友チョコじゃなくてホモチョコになるだろうが。
「どうした恭平? 俺は板チョコ好きだから、別にかまわないだろう?」
なんてすっとぼけながら、包装を破り、板チョコを食べる。
クソ甘い。そういえば俺甘いの苦手だったな。なんでチョコなんか食ってるんだ俺は。
「ははっ…! 英雄、お前も堕ちたなぁ! 明日に控えたアレに向けて、チョコもらえるように、チョコ好きです! とか公言する奴だろう? いるんだよなぁ、そういう痛い奴。痛いんだよお前は!」
意味が分からん。
そもそもこのチョコは、お前らを苦しめるためだけに買ったものだ。
別にチョコなんて好きじゃない。むしろ甘ったるくて嫌いだ。
「明日に控えたアレってなんだ? バレンタインデーか?」
「馬鹿野郎! その名を口にするな! 殺す気かてめぇ!!」
吠える恭平。どんだけバレンタインデーに拒絶反応起こしてるんだよお前は。
「大体! なんで英雄がここに居る!? お前の周りにはいつも女がいるじゃないか! どーせ千春ちゃんから貰って、山口から、岡倉から貰うんだろう? くそが!」
元々俺を誘ったのはお前だろうが恭平。
「俺だって千春ちゃんから、チョコとか、千春ちゃん自体をもらいたいのに、うらやましい! くそ! モテモテ野郎のお前は今すぐ出て行け!!」
「分かったよ出てくよ。だが千春だけは絶対にやらんからな」
まぁ良い。十分苦しめたし、満足だ。
こうして俺は、恭平の家を後にするのだった。
帰り道、俺は街中がどこか浮かれているように感じた。
それも仕方がないだろう。明日はモテる男にとって、恋する乙女にとって、待ちに待ったバレンタインデーだからな。
チョコの業者はもちろん、それを販売するスーパーマーケット、コンビニにとってみれば勝負の一日となるだろう。
まぁモテない男には、地獄以外の何物でもないけどな。主に恭平にとって。
立ち並ぶ店は、バレンタイン商戦に盛り上がっている。
装飾も、カップル、モテる男、恋する乙女達優先な感じに施されている。ハートマークや恋の色をイメージした赤色の装飾、どれを見てもバレンタインデーを連想してしまう。
だが、それだけバレンタインデーは経済効果が大きいということだ。仕方がない事と割り切るしかない。
まぁモテない男には、苦行以外の何物でもないだろう。主に恭平にとって。
かく言う俺も、去年まではモテない男に分類されていた。
昨年度は、妹からもらえなかったし、沙希はくれたが、ホワイトデーのお返し前提としたものであり、ホワイトデーではたっぷりとお返しさせられた。もう泣いたよ。
だが今年は違う。今年は間違いなく、モテる男のほうに分類されているだろう。
なんて言ったって、今年は野球の方で女子からの評価を高めた。さらに先日は女の先輩から告白すらされた。
これはもう、チョコをたくさんもらえるフラグが立ちまくりというやつだ。
下手すりゃ、あのイケメン須田よりももらえるかもしれん。
ふふっ。帰りチョコを持って帰れるかな。持ち帰れないほどチョコをもらったらどうしようか。チョコ持ち帰る用にでっかいボストンバッグを持っていこうかな。
なんて期待を胸に抱きながら自宅へと帰った。
さて2月14日を迎えた。
俺はと言うと、自身の予想に反して誰もくれない。
朝登校して、期待に胸をふくらませながら下駄箱を開けたのに、上履きしか入ってなかった。
気を取り直して、自分の教室へと向かい、机の中を隅々確認したが、チョコなど入っていなかった。
おかしい、こんなはずでは…。
きっとくれるだろうと思っていた。だが、誰ひとりくれなかった。
百合や美咲ちゃんからもチョコをもらえなかった。なんて事だ。もしかして、対してモテてない?
ちなみに大輔は彼女から、哲也や誉はクラスの女子から義理チョコを数個、須田はこんもりもらっている。
恭平は1個も貰っていないようで、ずっと机に突っ伏して寝ている振りをしているようだ。
それにしても、俺がチョコをもらえないとは…。
ってか、安牌の沙希からすら貰えていない。さすがに催促するのは男として恥ずかしいのでやらない。
しかし、これで痛感させられた。どうやら俺はモテない男から抜け出せていなかったようだ。告白されて調子乗っていたわ、反省しよう。
「凄いな須田。こんなに貰って」
「まぁね。毎年毎年こんなにくれると、チョコも嫌いになるよ」
教室の中では大人しい須田に話しかける俺。
一応、人が居るところでは普通に接してくれるので、須田とは人がそばに居る場所のみで関わってる。
「そうだ佐倉君もなんか頂戴!」
「はぁ? 俺は女じゃねぇよ」
「実は今日、僕の誕生日なんだよ」
そういって朗らかに笑う須田。
須田ってバレンタインデー生まれかよ。去年から同じクラスなのに初めて知ったわ。
「そうだったのか。んじゃ何かプレゼントするよ。何が良い?」
「英雄君が欲しいな」
そうニコッと笑う須田に、一瞬で背筋に寒気が走った。
思わず数歩後ろに退いた。
やべぇ、油断してた。こいつは俺を狙ってたんだった…!
「あはは、冗談だよ」
とか言ってるけど、今小声で「可愛い」って言ったの確かに耳にしたからな。
これからは人がいる場所でも、こいつとの接し方を考えよう。
「僕はいいよ。佐倉君の誕生日に、何もプレゼント出来なかったしね」
そう爽やかな笑顔のまま話す須田。しかしその笑顔の裏に恐怖がある。
怖い、怖いよ須田。
「あぁ佐倉君、はい!」
そういって須田が俺に手渡してきたのは、平べったい四角形の茶褐色した箱。
リボンで包装されており、どう見てもバレンタインデーチョコだ。
「…あ? なんでチョコ?」
「多すぎるから、1個あげるよ」
そうニコッと笑う須田。
いや、他人に渡しちゃダメだろこういうのは。
「これ、お前宛てのチョコなんだろ? 他人の俺がもらったらあれじゃねぇの?」
「それは大丈夫! だからもらってよ。お願い」
そういって潤んだ目で見てくる須田。
なんか断ったら怖い。ので、いただく。
「そうか、悪いな」
「ううん、気にしないで」
イケメンスマイルを浮かべる須田。
うーん、普通に接してる分には良い奴なんだけどなぁ。
昼休みを迎えた。
今日は彼女と食事で居ない大輔と、途中で周りの雰囲気に耐え切れず泣きながら早退した恭平と、何故かやってこない岡倉と、三人が居ないので、久しぶりに哲也と二人で食事。
哲也がやけにニヤニヤしている。今まで見た哲也の笑顔の中で、トップクラスに入るキモさだ。チョコを貰ったからだろうが、さすがにキモいぞ哲也。
それにしても、こいつも男だな。チョコをもらって、ここまで嬉しがるとはな。
「ねぇ英雄」
「なんだ?」
冷凍食品のミニチュアハンバーグを食べていると、哲也が口元を綻ばしながら、俺の名前を呼んだので、返事を返す。
「沙希がチョコをくれたんだ。これって恋愛感情とか、あるのかな?」
珍しく哲也が、恋愛などと言う言葉を使った。
バレンタインは人の心を浮かせる作用があるのだろう。俺も以後気をつけなければ。
ってか沙希のやつ。哲也にあげておいて、俺には無いのか。
「さぁな。まぁくれないよりはマシだろうな」
「だよねぇ…あぁ…嬉しい…」
俯きながら、小さくガッツポーズをする哲也。
うん、哲也。今のお前、最高にキモいぞ。
「お兄ちゃん!」
ふとクラスに千春がやってきた。
先輩のクラスだというのに物怖じしないのは、さすが千春と言ったところか。
手には包装された箱。おそらくチョコだ。
「どうしたマイシスター? 愛しのお兄ちゃんにチョコをくれるのか?」
「いや私はあげない」
なんだくれないのか。お兄ちゃん、ちょっと寂しい。
「あ、哲也さんにはあげます。どうぞ!」
「ありがとう千春ちゃん」
そして千春はチョコを哲也に手渡す。
なんだ哲也に渡す用のチョコかよ。
「おい千春。お前のアイラブユーな須田先輩にはあげないのか?」
「須田先輩には下駄箱に入れたから平気。それより、放課後、部活行く前に私のクラス来て」
「何故?」
「美咲が用事あるの」
美咲ちゃんが?
という事は、アレか。チョコか。
「そうか、あい分かった。可愛い妹のためだ。行ってやろう」
「キモッ」
そこは、ありがとうお兄ちゃんぐらい言ったらどうなんだ?
「そういえば、あいつ今日いないんだ」
千春が言うあいつとは、恭平のことだ。千春があいつ呼ばわりするなんて恭平ぐらいしかいないしな。どんだけ嫌われてるんだ恭平は。
「そうだ。バレンタインデーの空気に耐え切れず早退した」
「へぇ、そうなんだ」
そっけなく応対する千春。
拍子抜けした。千春のことだし「ざまーみろ」の一言ぐらい言うと思ったのに。
ふと彼女の手を見る。包装された箱を持っている。哲也に渡したのと同じ包装紙で包まれている。
「千春、お前まさか…それを恭平にあげるつもりだったのか!?」
「はぁ!? あげるわけないでしょ!」
何故そこで顔を赤くする千春。
お前、まさか恭平のこと気になったのか!? いやでも、千春と恭平が仲良くしているところなんて見たことないぞ。
前だって、千春に往復ビンタされている恭平を見かけたし、仲は間違いなく悪いだろう。
「別に、好きとかじゃなくて、どーせあいつの事だし、私にせがんでくるとと思って、一応用意したの! 一番安いやつ!」
なんだそのツンデレ発言は。
おいおい、千春もしかしてお前…。
「マジかよ…」
恭平になびいている実の妹を見て、俺は凄いショックを受けた。
背もたれに体を預けて天井を見上げ、額に手を当てた。オーマイゴッド…。世界はなんて残酷なんだ。
「とにかく! 放課後! 私の教室に来てね!」
そういって出て行く千春。
「英雄、大丈夫?」
俺を見て心配する哲也。
「大丈夫じゃない。今すぐ恭平をぶっ飛ばしたい」
今学校にいない恭平に、怒りを覚えるのだった。
早退しやがって、運がいいなあの野郎。




