7話 中学時代
「英雄の球、前よりも速くなってたね。筋トレしてんの?」
夕暮れの帰り道。久しぶりに哲也と並んで帰る。
夕日を遮る街路樹の下を歩く。歩くのは山田市の中心部、一直線に伸びる道でこの道沿いにはオフィス街や市役所などの行政視線が立ち並び、奥には我が山田市最大のターミナル、山田駅がそびえている。
学校帰りの学生や仕事終わりの社会人でにぎわい、歩道と自転車で分かれた歩道には人がひっきりなしに通っている。
「まぁな。俺も男だからある程度は肉体は整えていないとな」
そう左肩を軽くたたきながら哲也の質問に返答をする。
一列に並ぶビルの窓が夕日を反射している。思わずその光を直視してしまい目がくらんだ。
「正直、龍ヶ崎や松下先輩、榛名と比べても、英雄が現状一番良いボール投げると思う。だから……」
「まぁピッチャーはやる気は無いさ。俺にはマウンドに立つ資格は無いからな」
哲也の言葉をさえぎるように俺は少し大きめ声をあげた。
この言葉を聞いて隣を歩いていた哲也が立ち止まる。俺も数メートル先で立ち止まり、彼のほうへと視線を向けた。
「まだ英雄は、あの試合の事を責任感じてるの?」
あの試合。それは俺と哲也がいた中学校が、地方大会出場するかを決める県大会の準決勝戦のことだろう。
俺がいた山田中学校は、とにかく打てないチームだった。同期はみんな小柄な奴ばかりでとにかく打てない。監督も何度も打撃改善を試みるが失敗。
チームの打撃力の低さは半端なく、OBからは「歴代最強の貧打線」と馬鹿にされ、当時の監督には「今まで監督してきて一番酷い打線」と酷評され、世間からは「地区一の貧弱打線」だの「県内最低の打撃力」だの言われるほどだった。その中で唯一打てるのが俺ぐらいだった。
勝利パターンはいつだって四番の俺が得点をあげて、エースとして最少失点抑えて勝利。典型的なワンマンチームだった。
中学の頃の俺は、いわゆる他県の学校からも注目される程のサウスポーで、世間の評価じゃ俺は県内ナンバー1左腕と呼ばれていたほどだ。
だからこそ山田中学校は貧弱打線でも県大会まで勝ちあがれたわけだ。
そんなチームにいたからこそ、俺は人一番エースとしての責任感をもっていたし、俺が打たれたら負けるという状況の中で常に抑えてきた。
だけどあの県大会準決勝戦で、俺はエースとして責任を果たせなかった。
県大会準決勝。勝てば地方大会出場は確実となる試合。
そんな試合でも、俺はいつも通り相手打線を抑え、貧弱打線が絞り出したようなわずかばかりのチャンスをものにして得点を勝ち取り、1点リードで最終回を迎えた。
勝てば地方大会出場が決まる。相手打線は俺のボールに合わせきれてない。勝てる。そう確信し、慢心していた。
だからこそ俺は先頭打者のセーフティーバントを頭に入れておらず、ピッチャー前に転がった打球を掴みそこねて出塁させてしまった。
そこで俺は動揺してしまった。まだケツの青かったころだから仕方ない。しかし、そこで俺は冷静さを欠いてしまった。
続く打者もカウント1ボール2ストライクからの意表を突くセーフティーバントで俺は二回連続でボールを掴みそこねるミスをしてしまう。
そこで俺は完全に冷静さを失ったわけだ。
最後は失投を打たれて、走者一掃のツーベースヒットでサヨナラ負け。
どんでん返しの幕切れに興奮するスタンドの観客の歓声。勝てると確信していたチームメイトの、応援に来ていたサポーターの落胆する声。冷や水をかけられたように一気に心が凍り付いていく感覚。掴みかけた勝利を取り逃した絶望と恐怖。
今でもあの日の敗北は悪夢として俺を睡眠を阻害する。忘れない、忘れるはずがない。あれは間違いなく、生まれてから16年間の人生の中で一番の悪夢だ。
あの時ほど己の心の弱さに泣いた事は無かった。
そして、それ以来俺はマウンドが怖くなった……と思う。少なくとも試合に敗れてから数ヶ月はマウンドに立つ事ができなかった。また同じ過ちを犯すんじゃないかって言う不安。ずっと野球なら向かうとこ敵無し状態の俺に初めて訪れた恐怖心だった。
大会が終わって、県内の複数の野球強豪校から誘いが来たが全て拒否。勉強が出来なかった俺は、沙希や哲也が入学すると言う山田高校に誘われて、彼らと試験勉強をした末に合格し入学。今に至る。
中学時代の事を回顧して、すぐさま後悔する。あの日の恐怖心と絶望感が波のように押し寄せてきて鳥肌が立ってきた。
「責任? なんだそりゃあ? んなもん俺が野球部入部しないのと関係ねぇよ。俺は単純に弱いチームでフレンドリーベースボールなんてのが肌に合わねぇだけだよ」
哲也の言葉に少しばかり喧嘩腰になってしまったのは、おそらく今もこうして巣食う恐怖心や絶望感を和らがせようとする強がりだろう。
哲也の言う責任。正直それはもう感じてはいないと思う。
去年一年間、野球から離れて俺はスゲェ楽しかった。恭平や大輔、誉たちと馬鹿やって、野球のない青春を謳歌して凄い楽しかったんだ。それこそ、今俺を蝕む感情を和らげるぐらいにはな。
だから野球をまたやろうとは思っていなかった。ずっと惰性で女気のない青春を謳歌するつもりだった。今日の練習をするまでは。
「山田高校は弱くないよ! そりゃあ部員8人しか居ない! だけど僕らが入学する前の年は甲子園目前まで迫った! それに今年は龍ヶ崎だって居るし、大輔や恭平も居る。松下先輩だってこの一年間でだいぶ成長したし、一年には榛名だって入学した! 耕平君はまだ頼りないけど、それでも戦力は十分だと思ってる! あとは佐和先生だってやる気になれば、絶対に県内上位にいける高校だと思う!」
哲也が道端で熱く演説する。歩く人々はこちらを不思議そうな目で見ており、中にはクスクスと笑う輩もいる。
こいつの悪い癖だ。とにかく自分の仲間を馬鹿にされるとどんな場所でも怒る。この前は男子トイレで哲也の友人の悪口を言っていた奴に「僕はあいつの事が好きだ! 愛してるといっても過言ではない!」と怒鳴っていたらしい。
おかげで、一部の方々からはあらぬ噂が浮上している。
しかし山田高校は弱くないか。頑張れば県内上位にいける高校だと思うか。
あまりに単純すぎるし、自分のチームに自信を持ちすぎてる。冷静に考えろよ哲也、お前のその毎回学年10位以内には入れる優れた頭脳が泣いてるぜ?
「だから、てめぇは馬鹿なんだよ」
見下すように深いため息をついてから一言、哲也を罵倒した。
「なっ! 学年でいつも下から5位以内の英雄に言われたくないよ!」
「そういう馬鹿って事じゃねぇよ。現状をしっかり見れてないから馬鹿だって言ってるんだよ。普通に考えて、今の戦力でいけると思ってんのか?」
俺の問いに哲也は何も言わず睨みつけてくる。なので、俺は言葉を続けて山田高校野球部の現状を口にしていく。
「エースはどーせ龍ヶ崎だろ? あいつのブルペンでのピッチングを見てる限りじゃ並以上かもしれんが、上位に行くようなピッチャーには見えなかった。
大輔は確かにパワーだけは人間離れしてるし、パワーだけなら県内どころ全国クラスのスラッガーよりも上かもしれないが、所詮そこまでだろ?
恭平は恭平で全体的にプレーが粗いし、一年の耕平君にいたっては野球を始めたばかりだ。
榛名だってまだまだ一年だし、あいつも未熟だ。松下先輩と素人同然の大輔弟に至っては論外だ。あれを戦力に数えてるようじゃ県内上位なんて行けねーよ。
なにより、佐和先生をやる気にさせるような素材が居ないんだよ。
最後に、数年前に県の決勝に行けたからって、勝手に自分がしたような口調で語るのやめろ」
俺は自分の言いたい事を早口でまくしたてる。哲也は何も言ってこなかったので、一つ鼻で笑ってからその場を後にする。
少し熱くなりすぎたかな。相変わらず俺も野球に関してはすぐ我を忘れてキツイ言葉ぶつけちゃってるな。哲也を馬鹿にできねぇなぁ。クソ。
英雄がその場に居なくなって、僕はやっと我に戻った。
またやってしまった。仲間を馬鹿にされるとつい怒鳴り散らしてしまう。
まったくみっともない。しかも相手が英雄だっただけにさらに羞恥がつのる。
確かに英雄の言うとおりだ。僕らの戦力じゃ決勝どころか初戦の城東高校に勝てるかどうかも危うい。
龍ヶ崎だって英雄ほどの実力者でもない。榛名だって勝ちあがれるほどのピッチャーじゃないと思う。龍ヶ崎と榛名だけじゃ決勝進出は難しい。
英雄も言っていた通り、大輔と恭平は野球センスが十分ある。いや、そもそも二人は運動に関してはあらゆる面で優れた成績を収めるだろう。本気を出せばの話だが。
確かに、確かに勝ち上がれるような状態ではないと思う。
だけど、みんな素材は一級品だと思う。英雄が入れば投手陣はまず最強だと自信を持っていえる。
だから僕は諦めない!
再び決意を固めて駅へと歩みだす。
明日英雄に謝らなければな。でもきっと彼は「そんなことあったっけ?」とか言ってとぼけるんだろうけど。
哲也と別れたあと、ほどなくして進行方向に鵡川を発見したので、とりあえず声だけはかけておく。
なんだかんだ言って合唱部の練習場に行くたびに挨拶されているし、ここで無視して目の前を通り過ぎるのもなんかアレだしね。
なにより知り合いはたくさん作っておけと親父に再三言われているからな。男女問わず仲良くしていきたいのが俺の方針だ。
「ハロー鵡川! 平日の夕方をどうお過ごしで?」
「あっ……佐倉くん……」
驚いた表情を浮かべる鵡川。まぁ当然か。
隣に立つ男を見て俺は首をかしげた。こいつどこかで見たことあるな。
「お前は……佐倉英雄!」
「いえ、私は佐倉・ジョン・ジョーンズです。通称佐倉JJですが?」
「ふざけた事を抜かすな佐倉英雄!! 俺はお前を忘れた事が一度としてない!!」
鬼のような形相でその男は俺を指差して怒鳴る。
その声は殺意100%で出来ているかのように、耳にするだけで恐怖を覚える声だったが、俺はこの程度で退くほどの男ではない。
「きゃっ! 告白されちゃった! でもごめんね! だれ君?」
裏声で恥ずかしそうに口元に両手の拳を当てる。いわゆるぶりっ子ポーズ。
いっぽう男の眉間がピクッピクッと動いている。
「ならば聞いて思い出せ!! 俺は鵡川良平! 中学時代! 県大会準決勝でお前に全打席三振を奪われた!」
「……………あぁ…居たねぇ~そんな奴」
十数秒の熟考の末に思い出した。鵡川良平。俺が中学時代に準々決勝で戦った相手だ。
あの大会で彼は初戦にホームラン。二回戦には1本の満塁ホームランを含む4打数3安打8打点の大活躍で一気に高校の野球強豪校から注目を浴びていた。
もちろん俺も「すげぇなぁ」なんて思っていたし、こんな奴がうちの四番になっていれば全国なんて余裕で行けるかも、なんて思ったりもしていた。
んで準々決勝で俺との対決。
確か事実上の決勝戦とか言われていたはずだ。なんて言ったって、県内ナンバー1左腕と県内ナンバー1バッターの対決だったからな。
で、試合結果だがはっきりしたスコアは覚えていない。俺のチームの事だし1対0のようなロースコアだっただろうけど。
ただ鵡川良平との初対決で三振を奪ってから相手打線が一気に鎮静していったのは覚えている。
そんで俺が鵡川を全打席三振に取ってから、客席がざわざわし始めていたな。まぁ前から俺も注目されていたんだけどね。
「佐倉貴様ぁ! 山田高校に行ったらしいな!」
「そうだけど、それが?」
「姉ちゃんから聞いた! お前がいるなら今年の山田高校は油断できないな!」
「おう? いや、俺助っ人だし」
「は?」
俺の言葉を聞いた瞬間、先ほどまで烈火のごとく憤っていた鵡川良平は口をポカンと開けて硬直した。そりゃそうだ。
中学時代全打席三振にとられた因縁の相手が、今は野球部の助っ人でやっと出場するような身分だったら驚くわな。
「……本気か?」
「めっちゃ本気やねん。わい、現在帰宅部やねん」
鵡川良平は言葉を失っている。その表情が面白かったので、こいつとも仲良くなろうと決心する俺。
まぁとりあえず疑問を聞いておこう。
「そういや、鵡川と良ちんって同い年なのに、なんで良ちんは姉ちゃんとか言ってるの」
まぁ同い年って事は双子なんだが、あまりにも顔が似ていないので聞いておく。
「双子だからだ。まぁ二卵性だから顔は似ていないが……」
「ふ~ん」
良ちんが丁寧に説明してきた。なんて優しい奴なんだ。
怒鳴ってばっかだと思ってたけど、根は良いやつなのかもしれないな。
「っというより良ちんと言うな佐倉英雄!!」
んで説明後キレた。
優しいのか、優しくないのか、はっきりしろ。
「なんで? 俺は知り合いにはあだ名で呼んでるんだ。鵡川も学校じゃ、あずにゃんって呼んでるぜ!」
「えぇ!?」
俺の突拍子もない嘘に大袈裟に驚く鵡川。大袈裟な驚き方が良ちんそっくり。さすが遺伝子を分け合った姉弟といった所か。それにしても驚く鵡川結構可愛かった。
「ふざけるなよ佐倉英雄! 本気で言っているのなら、今すぐ貴様の両目を潰すぞ!」
一方、良ちんはドスの聞いた声で脅してきた。酷くご立腹の様子だ。めっちゃ殺意がこもった目で俺を睨みつけてくる。
正直、今のはちょっとちびりそうになったので「冗談に決まってるだろ」と言っておく。鵡川も「そんな風に呼ばれてないから」と誤解をといたところで、やっとこそ良ちんが落ち着く。
とりあえず良ちんがとてつもなくシスコンであるということは分かった。
「じゃあ姉ちゃん。そろそろ帰るか」
「うん。それじゃあ佐倉くん。また明日」
「明日会えるかどうか分からんが、また明日」
俺も別れの言葉を返して鵡川姉弟と別れる。
二人の後ろ姿を見送ったあと、俺も自宅へと向かうのだった。