72話
沙希としんみり話をした翌日、日曜日。
今日も練習は休みだ。そんな本日は哲也を我が家に招いての作戦会議中だ。
先日の広島東商業高校戦で、自身の投球の幅を広げたいと思ったので、その新たな球種について意見交換をしている。
「やっぱり覚えやすさならカーブかな。緩急もつけられて変化も大きい。春までに習得するなら、カーブが良いかもしれない」
哲也の意見。
それに反発したのは俺だ。
「確かにカーブは使い勝手も良いが、手首のひねりが必要になる。効果的な使い方ができなかったら、狙われて終わりだろう」
ストレートとの球速差、高低の落差など、カーブは使い勝手は良く、現に一昔前はカーブはピッチャーが最初に覚える変化球の代名詞とも言える球種だった。
だがその反面、ピッチングフォームでストレートとの差異が生まれやすく、配球を読まれると打たれやすい。効果的な使い方、リードを取れなければ、カーブは狙われやすい。
「そうなると、もうひとつの候補は…」
自然ともう一つの候補へと絞られる。
俺が提案した球種だ。
「確かにこれを覚えられれば、英雄のピッチングの幅は広がるけど、その分習得しづらいよ? 実戦に使うとなると、下手したら夏までかかるかもしれない」
「それで構わない。現状はスライダーとカットボール、チェンジアップの三球種あればなんとか抑えられる。これは夏の秘策としてとっておいて損もないだろう」
「そうか。…じゃあそうしよう」
という事で、俺の新たな球種は決まった。
俺が覚えるのはフォークボール。
下に落ちる変化球。高いレベルになると消える魔球などとも言われる球種だ。
現状、俺のボールは、横の変化のスライダーと、緩急の変化のチェンジアップがあり、そこにさらに下の変化が加われば、投球の幅はグンッと広がるだろう。
ってことで、これから哲也と二人で練習終わりにでも練習していこうと言うことになった。
無理な投げ込みはせず、毎日少しづつでもいいからやっていく。多少遅れても夏の大会までに間に合えば良いだろう。
ここでノックがされた。
「なんだ?」
「お兄ちゃん、飲み物」
そういってドアを開けたのは千春。
お前、普段俺の部屋ノックしねぇ癖に、哲也の前だと良い子ぶるな。
「やぁ千春ちゃん、久しぶり!」
「お久しぶりです哲也さん」
そして普段俺に見せない笑顔を哲也に見せる。この野郎、猫をかぶりやがって。
「なんだお前ら、同じ学校通ってるのに会ってないのか」
「そりゃ学年違うし、見かけることはあっても、話したりしないからね」
「そうですよね。哲也さんも忙しそうですし」
千春、凄い猫かぶってる。
普段からこう大人しいとお兄ちゃんも嬉しいんだけどなぁ。
「そうだ。哲也さんに相談があるんですけど」
「うん? どうしたの?」
ここで俺と哲也と同じく床に座る千春。
相談だと? なんでお兄ちゃんに相談しないの?
「実は…今、気持ち悪い男の人に言い寄られてまして…」
「気持ち悪い男の人? それは大変だ。どんな感じで?」
千春の言葉に哲也が食いついた。
気持ち悪い男の人ねぇ。大体察しがついてしまった。
「なんて言うか、毎日学校に登校したらクラスに来て、意味分からない話題をしてきて、下ネタ言ってくるし、気持ち悪いんです」
「うわっ…それは大変だ。ストーカー被害の届出とか学校になんか言ったほうががいいんじゃないかな?」
やめろ哲也。
そんなことしたら野球部が出場停止になるぞ。ってか哲也の奴気づいていないのか? 女子に平気で下ネタぶつける馬鹿なんて、うちの学校には一人しかいないだろう。
「そうですよね…。あの哲也さんのほうからその人に言ってもらいたいんです。やめてほしいって」
待て、哲也より適任がいるだろう。
その変態野郎と仲良くしているお兄ちゃんが。
「分かった。しっかりと言うよ。それで誰なの? 三年生?」
こいつ、まだ気づいていないのか。
「…嘉村先輩っていますよね」
「あっ…」
言葉を失う哲也。ようやく気づいたようだ。
「そっか恭平か」
「はい。あの人ちょっと無理です。哲也さんのほうからやめろって言ってください」
「…分かった。けどそれで恭平がやめるとは思わないけど…」
小さな声で呟く哲也。正解だ。奴は哲也に言われた程度じゃやめないだろう。
「正直、恭平なら僕よりも英雄のほうが向いてるかもしれない」
「いやです。兄には頭下げたくありません」
こいつ、目の前にその兄がいるというのにこの言い草だ。
妹だとしても、俺は関節技決めるぞ?
「分かった。僕の方からも恭平には言うけど、英雄、君もしっかりと恭平に言ってあげてほしい」
そういって哲也が俺を見てきた。
「もちろんだ。可愛い妹をナンパする変態クソ野郎はお兄ちゃんが成敗してやる」
主に関節技で。今度兄貴に新しい関節技を教えてもらおう。
「ありがとうございます哲也さん。やっぱり相談するなら哲也さんですね!」
笑顔を浮かべる千春。おい待て、お兄ちゃんも頑張るんだぞ? 感謝の一つないのか?
「それじゃあ失礼します」
そういって立ち上がる千春。
結局、一度もお兄ちゃんに感謝をしなかった。悲しい。
「しかし恭平が千春ちゃんのことを…意外だ」
「どうした?」
哲也が首をかしげている。
「いや、だって恭平って見るからにエロそうな女の子がタイプじゃない?」
「まぁあいつの口ぶりなら、そういう子が好みだろうな」
前に恭平、自分のセクハラトークを笑顔で受け入れてくれる女の子とイチャイチャしたいって言ってたしな。
正直千春はそのタイプじゃない。むしろ恭平のセクハラトークに嫌悪感を抱くタイプだろう。
「それに千春ちゃんって、恭平が好むほどエロくないよね」
うーん、言われるとそうかもしれない。
千春スタイルはいいけど、なんだろう色気がないんだよな。
確かに恭平が好むタイプじゃないな。
「なんで恭平、千春ちゃんにゾッコンなんだろう」
その疑問に俺たちは首を傾げるしかなかった。
翌日、月曜日。
今週には12月に入る。今年ももうすぐで終わりだ。
俺が住む県は、瀬戸内海式気候なる気候なので、年間の降雨量の少なさは全国でもトップだ。
「晴れの国」なんつう異名も伊達ではない。
っと言っても、冬になりゃ寒い。今日も寒い中、1人で登校する。
哲也とは幼稚園の頃からの幼馴染だが、哲也の家族は、中学卒業と共に父親の仕事の関係で、隣の市に引っ越した。
そのせいで、俺はいつも1人虚しく登校している。
山田高校は、俺の家から徒歩30分の所にある。
近辺では一番倍率の高い学校のくせに、部活動は盛んじゃない。不良が居る訳ではない。かと言って偏差値が高いわけでもなく、進学率就職率も平均ぐらい。マジでイベントがめっちゃ盛り上がる以外は、至って普通の学校だ。
そもそも、なんで恭平が入学出来たのだろうか? 倍率高いから頭悪い恭平じゃ入学できないはずだ。それになぜ山田高校を選んだのだろう? 今日の昼休みに聞いてみよう。
「なんで山高に入学したか? 決まってんだろう。女子のレベルが高いからだよ」
なぜ、恭平に対して疑問を抱いたのだろうか。数時間前の自分に小一時間問い詰めたい。
「お前みたいな馬鹿で、問題児が、なんでこの学校に入れたんだよ」
「兄貴と勉強したんだよ。なんとしても山高に入学して、彼女を作る一心でな」
人間、何か目標があると達成できるんだな。思う念力岩をも通すとはこの事か。
「しかし、現在まで彼女は一人も居ないと」
「うるせぇよ!」
「ははっ! 悪かったな! お前には乙女ちゃんが居るもんな」
そう満面の笑みでいう俺に対し、恭平の顔が青ざめていく。そして頭を抱えていた。マジでお前と乙女ちゃん、何があったんだよ。
「そういや大輔は? どうして入学したんだ?」
「そんなの、自宅から一番近い学校だったからだよ」
なるほど、大輔らしいな。
「確か哲也は、自分の学力に見合う場所だからじゃなかったけ?」
「うん。まぁ山田高校が、その年に決勝まで上り詰めたって事もあるけどね」
「そして沙希が行くと知ってだろ?」
俺の言葉に、哲也の顔が赤くなる。やはりか。
人それぞれ、入学した理由があるんだなぁ~。
「ねぇねぇ英ちゃん! 英ちゃん! 私には聞かないの?」
と岡倉が聞いてくる。
めんどうくせぇ。でも聞かないと不機嫌になるしな。
「じゃあ、岡倉は?」
「はい! それはね、好きな人も同じ高校に行くと聞いたからです!」
「あっそ」
やはり下らない理由だった。
「むっ! じゃあ英ちゃんは、どういう理由なのさ!」
「俺? 俺は、沙希に誘われたからかな?」
まぁ他にも哲也が行くからとか、家から近いとか、色々あったけどね。
「沙希さん…?」
そういってうーんと唸り出す岡倉。
こいつ、沙希のこと知ってたっけ? 少し悩んだあと、あっとした顔を浮かべて、ポンと右こぶしで左手のひらを叩く。
「英ちゃんのセフレさんか!」
「ぶっ!」
大きな声で爆弾発言を投下する岡倉。
俺、哲也、恭平が一斉に噴き出した。
「ゴホゴホ!」
「どういうことだよ英雄! 今のどういうことだよぉ!!」
咳き込む哲也。俺の胸ぐらをつかむ恭平。もう呆れて笑い声しか出せない俺。
今クラスに居る生徒たちの視線は俺たちへと向けられている。
「ちょっと英雄!! なによ今の!!」
さらに沙希が顔を真っ赤にして激怒し、俺のもとへとやってきた。
「待て待て待て待て! 今のは岡倉が言ったんだ! 俺じゃない!」
「えーでも英ちゃん、前に沙希さんとはセックスフレンドって言ってたじゃん!」
こらこら、何を言ってるんだ岡倉!?
いや、確かに前に冗談で言ったけど、忘れろって言ったじゃん!
「マジかよ英雄! お前! やっぱりヤリチンなのかこの野郎ぉ!」
「最低! 英雄最低! 馬鹿英雄! 死ね! 英雄なんか死ねぇ!」
胸ぐらをつかみながら顔を真っ赤にして吠える恭平。
俺のそばで、今にも発火しそうなぐらいに顔を赤くして怒号をあげる沙希。
ど、どうしよう…。たった一言のジョークがここまで大事になるなんて思わなかったよ…。
「違う! 冗談だ! 沙希とはなんもない! だから胸ぐらを放してくれ恭平!」
なんとか事態を収拾させるために恭平をまず落ち着かせた。
激怒している沙希、荒い息遣いの恭平、顔を真っ赤にしてゴホゴホと咳き込む哲也。のんきに弁当を頬張る大輔、キョトンとしている岡倉。静まり返る教室。
「英雄、なんか言うことは?」
「ごめんなさい。つい出来心で言ってしまいました。別に沙希とはセックスフレンドでもないです。性交渉した事もないです。ごめんなさい」
ちょこんと椅子に座りながら猛省する俺。
腕を組んだ沙希が俺を見下ろしている。
「…今度から気をつけてね」
怒った声でそう言うと、沙希は自分の席へと戻っていく。
まさか自分が何気なく言った言葉がここまで問題になるとは…今度から言葉選びはしっかりとしよう。そう思った俺。
「つまり英雄、山口とは何もないんだな?」
だいぶ落ち着いた恭平が聞いてくる。
「あぁ、セフレでもなんでもない友達だ」
「そうか…残念だ。出来れば山口がどんな裸をしてたか、喘ぎ声はどうだったとか、事細かに聞きたかったんだが…」
なにを言ってるんだお前は。
「岡倉、沙希とは普通の友達だ。そのセフレって言葉が忘れなさい」
「分かった! 沙希ちゃんと英ちゃんは普通の友達ってことだね!」
そういって無邪気な笑顔を浮かべる岡倉。
ってかセフレとか、そういう言葉の意味を知っていたら、教室であんな大声で口にできないはずだ。ちょっと岡倉は純真無垢すぎる。
無知とは時に凶器になると痛感させられた俺だった。
「そういえば恭平、千春ちゃんに言い寄ってるって本当?」
騒動がだいぶ落ち着いた頃、哲也が恭平に聞いた。
「なんだ哲也? お前は千春ちゃんのなんなんだ?」
お前こそ千春のなんなんだよ恭平。
「千春ちゃんとは幼い頃から知り合いなだけだよ。それより、千春ちゃんが凄い迷惑してたよ」
「ふふ、そういう所も可愛いな千春ちゃんは」
「恭平、今のお前、凄くキモいぞ」
含み笑いをする恭平を見てたら、思わず口にしてしまった。
「英雄、いやお義兄さん。千春ちゃんを僕にください!」
「恭平、今のお前、最低にキモいぞ」
満面の笑みでお願いしてくる恭平に俺は笑顔で答える。
「僕なら千春ちゃんを幸せにできる自信があります! だからお義兄さん! どうか千春ちゃんを!」
「恭平、次に俺のことをお義兄さん呼ばわりしたら、本気で関節外すからな」
笑顔を崩さず恭平に伝える。
その言葉を聞いた恭平は乾いた笑いを浮かべた。こいつには何度も関節技を決めている。俺が本気出せば関節外すなんて容易だと無意識に理解したか。
「あ、ははは…今のは冗談ですよ英雄さん! これからも仲良く親友で行きましょう!」
「あぁ、そうだな。あと千春がお前の下ネタに困ってるそうだから、あいつの前で下ネタ言うなよ? 次に千春から下ネタ被害受けてる報告あったら、そっちでも問答無用で関節外すから」
満面の笑みで恭平を脅す。
これは冗談じゃない。マジだ。
妹思いのお兄ちゃんなのである。
「あははは。あ! 俺ちょっと購買行ってきますねー」
「あ、俺も行くわ」
逃げるように教室を出て行く恭平。それについていく大輔だった。




