6話 怪腕衰えず
そんなわけで放課後。
俺は腹部から感じる空腹感によって、これからやる野球部の練習への面倒くささが倍増していた。
誰が見ても面倒くさそうな表情と受け取るような顔を浮かべながらグラウンドに向かう。
グラウンドは閑散としている。そういえば今日はサッカー部も練習休みか。
山田高校の運動部加入数は年々減少しているらしい。それに反比例するように文化部への加入数は年々上昇しているとか。まぁ運動部員が減って幽霊部員が増えているだけだが。
外の運動部でまともに活動しているのはサッカー部、テニス部、そして野球部だ。
一番部員が多いのはサッカー部。男子部員が14名、女子部員はマネージャーを含めて15名の合計29名もいる。ちなみに女子部員15名のうち12名がマネージャーである。これは須田の応援のためだ。
続いて多いのがテニス部。一年が5名加入したから現在12名だ。我が妹千春も入部している。
そして最後に野球部。部員は8名で、そもそも試合すらできない状況。しかも1人が岡倉とかいうデンジャラスなマネージャーだ。
しかし一昨年、つまり俺らが入学する前年には夏の県大会決勝まで上り詰めた事がある。これはまぐれとかじゃなくて、本当の実力でだ。
だが決勝まで勝ち進んだ立役者とも言える三年生が引退後、二年生と一年生が、地区大会で大差のコールド負けを喫するなど、無残な戦績を残していき、今ではこんなズサンな部に成り下がったわけだ。
野球部は三年1名。二年はマネージャーも含め5名。最後に一年2名の構成となる。
唯一の三年生は松下大樹さん。キャプテンであり黄金時代の一昨年にベンチ入り、去年はエースだったらしいが、実力は酷いものだと哲也が言っていた。
現に今回の大会は、俺たちと同い年の龍ヶ崎達也がエースナンバーを取る可能性が高い。
次に二年生。
まず俺の幼稚園の頃からの親友である野上哲也。
スローイングから捕球、リードなどキャッチャーとしてのセンスは中々あるのだが、打撃がクソすぎて目も当てられない。今まで一緒に野球をしてきて分かったのは、哲也に打撃を求めてはいかんということだ。
続いて我がエロの同胞でもあり、越えられない高き壁、嘉村恭平。
身体能力の高さと持ち前の器用さだけで現在野球をしている。一応、やり方さえ見せてくれれば、どこのポジションでも守れるらしいが、なにぶん人のモノマネなので、プレーは雑なわけで、エラーは多かったりする。
打撃は下手らしいがパワーがあるから、当たると良い打球を放つみたいだ。
次はパワーお化けの三村大輔。
途中入部組の一人だが、パワーは半端無い。次元が違う。彼にパワーで勝ちたいと努力をしてはいけない。例えると熱帯魚が鯉になろうと努力するようなものだ。まさに別次元のパワーを持ってる。
その上野球も普通に上手いらしい。高校から野球を始めたのだが、すでに部内トップクラスのバッターになっている。
だが奴の短所として、野球を真面目に取り組んでいないところだ。飲み込み早いし、パワー桁違いだし、真面目に取り組めばとんでもないバッターなれると思うのだが。
次はマネージャーの岡倉美奈。
俺とはそこそこ仲が良い野球部のアイドル。噂では松下さんが狙っているらしいが、そこんところはどうでもいい。
類まれな天然。天然系なんてふわふわしたレベルじゃなくて、デンジャラスの域まで突入している。マジで岡倉さんデビル。だが野球への熱意は強く、健気に野球部を応援している姿に幾人もの男どもが野球部に入部しようと考えた事か。
最後に龍ヶ崎達也。
今回エースナンバーを取るだろうと予測される選手。
哲也の話だと、野球センスは中々らしく打撃力はチームでダントツのトップらしい。中学時代は硬式野球のクラブチームに入っていたみたいで、ほかの部員を見下しているような、少し高飛車なところがあるらしい。
あとは一年生。
一人目は大輔の弟である三村耕平君。
足の速さは部……いや学年、学校でもトップクラスの俊足だ。ちなみに現在はセンターを守っている。大輔と同じく野球はまったくの初心者だが、兄と同じく飲み込みがめっちゃ早いらしい。
兄弟揃って野球センスあるとか、親の顔を見てみたいな。と思ったけど、去年の夏休みに見ていたわ。確か大輔の親父さん、漁師だったけか。熊殺しと殴りあえるぐらいガタイが良かったのを覚えている。
最後に俺の元舎弟の榛名亮輔。
中学時代からの知り合いで、同じピッチャーという事で、めっちゃ俺を尊敬しているらしいが、奴とはピッチングスタイルが違うから野球の考えもあわないのだが。
こいつの妹(12歳)にメッチャ気に入られてしまっている。
「よぉ佐和ちゃん。野球をやりに来たぜ!」
「おぅ英雄かぁ! てめぇは野球しなくて良いから勉強しろ!」
冗談混じりの口調で俺をいたぶるのは、野球部の顧問である佐和慶太先生。32歳独身。
一昨年の快進撃を果たしたチームを築き上げた監督なのだが、現在は堕落しており、野球部を再建する気は無いらしい。
彼曰く「俺を震撼させてくれるピッチャーが居ない」だそうだ。
気さくな性格とトークが面白いので、男女両方の生徒から人気がある。佐伯の次に。
「任せてください! 俺が出たら、9対2のコールド負けぐらいにはしてやりますよ!」
「またリアルな点差を出してくれるな。まぁ今年もそんな所か。相手は城東だ」
「うわ、いきなり城東かよ」
まったく松下さんの野郎。クジ運が無さすぎだろう!
城東高校と言ったら毎年県ベスト8には顔を出す中堅校だ。過去には甲子園に何度か出場しており、どう考えても山田高校が勝てる相手じゃない。
「まぁいいや。ってか俺以外の助っ人は?」
「とりあえず三年から2名。二年はお前と須田と大村を呼んでいる」
「なるほど、ビジュアル面は完璧ですね、学校一の美男子須田と合唱部の女子から人気の誉、そしてこの俺が居る時点で!」
「だろ? まぁお前はビジュアル関係ないけどな」
俺の切り返しに答えた佐和はハハハと笑う。
こいつ、マジで勝つ気あんのか? ってかビジュアル関係ないとか言いやがって、俺だって十分みれる顔だ。
佐和先生の心情を探ろうとするが、まったく、心のうちが読めない。何考えてるんだこの人?
「とりあえず哲也からのお墨付きだしライトのレギュラー任せるからな」
「嫌です」
「うーん打順は……六番で行こう! 六番ライトだ!」
「お断りします」
「じゃあ八番ライト」
「無理です」
「それじゃあ九番ライト」
「絶対に嫌です」
「じゃあ、ベンチウォーマーで」
「オーケー! それで行きましょう監督!」
俺と佐和先生のテンポの良い会話。どこか楽しそうに佐和先生は笑ってる。よしよし掴みは完璧だな。
だが佐和は許してくれるわけが無かった。
「お前、すげぇライトっぽい顔しているからライト確定な」
そういってニヤリと笑う佐和先生。なんて悪い笑みだ。
なんて意味不明な理由だ。こんな意味不明な理由でライトのレギュラーになってしまった。
あぁ……面倒くさい事になってしまったなぁ……。
「なんだ? 不服か?」
「佐和先生、俺の顔からあふれ出るこの面倒くさいという感情が読み取れないんですかね?」
察してくれないなら口にするしかない。
しっかりと佐和先生の目を見ながら答える。
「面倒くさい? 俺にはそうは見えないけどなぁ。スゲェ楽しそうにしてるように見えるぞ」
再びニヤリと笑う佐和先生。今度は不敵な笑みだ。
思わず表情が無になる。じっと佐和先生を見る。なんだこの人、マジでなにを考えてるのか読めねぇ。
まもなく練習が始まった。
「それじゃあ練習を開始する。とりあえず助っ人は各自で準備運動しておいてくれ。部員どもはいつも通りアップを始めろ!」
「はい!」
佐和先生の適当に指示に部員たちが返事をする。
俺のほかに助っ人はテニス部の主将とサッカー部の主将、それから須田、誉の5人。
ところで須田がさっきからチラチラとこちらを見てくる。やめてくれ、怖いから。
「あれぇ? 英ちゃんも助っ人なんだぁ」
「おや? これはこれは岡倉嬢ではないですか。今日はどのご用件で?」
誉と準備運動を始めたところで、岡倉が飲み物が入った大きなポットを両手に持ちながら、話しかけてきたので俺は適当に返事を返す。
「今から練習始めるから飲み物作ったの! すごいでしょ!」
「わー凄いなー」
えっへんと言わんばかりに自信満々な顔を浮かべる岡倉に適当な相槌を返しておく。
「うんうん、英ちゃんは野球やってる姿が凄い似合ってるよ!」
なんて言ってひまわりのような笑顔を浮かべる岡倉。
言っとくが俺はまだ準備運動中だし、服装も学校指定のジャージと体操着だ。1ミリも野球などやっていない。どこをどう見たら、この状態から野球やってる姿に繋がるのか。
いや、深く考える必要はない。岡倉の言葉に理由なんてないのだ。
「似合ってねぇよ。俺はどちらかと言うと、水泳かマット運動をやりたいんだが」
ちなみに水泳はただ単に女子の水着姿が見えるからで、マット運動とはいわゆる夜のマット運動であって……。
「英ちゃんがマット運動なんて意外だね」
俺の言葉の真意に気付けなかった岡倉がニコニコと笑う。
彼女にはずっと純粋であってほしいと思った瞬間だった。
「くっそぉ面倒くせぇ……」
岡倉との雑談を終えて準備運動を再開する。隣でそうぼやきながら準備運動をする誉。その動きも緩慢だ。面倒くささを体で良く表現できている。
「同感だ」
「なんで助っ人なんてやらんといけないんだ。佐伯先生から頼まれなかったら絶対に断ってたよちくしょう」
文句を言いながら準備運動をする誉。どんだけ面倒くさいんだお前。いや俺も面倒くさいけども。
「これじゃあ鵡川の臭いかげねぇじゃねぇかよ……」
「誉、その発言はさすがに変態すぎるぞ? 恭平じゃないんだから」
今ここにいない男と比較しても相違ない発言だぜ誉?
「変態ってお前に言われたくないわ」
「あ?」
なんだ? やるのか? 誉だろうと容赦しねぇぜ。言っとくが俺はクソ兄貴に幼少期からプロレス技かけられて自衛のためにある程度格闘技できるんだからな?
「一年の時の身体測定で女子にバスト聞いた伝説があるお前には勝てねぇって」
「あぁそれはやめろ、あれは不可抗力だ」
誉の言葉で思い出した黒歴史。
というのも、一年の時に俺は岡倉の馬鹿と身体測定で勝負したことがあった。
身長、体重、座高とあらゆる分野で勝利した俺だったのだが、なぜか対抗意識を燃やした岡倉が「バストで勝負する」というふざけた発言をした。
クラスの男子女子が見守る中、俺は男子の期待に応え、岡倉のバストを問いただした。
これが俺の伝説の事の顛末だ。まさに不可抗力だ。そしてこの一件が災いして、俺今めっちゃ女子に嫌われてる。
「こらぁ! そこの二人! 真面目にやれー!」
とここで岡倉が近づいてきてメガホンを通して俺らに文句を飛ばす。
めっちゃ女子には嫌われてる俺だが、岡倉は俺の事嫌ってないんだよなぁ。
「岡倉さん、マジ天使」
「え? 急にどうしたの英ちゃん!?」
めっちゃ驚いている岡倉。
もしこんな俺にも彼女が出来るとしたら、案外こいつなのかもしれないな。
「でも天使かぁー! えへへー天使さんなら羽根さんパタパタできるかなー!」
今あった俺の考えをすぐさま否定する。やっぱり岡倉はダメだ。マジで知能が低下するわこれ。ただでさえ頭悪いのにこれ以上頭悪くなったらさすがにやってられない。
大体、俺が女子に嫌われるようになった原因、こいつの負けず嫌いだったわ。岡倉さんマジデビル。
「よし! アップが終わったな! とりあえず龍ヶ崎と榛名、哲也はブルペンに入って投げ込みしてろ。大樹はとりあえず助っ人のノックを頼む。恭平と大輔と耕平、それから英雄はティーバッティングな」
「はっ? 俺助っ人だからノックで良いでしょうが」
てっきりノックに参加するものだと思って油断していたせいか、一瞬佐和の言葉を聞き逃すところだった。
「お前はレギュラーなんだから、練習は他の奴らとは変えるぞ」
「やだやだ! そんなの岡倉に任せとけよ! 俺はベンチでお昼寝したい!」
「ただこねるな! そんじゃあ始めろ!」
俺の意見は通らなかった。理不尽だ。
須田の横を通り過ぎる時「英雄君の子供っぽい姿も可愛かったよ」と耳元で囁かれた時、一気に血の気が引いたので、おとなしく大輔たちとティーバッティングを始める。
大輔と耕平君の三村ブラザーズと、恭平と俺の変態ブラザーズでティーバッティングが始まった。
バッティングゲージの前で恭平のトスするボールを打ちつつ、雑談を恭平とする。
「つーかさぁ見たアレっ!」
恭平の言う見たアレとは先日借りたエッチなDVDだろう。今日の昼間に借りた奴は別件だ。
もちろん最後まで見たよくまなくな。
妹にドアノック無しで開けられた時は、さすがに死にかけたが…。
「中々良かったが、男がうるさ過ぎて萎えた」
「だよなぁ~女優の選考は良かったのに男優がダメすぎるわ。俺のほうが絶対上手い」
とか自信満々に語る恭平だが、性交渉は一度もない。もちろん俺もだ。
「だが今日貸した奴は安心しろ! 大丈夫だ!」
「そうか、それは良かった」
「おうとも! 俺の喘ぎ声に似てるから問題なしだ!」
「それは良くないな。スゲェ見たくなくなった。勘弁してくれ」
こんな変態トークで盛り上がる馬鹿二人の隣で大輔が黙々とバッティングをしている。
やはりパワーが桁違いだ。一球打ち、バッティングゲージにボールが入るごとにゲージが大きく震える。俺たちよりも重量のあるバットで打っているはずなのだが、スイングスピードが半端ない。
もし俺がピッチャーなら、大輔をどう抑えるか。そんな言葉が頭の浮かんだがすぐさま打ち消す。今の俺は助っ人。ライトで出るといっても所詮は助っ人だ。
っと、佐伯っちがグラウンドにやってきた。
彼の肩ごしに昇降口でなんか準備をしている合唱部の姿が見えた。おそらく今日は外で練習するようだ。
まぁ顧問の佐伯っちが外にいるんだし、理は叶ってるのかな?
「よぉ佐伯っち! 昨日は寝かせたもらえたかい!」
「開口一番それか佐倉。本当お前ってやつは……」
「えっ! 佐伯さん昨日聖なる交渉したの!?」
俺と佐伯っちの会話に変態魔神恭平が食いついた。聖なる交渉とは恭平なりの隠語だろう。
ちなみに佐伯っちは彼女が居る。大学の後輩で一昨年から付き合い始めたらしい。合唱部の練習の合間によくそのことで話しをしている。
「恭平、お前も開口一番それは無いだろう。お前ら少しは理性を保て!」
佐伯っちが恭平と俺をたしなめる。
しかし恭平は聞いていない様子。
「この反応…交渉成立したのかぁ。マジかよぉーあぁあーくっそぉーうらやまぁー」
めっちゃ悔しがってる恭平。
恭平が生徒一番の変態だと佐伯っちは理解しているらしいが、残念だな。
こいつはそこらへんの変態が束になっても勝てないような桁外れの変態だ。佐伯っち程度のたしなめじゃ聞かないさ。
悔しがる恭平を横目に、ブルペンへと視線を向ける。
ブルペンでは佐和先生が二人の投手の球を見ている。決して下ネタではない。
亮輔と龍ヶ崎が交互に、キャッチャーの哲也に投げている。
確かに哲也の言うとおり龍ヶ崎は良い球を投げるな。あれなら、中堅校の三番手クラスにはなれるだろう。
助っ人へのノックでは、須田と誉が良い動きをしている。やはり運動神経抜群だなあいつら。
そうして練習の時間も終わり、最後に一同が円陣を組んだ。
「おっし今日は終了だ。帰ってよーし!」
佐和先生の適当な号令によって練習は終わった。
もう終わりか。正直、練習にしては不満足すぎる。心の奥底に眠る野球の虫が疼いているというのに……。
選手たちはぞろぞろと引き上げており、残ったのは恭平と哲也で、二人はベンチに座って女性の胸について恭平が一方的に持論を展開させて話している。
「哲也! ちょっと軽く投げたいから、ブルペンに入らないか?」
「えっ!? マジで言ってる?」
「大マジ。こんな練習じゃ軽く投げないと満足しねーって」
せっかくまた野球をやれるようになったんだ。疼いている野球の虫を納得させないと気分が悪い。
もちろん哲也は二つ返事でOK。直ぐにキャッチャー防具を付けてブルペンに入る。
「行くぞ哲也!」
「えっ? まだキャッチボールとか」
「いいよいいよ! どうせ遊びみたいなもんだから」
自分の口でこんな事を言っているが、俺がマウンドに登った時点で遊びなどではなくなっている。
マウンドに登るということは、ナイン全員の気持ちを背負うという事だ。俺はそのつもりでマウンドに登り続けていた。
久しぶりのマウンドの感触。とても気持ちが良い。
俺がクソガキの頃から死んでも譲らないと誓っていたマウンド、まさかこんな形で再び登るとはな。
息を吐いて、キャッチャーボックスでミットを構える哲也を見つめる。
昔と何も変わらない。股の開き方も、ミットの構え方も、腰のおろし方も、なんも変わってないなお前。
だからだろうか、自然と俺も昔の感覚を取り戻していく。なんも変わってないのはお互い様のようだ。昔の動きと照らし合わせながら体を動かす。
そして息を力強く吐きながら放った。
パアァァァァァン!!!!
乾いたミット音が良い具合に鳴いた。聞き慣れた哲也のミットの音だ。軟式ボールよりも音が少し重厚な感じがする。
「悪くない」
ミットの音も、体の動きも問題無い。二年前と変わらない。まぁ怪我なんてしてないし。
哲也から返球の後、二球目を投げる。今度はさっきよりも力強く……。
バシィィィィィィィン!!!!
今度はさっきよりも低音が鳴り響いた。
その音は凄く心地よくて、俺の中で疼いていた野球の虫が喜んでいるのを感じる。
「はぁ、最高」
ボソリとつぶやいていた。それでも野球の虫はまだ投げたいと疼く。ゾクゾクと高揚感が体に広がっていく。
やはり俺はピッチャーだ。二年前となにも変わらないサウスポー。
「もうちょい投げていいか?」
俺が聞くと、哲也は何も言わずに座ってミットを構えた。顔は笑っている。よっぽど俺がマウンドに居るのが嬉しいのだろうな。
「すげぇ…」
ふと恭平の声が耳に入る。しかし直ぐに外界の音をシャットダウンする。
今は投げるという事に集中する。
一球一球轟音を響かせても、欲求は満たされず、俺の体はもっと投げたいと欲張る。ずっと胸の奥底で隠れていた野球への欲求が堰を切ったように溢れ出している。
最初は二、三球投げれば満足すると思っていたが、結局三十球近く投げて、やっと落ち着いたのでブルペンから出た。
「英雄、お前ヤベェな」
「今更気づいたか恭平」
「悪い。ただの変態だと思ってた。すまん!」
なんて謝罪する恭平。正直、お前にだけは変態と言われたくなかった。
しかし久しぶりに投げると気持ち良いな。
うん、すっげぇ満足したわ。