64話 山高祭②「佐倉英雄の文化祭」
千春の魔の手から逃れ、わずかばかりの平穏な時間を手に入れた俺。
現時刻12時20分ぐらい。午後1時からは部活の方の出し物に参加するので、わずか40分程度だけ暇だ。
さて、どこに行こうか。E組の出し物の牛丼屋にでも行って小腹でも満たそうか?
そういえば岡倉にクラスの出し物に来て欲しいと言われていたな。ならば向かわねばなるまいか。という事で俺は一路、2年D組の出し物が催されている教室へと向かった。
2年D組の出し物は岡倉が言っていた通り、射的やヨーヨー釣りと言った夏祭りなんかでありそうな遊べる屋台が教室内に数カ所つくられている。名前はその名のとおり「山高縁日」だ。安直すぎる。
室内を覗いてみるが岡倉がいない。しかもD組はあまり知り合いがいないから、ここに来ても意味がなさそうだ。
「あれ? 英雄?」
ここで声をかけられた。
声のほうを向く。大輔が立っていた。そばには三浦がいて、二人はちゃっかり手をつないでいた。なんだよお前ら、爆ぜればいいのに。
「よっす!」
けれど、俺の心のうちに沸いた暗黒は表に出す事無く、いつものような笑顔を浮かべて挨拶をした。
「どうしたこんなところで?」
「どうしてこんなところにいるんだろうな」
大輔の質問に哲学的な感じで答えてみる。
「相変わらずだな英雄は」
そういって笑う大輔。
どうしてその答えに行き着くんだお前。
「それより彼女さんと文化祭デートか。お熱いな」
そのまま発火するまで燃えてしまえと自然と呪詛を胸の内で吐き捨てていた。
クソ! 二人をくっつけたのは良いが、いざ大輔が彼女と仲良くしているところを見ると嫉妬してしまう。なんてことだ。俺はここまで浅ましい男だったのか……!!
「まぁ普段は野球で構ってやれないからな。こういう時ぐらいは、な?」
大輔は彼女さんを見て笑顔を浮かべる。なるほど、そういうことか。
三浦もニコニコと嬉しそうに笑っている。うん、この二人の邪魔はしてはいけないな。というかこの幸せ空間は俺が耐えられない。
「そうだ英雄。これからE組の牛丼屋行くんだけど、お前もどう?」
「おいおい、こういう時ぐらい構ってやるんだろう? 俺がいたら邪魔だべ。二人で仲良くしてろよ。あとうちのクラスにも行けよ。ケーキは本物のケーキ屋が作ってるから味は保証できるぞ」
「おう、そうか。悪いな」
大輔が三浦と手を握っていない右手をあげて笑った。
三浦も感謝するようにペコリと頭を下げた。相変わらずお似合いのカップルだこと。見てるこっちまで微笑ましくなるなクソが。
二人のもとから立ち去ったあと、次に出会ったのは藤川だった。
「あ! 佐倉だ!」
「うっす。メイド服じゃないんだな」
「いまは休憩中。そんなに私のメイド姿見たかった?」
「まぁ多少はな」
声をかけられたからには多少の会話はしておく。
どうやら、トイレに行った友人を待っているらしい。
「そういえば佐倉って、女の子でも下の名前で呼ぶよね」
「うん? そうか? 高校に入ってからは誰も下の名前で呼んでないな」
中学の頃に比べて俺はだいぶ心が穢れてしまったので、女友達を下の名前で呼ぶことに抵抗ができてしまった。
なので、高校で女子を下の名前で呼んでるのは一人もいないな。いや、沙希がいたか。
「あれ? でも呼んでる子いたよね」
「あぁ沙希の事か」
「……もしかして付き合ってるの?」
藤川が真剣な顔をして聞いてくる。
お前、ちょっとマジになりすぎだぞ。
うーん、藤川と話せば話すほどに、こいつ俺に気があるんじゃね? って思えてくる。だがそれは童貞の発想だ。勘違いは自爆のもとだ。気を付けよう。
「いや、あいつとは中学の頃からの知り合いだからな。仲は良いが、付き合ってはいない」
「そうなんだ。良かったー」
なんて言って安堵の息を漏らす藤川。
うん、これはどう考えても脈アリだろ。これで告白して振られたら、青信号の横断歩道でトラックに引かれるぐらいの理不尽さだぞ。
でも告白はしない。いまは女にうつつを抜かす暇はない。俺は大輔みたいに要領よく出来る男じゃない。
「それで、なぜに下の名前を呼ぶことを気にしたし」
「え? ……あぁ、もし佐倉が良かったらでいいんだけど、お互い下の名前で呼び合わない? だいぶ仲良くなったと思うし」
ちょっと照れながら聞いてくる藤川。
まぁ別に構わないか。今更、藤川と付き合ってるって噂が流れたとしても、恭平のおかげで俺にはもう失うものなんて無いしな。
「いいよ。えっと、藤川の下の名前なんだっけ?」
「百合」
「そうか。じゃあ……百合。これからよろしくな」
とりあえず俺が言ってみる。藤川はぽかんとしている。お前が呼び合わない? って言い出したんだろうが。
「どうした?」
「あ、ううんなんでもない! えっと、よろしくね英雄」
そういってニコッと笑う藤川改め百合。
まぁ下の名前で呼び合ったところで何も変わらないけどな。
「いざ言われるとなんだか照れるね」
「そうか?」
恥ずかしそうにはにかむ百合。
なんだよお前、脈有りムーブが露骨すぎんだろう。俺がプロの童貞じゃなかったら今頃抱きついて愛の告白してるぞこの野郎。
「百合ーお待たせー」
ここで彼女の友達が戻ってきた。
さて、俺はそろそろおいとまするか。
「それじゃあ、お互い文化祭を楽しもう」
「うん! またね英雄」
「あぁ」
嬉しそうに彼女は手を振って俺を見送った。
百合との雑談を終えてもまだグラウンドに行くには時間に余裕がある。とりあえず一度教室に置き忘れたユニフォームやグラブを取りに行こう。
そう思ってケーキ屋クマさんに行ったら、美咲ちゃんを発見した。
ドアの出入り口付近で、室内をキョロキョロ見ている。
「美咲ちゃん?」
俺が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせた。
そして俺の方を見た。
「さ、佐倉先輩!」
「どうしたの? 入店しないの?」
「い、いえ……私はただ……その……」
そういってもじもじし始める美咲ちゃん。
あぁ、これだよ。女の子はこういうもじもじする姿が可愛いんだよ。なんで乙女ちゃんはこうならなかったんだ……。
「佐倉先輩を一目見に来ただけです」
搾り出すような声で彼女が答えた。その挙動、ポイント高いですよ美咲さん。
うん、相変わらず健気で可愛らしい後輩だ。
「そっか。そう言われると嬉しいものだな。そうだ、せっかくだし一緒にケーキ食べていかない?」
「え!?」
俺が誘ってみるとめっちゃ驚く美咲ちゃん。
せっかくうちのケーキ屋に来てくれたんだし、先輩の威厳を見せるためにもケーキの一つおごってやらないとな。
「いいんですか?」
「もちろん、うちのケーキ屋は本物のケーキ屋が作ったケーキだから、味は絶品だぜ」
「……えっと、じゃあお願いします」
という事で、残り時間を美咲ちゃんと過ごすとしよう。
美咲ちゃんと対面する形で椅子へと座る。
ウエイトレスにやってきたのは沙希。
「英雄、なんであんたが客としてきてんのよ……」
「それはこっちのセリフだ。なんでお前がウエイトレスやってんだ」
昨日、クラスの女子の文化祭実行委員が文化祭当日の接客は男子だけでやれと言っていたじゃないか。なんで沙希が接客をしているんだ?
それにしても……よく沙希を見ると結構ウエイトレス姿が様になっている。似合ってるじゃないかという言葉を口にしようとしたけどやっぱりやめておく。
しかし似合ってはいるが顔がいけない。そんな仏頂面では可愛らしいウエイトレス服が台無しというものだ。
「あんたが急に出ていったって哲也が言ったから仕方なく来たのよ!」
そういって机をバンッと叩く沙希。
なるほど、そういう経緯か。美咲ちゃんはビクッと肩を震わせた。
「おい店員。俺は今お客様だぞ? なんだ、その態度は?」
「こいつ……あとでぶっ飛ばす」
小声でなんか呟いている沙希。
そして俺の対面に座る女子生徒を見て硬直した。なんて感情豊かな挙動だろうか。見ていて面白い。
「それでウエイトレスさん。注文はよろしいか?」
「え!? あ、うん」
という事で沙希に注文を頼んだ。
ケーキはすでにできているので、あとはインスタントコーヒーとかジュースをコップに注ぐだけだ。本当楽な出し物だなうちは。
まもなくケーキと飲み物が来たので、それを食す。うん、やっぱりケーキ屋が作ってるだけあってスポンジも生クリームも美味いな。
「そういえば美咲ちゃんは、なんで俺のこと好きになったの?」
ふとした疑問を美咲ちゃんにぶつけてみる。
顔を真っ赤にしてもそもそとケーキを食べていた美咲ちゃんが軽く噴き出した。そして咳き込む。
「あ、ごめん」
「い、いえ……大丈夫です」
咳き込みながら美咲ちゃんが返答する。
「えっと……その……私が佐倉先輩のこと知ったのは……」
キョロキョロし始めた美咲ちゃん。
うーん、やはりいきなり二人きりはダメだったか。やはり千春が必要なのか……。
「中学の時です」
「中学? ってことは山中なんだ」
「はい。その……中学の時から佐倉先輩のこと知ってたので……」
なるほど、中学の時から俺のこと好きなのか。
凄い健気だこの子。ってか、なんて年下好きの男心をくすぐるんだこの子は。
別に年下好きじゃない俺でもグッときたぞ今の一言。
「そうなんだ。ありがとう」
「いえ……」
俺のイケメンスマイルに視線を逸らす美咲ちゃん。
ふふ、本当俺は罪な男だぜ。
この後、美咲ちゃんと軽く話し、時間になってので彼女と別れる。
彼女を見送ったあと、ウエイトレスの沙希がやってきた。
「英雄! さっき話してた女の子誰? 後輩だよね?」
沙希の質問。かなり興味津々の様子。
「俺のことが好きな後輩らしい」
「え……英雄のことが好き……?」
一気に訝しげな表情になる沙希。
なんだそのお前のこと好きになるやつなんていねーだろ、みたいな顔は。いっぺんどついたろか?
「あぁ可愛らしいよな。俺年上のお姉さん属性だが、年下の後輩も中々どうして悪くないな」
「英雄……もしかして付き合うの?」
「ふふ、秘密だ。じゃあな」
含みの込めた笑いを見せつつ、沙希を一瞥してからその場を立ち去った。
グラウンドに行く前に自動販売機で緑茶を買い、ちびちびと飲みながら物思いにふける。
美咲ちゃんや百合、岡倉と最近俺の周りで俺に好意を抱く女子生徒が増えた気がする。
恭平というあまりに強大すぎるハンデを背負いながら、ここまで女子の評価を上げてしまうとは、やはり俺は天才なのかもしれない。なんの天才なのかは知らんが。
だけど、今の俺は特に彼女欲しいと思わない。高校一年生の時はあれほど欲しい欲しいとのたまっていたのにな。
きっと今が楽しいからだろう。主に野球が。
「やっと見つけた英雄! 早くしないと遅れちゃうよ!」
ここで哲也が俺を見つけて呼び出す。
「あぁ! 今向かう」
ペットボトルに残った緑茶を一気に飲み干して、ゴミ箱に投げ入れると哲也のもとへと走っていく。
こうして俺は、いつも通りの生活をするのだった。
英雄が立ち去った教室で、私、沙希は、未だに英雄の言葉が信じられなかった。
英雄が誰かを好きになる。その可能性が浮上してきて、困惑というか不安が一気に広がった。
英雄は、女性と付き合いたいと口にはしても、女性に疎くて鈍感で、常に何かに熱中している。それが英雄だと私は思っている。
それは私が英雄を初めて見た頃から分析した英雄だけ。それでも私は英雄を知っていると思っていた。
しかし本当にそうなのだろうか?
そう言えば、私は英雄について何も知らない。
英雄がどんな夢を抱き、英雄がどんな思いで野球に取り組むのか……。そんなのは、私の中で作り上げた人物像でしかない。
本当の英雄を私はまったく捉えていない。
好きなものも、嫌いなものも、将来の夢も、好きな人も、私は何も知っていない。
それが堪らなく悔しかった。
なんか、英雄が野球部に入部してから、だいぶライバルが増えた気がする。
鵡川さん、先ほどの後輩の女の子……。他にもきっと、たくさん居るんだろう。
どれも私よりも魅力的で強敵だけど、私は負けたくない。
女の子達がこぞって頑張ってる中で、その中心人物である英雄は能天気に生きている。まるで台風の目のようだ。
だけど、それが英雄の良い所だもん。しょうがない。
もっと積極的に行かなければ。
なんて事を考えてながら、文化祭の出し物の仕事をする。
悩み多き年頃って、この事を言うのかしら?




