53話 沙希の思い
放課後を迎え、鵡川とお勉強タイム……。
には突入せず、俺はため息を吐きながらノロノロと廊下を歩いていた。
鵡川から逃げたに近いが、別に鵡川と喧嘩したわけではないし、不快に感じたわけでもない。
帰りのホームルームも終わり、鵡川が俺のクラスに来て勉強会が始まった。
今日の科目は英語。英語は数学以上に苦手の俺。
でも、数学を分かりやすく教えてくれた鵡川の事だ。きっと今回も分かりやすく教えてくれるはず……だった。
結局、俺は分からなかった。
どれくらい分からないかと聞かれたら、宇宙の先にある物並みに分からない。それぐらい俺と英語の相性はよろしくなかった。
頭が混乱した俺は「無理だあああああああ!!!」と叫びながら、教室から出て行った。
そして現在、廊下を途方にくれながら歩いている。
予想外だった。まさか鵡川があそこまで英語の発音が上手いなんて……。発音が上手すぎて、どの単語喋ってるのか分からなくなってしまった。
ミスパーフェクト故に発音すらもパーフェクトだったとは。凄いけど、凄すぎてこっちが困る。
だが、やはり英語は苦手だ。
これじゃあ将来、メジャーリーガーになったら苦労するんだろうなぁ。
「しかしどうしたものか」
英語でも赤点をとったらスーパーミラクルハイパー佐和スペシャルを受けなければいけない。
さすがに死にたくないが、英語だけはどうも体が受け付けない。
鵡川は教えるのは上手いのだが、発音も上手すぎて、何喋ってるのか分からなくて混乱するし、うーむ……。
なんて事を考えていると、廊下に教科書らしき物が落ちていた。
あれはどう見てもフラグだろ。友人から借りてやったギャルゲーで何回も見た光景だぞ。
ちなみに俺は元ギャルゲーマーだ。といっても一年足らずだがな。高校一年の頃、野球をやめて暇を持て余していた俺は、後攻で知り合ったオタクなクラスメイトから借りたギャルゲーに挑戦していたのだ。
おかげで、そこらのオタクと多少の会話が出来る程度にはギャルゲー知識を備えていると自負している。
話を戻すが、ギャルゲーならば、美少女との運命の出会いにつながる重要なフラグだ。ここをこぼすわけには行かない。
しっかりと確保し、名前を確認してクラスへ。そこでクラスに居残る美少女と知り合うわけだ。ギャルゲーならば一枚絵の場面なのだろう。
さて、どこのクラスだ? 先輩か? 後輩か? それとも他校の生徒も否めないか?
などとピンクな妄想を捗らせながら、教科書らしき物を拾う。
拾ってから気付いたが、教科書ではなくスケッチブックのようだ。
名前を確認する。「山口沙希」と丁寧な字で書かれていた。
反射的に溜め息を吐いていた。
脳みその中で出来上がっていた美少女のイメージ画が、いとも容易く粉々になっていく。
しかし沙希の奴、美術部の部長の癖になにスケッチブック落としてんだよ!
けしからん! どんな中身か、俺が確認してくれる!
スケッチブックを開く。
「あっ?」
思わず言葉が漏れた。そのスケッチブックに書かれている人物画の顔に見覚えがあるからだ。いや、見覚えって言うか……。
どう見ても俺の顔です。本当にありがとうございました。
うわ、マジかよ。俺こんなにスケッチされてたのか。
全然気付かなかった。てか、スケッチブックの大半が、俺の顔を描いた人物画だ。どんだけ暇だったんだあいつは。
笑っている俺の顔や、絶望している俺の顔、どれもこれも、俺にそっくりだ。いや、ちょい美化されているというか、俺よりも格好いい顔してるぞこいつ。
「やるなぁ沙希」
格好よく書かれていたので、思わずここにはいない沙希を褒めていた。
さすが沙希だ。美術部部長やってるだけあって、絵が上手いな。しかも人物画は苦手と言ってのに、このイケメンを正確に描いている。
とりあえず届けないとマズイかな。スケッチブックは美術部員の命だ。野球部員で例えるならユニフォームぐらいの重要度だろうか?
てか沙希はどこにいるのだろうか? この時間なら美術室に行けばいるだろうか? それともテスト期間でもう家に帰ってる可能性も否めない。そうなると奴の家に寄っていかないといけないのだが。とりあえずは美術室を目指してみるか。
スケッチブックをもって美術室へと歩いていく。
ずっと前、沙希から聞いた話だが、美術部にとっての美術室はほとんど無意味に近いらしい。
俺は「美術部だし美術室で作業するんだろう」なんて思っていたが、実際はそうではない。
美術部に、野球部やサッカー部などのチームプレイなんて無い。
まぁ当然の事だが、自分の描きたいものを描くわけである。
なので、自分の気に入った景色などを描くため、様々な場所に散らばっているそうな。
と言っても熱意があるところは美術室で絵の勉強会なんかもするらしい。沙希の話だと中学では部活の顧問が熱意ある人で、専門的な絵の描き方とか色々な表現方法なんかも部活の時間で勉強していたらしいが、山田高校ではそういったものはなく、好きな時に好きな絵を描き、コンクールなんかがあれば自由参加するような形らしい。部活動にあまり熱意のない山田高校らしい部の在り方だな。
。
ここまで語っといてアレだが、少なくとも沙希が中高で所属している美術部ではの話だ。本当のところ、俺は美術部の事情に精通していない。
とにかく山田高校美術部は美術室にいない確率高いらしいし、沙希も居るか、心配でござるなぁ。
もしかすると、俺はこのスケッチブックと一夜を明かす事になるかもしれない。
さすがに俺の顔が一杯書かれたスケッチブックを沙希の家族に手渡しするのは、沙希に酷いことをしているような気がする。
恭平の親御さんにあいつから借りたエロ本を返すようなものだ。そしてこの例えが不適切だったことに気づく。恭平の父親や兄貴なら俺に対しその本の感想を求めてくるだろうし、あいつの家は例外だったな。
そうなると、やっぱり俺がこのスケッチブックと一夜を明かして明日沙希に渡すほうがいいだろう。でも、俺の顔がいっぱい書かれたコレと一夜を共にするとか嫌すぎる。
家族に見られたら絶対にナルシストか何かと勘違いされる気がする。いや、自画像の練習していたといえばあるいは……、しかし、自分を美化してる自画像とか一人で書いてたら悲しすぎないか?
これからの事を様々考えながら、美術室の前に到着する。
ドアは若干開いており、中から人の気配を感じた。誰だろうか? 知らない奴だったら気まずい。耳を澄ませてみる。室内からなんかすすり泣くような音が聞こえた。
誰だ? 分からん。とりあえず忍び込んで誰か確認してみよう。
「……英雄の馬鹿」
美術室に入ってすぐ、沙希の鼻声が聞こえた。しかも罵倒された。
バレたのか? 待て、こんな入って一瞬でバレるとか、あいつは結界か何かを張っていたのか?
ここからじゃ沙希の姿は見れないし、あっちも見れないはずだ。
という事は独り言?
「……英雄なんて……大っ嫌い……!」
えっ? どんだけ俺恨まれてんの?
ここまで恨まれる程、沙希に悪い事したっけ?
……してないと否定する事ができない自分が悲しい。今度からちょびっとだけ彼女に優しくしてあげよう。
「……うぅ……うわあああん……!」
それから沙希が声を出して泣き出した。
位置を変えて、沙希を視界に捉えた。だが背中しか見えない。
椅子に座り、目の前にはキャンパスを置く木のスタンド……イーゼルだったか? が立っている。そばの机にはパレットが置かれていた。
おそらく絵を描いている途中に、俺に対する憎悪がふつふつと込み上がってきたのだろう。どんだけ恨まれてるんだ俺は?
それにしても、あいつが泣いてるところ初めて見た。
馬鹿みたいにプライドがあって、人前で涙を見せないあいつが、まさか俺の前で泣いてるとは……。
そういえば人前じゃないもんねここ。俺は忍び込んでるし。
さすがに人目を忍んで泣いている彼女を慰めるのは彼女に悪い気がする。ここは一つ気づかれないように出て、見なかったことにしていつも通り接するべきだろう。
けれど、俺は今の選択肢を考えるよりも先に彼女の下へと近づいていた。図々しいとか最低だと言われても、沙希には泣いてほしくない。励ませるなら励まして、彼女にはいつも笑っていて欲しい。だから、俺は彼女に近づくほうを無意識のうちに選んでいた。
バレないように、彼女の背後へと回る。
未だに沙希は、声を張り上げて泣いている。よく校舎内で声を出して泣けますね。
「英雄の馬鹿……馬鹿……馬鹿……」
泣きながら、ひたすら俺に憎悪をぶつける沙希。
どうしよう……。これ声かけたら俺殺されるんじゃないか? ……いやしかし、彼女をこれ以上泣かせるのは男として忍びない。
覚悟を決めて口を開いた。
「ガキじゃあるまいし、わんわん泣くんじゃねぇよ。俺まで泣きたくなるっての」
そう一言、今まで傍に居ましたと言わんばかりの発言を沙希の背中へとぶつける。
「……えっ?」
一瞬、沙希が泣き止み、ゆっくりと振り向く。
そして俺と目が合う。俺は片手を挙げて「ハロー」と挨拶した。
途端に沙希の顔がみるみるうちに赤くなる。目は涙目のまま。
これまた見たことがない沙希の顔だ。普通に可愛い。いつもこんな感じなら、哲也の好きな子だろうとラブラブしちゃうんだがな。
涙の跡が顔に残ったままの沙希を見て、俺は優しい笑みを浮かべるよう心がけた。
「俺は悪い事をしたつもりは無いけどさ。お前が俺の事嫌いなら、悪い事したんだよな。えっと……ごめんな」
沙希に向かって真面目に謝るなんて事は知り合ってから一度も無い。
喧嘩することはあったが、謝罪するほどの喧嘩にならなかったし、俺も謝る気なんて無かったからな。
なので、今回が初めての謝罪となる。二度目があるかは知らんが。しかし真剣な謝罪なんて、気恥ずかしい。二度とやりたくない。
「……ううん。私の勝手だもん」
そう顔を赤くし、俯きながらも沙希はしゃべる。
なんかいつもと喋り方が違う。ちょっと岡倉っぽくなってる。つまり子供っぽくなっている感じだ。なんだろう、こういうギャップ、嫌いじゃない。
そっか、お前が勝手に嫌ってたのか。なんか今まで話しかけてたのが申し訳なくなるな。
「お前が俺の事嫌いとは思わなかったよ。悪かったな今まで話しかけてて。これから話しかけずにお互い別々に生きていこう」
「それだけは止めて」
俺が言ってから、沙希が即答。
うつむいたままの沙希の表情は確認できない。
「なんでだよ。俺の事嫌いなら、話さなくても良いじゃん」
「……私は、私は……」
沙希が顔を上げて、俺の顔を見る。
まだ涙の跡が残る彼女の頬は、もう今にも発火しちゃうんじゃないかってくらいに赤くなっている。
「私は……! 英雄の事、好きだもん! 嫌いじゃないもん! だから、話さないなんて……言わないで……お願い……」
一句一句間が空いてるせいで、一言でも長く感じられた。
最後の方は俯いてしまった沙希。だが、こいつの気持ちは十分伝わった。
こんな情熱的な告白をされるとは思わなかった。
内心、動揺と羞恥でドキドキと心臓が早く鼓動し、頭に血が上り意識が散漫となる。
けれど、それが表に出ないよう必死にこらえながら言葉を考えて口にする。
「そっかよ。んじゃお互い、今日の事は綺麗さっぱり忘れよう。無理に意識されるのも今まで通りにいかなくなっていくしな。あとこれ。お前のスケッチブック。廊下に落ちてたぞ」
そう俺は左手で持っていたスケッチブックを机に置いた。
「……中身見たよね?」
「あぁ、俺がたくさん居た」
俺の一言にこれ以上赤くならないほど赤かった沙希の顔が、さらに赤くなった。
ギネスブックに認定出来るぐらい赤いんじゃないか?
「スケッチブックの中の俺、めっちゃイケメンだった。いや普段からイケメンなんだけど。それでも、あそこまで俺を格好良く書けるのは、お前だけだな。今度、めちゃくちゃイケメンと化した俺を書いといてくれ。んじゃ、俺はこれで」
そう一言、感想を述べて美術室を後にした。
美術室のドアを閉めて、そのままドアにもたれかかる。
……まさか、あの沙希に好きと言われるとはな。
普通に嬉しかった。やっぱり好きって言われて嫌な気分になるはずがない。だけど、同時に複雑な気分だ。
だが今日のことは綺麗さっぱり忘れると約束した。彼女は今日のことをどう思うかは知らない。だけど俺は明日からもいつも通り、彼女に挨拶をして彼女に下らないボケをかまして、彼女に呆れられる。そんな関係を維持していくだけの話だ。
モヤモヤが募り、このモヤモヤ発散したいがために野球がしたくなってきたが、今は野球ができる期間じゃない。
野球の代用を考えて最初に浮かんだのはテスト勉強。よし、テスト勉強にこのモヤモヤをぶつけてやろう。
ちょいとやる気になってきた。
ここはひとつ、一年の時に英語の定期テストで満点を叩き出した怪童野上哲也に、英語を教えてもらおう。
前に哲也は文系が苦手と言ったが、それは哲也の中での話だ。実際は文系すべての科目で、他の生徒の平均点を大きく上回る成績を収めている。当社比もいいところだ。
そして文系の中でも英語が一番得意らしい。だてに高校入学してから学年10位以下になったことがないとドヤ顔かましてるだけはある。
恭平と俺を同時に教えるのは絶対に負担がかかるだろうが、奴は野球部のキャプテンだ。
部員の命の救うために一肌脱いでもらうしかないだろう。
「あ、いた!」
二年教室が並ぶ三階にあがった所で鵡川と合流した。
「おぉ鵡川。悪い急に逃げ出しちゃって」
「ううん、私の方こそ教え方が悪かったと思う。ごめんなさい」
「いや、鵡川が謝ることじゃないよ。気にしないでくれ」
「でも」
今にも泣きそうな顔をしている鵡川。
お前、どんだけ自分を追い込むんだよ。いや確かに俺も自分を追い込んじゃうタイプだけども。
「それにしても鵡川、英語の発音上手かったな。帰国子女なのか?」
「え? いやそうじゃないよ。小学校の頃まで英会話教室に通ってたから」
マジかよ。幼少期からそんなところ通ってたのか。
俺なんか小学校の頃は野球するか女子のスカートを覗こうとするかの二択しかなかったぞ。
「佐倉君、私教えるの下手かな?」
「なにを言ってる。昨日の数学はめちゃくちゃ教えるの上手かったから大丈夫だよ。英語は……ちょっと後回しで別の科目教えてくれ」
「わかった。ごめんね」
「だから鵡川が謝る事じゃないだろう。逃げ出した俺が謝るべきだよ」
お互い相手に謝りつつ教室へと戻り、鵡川とのテスト勉強を再開する。
テスト勉強はいい感じに進んでいる。このままテストでも赤点回避したいところだ。頑張ろう。




