35話 転んでも前へ
「……ふぅ」
沙希はお茶を一口飲んで、息を吐いていた。
「何故、俺の隣に座る?」
「別に私がどこに座ろうが私の勝手でしょ? そもそもここは、毎日私が昼休みに座ってる特等席なの」
「そうか……」
聞いた俺が間違いだった。相槌打つことすら面倒くさい。
沙希から貰ったお茶は飲まない。と言うより飲みたくない。
「英雄、朝やばかったね」
「あぁ、やばかったな」
珍しく沙希と会話が続かない。
いや、俺が続ける気がないからだろう。
「……英雄が元気無いと気持ち悪いわよ?」
「そうか……」
沙希の言葉も適当に流す。
正直めんどうなんだ。今は誰とも会話したくない。
早く消えてくれ。今は一人で将来について考えてるんだから。
「……」
「……」
両方無言になる。世間的に言うと、気まずいムードになるって奴だ。
まぁ今の俺には関係ない。今は一人になりたい。とっとと沙希がこのムードに負けて、この場から立ち去ってくれることを祈るだけだ。
今の惨めな俺の姿を、こいつにこれ以上見せたくない。
「……なんか、昔もこんな事あったね」
「……あ?」
昔? ……あぁ、あれか。
彼女の言葉を聞いて思い出した。
あれは中学三年生のころの話だ。
県大会準決勝、俺のミスで敗れた翌日。
朝から強がっていた俺だったが、放課後ついに強がる事ができなくなって、教室で一人、落ち込んでいた。
それはもう、涙を流して嗚咽するぐらいに落ち込んでいた。
家に帰るまで我慢しようと思っていたのに、涙が止まらなくなって、教室でグズグズと泣いていた。
今思い出しても情けない姿だ。今すぐ過去に飛んでぶち殺してやりたいぐらい、黒歴史でしかない情けない姿だった。
そんな情けない姿を沙希に見られたわけだ。
もう恥ずかしかったよ。ひたすら恥ずかしくて、今思い出しても枕を顔にうずめて足をバタバタさせたいぐらいの恥ずかしさだ。
「あっ……」
ここでハッとなって気づいた。
俺、あの時とまったく変わってないじゃん。
今の俺は、あの時とまったく同じ落ち込み方をしている。そしてまた野球を遠ざけ、自分のミスから逃げようとしている。
なんだろう、全然成長してないじゃないか。
「アホか俺……」
「ん? どうしたの?」
独り言を呟いたら、沙希に聞き返された。
考えれば考えるほどに、自分のアホさに笑えてくる。
「馬鹿みたいに落ち込んで、アホみたいだなって。しかも昔とまったく同じ落ち込みかたで、マジで笑える。挙句、同じ手段で解決しようとしてる……」
そんな事を言う。あぁなんか本当に笑えるな。
思わず口元を綻ばして小さく鼻で笑う俺。
「英雄、やっと笑ったね」
「あぁ?」
俺は沙希の顔を見る。沙希が嬉しそうに微笑んでいる。
なんで? どうして?
「やっぱり英雄は、いつもみたいにハイテンションじゃないと、うん、でも……」
そう何かを言いかけて沙希は立ち上がる。
「なんだよ?」
「……英雄は、もっと弱さ、人に見せても良いと思う」
………。
「沙希」
「なに?」
「……お前、良い女だな」
「はぁ!?」
俺の一言に顔を真っ赤にさせる沙希。
「え、えっと……」
「確かにお前の言うとおりだ。俺、頑張りすぎてたわ」
彼女の言うとおりかもしれない。
俺はもうちょっと誰かに弱さを見せるべきなのかもしれない。
「だから沙希、サンキューな」
彼女に笑ってみせる。理大付属戦でしてしまったようなぎこちない笑顔ではない。
ちゃんと頬を緩ませて、自然とできた笑顔。
俺の笑顔を見て沙希は照れたように笑う。
「うん! ……じゃあね!」
彼女は笑顔のまま屋上から立ち去っていった。
一人取り残される俺。屋上は依然、和やかな空気に溢れている。
「そうか、もうちょっと人に弱さを見せてもいい…か」
彼女の言葉が深く俺の胸に染みた。
なんにしても、沙希と話して、少しは立ち直れた気がする。
俺は再び景色を見る。
4時間近く見てきた景色。しかし今見たら、まったく違う景色のように見えた。
昼休み終了のチャイムが鳴っても、俺は動じずに景色を眺める。
沙希から貰ったお茶をすすりながら、俺は無意識に考え事をしていた。
先程まであったマウンドから逃げるという選択肢はない。それはかつて、中学生の俺が選んだ選択肢だ。この選択肢は間違いだった。
遠ざけた結果が、今回のミスに繋がった。時間は何も解決してくれなかった。克服することも忘れることもできなかった。だから、マウンドから逃げるという選択は今回はしない。
しっかりと、今回のミスと向き合う。
何故バント処理が出来なくなったのか?
それは過去のトラウマが原因だ。
中学三年の県大会準決勝でのバント処理のミスから崩れ敗北した。これがトラウマとして残っていたからバント処理ができなくなった。
なら、なんで過去にあんなミスをした?
最終回勝っていて油断したからなのか? だけど、油断して打たれた試合は、過去に何度もある。
なら、なぜあの試合だけ、今もなお深い傷となって残っているのだろうか?
あの試合と、今までの負けた試合の状況を照らし合わせる。
そうして浮かぶのは二つの理由。
一つ目は、単純に県大会準決勝だったという事。勝てば決勝戦があり、そこで負けても地方大会出場が決まっていた。これだけでも普段の試合とは違う緊張感あったということだ。
もう一つは、勝っていたというのに、俺の油断がミスに繋がり、それで俺が動揺し、俺のミスで負けたという事。
俺のせいで負けた試合は、少なくともあの試合が初めてだったと思う。
俺は常にマウンドに上がるとき、チーム全員の責任を背負って上がる。
それがエースとして当たり前だと思っていたし、エースはチームを勝たせるための存在だと思っていた。
なによりも、誰よりも期待されていたから、誰よりも責任を背負うべきだと思っていた。
だからこそ、エースの俺のミスで負けることが許せない。
中学時代、俺が所属していたチームは、俺が打たなきゃ勝てなかった。俺が抑えなきゃ勝てなかった。
昔の俺は、重い責任感を背負って投げ続けていた。
俺が打たれたら負け、俺が打てなかったら負け。だから俺が頑張らないといけない。誰よりも頑張らないといけない。
そう思い、戦い続けた。
だからこそ、あの試合の敗北は大きな傷になったのだろう。
そして、そんな重い責任を、今でも俺は背負っている。
今だって、俺が打たれたら負けだと思ってるし、俺が打てなきゃ負けると思っている。
「なるほどね」
改めて自分の性格を考えたら、原因が見えてきた。
もしかすると、この重い責任感が原因なのではないか?
この俺の考えが間違っているのではないか?
なんでも背負いこみ、チームの全てを背負って投げることは本当は正しくないんじゃないか?
チームの奴らは、どう思っていただろうか?
なんでもかんでも一人でやろうとする俺を見て、どう思っていただろうか?
「俺は一人相撲をし続けていたんだろうなぁ……」
なんとなく結論だろうと思うことを口にした。
仲間を心の奥底では信用せず、自分だけの力で甲子園に行こうとした。いや、自分じゃなきゃ甲子園には連れていけないと勝手に思い込んでいた。
なんともくだらない男だ。周りからの期待に応えようと努力して、勝手に色んなもの背負って、その結果自滅して負けてるんだからな。
「ふふっ……くだらねぇなぁ……」
そう考えると笑えてくるものだ。
リトルリーグの頃、自分の才能に気づき、周囲からのその才能を期待され、その才能でチームを引っ張ろうと決意したあの日。
中学時代、俺が頑張らないと勝てないと知り、俺の才能に周囲は期待し、そんな周囲の想いを背負ってワンマンチームのワンマンになろうと決意したあの日。
俺はどうやら余計なものまで背負ってたようだ。
俺はワンマンに向いていないようだ。沙希の言っていたとおり、俺は本当は弱いから、いずれどっかで潰れてしまう。
「なんだ。そう考えたら楽じゃないか」
独り言が多くなってるなぁ……。
まぁ良いか。周りに誰も居ないし。
独り言をつぶやくことで、自分自身と対話しているような気分になり、普段以上に自分を理解できる気がする。
余計な責任感は捨てて、自分の出来ることをやれば良い。
それだけなんだよな。本当にそれだけで良かったんだ。
中学のときみたいに、バッティングもピッチングも、背負い込む必要なんて無い。
バッティングなら大輔や龍ヶ崎が居る。あいつらに任せれば良いんだ。
守備だってそうだ。バント処理が不安なら、哲也なりファーストの大輔なり、仲間に任せちまえばいいんだ。俺がなんでもかんでもする必要はない。
もう一人で背負い込まない。
仲間を信じて、俺はマウンドに上がればいい。
っと言っても、エースとして全員の想いを背負う気持ちは変わらない。これだけは変えられない。俺の信条だしな。
なんか、ひと段落ついたおかげで、眠くなってきた。
俺は一度息を吐いて、そのままベンチに寝転んだ。
空から直射日光が当たって暑い。だけど眠い。二日間徹夜したせいだろう。一気に眠気が押し寄せてきた。
そこに穏やかな涼しい風が吹き、眠気が倍増する。
まもなく眠気に侵食されていく。
今は、この心地よい疲れと、心地よい風に揺られて、眠ろう。




