33話 天才の弱点
理大付属との一戦後の朝、僕、野上哲也は、いつものように山田高校へと通学している。
昨日の試合、英雄があそこまで崩れるとは思わなかった。
僕には、何故英雄が崩れたのか詳しく分からなかったが、おそらくバントが原因だろう。
もしかして英雄は、中学時代の県大会準決勝の敗北が、まだトラウマなのだろうか? もしそうなら、僕はなにも気づいてあげられなかったことになる……。
昨日の試合後、英雄は無口だった。
空元気でお調子者の英雄が無口になって、ずっと真剣な表情を浮かべていた。それだけでも幼稚園の頃から一緒に居た僕から見れば異常事態だ。
幼い頃から試合で負けても、悔しさを胸のうちにしまって、皆を励ますような英雄はそこには居なかった。
……いや、英雄としたら、生まれて初めての出来事だったのかもしれない。
だって、英雄がここまで崩れて負けたなんて、初めての出来事だったし。
早く、いつもの英雄に戻って欲しい。
僕じゃきっと英雄の力にはなれないだろうし……。
英雄は天才だと思う。幼い頃からずっと野球をしてきたから分かる。英雄は天才だ。
人よりもつねに一歩先のことを覚え、人よりも高い技術を持っていた。
その上で、誰もが驚く程日々努力を怠らず、監督たちの期待以上の成果を見せ、誰よりも野球に全てをかけていた。
そんな彼に僕がどう力になればいい?
僕には、英雄を救うことも励ますこともできない……。
クラスでは、すでに二回戦敗退した事が知られているようだ。
励ます人や、冗談っぽく敗北をからかう人もいた。
僕は極力敗北した悔しさを胸の内に秘めて、笑顔で接する。
「哲也。英雄は?」
ふと沙希が声をかけてくる。
「今日は休むって、英雄のお母さんが言ってた」
「そっか……」
沙希は寂しそうな顔を浮かべた。
話が変わるが、僕は沙希の事が好きだ。
恥ずかしい話だが、英雄と沙希が会話してて、たまに嫉妬を抱いてしまったりする。現に今、英雄を心配する沙希を見て嫉妬している。
それなのに彼女は、僕の目からでも分かるくらい英雄の事が好きだ。
沙希から聞いた事は無いが、英雄に対する態度を見れば一目瞭然である。
それなのに英雄は、能天気なのか、まったく気付いていない。そのくせ「彼女欲しいー!」などと恭平と叫んでるから、たちが悪い。
いつも寂しそうな表情をする沙希が、かわいそうに思ってくるし、なんとかして英雄とくっつけさせられないかと思っている。
でも僕は沙希の事が好きだし、なんで沙希と英雄をくっつけたいなどと思ってしまうのかと自分にどぎまぎしている。
「英雄、大丈夫かな……」
「わからない……。でも様子はいつもと違ってた……と思う」
「そっか。あの元気だけが取り得の英雄が休むくらいだし、なんかあったのかな」
やはり沙希は寂しそうな表情を浮かべた。
その寂しそうな表情を見て胸が苦しくなった。
「んじゃ哲也! 英雄をしっかりリードしなさいよ。あいつは馬鹿だから、無駄に突っ走る癖があるから」
「あぁ分かってるよ」
そう言うと沙希は、女子のグループへと向かった。
僕は幼稚園の頃から英雄を知ってる。
だからこそ、今回の件はどうしようもできない。
落ち込んでいる英雄なんて、ずっと長い間付き合ってきた僕ですら初めて見たのだから。
……英雄。早く立ち直って欲しいな。
≪あー2年B組野上! 帰りのホームルーム終了次第、数学準備室の佐和のもとに来い≫
放課後、校内放送から佐和先生の声。
呼び出しだ。おそらく英雄のことだろう。
帰りのホームルーム終了後、カバンを肩にかけて、僕は数学準備室へと向かった。
数学準備室の前に立ち、軽くドアをノックする。
「どうぞ」
奥から佐和先生の声。
僕は「失礼します」と言いながらドアを開いた。
室内にはコーヒーの香りが充満している。どうやら佐和先生が準備室でインスタントコーヒーを作っていたようだ。
「おぉ来たか哲也。まぁそこらへんに腰掛けてくれ」
窓際の椅子に座りコーヒーカップ片手に佐和先生がうながす。
僕はその声に従って、乱雑に置かれた椅子に腰掛けた。
「それで監督、なんでしょうか?」
「なんでしょうか? じゃねぇよ。呼び出しくらった理由わかってるだろ?」
僕の心を見通すかのように佐和先生が言った。
やっぱり英雄のことか。
「……英雄のことですか」
「そう。それ以外お前を呼び出す理由があるかよ」
そういってコーヒーをすする佐和先生。
「昨日の英雄、どうだった?」
「……今まで見てきた中で一番酷いピッチングでした」
「だよなー。じゃあ、何が原因だったと思う?」
佐和先生の質問。
何が一番原因だったんだろう。やはり中学時代のあれだろうか。
「英雄は、中学のとき、県大会準決勝でバント処理をミスして、それが原因で負けてます。それがトラウマとして残っていたのが原因かと」
「うーん、それだと60点かな? 幼馴染といえど、まだまだだな」
軽い調子で佐和先生が答えた。
これが違う? じゃあなんなんだ? 英雄のピッチングが崩れるなんて、トラウマ以外ありえない。
「まぁ幼馴染には弱いところを見せたくないっていう、あいつなりの強がりかもしれんがな」
そういって、佐和先生はテーブルに置かれたソーサーにコーヒーカップを置いた。
「第二問だ。英雄は天才だと思うか?」
「思います」
これは即答できた。
僕は今まで英雄の才能を傍で見せつけられてきた。それこそ劣等感を覚えるまでに。
優れたアスリートであった両親から受け継いだ身体能力と、誰よりも貪欲に努力をしようとする精神力。どれをとっても英雄は天才だった。
英雄の才能が羨ましくて、何もない自分が嫌で、英雄に負けないぐらい、野球へ情熱をかけた。野球への思いぐらいしか英雄には勝てないと思ったからだ。
「そうだな。確かにあいつは天才だ。だが俺から言わせてもらえば、才能に溺れているクソガキでしかない」
「え?」
佐和先生の一言に僕は首を傾げた。
「英雄は天才だと自称しないと力を発揮しないんだ。誰かに大口叩いて、注目浴びて、そうやって周りから見られないと自分を追い込みきれない。ずっと周りから期待されていたからだろうな。期待されなくなると自分じゃなくなるとでも思ってるのかもしれないな。あいつはさ、お前が思ってる以上に弱いんだよ」
まるで幼馴染の僕よりも英雄を見ていると言わんばかりの言い方だった。
だけど、それは正しいのかもしれない。僕は英雄の本当の姿を見ていないのかもしれない。彼の才能があまりに大きすぎるから、僕はそれにしか目がいかず、本当の彼を見えていないのだろう。
「どうすれば英雄のあのトラウマは直りますか?」
今度は僕が佐和先生に質問してみた。
「簡単さ、考え方を変えるだけだ」
「考え方ですか……?」
「あぁ、あいつは弱いくせに色々と背負い込み過ぎなんだよ。それなのに才能があるせいで、誰よりも強くあろうとしている。本当、見てて滑稽だ」
佐和先生は笑いをこらえるように口元を歪ませている。
どこが面白いのか僕には分からない。
「中学と高校じゃチーム事情が違うってのに、あいつは未だに中学の頃の感覚で野球をやってる。だからダメなんだ。頭固いよなあいつ。さすが赤点常連だ」
「……あの、先生。僕が呼び出された理由はなんでしょうか?」
結局のところそれだった。
僕はただ先生と雑談するためだけに呼ばれたのだろうか?
「あぁそうだったな。今英雄は精神的にガタついてる。次学校に来たら、なんでもない一言ですら爆発するだろうから、その時はすぐさま俺を呼べ。くれぐれも生徒指導の蔵田先生を呼ぶなよ」
「は、はぁ……」
英雄が爆発? 何を言ってるんだ?
「あと、チームは今負けて雰囲気が悪い。キャプテンのお前が率先して声出してチームを引っ張るように」
「は、はい!」
「以上。すぐさまグラウンドに行って準備を始めろ。俺もこのコーヒー飲んだら行くから」
「はい!」
こうして僕は数学準備室を後にした。
結局、僕は何故呼ばれたのかよくわからなかった。
とにかく英雄が爆発したら佐和先生を呼べば良いんだよな。
英雄が爆発って……どういうことだろう……?




