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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
320/324

319話

 卒業式前日。桜はまだつぼみをつけたばかり。

 桜舞い散る卒業式とはならないようだ。

 見慣れた通学路を歩きながら空を見上げる。昨日の雨が嘘のように綺麗な青空と雄大な雲が広がる。

 吐く息はまだ白い。まだまだ朝晩の冷え込みは酷いが、それでも日差しは確実に春の訪れを感じさせる。


 歩きながら一つ深呼吸をした。

 昨日の朝の通学時はどこか緊張していて、ここまで周囲に視線を向ける事はなかった。

 だけど今は違う。しっかりと周りが見えていて、そしてこれからやるべきことも見えている。

 昨日まであった後ろ向きな感情はない。いつも通り、常に前に前にと向かう感情だけ。


 住宅の向こうに校舎が見えた。

 生徒たちの喧騒が聞こえてくる。


 「やるぞ」

 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、俺は一歩また一歩と校舎へと歩みを進める。

 感情が先行して、今にも走り出したい気持ちに駆られる。そんな暴れ馬のような感情を理性が押さえつけて歩いていく。



 昇降口で上履きに履き替え、教室へと歩いていく。

 梓の事だから、もう学校には登校しているだろう。いつものように自分の席で友人たちと談笑しているだろう。

 仮に教室にいないなら探す。休んだのなら彼女の家へと向かう。逃げる、避ける、追いかけない、という選択肢は今の俺にはもうない。彼女と向き合う。

 逃げて避けていた俺を追いかけた昨日の彼女のように、強い意志をもって向かいあう。


 教室へと歩む足に緊張はない。

 むしろいつも以上に軽やかだ。本当走って教室に滑り込みたいところだ。



 横開きのドアが無造作に開かれたままの教室の出入り口。そこをするりと潜り教室を見渡す。


 いた。


 いつもの席でいつものように友人たちと談笑をしている。

 昨日見せた悲しげな表情はない。いや見せていないと言うべきか。あぁ、今こうして視野が広くなって分かった。

 梓は無理をしている。きっと気づいているのは俺だけじゃない。今も梓と談笑する女子たちだってきっと気づいているはずだ。

 …また彼女に無理させた。本当、まだまだだな。


 一歩、一歩と彼女へと近づいていく。

 梓がこちらを一瞥してさっと友人たちのほうへと逸らす。一方、彼女の友達は俺のほうをギロリと睨みつけていた。


 「なに? 佐倉?」

 彼女たちの前にきて第一声は梓の友人。確か名前は……帆波ちゃんとか梓が言ってたな?

 三年間、いつも梓のそばで見かけた生徒だ。

 俺にとって哲也のような、そんな親友って奴なんだろうか。正直女の友情関係なんて分からないけど。

 それでも、こうして俺を睨みつけているという事は、彼女も察しているのだろう。なら……梓は良い友人をもったという事だ。


 「てめぇに用はねぇよ。梓、話がある」

 俺の言葉に梓は肩をびくりと震わせた。

 俯いたままの彼女。隣に立つ俺はそんな彼女を見下ろすような形となる。

 沈黙が訪れた。梓は口を開かない。そんな彼女を女友達たちはいぶかしげに見ている。


 「佐倉、あんた梓になんかしたでしょ?」

 「なんもしてねぇよ」

 「嘘つけ! なんかしなきゃ梓がこんな風になるわけないじゃん!」

 帆波ちゃんの隣に座る百合も加勢して俺を責めたてる。

 そうはいっても、本当になにもしてないんだ。


 「だからなにもしてねぇっての。……なにもしてこなかったから、こうなったんだよ」

 ぼそりと俺がつぶやくとまくしたてていた女子たちは口を閉じる。

 俺と梓の様子を見て、なにかを察したらしい。こいつら、本当察しが良いな。


 「……その、ひで…佐倉君とは話すことなんてないから」

 俯き心なしか俺の立つほうから顔を逸らしつつ、一切俺の顔を見ずに梓は答えた。

 そばにいる女子どもを一瞥する。なんかひそひそ話している。まぁ今の一言で察しちゃうよな。

 まぁいい。今はこいつらは関係ない。俺は梓と話すためにここにきたんだ。


 「お前は昨日自分の言いたいこと好き勝手言って、俺の返答も待たずに消えやがって。一言俺にも言わせろ。今度は逃げんなよ」

 こんな荒い言葉遣いを梓にしたのは初めてだ。昨日の哲也の言葉を思い出す。確かに俺は、梓の前では俺らしくなかったなと今は分かる。


 「……お互い相手から一度は逃げた。これでおあいこだ。だから、今度は対等に話したい」

 こんなの暴論だ。

 まず対等なわけがない。梓はたった一度逃げただけ。俺は何度彼女を避けた? 何度彼女を遠ざけた?

 何より梓の昨日のあれを、逃げたとは言うべきではないだろう。彼女は自分の想いと向き合い、そのうえであの答えにたどり着き、そして俺と向き合いあの言葉を告げた。

 あぁ、彼女は逃げずに向き合ったんだ。なら今度は俺の番だ。


 「……分かった」

 数十秒の沈黙の末、梓の口から搾り出るような声。

 ゆっくりと俯いていた彼女の顔が上がり、そして俺と目が合った。

 先ほどまで見せていた作り笑いの表情はもう消えうせていた。

 恐怖、不安、悲哀。そんな色んなマイナスの感情で埋め尽くされた表情。今にも泣いてしまいそうなその顔に、俺は唇をかみしめる。


 何が天才だ。何が怪物だ。

 どんなに野球ができたところで、惚れた女にこんな顔をさせてしまったんだ。

 ……俺はまだ青い。まだまだ怪物なんて公言出来やしない。


 怪物は一日にして成らず。


 あの日、佐和ちゃんに言われた言葉がまた頭に浮かんだ。

 まったく野球以外にもこの言葉が浮かんでくるのか。呆れ笑いをがこぼれそうになった。



 屋上は春の暖かい風が吹いていた。

 日差しも暖かく、普段の俺なら昼寝の一つかましていたかもしれない。

 だが今はそんな気分にはなれない。

 向き合うようにたつ梓の目を見ながら、俺は覚悟を決める。

 これからいう俺の言葉で結末はどう転ぶかなんて今は読めない。だけど俺は、俺が考えた言葉を告げる。なら、どんな結末になったって後悔はしない。


 「梓、単刀直入に言う。昨日の言葉を撤回してほしい」

 彼女からの返答はなくジッと俺を見つめている。

 冷たい視線だ。よもや彼女からこんな目で見られるとは数か月前の俺は思わなかった。いや、数か月前の俺だと、下手すら梓と付き合うなんてすら考えていなかったかもな。

 ……そう考えると、俺と梓の交際歴なんて浅いも浅い事に気づく。なんだかずっと長くいた気がするけど、たった数ヶ月なんだよな。

 ここで本題と逸れた思考を引き戻して、再び本題を口にする。なんだ今の俺、いつも以上に落ち着いてる。今なら梓にこの気持ちを伝えられる。


 「俺は梓の事が好きだ。だから俺のそばにいてほしい」

 言葉は頭で考えるより先に口から出ていた。

 俺の本心中の本心。昨晩ずっと考え抜いて分かった俺の想い。


 「…好きなら、なんで春季キャンプの間、一度も連絡してくれなかったの?」

 震えた声で梓が告げる。


 「そのことについては、本当にすまん…いや、すいませんでした。俺が未熟だったからだ」

 深く頭を下げて謝罪する。

 最大限の誠意が伝わってくれることを期待して、深々と頭をさげた。


 「正直に言う。キャンプ中、梓の存在が邪魔に感じた。億劫に感じた。鬱陶しく思った。野球に集中させてくれと何度恨み言を呟いたかは分からない」

 「それなら…それなら別れれば良いじゃん。私は……英雄君の野球への想いを邪魔したくない…」

 梓の震え声で俺の耳に届く。


 「だけどキャンプが終わって、こうして梓と向き合って分かった。俺にとって梓の存在は野球を阻害するほどに大きい。だから無意識に遠ざけていたんだ。好きだから遠ざけた」

 先ほどよりも声を強めて告げる。

 俺から逸らしていた梓の視線が、再び俺へと向けられた。

 じっと彼女の瞳を見つめる。


 「梓、一つ聞きたい。お前はまだ俺の事が好きか?」

 「そんなの……」

 即答しかけた梓は寸で言葉を止めて息をのむ。


 「……好きに決まってるじゃん。好きだから…こうして今、英雄君から距離を置こうとしてるの…」

 震えた声で彼女は答える。今にも泣きそうな顔で俺を見つめる梓。

 その顔を見て、俺は唇をかみしめる。


 「なら、もう一度やり直してくれないか。今度は…絶対に梓を不安にさせない。…いや、やっぱりちょっと不安にさせるかもしれない」

 最後の最後で尻すぼみする俺。なんて情けない。

 野球なら知らない事はないと強気な俺だが、こと恋愛事になると一気に弱気になってしまう。きっと今まで恋愛という恋愛を経験してこなかったからだろう。

 だけど、ここで退くわけにはいかない。だって俺は、鵡川梓という女の子が好きだから。好きだからこそ、ここで彼女との関係が終わらせることができない。


 梓を見つめる。先ほどまで見せていた泣きそうな顔はない。どこか驚いたような顔。俺がこんなことを言うと思わなかったのか。


 「……私はね、野球に一生懸命な英雄君が好き。だから、今こうして野球より私を優先する英雄君は…嫌い」

 徐々に梓の視線が俺から逸れていく。そうして途切れ途切れになりながらも梓は答えた。


 「勘違いするな梓。俺は別にお前を優先するつもりはない。野球と同じぐらい大切にしていきたいんだ。どっちをおろそかにするつもりはない。どっちも最高の結果を残してみせる」

 俺の大口発言。その言葉に梓の視線がまた戻ってきた。

 素っ頓狂な彼女の顔を見て、俺はにやりと不敵に笑う。


 「俺を誰だと思ってんだ梓。俺は、怪物だ。野球も恋愛事も、どっちもスマートにこなしてみせるさ。だから…」

 軽口はここまでだ。

 ここからの言葉は、出来る限り今の俺の想いを乗せる。


 「俺は、まだ梓と一緒にいたい。学生時代、俺を支えてくれた君を、今度は俺が支えたい。一緒に君と……これから先も歩んでいきたい」

 考えるまでもなく、言葉がつらつらとこぼれていく。

 そうして言い終えたところで、我ながらクサイ台詞だったと思い、顔が熱くなってくる。

 驚いた顔を浮かべて俺を見つめる梓。やめてくれ、今スゲェ顔が赤くなってるからそんなに見ないでくれ。めっちゃ恥ずかしい。今すぐ枕に顔をうずめて足をパタパタしたい。


 「…もう、私の事を無視しない?」

 「…正直なところ難しい。俺はまだまだ未熟だから、君と距離をおくことがあるかもしれない。断言はできない。だけど無視しないように努力する」

 梓の問いかけに俺は正直に答える。


 「…そこは、無視しないよって言ってほしかったな」

 そういって梓は微笑む。

 彼女の微笑を見て、俺も頬が緩んだ。

 

 「悪い。もう梓に嘘はつかないと決めたから、どうしても嘘はつけなかった」

 「…そっか」

 そう呟いて梓は空を見上げた。


 しばらくの静寂。

 そうして数十秒の空白のあと、彼女は口を開いた。


 「英雄君だけが未熟じゃないよ。私も未熟だから、きっと英雄君に迷惑をかけると思う」

 「それはお互い様だ。お互い迷惑をかけあっていこう」

 「いっぱい迷惑かけるよ?」

 「構わない。きっと俺だって梓に迷惑をたくさんかけると思う」

 梓との問答は続く。

 俺は嘘を吐かない。正直な事を口にしていく。



 「…うん、私も英雄君とこれからも一緒に歩んでいきたい」

 数度の問答の末に梓はゆっくりと口を開いた。

 彼女の顔を見る。先ほどまであった悲哀の表情はない。頬を赤くし、目を潤ませながら俺を見つめる。


 「今度は……不安にさせないでね……」

 「あぁ、絶対に不安にはさせない。それだけは絶対に、絶対に約束する」

 「うん…じゃあ、またよろしくね。英雄君」

 涙目になりながらもニッコリと笑う梓。

 その笑顔に俺は頬が緩む。胸にぽっかりと空いた穴がふさがる気がして、思わず彼女を抱きしめた。


 俺と彼女の仲直りを待っていたかのように屋上に一陣の風が吹いた。

 春を感じさせる暖かい風。

 終わりと始まりを告げる春の風を浴びながら、俺はもう彼女を泣かせないと覚悟を決めた。

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