31話 VS佐久陽
9月25日、県大会が始まった。
県内各地の球場で試合が行われていく。
我ら山田高校も例外ではない。初戦の相手である佐久陽高校と酒敷市営球場にて試合をしている。
試合に関しては現在5対4で1点リードしている状況。
先発は事前の連絡通り亮輔。だが見事に七回4失点と相変わらずの状態。
初回からフォアボールが目立ち、そこから失点に繋がるパターンとなっていた。変化球を多投しすぎてボール先行になっていたのが、フォアボールが目立つの原因とも言える。
亮輔は多彩な変化球を操れる一方で、そのどれもが制御しきれていない。
その結果ボール先行で入れに行ったストレートを痛打される。
亮輔は不調だったが、打線の方は絶好調だった。
初回から毎回ランナーを出しており、三回には大輔の高校通算2本目となるホームランも飛び出すなど、七回までに5点を取っている。
1点リードとゲーム自体は僅差だが、試合の雰囲気は終始こちらが押している状況だ。
そして八回からは俺がマウンドに上がり、しっかりと零封している。
そしてここまで試合のダイジェスト。
こうして最終回を迎える。
「そら英雄、最終回のマウンドだ。スタンドで見てる理大付属と酒敷の連中に目にもの見せてやれ!」
佐和ちゃんからの激励に俺は不敵に笑った。
この試合に勝てば、次の相手はこの試合の後に行われる理大付属と酒敷高校の勝者だ。
ここで俺の圧倒的ピッチングを見せて、試合前から威圧してやる。
一つ気合を入れてから、俺はいつも通りフラットな気持ちでマウンドへと走っていく。
「おらぁ! モテモテヤリチンの英雄ぉ! さっさと終わらせろ!」
恭平がショートのポジションから、かなり嫌な声援を送ってくる。
ってかその声援、場合によっては相手校とか審判から苦情くるぞ。本当、言葉を慎むことを覚えろよな。
などと胸の内でぼやきつつ、ピッチングの準備をする。恭平の声援のおかげか、緊張感はなく、しっかりと腕が振れている。
「きゅうかーい! しまってこぉー!」
キャッチャー哲也が間延びした声を上げる。
その声に各ポジションの選手から返事が返される。
さて最終回、この回の先頭バッターは一番。左打席で構え、俺を睨みつける。
どんなに睨みつけられようと、ビビる相手じゃない。大輔並みに化け物になってから出直してこい。
初球、インコースへのストレートで早速ワンストライク。
夏の間の筋トレのおかげで、だいぶコースギリギリまで140キロ近いストレートが決まるようになっている。相手バッターも打ちづらそうだ。
二球目、今度は外へのカットボール。
それを相手バッターは叩いた。
「サード!」
打球はサード須田の正面。
地区予選からサードを守る須田は、だいぶ野球が上手くなった。……のだが、
打球を弾いてしまう須田。そうしてあらぬ方向へと転がる。
慌ててボールを掴み投げようとする須田だが、それを俺が制止した。
ここで変に暴投やらかして、二塁、三塁にまで進まれたら困る。勢いと流れを掌握したうえで、1点リードしてるとはいえ、1点取られたら同点である事は変わりない。
「ごめん佐倉君!」
「気にすんな!」
謝る須田に俺は左手をあげて答える。
味方のエラーは、俺がしっかりと投げきれなかったから発生したミスだ。俺があそこでしっかりと抑えていれば、須田もエラーすることはなかった。
つまり、非は俺にある。
ノーアウト一塁。
バッターは二番。右打席に入ったバッターは普通にバットを構えているが、十中八九送りバントだろう。
前のイニング三者連続三振を食らっている相手ピッチャーを前にして、エンドランや盗塁といった賭けに近い勝負はしづらいだろうしな。
ここは手堅くいくはずだ。
それは哲也も理解しているらしく、内野へのサインも素早くこなす。
初球、予想通りのセーフティバントを相手は試みた。
急いでマウンドから駆け下りる。鈍いバットの音と共に打球はフェアゾーンを転がる。
勢いをしっかり殺した良いバントだ。
「ピッチ! ファースト!」
オーケー哲也。言われなくても分かってる。
ここは無理して二塁に投げる場面じゃないしな。
俺はしっかりとボールを掴み、一塁ベースへと体の向きを変える。
……瞬間、ゾワリと背筋に悪寒が走った。
「…っ!」
とっさに脳裏に浮かんだのは、中学三年生最後の大会、学校総合体育大会準決勝のあの日の記憶。
忌まわしき、忘れようと遠ざけ、もう忘れてしまった物と、克服した物と思っていたトラウマが蘇る。
ミスした瞬間の血の気が引く感覚、仲間たちからの励ましの声、相手ベンチの俺のミスを煽る声、意識なく見つめる哲也のミット。
エースとしての責任を果たせず敗れたあの時の悔しさ、不甲斐なさ。
生まれて初めて感じた、野球への恐怖心。マウンドへの拒絶感。
どんどんと蘇る記憶に、見る見るうちに体が力んでいく。視野が狭まっていく。指先が鈍っていく。体が鉛のように重くなっていく。
……クソが。
もう克服したと思ってたのに、もう忘れかけていたのに、なんで今も俺は……。
「クソ!」
声を荒らげながら強張る体でファーストへとスローイングした。
だがボールはファーストの手前でワンバウンドするクソ球。結局バッターランナーもセーフになってしまった。
「英雄……大丈夫?」
歯を食いしばり握りこぶしを作る俺を見て、哲也が不安そうな声で聞いてくる。表情はとても心配していて、その顔が非常に俺の胸の中の悔しさを増長させた。
見るな。そんな顔で俺を見ないでくれ。
エースであるはずの俺が、周りに心配される? 不安にさせてしまっている? ふざけるな。そんなのエースとしての役目を果たせていないじゃないか。
「ワリィワリィ! アウトにする事先走っちまった。案外緊張してるのかもな!」
作り笑いを浮かべて、哲也に平謝りする。
こんなの嘘を並べた言葉にすぎない。本当は過去の記憶が頭に蘇っただけなんだ。
クソが。なんでこの程度乗り越えられない……。
「……俺は天才だ」
マウンドに上がり、自己暗示の如くボソリと呟いた。
震える体を押さえるように、俺は胸元のユニフォームを強く握り締める。
大丈夫、俺なら行ける。俺は天才だ。この程度で崩れたりしない。俺が崩れたら……このチームは負ける。
俺が投げなきゃチームは勝てない。エースはチームを勝たす存在だ。その俺が崩れるわけにはいかない。
エースとしての役目を自分に戒めるように再確認する。才能に恵まれ、家柄に恵まれ、誰よりも厳しく鍛えられ、誰よりも努力をしてきたからこそ、ここで崩れるわけにはいかない。
何度も、何度も、自分に言い聞かせて落ち着こうとする。平静を保とうする。
「……クソ」
ダメだ。体の震えと力みが取れない。
だけど、ここでマウンドを降りるわけには行かない。
俺はピッチャーだ。マウンドに上がった以上、しっかりと責任を果たさなければ……。
三番バッターが打席へと入る。
意識は散漫としていて、哲也からのサインを集中して見れていない。
先程までと比べて、呼吸があきらかに乱れている。
外へのストレート。俺は小さくうなずく。
一度一塁ランナーを見る。ゾクリと背筋に悪寒が走る。
そうだ、あの日もこうしてミスった後に一塁ランナーを見た。そしてあのランナーは……俺の様子を見てほくそ笑んでいた。
嫌な記憶をまた思い出した。
下唇を噛み、必死に集中しようとする。だが意識は定まらない。
一つ深い息を吐いてから、クイックモーションに入る。
「……っく!」
バッターはセーフティバントをしてきた!
こいつら、クソが!
胸の内で悪態吐きながら、左腕を振るう。
まるで俺の腕じゃないみたいに感覚が無い。放たれたボールは案の定失投となった。
慌ててマウンドから駆け下りようとして、足がもつれて、転びかけた。大げさに転ぶことはなかったが、前かがみで結果を見守る。
結果としてバッターは、バントを失敗して打ち上げた。
それを哲也がキャッチしてアウト。これでワンアウト。
ラッキーなアウトだ。本当に。
相手が打てると判断しなくて助かった。もし打ちに来ていたら長打コースは免れなかっただろう。
なにより、バントを成功されなくてよかった。絶対にまた打球処理したあと失投していた。下手したら、打球処理の時点でミスっていたかもしれない。
「サンキュー哲也!」
「英雄! あと二つ! 集中していこう!」
哲也からは何も言ってこない。
あいつなりの気配りだろうか? 心配されていると思うと、なんだか余計に惨めになった。
なんで俺が心配されている? 俺はエースだろう? 俺は天才だろう? エースの俺が心配されてどうする? 誰よりも期待され、誰よりも努力をしてきた俺が、周りを不安がらせてどうする? 何のためにグラウンドで一番高い場所に立ってると思ってんだ。誰よりも堂々と、誰よりも誇らしく、そして誰よりもチームを引っ張る存在だからだろう。
情けない。
依然震える体で、俺は吐き気をもよおすほどの自己嫌悪を催した。
そして四番打者を迎える。
右打席でバットを構えて吠えるバッターに、俺は内心ビビっていた。
大輔よりも何十倍も劣る選手のはずなのに、そんな選手ですら俺は恐怖に感じた。
先ほどの心情とは打って変わって、俺はかなり弱気になっている。そう自覚して、余計に悔しくなり、自己嫌悪はとんでもないほどに膨らんでいく。
「英雄! あと二つ! 気張ってこうぜ!」
「おらぁ英雄! 行ったれー!」
大輔や恭平からもそんな声援を送られる。
俺は今、目に見えて衰弱しているようだ。なんとも情けなくて、今すぐこのマウンドから降りたい。逃げてしまいたい。
「クソ……」
ボソリと何度目かの悪態。
もうこんな言葉しか浮かばないぐらい、俺は弱っていた。
ここまでマウンドから降りたいと、マウンドから逃げたいと思ったことは生まれて初めてだ。
四番への初球。
意識は散漫、体は力む中での投球。こんなクソみたいな状況で投げれば、どう足掻いても失投になる。
そう分かっていても、投げていた。
放たれたボールは、ただの棒球。
それを芯で捉えられた。
打球は、俺の右側を抜ける強烈なゴロ。
同点か!? と思ったが、偶然ベース付近を守っていた、誉の正面の当たりになる。
掴んだ誉は、自分で二塁ベースを踏み、一塁へとボールを転送。
それをファーストの大輔がキャッチしアウト。
併殺打によるゲームセット。
俺はおそらく過去最高の安堵のため息を吐いたと思う。
身体から力が抜けていく。その場にへたれこまないように気を付けながらも、俺は目をつぶった。
勝った。なんとか逃げ切れた。
直前まで、あんな余裕があったのに……いまじゃ満身創痍だ。
今すぐ帰りたい。今すぐ、この体の震えを止めたい。
試合後、俺は球場の壁にもたれながら左腕を見た。
今日の試合、忘れかけていたトラウマが蘇ってしまった。まだ俺の記憶の片隅には、中学の頃のミスが根付いている。それが、今の俺を苦しめている。
よほど俺にとってショックを与えたミスなのだろう。思えば、あの試合が初めてだ。俺のミスで負けた試合は。
「英雄」
ふと哲也が俺に声をかけてきた。俺は思わず哲也を睨む。
「あぁ? なんだ?」
「さっきのセーフティの後、二球とも棒球だった」
「だからどうした? アウトを気にしすぎて力んだだけだ。次はこうはならねぇよ」
自然と口調がぶっきらぼうになる。
もうこんな事にはさせない。もうこんな状態にはならない。もう惨めな思いはしたくない。俺はエースであり、チーム全員の思いを背負う立場だ。俺がこんなミスで崩れてたまるものか。
哲也は何も言ってこない。俺は空を見上げた。
怪物になるんだ。
こんなミスぐらいで、へこたれてたまるか。
震える体で、そんな言葉を胸に刻み込んだ。




