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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
317/324

316話

 久々の学校は楽しかった。

 あと数日で卒業式を迎え、俺達は大人の一員になるというのに、どいつもこいつもまだまだ幼く馬鹿騒ぎする。

 だがそれでいい。この空気感がいいんだ。気負わず気兼ねなく騒げるこの空気が……。


 「あ…」

 っと、クラスを見渡したところで梓と目が合った。

 彼女はじっとこちらを見ていて、俺は思わず視線を逸らしてしまう。


 まだ、俺は彼女と向き合えない。

 いや向き合う努力を怠って、逃げるように野球に没頭していた。

 そしていまさら彼女の姿を見て、自身の内にある彼女への悩みを反芻する。


 「おはよう英雄君」

 そうしていると彼女の優しい声が聞こえた。

 思わず彼女を見てしまう。微笑を浮かべていて、これまで彼女を無下にしてきた俺を責めているようには見えなくて、思わず頬を緩ませていた。


 「おはよう」

 「久しぶりだね。英雄君、連絡しても無視するから…」

 「わ、悪い……。野球に集中したかったから……」

 本当の事なのに言い訳のように口にしてしまう。

 なんだか罰を受けたような気分になり、緩んだ頬を引き締める。


 「うん分かってるよ。英雄君は、いつだってそうだったから」

 そういって彼女は優しく笑った。

 ……その笑顔は、俺の彼女へと抱いていたわずらわしさを許しているようで、勝手に許されている気がして、気持ちが少し楽になった。

 だけどやはり胸の奥底には決めきれない選択肢が残る。


 梓とこのまま付き合うべきか、それとも別れるべきか。


 このまま交際を続けていても、俺はずっと彼女を放置し続けるだろう。

 今は学生だからこうして毎日顔を合わせる機会がある。だがまたプロ野球選手に戻れば、彼女と顔を合わせる回数は減るだろう。

 そうなると彼女をずっと寂しい思いをさせることになるだろう。そしてそういう事を考えるのも煩わしくなるだろう。

 それならいっそのこと、別れてしまったほうが良いのではないだろうか? いや……別れるべきだ。


 志村さんの言葉を思い返す。

 どちらも宙ぶらりんになるのなら、どちらも同等に背負いきれないのなら、どちらかを切り捨てるしかないのではと。

 ……今の俺は野球と梓を両立できる気がしない。


 「そうだ。帰りにどこか遊びに行かない? プロ野球の話も聞きたいし」

 「あ、えっと……ごめん、別の奴と遊ぶ用事してるから……」

 「あ……そうなんだ」

 梓の誘いを無意識のうちに断っていた。

 別に誰かと遊ぶ約束なんてしていない。だけど梓と一緒に遊ぶ気になれなかった。

 ここまでの間、ずっと彼女を放置していたし、彼女の連絡も無視していた負い目もあった。

 嫌な空気がまた流れた。俺は思わず立ち上がる。


 「ごめん、ちょっと他のクラスの奴らに挨拶してくる」

 「あ、うん……」

 逃げるように梓に告げて、敗残兵のように教室から出ていく。

 そうして少し歩いたところで、壁に拳を軽くぶつけた。


 「あー……くそ」

 今の俺、最高に情けないな。

 別れるのならば彼女を突っぱねればいいのに、そんな事もできない。情けなく事態から逃げる事しかできない。

 「彼女のほうから別れを切り出してくれればいいのに」などと情けない考えまでしている。

 一体、どうすればいいんだ。



 「おーっす、お前らよく来たなぁ! うんうん、面構えは何も変わってないな! よしよし出席とるぞー!」

 佐和ちゃんが軽い調子で出席を取り始める。

 久々に佐和ちゃんの声を聞いたがなんだか安心する。野球部現役だった頃の一番練習が厳しい時期は、佐和ちゃんのこの軽い調子の声すらも聞くだけで発狂しかけていたというのにな。


 「次、英雄」

 「うーす」

 「あれ? 学校に来てるのか? もしかしてあれか、プロで通用しなくて逃げ帰ってきたのか?」

 素っ頓狂な声をあげて佐和ちゃんが俺を見てくる。ニヤニヤ笑っている。なんだそのノリはウゼェ。

 でも無意識に頬が緩む。うん、やっぱり俺の監督ってのはこれぐらい軽い調子じゃないと楽しくない。


 「んなわけないでしょ。今日はオフなんでファンのみんなに会いに来たんですよ。ファンサービスって奴ですな」

 「ほぉそうか。ならあとでサイン頼むわ。応接室に飾るようにな」

 俺の冗談にも素早く対応してニヤリと笑う佐和ちゃん。

 うん、やっぱりこれだよなこれ。このやり取りをしただけでも学校に来たかいがあるというものだ。



 今日は卒業式の練習だ。

 練習といっても体育館で一連の流れを聞き、それをこなすだけ。

 明日には卒業式予行が行われ、明後日には卒業式本番となり、晴れて俺達三年生の卒業が決まる。

 卒業式の練習だってのに感慨にふけってか泣いてる連中も何人かいた。その中には岡倉の姿もある。

 一方で俺は感慨にふける余裕はない。あろうことか卒業生代表として壇上に上がりスピーチをしないといけないからだ。

 一応、佐和ちゃんをはじめ教師陣の皆々様のアドバイスを聞きつつ当たり障りなく外れのない定型文のようなスピーチをかきあげた。

 あとは本番で噛まないよう注意すればいいだけだ。

 大体これは学年一番の成績を収めた奴がする事じゃねぇのか。いやまぁ総合的に見れば俺が一番の成績を収めたのかもしれねぇけども。

 こういうのはさ、やっぱり梓が……。


 「あー……くっそ……」

 誰にも聞こえないぐらいの小声でぼやく。

 何考えてんだ俺は。そして動揺するな俺。教師陣に目をつけられない程度に小さくこめかみを掻いて、誰にも気づかれない程度の小さなため息を吐く。

 残り数える程度の学生生活。楽しみつくすつもりだったのに、なんでこうも俺は鬱屈としているんだ……。



 放課後を迎えた。

 いつも通り帰宅していく生徒、残り僅かの学生生活を堪能するために友人たちと遊びに出かける生徒、逆に教室に残り駄弁る生徒。

 教室に残っている生徒も千差万別だ。いつものように騒がしい奴や普段よりも大人しい奴、無駄にしんみりしている奴もいれば、強がってるかのように普段以上に騒がしい奴。

 そんな色んな空気が入り混じる教室の中央付近に陣取る俺はゆっくりと立ち上がった。


 「恭平帰りにどっか寄らね?」

 「あ? あぁワリィ、これから千春と愛の巣に帰らないといけないから無理だわ」

 そういって小指を立ててニィッと笑う恭平。ずいぶんと下卑た笑いだ。思いっきり机蹴飛ばしてやろうかこの野郎。


 「……そうか、分かった」

 普段なら感情が先立って暴言や暴力の一つや二つ飛び出していただろうが、今はそんな気分じゃない。

 あっさり対応の俺を見てキョトンとする恭平。


 「どうした英雄、悩みか? ははーん、さては鵡川だな」

 そうしてあっさりと俺の悩みを見抜く恭平。

 これが三年間、毎日馬鹿みたいに遊んだ悪友という奴なのだろうか?


 「まぁな。だがゼッテーてめぇだけには相談しねーから」

 「なんでだよ英雄!? 俺達親友だろ!?」

 親友だとしても恋愛話だけはこいつのところには持ち込まない。こいつのいうアドバイスなんて簡単に想像がつく。


 「じゃあ仮にお前に相談して、お前はなんて返すんだ?」

 「そんなの決まってるだろ。抱け、ベッドインだ! 身体を重ね合わせる事で気持ちも重ねるんだ英雄。そしてその話を後日俺に事細かに伝えろ」

 だろうな。お前の恋愛のアドバイスなんてそれしかないよな。だがそれでこそ恭平だ。

 こいつの頭の悪いアドバイスを聞いて、少し心が晴れた。


 「はは、さすが恭平だ。相変わらず頭悪いな。それ千春にやったらマジで容赦しねーからな」

 「あはは、安心しろ英雄。初めてはお前に伝える」

 「ゼッテー聞きたくねぇよ馬鹿か」

 何言ってんだこいつは。

 ひとつ恭平のすねを蹴飛ばして教室を後にする。クラスを出る直前、ちらりと室内を見る。

 窓際の席に梓。窓の向こうにはどんよりとした雲が広がる。そんな景色の前に立ち、友人たちと雑談にいそしんでいる。

 先ほどの恭平との話を聞いていただろうか? だとしたら余計に気まずくなりそうだ。



 この後ほかのクラスの連中にも放課後誘ったがどいつもこいつも用事があるらしい。

 なんてツイていない日だ。だが仕方ない。こんな日はさっさと家に帰って自主練習に励むに尽きる。


 「あれ英雄じゃん」

 「よぉ」

 昇降口まで来たところで、下駄箱に上履きをしまう沙希を見つけた。

 不思議そうに俺を見る沙希にイケメンスマイルを一つ決めておく。


 「一人?」

 「そうだが?」

 「意外。英雄の事だから友達と遊ぶもんだと思った」

 「男は独りになりたい時があるんだよ」

 強がりにも似た言い訳を口にして、俺も上履きから革靴へと履き替える。


 「お前のほうこそ一人か?」

 「ううん、私はこの後友達と食事」

 「そうか」

 まぁ一人だとしても一緒に帰るつもりは無いがな。

 さすがに梓との関係が気まずい中で沙希と一緒に帰ったら取り返しのつかない修羅場になりそうだし。……絶対に梓を傷つけるだろうし。


 「てか、英雄は梓がいるじゃん。梓はどうしたの?」

 「え? ……まぁあいつには用事があるみたいで……」

 「……英雄、あんたまさか梓と上手くいってないの?」

 さすが沙希、一発で見抜いたか。

 まぁ今日の俺自体が梓関連の話題に弱いのもあるけど、それでもこうも簡単に見抜かれると焦ってしまう。


 「別にそんなんじゃねーよ。あいつにはあいつの友人がいるからな。そいつらと一緒にいたほうがいいべ?」

 焦りながらも嘘を吐く。ジッと見る沙希の目を見る事が出来ず視線が泳ぐ。

 なんだろう、情けない。普段ならこれぐらいの嘘一つや二つ簡単に吐けるし、何よりもこんな情けない嘘を吐く事もなく、調子のいい軽口を取り留めもなく吐き出しているだろう。


 「そう……。まぁ私には関係ないけどさ……」

 俺を睨むように見ていた沙希の視線が逸れる。彼女の顔を一瞥する。目に見えて怒っていた。唇をかみしめる。


 「でもやっぱり一言。……簡単に梓と別れないでね英雄。簡単に別れたら……私の決意も、哲也の覚悟も、軽いものになるから」

 彼女の言葉は俺の心に響く。

 彼女を見る。沙希は怒った表情を浮かべながらも俺を見つめる。

 

 「何があったか知らないけど、梓の英雄への想いは本物だと思うから。だから英雄、逃げるんじゃないわよ」

 「沙希……」

 「……そ、それじゃあ」

 急に照れ臭くなったのか、沙希は頬を紅潮させながら逃げるように昇降口から出ていく。

 逃げるなと言った癖にお前は逃げるのな。

 そう考えるとなんだかおかしくて頬が緩んだ。


 「……逃げるな、か」

 その言葉が俺の胸にやけに反響していた。



 「うわ……」

 沙希に続いて俺も外に出ようとしたところで、空からは雷鳴が響き、雨がポツリポツリと降り出した。

 そうしてあっという間に雨は強まり、俺は昇降口で立ち往生する事となった。


 「今日雨予報じゃなかっただろ……」

 朝の天気予報を思い出す。降水確率10パーセントの晴れ予報。先ほど教室の窓の向こうにどんより曇り空が広がっていたから嫌な予感はあったが、まさか的中してしまうとは。

 空をちらりと見る。どんよりとした雲が覆い真っ暗だ。遠くの空も同じような感じで、しばらく雨が止むことはなさそうだ。

 さてどうするか。このままびしょ濡れで帰るか。それとも恭平辺りから傘を強奪するか。


 「英雄君?」

 一人でうーんうーんと唸っていると声が聞こえた。

 その声は今一番聞きたくない声で、思わず背筋に寒気が走る。

 ゆっくりと振り返る。そこには……鵡川梓が立っていた。

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