312話
春季キャンプが始まった。
プロ野球の練習は厳しかった……。
そう思っていた時期が私にもありました。
全然厳しくない。これなら山田高校の練習のほうが遙かに厳しい。佐和ちゃんマジ悪魔。
キャンプ初日、ゴロの捕球練習とバント、バスター練習をひたすら行う。シャークスが所属するリーグには指名打者制がない。その為どうしてもピッチャーは9番目の野手としても機能しないといけない。
まぁ打つほうも好きだし、投げてばかりいるよりは楽しいだろう。
「お前、打撃センスもあるのな」
バスターの練習の最中に、川村さんが驚いたように言った。
どうやら、俺のバントからのスイングが凄かったらしい。
「まぁ伊達に甲子園優勝チームの五番打者じゃないですよ。知ってますか川村さん、俺、甲子園でホームラン打ってるんっすよ?」
そういってしたり顔を一つ浮かべてみる。正直、三村大輔とか言う規格外のアホがいなかったら、四番を任されたと自負している。
でもあいつがいなかったら、優勝できなかっただろうし、しょうがないか。
「ほー、じゃあピッチャーとして失敗してもいつでも野手転向できるな」
「はは、確かに。ピッチャーしか脳のない川村さんには出来ない選択ですね!」
昨日のダル絡みもあったからか、すらすらと毒を吐いていた。
俺の毒を聞いてニッコリ笑う川村さん。その笑顔に負けじとニッコリ笑う俺。
言っておくが川村さんとは仲がいいほうだからな。悪態をつけあえる仲って事だ。
こんな具合にキャンプもあっという間に過ぎて行った。
その中で俺は着々と結果を残していく。
バッティングもコーチ陣に注目され、ピッチャーなのにバッティング練習に参加したりもしたが本職はピッチングだ。
こっちのほうは十分すぎる評価を得ている。すでに対外試合の登板も確定した。その結果次第ではオープン戦、ひいては開幕一軍も見えてくる。
なんだ、プロってのは案外大したことないな。なんてそんな油断すら生まれてくるぐらいには上手くいっていた。
そして気づけば二月に入る。明日は北海道ベアーズとの練習試合。
そんな中で俺はフリーバッティングのピッチャーを務める事となった。
ブルペンで軽く調整を終え、ついにマウンドへと上がる。
最初のバッターは、山石涼真さん。
一軍で中軸を任される事もあるシャークス屈指の強打者。
バットを構える山石さんは、さすがプロの強打者だ。良い雰囲気をしている。鋭い眼光で俺を見据えていて、思わず武者震いをしてしまう。俺の実力を試すにはちょうど良い。
頼むぜ山石さん。手加減しねぇでくれよ。
初球、インコースへとストレートを投じる。
瞬間、木製バットの快音が鳴り響いた。
「あら?」
情けない声が出たのはその数秒後、打ちあがった打球を目で追う。打球はまもなく左中間を切り裂いた。
口はだらしなく開いていて、体は情けない格好をしている。
一度山石さんを見る。表情は先ほどと変わらず、鋭い眼光が俺を睨みつける。
首をかしげる。別段調子は悪くない。むしろ毎日が楽しくて調子は良いほうだ。
さっきのボールも悪くはなかったと思ったんだけど……。
続く二球目、今度も木製バットの快音が鳴り響き、またも情けない声をあげてしまう。
もう一度山石さんを見る。依然鋭い眼光は俺を睨む。
その表情を見て、自然と俺の頬は緩んだ。
「あーなるほど」
ぼそりと呟いた俺はため息を吐いた。頬の緩みは依然収まらない。
これがプロ野球か。そうだよな。これが当たり前じゃなきゃつまらない。
プロ入りしてからここまで張り合いが一切なかった。俺の想定の範囲内、いや想定よりも過小なものになっていた。だからこう油断というか、慢心していた。それがボールに表れていたのだろう。だから山石さんはいともたやすく打ってきた。
「そりゃそうだ」
思えば前二球、いやキャンプに入ってから投じていたボールは甘いものばかりだった。
そんなボールを絶賛されていたもんだから、完全に緩み切ってたなこりゃ。
「怪物は一日にして成らず」
緩み切った感情を引き締めるように、座右の銘を口にする。
スッと意識が研ぎ澄まされた。慢心や油断が一気に消え去った。緩んだ頬も引き締まる。
「さぁ、ここからが勝負だ」
これは山石さんに向けた言葉ではない。自分に向けた言葉だ。
三球目。ゆっくりと投球モーションへと移る。
一挙手一投足、そのすべてが先ほどまでのものよりはるかに上回る出来。あぁ、さっきまでの俺はそこまで緩みきっていたのか。
こりゃ、まだまだ怪物は程遠いな。
左腕を振るいボールを投じる。
打たれる覚悟で投じたストレートは山石さんの胸元を貫いた。
山石さんのバットは出てこない。さっきまで見せていた鋭い眼光は消えていた。指先に残る感覚は確かなもの。納得の一球を投じて、俺は頬を緩ませる。
四球目、今度は山石さんが打ちに来た。
鋭いスイング。木製バットの鈍い音が響き、打球は鋭く打席を囲むように立てられたネットへと直撃する。
「やべぇな…」
思わず感嘆の声を出していた。最初に二球のスイング以上のスイングだった。コンパクトで鋭く無駄が一切無い洗練された一撃。これがプロの世界で活躍する選手の本気のスイング。
あんなスイング見るのは久々だ。やはり高校野球とは比べ物にならないぐらいレベルが高い。
マウンドで見ているだけでも気持ちが良い。 ここまで完璧なスイングだと、打たれても気分がよくなりそうだ。悔しいけど。
プロ野球選手という存在をマジマジと見せつけられている気がする。そんな山石さんですら、プロの世界では二流、良くて一流半といった位置づけなのだろうから、プロ野球という世界の底知れないものを感じる。
トップクラスのバッターはこれをはるかに上回るバッティングをしてくるんだろう? あぁやべぇな。
「最高だ」
気分が高揚していく。アドレナリンがドバドバあふれ出ていく。
同時に気は引き締まっていき、意識は研ぎ澄まされていく。
五球目、アウトコースへのストレートを山石さんは力に逆らわず、綺麗にレフト前に弾き返す。
またも木製バットの快音がこだまする。だが今回は最初に二球とは違い情けない声はあげない。
綺麗な一撃だった。マジでゾクゾクするな。
「やっべ」
練習中であるというのに笑うなんてさすがに不謹慎だな。
しかし、この胸の中からあふれ出てくる高揚感に口元はニヤけを抑えられない。
六球目、インコースへのストレート。
山石さんの鋭いスイングはワンテンポ遅れて出る。 そうしてコンマ数秒後、木製バットから悲鳴のような音が響き、二つに折れた。
腕を振り抜いた姿勢から視線だけを打席へと向ける。
視界には根元から先の無いバットを握る打席に立つ山石さん。驚くキャッチャー。サード方面に無残に転がるバットの先。
ネット越しから見ていた首脳陣から驚きの声があがっている。
俺は体を起こし一度帽子を脱いで山石さんに謝る。
山石さんは、一度打席から外れてバットを交換するっぽい。
その間、打席に入るのはチームの主砲の桑原さん。
右打席に入り構える桑原さんの姿はさすが主砲と言った雰囲気だ。 だが……。
「俺はもっとスゲェ奴を知ってる」
バットを構えるだけでピッチャーを震えさせた男を知っている。
桑原さんも凄いが、まだまだだ。
一球目、インコースへのストレート。
7割ほどの力で投げろと投手コーチに言われていたのだが、思わず9割ほどの力でボールを投じていた。
それを打ちに来る桑原さん。洗練された鋭い一撃。それをボールは……へし折った。
バットの悲鳴が球場に響き、またも首脳陣から驚きの声があがった。
さすがに俺も呆れ笑いを浮かべてしまう。
「おいおい、マジかよ」
投げ終えて体を起こしながらそんな事を呟いた。
球場が騒然としている。当然の事だ。だって7球の間に2本もへし折ったんだ。驚かれるのも当然だ。
ぶっちゃけた話。偶然だろう。
俺の投げたストレートは7割の力なんだ。いや桑原さんに投げたのは9割の力だったけど。それでも簡単に折れてしまったのだから、相手方のバットが折れやすかったのだろう。
しかしまぁバットを折るのは気分が良いものだ。高校時代は金属バットだからまずへし折れないしな。
バットを取り替えてきた山石さんが打席に入り、桑原さんは折れたバットを見ながら打席から外れる。
そうして再び、フリーバッティング練習が始まった。
この頃には序盤の慢心や油断は鳴りを潜め、研ぎ澄まされた意識のもとボールを投じれていた。
俺はその後、山石さんに14球、桑原さんに18球投げて、マウンドを降りる。
ヒットの性の当たりは7本。途中から変化球も投げたので良い感じに打たれなかった。コーチや監督の評価も上々。俺も慢心を自戒できたし最高の内容だったな。
その日の夜。昼間のフリーバッティング練習で満足いく内容で気分上々。風呂入ってさっぱりして、ほどよく疲れたをベッドの柔らかさに溶かしながら携帯電話を手にして画面を見たところで……。
不在着信 1件
表情が曇る。そしてその表情のまま機械的動作で電話の相手を確認する。
梓
電話の主を確認したところで、俺は携帯電話を閉じた。
そして深いため息を吐いて無意識に溜まった力をといていく。
もうこれで何度目だ。俺は何度梓の電話を無視するんだ? 電話しないといけないのは分かっている。だけど気が進まない。
梓との関係はなんとかしたい反面、彼女の存在が不要に感じてしまう。いや、今は野球にしか意識を注げない。彼女との会話一つすらしたくない。
「最悪だな、俺」
改めて佐倉英雄という男は、女に迷惑をかけるなと思う。
だけど思うだけ。別段この性分を嫌悪する事も直そうと思わない。
俺はここまでこの考え、この性格、この在り方で結果を出してきた。ならばそれを変える道理はない。別段結婚願望が強いわけでもない。俺は次男坊だし佐倉家を継ぐのはあの兄貴の仕事だ。
なら、俺はこのままで、そしてこんな俺でも良いという女が見つかるまで一人で駆け抜ければいい。
「あーやっぱり最悪だ」
そしてまた梓の事が頭から抜け落ちた事に気づいて、そんな事を口にする。今度は少しばかり自己嫌悪していた。




