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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
310/324

309話

 「……どこだここ?」

 翌朝、寝起き一番の言葉はそれだった。

 周囲を見渡して、ぼんやりした頭で考え込んだ結果、昨日から選手寮に引っ越してきたことに気づく。

 そうして大あくびを一つかいて、頭を掻きむしった。


 「そうだったな」

 今日から新人合同自主トレが始まる。

 そう、もうプロ野球選手として始動開始する。そう考えるとあっという間に脳みそが冴えていく。

 一つ大きな伸びをしてから俺はベッドから出て、自室をあとにした。


 「おはよう佐倉」

 食堂へと続く廊下をのんびりと歩いていると背中を叩かれた。

 ゆっくりと振り返ると、ニッと歯茎を見せるほど口を開けて笑う榎木の姿があった。


 「ん? あぁアントニオか。おはよ」

 「平然とアントニオって呼ぶな。ってかなんだアントニオって、俺は榎木だ」

 「榎木だったか。すまない、アントニオ顔していたからつい、な」

 「アントニオ顔ってなんだよ……」

 呆れた顔を浮かべる榎木。本当お前は朝からからかい甲斐のある良い顔をするな。

 二人並んで食堂へと向かいながら、今日の合同自主トレの内容についてなんかで話す。



 食堂で朝飯を食べた後、練習着に着替える。ウインドブレーカーと、首にはネックウォーマーも装備し防寒対策はばっちし。部屋にある姿見鏡で自身の服装もチェック。うん、悪くないデザインだ。一応これから見られる職業に就くわけだし、ファッションにはこだわっていきたい。

 この後、練習場となるシャークススタジアムへと向かう事に。

 球場へと向かう車内で、おニューのグラブの調整を済ませておく。プロ入り祝いに両親が買ってくれたものだ。これとスパイクもおニューだ。

 せっかくの新天地なんだし、心も装備も心機一転したい。



 シャークスタジアムに到着し球場入りする。

 シャークスタジアムは数年前に新たに建てられた新球場だ。それまで広島市内にあった市営球場を使っていたのだが、手狭だし老朽化などの問題から駅近くに新球場を建築したらしい。

 赤を基調としたユニフォームのシャークスらしい、赤が目立つスタジアム。スタンドは左右非対称、ファールグラウンドも極端に狭い。球場のデザインはアメリカ、メジャーリーグのスタジアムなども組み入れた日本の野球場とは一線を画した雰囲気をしている。

 グラウンド全面天然芝で優しい手触り。


 一度深呼吸をする。そうしてもう一度グラウンドを見て小さくうなずいた。メジャー志向の強い俺には最高のスタジアムだなここは。この球場にいるだけで気分が高揚してくる。

 これからここが、俺のホームスタジアムになる。

 どんな未来が待っているのだろうか? そんな詩的な言葉が浮かぶぐらいにはワクワクしていた。

 空は雲一つない青空。空気が澄んでるおかげでかなり青い、冬の空だ。冷たい風が吹いて肩が縮こまる。

 だがあと数か月経てば春を迎え、シーズンが開幕し、球場を取り囲む照明からはカクテル光線が降り注ぎ、今はがらんとしているスタンドにも多くのファンがかけつけ、スタジアムは真っ赤に染まる。


 「楽しみだ」

 自然とその言葉が口から漏れた。



 練習開始前にゼッケンが渡された。

 このゼッケンには背番号と名前が書かれている。それを練習着の上に着る。

 身にまとったところで改めてゼッケンの背番号を確認する。


 背番号19番。これがプロ野球選手佐倉英雄に与えられた最初の背番号だ。

 プロ野球のエースナンバーといえば18番。出来る事ならそれを背負いたかったが残念、シャークスにはエースピッチャーがいる。

 それも球界でもトップクラスのピッチャーだ。少なくとも日本代表には選出されそうなぐらいには優秀。

 まぁいい。背番号はあくまでその選手の代名詞になる記号に過ぎない。俺の背番号が19なら、これからのプロ野球界のエースナンバーが19に変わっていくだけだ。それぐらいの気概で十分だろう。



 練習前にファンに挨拶をすませる。今回二軍球場ではなく一軍本拠地シャークスタジアムに連れてこられたのも、このイベントが目的だろう。ふとスタンドを見ると先ほどまでいなかったファンがぞろぞろと入場してきていた。入団したばかりのルーキーを見に来るなんてよっぽどシャークスが好きなのだろう。いや、シャークスってのはこういう熱烈なファンが多いイメージだ。

 最後にAクラス入りしたのはいつだろうか? 少なくとも俺が物心つく頃には万年Bクラスだった。

 毎年5位6位争いをしてて、たまに4位になって盛り上がる。リーグのお荷物なんて他球団から馬鹿にされるようなチーム。 

 だけど、それだけに残ったファンは熱心な人が多く、また地域密着型の運営方針から広島県内では最大の人気を誇っている。

 これが、今日から俺が味方する球団だ。



 「ドラフト一位の佐倉英雄です! 今年は新人王と最多勝を獲得するつもりで頑張っていきますので、よろしくお願いします!!」

 スタンドいるファンに向かって、俺は自己紹介をし終えるとスタンドから歓声と拍手が起きた。


 「口だけで終わるなよー!」

 そうしていると野次のようないじるような発言が向けられた。

 それにつられたのか、スタンドの一部から笑い声が聞こえた。

 その様子に俺は思わず笑みをこぼした。安心しろ口だけでは終わらせない。俺はいつだって口にした目標は実現してきた。だからこれも絶対に実現させてやる。

 一年後、よくやったと言われるような結果にはする。そして俺が海外FAを取得する前にはリーグ優勝、そして日本一に導く。メジャー挑戦はそれからだ。



 自己紹介も一通り終わり練習が始まった。

 準備運動、ランニングとこなしていく。練習自体は山田高校よりも易しい。まぁまだ冬だし軽めの内容なのだろう。キャンプ辺りからが本番なのだろう。今回は技術向上というよりは同期の間の親睦深めるのが一番重要だろう。

 この後、入念なストレッチを行い、体が完全に温まったところでキャッチボールが始まった。


 俺の相手は、アントニオこと榎木毅一。育成入団の川井勇吾とこいつが同期で同い年だ。育成の川井がこれから支配下登録される可能性はあるだろうけど、やっぱり一番長い付き合いになりそうなのは榎木だ。こいつとは特に仲良くしていく事になるだろう。

 最初は数mの距離だったが、投げるごとに徐々に離れていく。


 しっかりと腕の動き、フォームの動きなど、一つ一つの動作を確認しながら、俺は榎木に投げていく。

 少しでも間違った動作があれば、体を痛めてしまうので入念な確認が必要である。


 一定の距離になる頃、俺は入念な確認を終えて、7割程度の力で榎木に投げる。

 それにしても榎木のグラブ、最高に良い音を鳴らしてくれる。良い音が出るよう榎木が上手く捕っているのかもしれないな。


 「行くぞ! アントォ~ニオッ!」

 ヨーロッパ人の巻き舌を真似ながら、榎木にボールを投じる。


 「アントニオじゃねぇっつうの! 大体なんだよアントニオって!」

 からかえばからかっただけいい反応を見せてくれる榎木君。さすがだ。

 それにしても榎木の動きは良い。捕球してから投げ返すまでの動作が凄い早い。さすが「魅せる守備」と呼ばれた男だ。動きに無駄がなく美しい送球だ。


 「おぉ! ナイスボー! さすが走攻守三拍子を兼ね揃えたスーパー超人」

 冗談交じりの口調で榎木を褒めると、案の定榎木から文句が来た。が無視をして投げ返す。

 そんな事を練習が終わるまで繰り返した。



 練習終了後、球場から出たところで、案の定記者に出待ちされていた俺。

 しかしそこはドラフト1位の注目ルーキー、一瞬のうちに作り笑いを浮かべて応対する。


 「佐倉選手。新人合同自主トレ初日終わって、どうでしたか?」

 「凄く楽しかったです。皆さん、まったく無駄がない動きで、さすが何千人の中から選ばれた人たちだけあって、みんな素晴らしくて、参考になりました」

 笑顔で記者達に答える俺。記者は俺の言葉を聞きながら、記事のネタの為にメモ帳に何か書いているようだ。

 この後も、数個の質問に答えて俺はバスに乗って寮に帰宅。


 昼飯を食べた後、寮の近くにある室内練習場にてウエイトトレーニングに1時間頑張り、初日の練習終了。



 練習終了後、食堂にて仲間とダラダラと会話。

 話題は野球に始まり普段の生活へと始まり、そうして男どもの終着点、恋愛の話題となった。


 「いやぁ彼女欲しいっすね。大学でも結局彼女できなかったし」

 なんてことを話すのは川村さん。

 川村さん、顔は悪くないから普通に彼女いそうだったんだがな。


 「分かりますわそれ。俺も彼女いなかったので」

 「いやいや榎木はいるだろう。その面構えでいないとか犯罪だぜ?」

 「なんすかそれ!」

 川村さんもだいぶ榎木のからかい具合を熟知してきたらしい。

 榎木もからかわれて満更でない様子。そんな様子を少し遠めに見ている。


 「志村さんとか永井さんとかはやっぱり一人や二人はいますよね?」

 川村さんが二人へと質問する。普段の川村さんらしくない。と思ったら彼のそばにはプルタブが空けられたビール缶。顔も良く見ると赤い。酔っぱらっているのか。川村さんは酔うとダル絡みするタイプの男か。

 志村さんや永井さんもお酒を飲んでいるようだ。そうかこれからは酒を飲める大人たちとも仲良く話すんだよなぁ。当たり前のことだけどいざこうしてみると不思議な気持ちだ。


 「まぁ一人や二人はいたけどな。俺はプロ入りするまでは作らないと決めていたから」

 そういってビールをすする永井さん。

 すごくハードボイルドな雰囲気をまとっている。


 「僕は結婚してるよ」

 「マジっすか!?」

 志村さんの笑顔を見て大袈裟に驚く川村さん。

 まぁ志村さんは社会人だし結婚していてもおかしくないか。凄く良い人だし。


 「どこで出会ったんですか!? 職場結婚!?」

 「あはは、合コンだよ合コン」

 「うおぉぉぉぉ」

 大興奮の川村さんと照れ笑いを浮かべながら語る志村さん。志村さんは酒飲んでもあんまり雰囲気変わらないな。なんというか大人の包容力があるというか、結婚してる男の余裕を感じる。


 正直、こういう恋愛話は苦手だ。ただでさえこういう話は嫌いなのに梓の事もある。極力関わりたくない。

 そういえば話に参加してない藤嶌さんはどうなのだろうか? 一度彼のほうを見る。育成入団の宮嶋さんと顔真っ赤にしてガハガハ笑いながら飲んでいる。なんか時折ネイティブな英語が聞こえる。宮嶋さんの顔も真っ赤だ。お互い支離滅裂な事を口にしているが意思疎通は出来ているらしい。あっちはあっちで関わったら面倒くさそうだ。


 「おい佐倉ぁ! お前はいないのか!」

 呂律が上手く回っていない川村さんの次の標的は俺だ。

 どうしよう、話を逸らすべきか。


 ……いや。


 「いますよ」

 「なにぃ!?」

 「マジか!」

 「えぇ!」

 俺の答えが意外だったのか大袈裟に驚く川村さんと榎木と川井。

 なんだお前ら、そこまで驚かれるとこっちの反応が困るんだけど。


 「なんでそこまで驚くんすか? もしかして狙ってました? 勘弁してくださいよ。そっちのけはないので」

 「俺だってねぇよ! ってかお前本当に女いるのか?」

 「そうだぜ佐倉、画面の中は無しだぜ」

 「んなわけねぇよ。ちゃんと生身の人間だ。ただ……」

 言いかけて表情が曇りかけた。

 別にここで話さなくてもいい内容だ。だけど、志村さんには聞いておきたいことがあった。


 「……今は上手く行ってない」

 そう、今は梓との関係が微妙だ。いやにズレが生じてて、会話一つ億劫だ。

 俺の告白を聞いた川村さんはゲラゲラ笑いだした。この人、酒を飲ましちゃまずいタイプの人間だ。酒は人を変える。20歳になったら気をつけよう。


 「それで志村さん、恋愛相談ってほどじゃないですけど、どうすればいいですかね?」

 「えっと、どうすればいいって……そうだなぁ、佐倉はその子との仲を元通りにしたいの?」

 流れるような恋愛相談をする俺に柔軟に対応して来る志村さん。マジで大人。「ざまーみろ!」とのたうちまわってる川村さんに彼の爪の垢を煎じて飲ませてあげたい。


 「はい……」

 「そうかぁ……うーん……」

 そして突飛な相談にも真剣に悩んでくれる志村さん。マジで大人。こういう大人になりたいし、今でも腹抱えて笑っている川村さんの口に彼の爪の垢を放り込みたい。


 「元通りにするってさ、とっても難しい事だと思うんだ。それこそ佐倉が野球に向けてる意識と同じくらいの意識を向ける必要があると思う」

 少しの沈黙の後、志村さんは温和な笑顔を浮かべながら俺の相談の答えを口にする。

 その優しい声はすっと俺の胸の内に入っていき、梓へのささくれだった感情に痛いほど沁みた。


 「佐倉は野球と同等に……いや、野球よりもその子に意識を向けられる?」

 今度は志村さんのほうから質問をされた。

 そしてその質問に俺は即答できなかった。


 野球をおろそかにして梓に意識を向ける。

 そんなの……俺にできるはずがない。

 こうして野球に情熱を燃やし、野球をやる事が俺の生きる原動力になっている今、野球以外の何かに野球以上の意識なんて向ける事はできない。


 「正直難しいと思うよ。人間って案外器用じゃないから、二つの事を同じだけ意識を向けるなんて芸当早々できないさ。片方にかなり意識を向けないといけない今みたいな状況は特にね」

 志村さんの言葉の言う通りだ。今、こうして野球以外に意識を向けてしまっている時点でダメだ。

 俺の頭の中からは梓という存在が消えるぐらいに野球にのめり込まないといけない。いや、昔の俺だったらのめり込んでいた。

 ……どうやら野球部引退してからのあの期間で、だいぶ俺はなまってしまっていたらしい。


 「野球も恋愛も中途半端になりそうなら、どっちかを切り捨てるべきだと思うよ。……まぁ僕の個人的な意見だから、参考程度に聞いてくれればうれしいけど」

 「いえ、凄く身に沁みました。ありがとうございます」

 深く頭を下げて志村さんに感謝する。

 徹頭徹尾、大人だなこの人。うん、俺はこういう大人になりたい。優しくアドバイスを送れる、そんな大人に。


 「女なんて抱きゃ一発っすよ! 間違いない!」

 少なくとも、俺の割と真面目な相談にこんなクソみたいな回答しか出せない川村さんのような大人には、そして人目をはばからずゲラゲラと大笑いをする川村さんのような大人には絶対に、絶対にならないぞ。

 ってか川村さんキャラ変わりすぎだろう。あなたもっとこう求道者みたいな人じゃなかったか? 酒って怖い。ここまで人を変えるのか。



 なんにせよ、志村さんの言葉は良かった。

 俺の方向性を決めてくれた。

 これからキャンプに入る。野球選手でいる間は梓の事は忘れよう。俺は野球選手、野球よりも野球以外の事に意識を向けるべきじゃないし、野球と同じぐらい梓の事も意識を向けられるほどの度量はない。


 こうして俺のプロ野球選手初日は終わりをつげた。

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