307話
年を越した。2011年から2012年へ。
楠木の奴が優勝を決めた選抜甲子園も、山田高校が騒がした夏の甲子園も、梓と過ごした甘酸っぱい青春も、去年の出来事となった。
時代は進む。あと数日経てば次の選抜甲子園の出場校が発表される。
山田高校は一応、秋の大会の結果を鑑みれば十分選出されるだろう。
そして俺にとって新たな勝負の一年が始まった。
新しいステージ、プロ入り。プロ野球選手としての第一歩を踏み出すことになる。
今月11日にはシャークスの選手寮に入寮する事となる。
それに向けて準備とかしていたら、気づけば新年もあっという間に過ぎていき、入寮前日を迎えた。
学校も終わった放課後、市内の料理屋を貸し切り、俺を始めの輝ける前途を祝して壮行会がおこなわれた。
まぁ実際のところは三年生全員だな。俺は一足早く入寮して野球に身を投じることになるが、他の奴らも再来週には自由登校期間に入り、それぞれの進路に向けての準備を進めることになる。
気づけばもうそんな時期だ。時の流れの早さに呆れつつも、最後の馬鹿騒ぎとして部員たちと大盛り上がりする。
どいつもこいつも一抹の寂しさあるだろう。それでも今日だけはみな笑顔を浮かべて楽しんでいる。
「亮輔、選抜優勝して来いよ」
「任せてください! 春の優勝旗も学校に持ち帰ります!」
そういって笑顔を浮かべる亮輔の顔はだいぶたくましくなった気がする。
キャプテンという重責ある立場になって一皮むけてくれたか。確かにこの面構え、先代キャプテンの哲也よりも頼もしいな。
「松見! 俺のあとの背番号1なんだから不甲斐ないピッチングすんなよ!」
「うっす!」
現エースピッチャー松見にも檄を飛ばしておくが、凄い適当な返答が返ってきた。相変わらず適当な性格らしい。志田の事が好きなのも変わっていないようで、今日も志田と雑談している。
「まったくエースが女遊び激しいとチームの士気があがらねぇぞ」
「それ、英雄が言う?」
隣で俺のぼやきを聞いた哲也が呆れているが無視だ。
それにしても久々に一二年どもの顔つきをまじまじと見たが、だいぶ変わっているな。特に一年どもは松見や秀平を除いてみんな幼さを残したどこか頼りない表情だったのが、だいぶ頼もしくなっている。
もちろん二年どもも同様。秋の県大会と中国大会を始め多くの試合、修羅場を経験して、一回りも二回りも成長しているようで何よりだ。
楽しかった会も終わりをつげた。
鉄道組の奴らを駅まで見送って、俺は徒歩組の面子とのんびりと帰る。
そうして一人、また一人と別れ道で別れていき、俺は残った岡倉と並んで歩く。
「なぁ岡倉」
「なに英ちゃん?」
「龍ヶ崎とは、順調か?」
空に星が瞬く夜の道を歩きながら、俺は隣で自転車を押しながら歩く岡倉に聞いた。
「もちろん!」
満面の笑みの岡倉。それは良かった。いやこれは愚問だったか。
龍ヶ崎と岡倉はずっと仲良しだろう。ここまでお似合いなカップルは中々そういない。将来的には結婚するんだろう。そんな気すらする。
「英ちゃんのほうこそ、鵡川さんとは順調?」
「え? あぁ、まぁな……」
言葉を濁して視線を逸らす。
正直に言えば、順調とは言い難い。
球技大会を境にどこかすれ違いというか、わずかばりのズレが生じている。
野球に意識を向けて努力をしたい俺と、俺とデートとか話をしたい梓。このわずかな認識のズレが地味にストレスが募る。
数か月前までのラブラブカップルはどこに行ったのか。顔を合わせて会話をしてもどこかぎこちなくて、どこか隔たりがあって、今では彼女に連絡一つとることぐらい億劫だ
「そっか! 良かった! 英ちゃんも、残り少ない青春を謳歌しないと!」
「残念。明日から入寮するから、青春のくそもねぇよ」
岡倉の天然ボケにつっこみを入れる。
そう、明日から入寮だ。明後日には同期と新人合同自主トレが始まる。梓としばらく顔を見合わせなくて済むし、彼女の事を考えず野球に集中できる。それだけが救いだ。
そうしてそんな事を考えてしまう自分が嫌で、表情を暗くさせる。
自宅まで来たところで、家の前に誰かが立っているのが見えた。
電柱のライトが照らす姿は……女性? 母上? 千春? それとも恵那か?
「あれ? あの人、英ちゃんの家の前にいるね」
「あぁ」
のんびりと歩きながら人物を確認する。
そうして少し歩いたところで、目の良い俺は誰かに気付いた。そしてまもなく岡倉も気付いた。
沙希だ。なにやってんだあいつは。
「英ちゃん。ファイト! じゃあね!」
なんか知らんが岡倉にエールを送られた。
そうして岡倉は俺がなにか言う前に自転車に乗って、スピード出してその場から立ち去っていった。
残された俺は、俺の自宅の前の塀にもたれかかる沙希と二人きりになった。
なにしてんだあいつ。
脳裏に文化祭の時の告白された景色が思い浮かんで、それを払しょくするように頭を左右に振るい彼女のもとへと向かう。
「沙希」
俺が呼びかけるとボーっと俯いていた沙希が顔をあげてこちらを見た。
目に生気はあるな。少し前まで見せていた暗い表情はない。どこか決心したような顔。
またも脳裏に文化祭の時の告白された景色が浮かぶ。まさかまた俺に告白するつもりか? それはさすがに勘弁してくれ。梓のことだけでも相当胃が痛い状態なんだから、これ以上恋愛事で頭を悩まさせないでくれ。
「英雄」
「どういうつもりだ? こんな場所にいて、風邪ひくぞ」
こんな夜道で何時間くらい、こいつはここにいたのだろうか?
「今日は英雄に伝えたいことがあって来た。明日から広島のほうに行くんでしょ。だからその前に伝えたいことがあるの」
そういって俺のほうへと向き直る沙希。
息をのむ。正直次どんな言葉が出てくるかは分からない。願う事なら今頭にある一番聞きたくない言葉が出ない事を願う。
彼女は一つ深呼吸する。
「私は、英雄の事が……」
頭にある一番聞きたくない言葉の前口上だ。
ここで言葉をさえぎってしまおうか? いや、それは沙希に失礼だ。
ってか沙希の奴、まだ諦めてねぇのかよ。そんな事を考えていると沙希は続く言葉を発した。
「好きでした」
頭の中にあった一番聞きたくない言葉とはニュアンスが違くて拍子抜けした。
沙希をまじまじと見る。決意のこもった顔は変わらない。じっと俺を見つめている。
……それで、これを聞いた俺は何を言えばいいんだ?
「英雄、私踏ん切りがついたの。哲也のおかげで、私英雄の事諦められる」
困惑する俺に彼女は言葉を続ける。
その言葉に俺は口を引き締めて黙りこくる。
「もう英雄の事は想わない」
沙希の一言に、俺の胸がきしんだ気がする。
なにやってんだ俺の身体。沙希の事はもう諦めただろう? それに今は梓という彼女がいるだろう? いや、それでもまぁあれだな。好きだった女の子にこんな事言われたら嫌でも身体が反応しちゃうよな。
「そうか」
俺から出せる言葉はそれだけだ。
沙希の顔を見る。未だに表情は変わらない。決意のこもった顔。だけど、前よりも良い顔をしている。
その顔だけでも彼女が立ち直ったのが分かる。哲也の奴、やってくれたみたいだ。
「だから英雄。これからも、私と友達でいてください」
そう言って頭を下げる沙希。
そんな沙希を見て、俺は口元をほころばしていた。
「友達はお願いするもんじゃねーだろ。前にも言っただろう沙希。お前は大事な友達だ。どんなステージに進んでも、ずっと仲良くしていくよ」
ずっと前に言った言葉。その言葉に沙希は笑顔を浮かべた。
この言葉で笑えるくらいには元気を取り戻したか。哲也も沙希も頑張ったな。よくやった。
「英雄」
「うん?」
しばらくの沈黙の後、沙希が笑顔で俺の顔を見ながら名前を呼んだ。
「野球、頑張ってね」
「おう」
沙希のエールに俺は左手に握りこぶしを作り腕全体に力を入れながら返答する。
「梓とも仲良くしてね」
「お、おぅ」
こっちの返事はぎこちない。沙希はいぶかしげに見たが、何も言ってはこない。
「それじゃ英雄。またね」
「家まで送ってくぞ」
「ううん、平気」
笑顔を浮かべる沙希。
「そうか、分かった。じゃあお前も受験、頑張れよ!」
「うん! ありがとう!」
こうして沙希は、俺の自宅の前を後にする。
俺は沙希の背中が見えなくなるまで、沙希を見続ける。
さて、明日から入寮だ。
俺の新たな一歩が始まる。プロ野球という新たなステージ、新たな舞台。
考えると楽しくなってくる。俺の実力はどこまで通用するのか、俺はどこまで成長できるのか。
あぁ明日が楽しみだ。




