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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
307/324

306話

 球技大会も終わり、12月に入った。

 師匠も走る12月。世間はクリスマス商戦に大晦日に正月と大忙しで、道行く人たちもどこか早足だ。

 もちろん俺の周りも慌ただしく流れて行った。卒業後の進路が決まった者、まだ決まっていない者、来年の入試に向けて勉学に励む者。どいつもこいつもそれぞれ大忙しだ。

 梓も同様、彼女は京都のほうの国立大学進学を目指して勉強に励んでいるらしい。

 そんな中で俺も来年のプロ入りに向けて準備を進めていた。



 そうして気づけば冬休みに突入し、クリスマスを迎えていた。

 イルミネーション煌びやかな駅前、商店街、どこか浮かれている人々の喧騒の外れ、人気のない運動公園の広場にて、俺はウインドブレーカーを身にまといながら、準備運動をして寒さで強張った体をほぐしていく。


 「ってかさ」

 「なんだ?」

 隣で俺の準備体操を見ている男に話しかける。

 ちらりとそちらを見て大きくため息を吐く。白い息が空を舞い消えていく。


 「なんで俺、良ちんとキャッチボールしないといけないわけ?」

 ため息をついたあと、もう一度男のほうへと視線を向ける。

 そこには良ちん事鵡川良平が立っていた。


 「こうでもしないと姉ちゃんになにするか分からないからな。あと良ちん呼ぶな佐倉英雄」

 腕を組み、むっとした表情の良ちん。

 相変わらずシスコンのようで安心……いや別に安心する案件でもないか。

 そう、今日は梓とデートの予定だったのだ。まぁデートと言っても、来月一月におこなわれるシャークスの新人合同自主トレに向けて、なまった体を絞るトレーニングに梓が付き合ってるだけなのだけど。

 そして、そのトレーニングにこいつが現れた。


 「ごめんね英雄君。良平がどうしてもって」

 「気にするな梓。一人でやるより二人で練習したほうが良いし、大丈夫だ」

 近くで申し訳なさそうにしている梓に俺は笑顔を浮かべて答える。

 俺と梓の甘すぎるやり取りを見て、良ちんは「……クソが」と悪態つく。顔が凄い不機嫌だ。

 そんな嫌な表情するなら来なきゃよかったのに。


 「どうした良ちん」

 「なんでもねぇよ。認めたくはないが、姉ちゃんの彼氏だと認めよう。認めたくはないがな」

 「そうか」

 良ちん的には姉である梓が心配なんだろうな。本当重度のシスコンだなお前。シスコンと自負している俺でもさすがに千春と恭平のデートに付き添った事はねぇぞ。

 まぁでも、先ほど梓にも言った通り、一人でトレーニングするよりかはボールを投げる相手がいるのはありがたい。

 同期の部員たちも卒業後の進路に向けての準備で何かと忙しいからな。こいつが来てくれて正直助かった。


 卒業後の進路といえば、大輔が大学で野球をやる事を決めてくれた。 

 最後の最後の後押しは彼女さんだったが、あの球技大会の一戦が決意を揺らがせたことは確かだろう。

 大輔が進学する山田大学の野球部は中国地方の大学野球リーグに所属している。俺らが山田高校入学する前年に山田高校を夏決勝まで導いた世代の多くが山田大学に進学したらしくて、ここ数年から三部から二部に昇格している新進気鋭のチームだ。

 佐和ちゃん曰く、監督さんも中々できる男らしいとの事なので、大輔は良いチームに入れそうだ。


 「それにしてもクリスマスに自主トレする奴がいるか?」

 「なんだよ良ちん、文句か?」

 部外者のお前にあーだーこーだ言われるつもりはないぞ。


 先日の球技大会の一騎打ち、大輔の気持ちを大きく切り替えたわけだが、俺のほうも大きく切り替わった。これまで梓と甘い学生生活を送っていたが、一気に野球選手モードに切り替わってしまった。

 彼女とデートしても野球の事が頭から離れないし、彼女とそばにしても野球のことしか考えられない。少し前の自分に戻ってしまった。

 だがまぁそれも構わない。これからプロに行くんだ。これぐらいの心構えのほうが良いに決まっている。

 確かに梓とは恋仲ではあるが、野球の方をおろそかにしてまでイチャイチャするつもりはない。

 すでに俺の進路は決まっている。ならばそれの進路で活躍できるよう最善を尽くすまでだ。


 「姉ちゃんはそれでいいのかよ? クリスマスだぜ? なんで自主トレに付き合ってんだよ」

 「うーん、それは英雄君が決めた事だからかな」

 そういって笑う梓。良き彼女だ。

 というか良ちん、さっきまであれほど俺と梓がいちゃつくの嫌がってたのに、いざ俺がロマンチックの欠片もない事をすると憤るんだよ。


 「でも、うん、まぁもうちょっと恋人らしいことしたかったかな」

 梓が言葉を続ける。そして苦笑い。

 その表情を一瞥して俺は視線をそらした。


 「悪いな梓」

 「え? あ、ううん! 気にしないで! 英雄君が野球が大事だって分かってるから……」 

 少し気まずい雰囲気になった。

 俺は一つ息を吐いて気持ちを切り替える。


 「んじゃあ弟よ。キャッチボールを始めようか」

 「弟言うな! 俺は認めてないからな!」

 軽い調子で良ちんをからかうと、良い反応を示してくれて少し気がまぎれた。

 ってか、さっき認めたくないが姉の彼氏だと認めるって言ったじゃねぇか。



 キャッチボールを始める。初めは短い距離で、そうして徐々に距離を広げていく。

 それに合わせて投じるボールも力を込めていく。さすがにこの時期は全力投球はしない。5割から7割ほどのボールで指先を始め体の動きを確認していく。 

 先ほどなまった体を絞ると言ったが、あれは嘘だ。野球部引退し女遊びが激しくなったあとも日々のロードワークは欠かしていない。

 もちろん体の状態に異常はない。とりあえずこれなら新人自主トレの時にダメな感じにはならなさそうだ。


 さてキャッチボールをこなしながら、良ちんと会話のキャッチボールも始める。


 「そういや良ちん。お前、卒業したらどこに行くの?」

 「東京の長谷田(はせだ)大学だ」

 「長谷田って、あの六大学の?」

 「そうだ」

 大学野球の伝統校、長谷田大学か。

 過去多くのプロ野球選手を輩出しているし、今でもたびたび全国大会に顔を出している。


 「スゲェな良ちん。さすがだぜ!」

 「プロ入りした奴に言われても、皮肉にしか聞こえねぇよ!」

 そういって思いっきりのいいボールを投げ込んでくる良ちん。

 俺の右手にはめられたグラブからは乾いた音が響き、同時にかじかんだ右手に鈍痛が走る。無意識のうちにグラブを数度振った。


 「推薦か?」

 痛みに堪えつつ話題を続ける。

 良ちんは去年の夏に二年生ながら甲子園出て四番を任されていたわけだし、その実績と技量は評価されているだろう。

 長谷田クラスでも十分推薦がきそうなところだが。


 「今年の夏に甲子園にも行ってないのに推薦が来るわけ無いだろう。セレクション受けたんだよ」

 「ほぉ」

 長谷田大学のセレクションか。それこそ甲子園出場チームのスタメンだった連中ばかりの中で受かったわけか。

 あの夏、良ちんは戦ったバッターの中でもトップクラスだったのは確かだし、やっぱり良ちんはスゲェな。


 「そういや川端は、ファルコンズだっけ?」

 「そう。ファルコンズで四位指名。さすがは遊星だよ」

 悔しそうな顔を浮かべながらも、素直に褒める良ちん。

 良ちんも言ったとおり、川端は福岡ファルコンズに四位指名されてる。俺みたいに入団情報が新聞に大々的に載りはしなかったが、おそらく入団しているだろう。


 「みんな、それぞれの進路に突き進んでいる。佐倉英雄、プロで待っていろ。すぐさまお前に追いついて……いや追い越してやるかな!」

 敵意むき出しの声をあげながら良ちんは全力でボールを投じてきた。

 再びグラブからは乾いた音が鳴り響き、ボールを受けた右手に鈍痛が広がる。


 「いってぇ! 思いっきり投げんなや!」

 さすがに痛すぎたのでそんな言葉が無意識に口から出てしまった。

 そんな俺をどこか楽し気にみている良ちん。あの野郎。すぐさまセットポジションになった俺は息を吐き意識を研ぎ澄ませた。


 「その気概は認めてやるが、俺を追い越すってのは相当な難関だぜこの野郎!」

 今度は俺の番。投げるつもりはなかった全力投球を決める。

 力強く振るった左腕は一直線に良ちんのグラブへと向かい、そして良ちんの驚く声と共に鈍い音をあげながらグラブに直撃し大きく跳ねて地面へと落ちた。

 驚いた顔をしている良ちんを見て、今度は俺が楽し気に見る番だ。口元をグラブで隠すが顔のニヤけは隠せない。そんな俺を見て良ちんは舌打ちを一つした。


 「ちくしょう。夏の借りはいつか返すからな」

 「あぁ楽しみにしてるよ。大学でだらけんなよ」

 「だらけねぇよ。絶対にプロに行く。お前に並び立ってやる」

 そう意気込む良ちんを見て、ぞわりと背筋が震えた。

 あぁ、あの夏の県大会決勝戦で見た鵡川良平だ。うん、やっぱりあいつはあの夏戦ったバッターの中でもトップクラスだった。

 こんなスゲェバッターがプロじゃなく大学進学なのか。大輔もいるし来年からはしばらく大学野球がにぎわいそうだな。



 一通り身体を動かして今日の自主トレは終了。 

 じゃんけん勝負で良ちんを破り、奴に飲み物をパシらせている間に梓と会話をする。


 「ごめんな梓、クリスマスだってのにこんなムードない場所に連れ出して」

 「だから気にしないでって。英雄君が野球中心なのは知ってるから」

 ベンチに並んで座りながら遠くの自販機で飲み物を購入している良ちんの背中を見つめる。

 隣に座る梓の顔は見ない。だけど耳から入る彼女の声から寂しそうな顔を浮かべているのは容易に想像できた。


 「……俺はこんな生き方しかできないと思う」

 一言、彼女へと告げる。

 中学時代、初めて女子と交際し始めてから分かっていたこと。

 俺はどんなものよりも野球中心の男。四六時中野球の事を考えている男。本能的に野球を求めしまう男。

 野球部引退してからこれまでは自分でも充電期間として、すっぱりと野球から離れて梓とイチャイチャしていたが、これからは違う。

 すでに気持ちは切り替わっている。恋愛事を楽しむ俺から野球に全神経を注ぎ込む俺へと。

 もちろん梓は大事だ。大事だからこそ野球をおろそかにする理由にはしたくない。野球で失敗した時の言い訳にしたくない。

 だから今日みたいに彼女の期待に添えない事を何度もしてしまうと思う。梓には申し訳ないとは思ってる。だけど……。


 「梓には辛い思いをさせると思うけど」

 「分かってるよ。英雄君の好きにやればいいと思う。私は、そんな英雄君を支えるから」

 彼女の芯のこもった声。彼女のほうをチラリと一瞥する。寂しそうな笑顔、すぐさま視線を逸らす。

 梓に無理をさせてしまっているな。優男ならここらで気の利いた一言を言えるのかもしれないが、俺にそんな真似はできない。というより取り繕う事はできない。

 俺はこれから彼女よりも野球を優先して生きていく。こればかりは変えられない。


 「あ、英雄君。メリークリスマス」

 「そういえば言ってなかったな。メリクリ、ことよろ」

 「今年、もうすぐ終わっちゃうよ」

 そういって梓の笑い声が聞こえた。さっきまであった重い空気は少しばかり晴れた。

 遠くにいた良ちんが近づいてきている。この話はここまでだ。


 白い息を吐く。ゆっくりと曇天の空を見上げた。

 今年の冬は雪が降るのだろうか? そういえば去年は、結局雪という雪が降らなかったな。

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