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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
305/324

304話

 木製バットの快音が耳の奥、鼓膜のさらに向こう、脳の奥底に鳴り響く。


 「ははは…」

 無意識に笑いがこぼれた。

 最高の一球。そう、あの夏の甲子園ですら出せなかった最高の一球。これなら絶対に大輔からも空振りを奪える。そう胸を張って言えるような一球は、いともたやすく打ち抜かれていた。

 バットを振り切る大輔のスイングは最後の最後まで無駄がなく、そして狂暴で、だけど……どこか美しささえ感じた。


 ゆっくり振り返る。すでに打球はどこまで飛ぶのかおおよそ予測で来ていた。否、大輔がボールを確実に捉えた時、打球は最低でもフェンスまで飛んでいた。なら、俺のボールがどこまで飛ばされたかなんて自明の理だ。

 振り返った頃には、打球はすでにレフト鉄平の頭上を越えていて、とんでもないライナーの打球がホームラン性の当たりとなって秋の青空を切り裂いていく。

 推定飛距離は……ゆうに130は越えているか。あれなら140、いや150すら行ってもおかしくない。

 俺と大輔の一騎打ちを見ていた観客は歓声と驚嘆の入り混じった声をあげて打球の行方を追う。その中で俺はだらんと腕を下げて、ホッと息を吐く。


 「英雄」

 近づいてきた哲也がぎこちなく話しかけてきた。


 「打たれたけど、ボール自体は完璧だった。今まで見たストレートの中で一番だった」

 「そんなの分かってるさ」

 投げた俺ですら納得する一球だったんだ。

 そしてその一球を打たれたんだ。なら言える言葉は一つのみ。


 「完敗だ」

 素直に負けを認められる一撃だった。 

 そして笑いが込み上げてくる。なんだろう。打たれて負けたのに凄い清々しい。


 「大輔の野郎、なんだよあのバッティング。あいつ本当に高校球児か? メジャーリーガーが高校生の皮でもかぶってるんじゃないのか?」

 どこか楽しげに語る俺に哲也はきょとんとしている。

 そんな哲也を無視して俺は笑顔で秋の青空へと視線を上げた。


 「なぁ哲也、大輔ってマジでやべぇな」

 一騎打ちして再確認した。

 本当に、本当にありえない野郎だ。あんな奴とチームメイトで野球をしていたなんてな。

 うん、あいつがいたから俺は甲子園優勝を果たした。あいつがいたから山田高校はミラクルなんて言う快進撃を起こして見せた。きっと俺一人じゃ無理だっただろう。


 ウイニングランのようにのんびりとダイヤモンドを走っていた大輔が、三塁ベースを蹴飛ばした。


 「哲也、行くぞ。勝者を迎え入れよう」

 「え、あぁうん!」

 俺は哲也に声をかけると笑顔でホームベース付近へと向かい、大輔を出迎える。

 ホームへと走ってくる大輔は満面の笑み。彼の方も納得のスイングができたようだ。まぁ納得いかないスイングであんな打球を打たれていたらそれこそ俺のプライドが折りに折られていただろう。


 「大輔、ナイスバッティング! 完敗だ!」

 「英雄のほうこそ、ナイスボール。あんなやばいストレート、初めて打ったよ」

 ホームベースを力強く踏みしめた大輔と笑顔でハイタッチを交わす。

 勝者と敗者に分かれたというのにどちらも笑顔を浮かべる。うん、この一騎打ちは最高の勝負だった。


 「さすが大輔。次期プロ野球界のニューフェイスと呼ばれる俺から、あんな素晴らしい一撃をしたんだ、大学で野球をやっても文句は言われないさ」

 さて、ここから本題だ。

 大輔、この勝負で俺は決めた。絶対にお前を野球へと連れ戻す。

 こんなバッティングできる奴を高校で終わらせるだと? そんなの絶対に駄目だ。大輔の感情云々もあるのは分かっている。だけど、それでも大輔には野球を続けてほしい。俺のエゴだとしても、大輔にはずっと俺のライバルであってほしいんだ。


 俺の一言、大輔の顔から笑顔が消えた。


 「大輔、お前は高校で野球辞めるような奴じゃない。十分、野球で飯が食っていける。このまま普通の人生を送るより、もっとスリルに富んだ人生を送らないか?」

 「………」

 大輔の表情、前に野球の話題をしていた時よりもどこか渋い表情をしている。

 今日の一騎打ちで大輔の感情を揺り動かす何かがあったのかもしれない。


 「きっと普通に生きるより楽しい人生が待ってるぜ? 俺達はさ、甲子園優勝決めてアジア大会も制して、なんつうか高校野球の頂に立った。だけど本当はそんなの五合目とかそこらへんでさ、本番はここからだと思うんだ」

 あの夏、大輔はあらゆる好投手のボールを打ちぬいてきた。そして今日、俺という怪腕のボールすらも打ち抜いた。

 だけど、あの夏戦った好投手よりもスゲェ奴は、プロ野球に行けばわんさかいるし、メジャーに行けば星の数ほどいるだろう。

 野球をやり切ったなんて言わせない。まだまだ俺達は道半ばなんだ。


 「今日の対決でお前の魂をどれくらい揺り動かせたかは分からない。だけどさ、まだ野球への熱意が残ってるならやろうぜ」

 俺の提案。大輔は最後まで渋い表情を崩すことはなかった。

 少しの沈黙。そこから大輔が絞り出した答えは……。


 「悪い。やっぱり俺は……野球を辞める」

 聞きたくない回答。

 今度は俺のほうが渋い表情を浮かべてしまう。

 周囲で話を聞いている佐和ちゃんはどこか他人事のように見ていて、哲也は困惑している様子。勝負が終わって祝いに来た同期の野球部員たちも困惑している。


 「確かに、今日の英雄との対決で野球への熱意は再燃したと思う。正直楽しかった。うん、そうだな。好投手って奴らの最高のボールを打ちぬいた時の興奮をもっと味わいたいと思う」

 言葉を絞り出すように感情を口にしている大輔。

 それを俺は黙って耳にする。


 「でもさ、これ以上……俺は里奈に迷惑をかけられない」

 ……そうきたか。

 大輔、お前は本当にアレだな。彼女さんが好きなんだな。


 「ずっとあいつに迷惑をかけてきた。毎日野球の事ばかりでかまってやれなかった。そんな俺に毎日弁当を作ってきてくれた。だから大学ではあいつと楽しみたいんだ。これは里奈との約束だ。変えるわけにはいかない」

 こればかりは何も言い返せない。いや、なにか言い返せば大輔と険悪関係になる恐れがある。

 大輔は、飯と彼女をないがしろにされるのを嫌う。だから俺は何も言い返せない。


 「お前は気持ちは分かった。だけどさ大輔。俺は「英雄、ありがとう」

 なんとか食い下がろうとして、大輔が俺の言葉をさえぎった。


 「お前が俺のことを思って言ってくれてるのは分かってる。確かにお前の言う通り、結果が伴うかは分からないけど、プロに行ったら存分に楽しめると思う。だけどこれだけは変えられないんだ」

 そういって笑顔を浮かべる大輔。 

 あぁ駄目だ。こりゃなにも言えない。もう俺の言葉じゃ大輔の信念は動かない。

 彼を動かせるのはもう一人だけだ。


 「そうか、分かった。あぁ大輔、最後に一つ言っておく」

 もう何を言っても大輔の意志は変わらないと知って、これだけは言っておきたかった。

 先ほど遮られた言葉。これだけは大輔に伝えておきたかった。


 「俺は、お前が敵にいるぐらいのハンデが無いとプロ野球に行っても退屈だ」

 出来る事ならば、こんなしけた高校のグラウンドじゃなくて、カクテル光線が照らす満員御礼のベースボールスタジアムでお前と戦いたかった。

 言いたいことは言った。もうこれ以上は俺がどうこう出来ない。最後に観客のほうへと視線を向けて、大輔の彼女さんを見つけてウインクしておく。彼女に俺の意思が届いたかは分からない。

 だけど、この一騎打ちで心を動かしたのは俺と大輔だけじゃないはずだ。お願いだ彼女さん。どうか、大輔をよろしく頼むぜ。

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