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怪物は一日にして成らず  作者: ランナー
7章 怪物の休日
303/324

302話

 哲也と喧嘩をした翌日、学校で顔見知りに会うたびに驚かれる。

 さすがに哲也の拳を食らった頬は腫れてやがる。ジンジン痛んで鬱陶しい


 「おいおい英雄、どうしたんだその顔、ただでさえ不細工だってのに、見るに堪えねぇぜ?」

 「はは恭平、お前にだけはそんな事言われたくなかったなクソ野郎」

 教室に入り恭平と朝の挨拶を交わす。

 悪態を吐きあっているが、これでも親友なんだぜ俺達。


 「それで英雄、実のところ誰にやられたんだ? 鵡川を愛する男どもか? それなら俺も加勢するぜ?」

 「んなわけねーだろ。…まぁお前なら誰にやられたか口にしてもいいか。哲也だ」

 「ほぉー」

 俺が殴られた相手の名前を口にすると恭平は笑顔を浮かべ嬉しそうな声をあげる。 

 てめぇなに喜んでだよ。


 「そうかそうか。三角関係のドロドロな殴り合いか。昼ドラだな!」

 「その言い方やめてくれ、否定できないから」

 言い方は癪に障るが恭平の言う通りだ。

 ニヤニヤ笑う恭平に呆れつつ、俺は教室に来る前に購入したペットボトルのお茶を一口含む。っと徹夜に殴られたときにできた口内の傷に沁みて表情を歪めてしまう。


 「それで、どうだったんだ? 解決したのか?」

 「あ? …あぁ、まぁな。あとはあいつら同士の問題だ。俺は助言する立場に回るさ」

 「なるほどなるほど、つまりはこれで学生生活に思い残すことはないわけだな!」

 「いや、まだあるさ。もっと梓と楽しまないといけないし、それに…」

 恭平から視線を逸らし、大輔のいる教室の方向へと視線を向けた。

 大輔の野球引退の件もある。もう俺がかかわるべきじゃないと分かっている。分かってはいるけど、やっぱり俺は大輔が高校野球で引退するという事実を認められなかった。

 ここにいる恭平は大輔の引退選択に口出しはしない派だ。こいつと話してもらちが明かない。…やっぱりここで語りあうべきは。


 「おらお前ら! 朝のホームルーム始めんぞ!」

 教室に入ってきた佐和ちゃんを見る。語り合うべきは彼だろう。

 野球部の監督で、大輔を怪物へと鍛え上げた恩師。佐和ちゃんは大輔の引退をどう思っているのか、そういえば聞いていなかった。


 「って英雄、今日は普段と違ってハンサムだな」

 ずっと佐和ちゃんを見ていたから目が合いそんな事言われた。

 殴られて腫れた顔がハンサムとかなめとんのか。ってかなんだ普段と違ってって、普段はハンサムじゃないと? いくら恩師でも容赦しねーぞ。



 昼休み、梓との昼飯の誘いを断り、俺は数学準備室へと来ていた。

 佐和ちゃんはいつもここで昼飯を食べている。前に「職員室だと美味いコーヒーを作ってくれない」と嘆いていたのを覚えている。

 ノックをすると、案の定ドアの向こうから佐和ちゃんの声が聞こえた。


 ドアを開いて、最初に嗅覚が芳醇なコーヒーの匂いを感じ取った。

 佐和ちゃんが座る椅子のそばのテーブルには、数学準備室に不釣り合いなほど立派なコーヒーメーカー。


 「って英雄か。どうした?」

 「俺の顔の件、なんも聞かないのな」

 「未解決ならお前から言うだろう? それともその話をしにきたのか?」

 呆れたように聞いてくる佐和ちゃん。やっぱり俺の顔の件は興味ないらしい。もしかしたら先に哲也から聞かされていたのかもしれないし、この人なら俺と哲也の間のいざこざを察してもなんらおかしくない。…別に気にしてないなら、俺から言う事でもないか。

 佐和ちゃんの手にはサンドイッチ。テーブルの上の紙は…野球部関連か?


 「いや違う。野球部の調子はどうだか聞きたくてな」

 「ま、ぼちぼちだな。夏の甲子園優勝校というプレッシャーを背負いながらよく頑張ってると思うよ。特に亮輔、あいつは良いキャプテンだ。哲也よりも選手を引っ張れているし支えられているよ」

 佐和ちゃんのぼやきに俺は思わず笑ってしまう。

 やっぱり哲也は頼りないキャプテンに思われていたのか。いや、単純に亮輔が良いキャプテンなのかも。


 「夏春連覇いけそうか?」

 「無理だな。選抜出場しても頑張ってベスト8が関の山だろう。全体的に戦力が頼りない。特にお前と大輔の抜けた穴が痛くてな。新チームのエースも四番も一年生だぜ? 頼りないだろう?」

 そういって笑う佐和ちゃんだが、どこか俺達三年生がいた頃よりも活き活きとしている。

 まぁ俺達三年生は俺や大輔を始め、ほっとけば勝手に結果を残してくる選手ばかりだったからな。監督としてはつまらないチームだったのかもしれないな。


 「そうだな。…それでなんだけど佐和ちゃん、大輔が高校で野球を辞める話は知ってるよな」

 「あぁ。なるほど、その話か」

 俺は小さくうなずく。


 「大輔を育て上げた佐和ちゃん的に高校野球で引退する大輔の選択はどう思う」

 「それはあいつの勝手だろう。人生を決めるのは自分の仕事だ。指導者の俺や佐伯さんがやるのはその道の選択肢を広げたり、逆に絞ってやる事だけだよ」

 俺の問いに軽快に答える佐和ちゃん。 

 だけど、これが本心じゃないと俺はすぐに見抜いた。


 「実際のところは? 監督とか指導者とかじゃなくて、一人の野球好き…あるいはいち野球経験者としてどう思う?」

 「…そうだな。まぁここで辞めるなんて馬鹿げてるとは思うよ」

 やっぱり佐和ちゃんもそう思っていたか。 

 そりゃそうだ。あんな才能を見せつけられて、高校で野球から手を引きますなんて発言、許せないだろうよ。


 「あいつならメジャーで40本、50本…あるいは本塁打記録塗り替えだって不可能じゃないだろう。それぐらいあいつは才能に溢れている。あいつが高校で野球を辞めるのは日本野球界今世紀最大の損失と言ってもいいだろう」

 「…ならなんで引き留めなかったんだ。大輔と話し合ったんだろう」

 「まぁな。でも俺は大輔自身が選んだ道を尊重してやりたいし、それに…」

 「それに?」

 含みを持たせた言い方に思わず食いついてしまう。

 佐和ちゃんは「ふふっ」と含み笑いを一つ見せてこっちを見てくる。


 「あいつは今、野球をやり切ったと勘違いしている。楠木も倒してもう叶わないピッチャーなんていないと思ってる。井の中の蛙大海を知らずって奴だな。だから教えてやるんだよ。お前なんて大した事ねぇって、もっと強くて戦って楽しいピッチャーはいるぞってな」

 「というと?」

 「それは明日のお楽しみ。球技大会だ英雄。楽しめよ」

 ニヤリと笑う佐和ちゃん。

 その笑顔に俺は首をかしげるのだった。



 翌日の球技大会。

 佐和ちゃんの意味深な発言とは裏腹に、何事も起きる事無く大会は予定通り進行していった。

 男子サッカーは野球部の活躍もあり、結果的に須田率いる我がD組が優勝。

 D組は女子でもソフトボールで2位、サッカーでも3位と好成績を収めている。


 そして昼休憩の後、午後の部である男子野球が始まった。

 D組を率いるの監督は佐和ちゃん。素人ばかりのチームでも的確な助言をして、苦戦しながらも試合に勝ち進む。

 それにしてもやっぱり佐和ちゃんはスゲェな。アドバイスが的確過ぎる。そしてスパッと選手たちにはまり結果を残してくる。

 俺達の世代は選手が強すぎたとか言われるけど、そんな事は無くて、佐和ちゃんの指導が凄すぎただけだと思う。



 そして優勝決定戦の相手はA組。

 A組の教師であり監督は熊殺しこと蔵田先生。ベンチで腕を組んでいるだけで威圧感が半端ないし、ベンチから選手を鼓舞する声なんかは脅迫してるんじゃないかと思うぐらいに恐ろしい。

 その脅迫にも似た鼓舞にA組の選手たちは「打たないと殺られる」という恐怖心から結果を残していく。なるほど優勝決定戦に来ただけある。これは強敵だ。

 一進一退の攻防戦は素人同士の試合とは思えないぐらいに白熱していて、俺は佐和ちゃんと同じベンチに座りながら、一人の観客として試合を見ていた。


 「英雄、誰かとキャッチボールしてろ」

 「あ? なんでだよ?」

 背もたれに体を預けて足を組んでみていた俺に、佐和ちゃんが話しかけてきた。


 「エキシビジョンマッチを組んだんだ。そこで投げてもらう」

 「なに? 相手は?」

 「そこは秘密だ。ただ校長に提案したら満面の笑みで是非やろうと言われたことだけは語っておこう」

 なんだなんだ? 佐和ちゃんが凄いニヤニヤ笑っているぞ?


 …まさか。

 思わず俺は相手ベンチ、A組が陣取るベンチへと視線を向ける。

 そのベンチの奥で、素振りを勤しむ大輔の姿があった。


 その姿を見た瞬間、胸がゾクリと震えた。

 身体が無意識下で高揚していくのを感じた。

 なるほど、これが今日のお楽しみか。これで昨日の佐和ちゃんの含みのある発言も合点がいった。


 「なるほどな、最高の舞台を用意してくれてありがとな佐和ちゃん」

 「どういたしまして、その代わりきっちり見せつけて来いよ。プロ野球に行く男のピッチングを、三村大輔が見た頂点はまだまだ中間地点だったって事をな。そして燃やしてこい、あいつの野球への情熱を」

 「任せとけ佐和ちゃん」

 一言笑みをこぼしながら、俺は佐和ちゃんに答えた。



 「恭平! キャッチボールしようぜ」

 「は? なんで?」

 「暇潰しだ。俺の暇を潰させろ」

 「あ? なんで上から目線なんだてめ。僕の暇を潰させてくださいだろう?」

 なんでクソどうでもいいところに噛みつくんだよお前は。

 呆れながらも適当に言いくるめて、恭平とキャッチボールをして肩を作っていく。 


 最初は山なりだったボールは、やがて矢のように真っ直ぐに恭平のミットに突き刺さる。

 それにつれて、どんどんと球の速さは加速していき、恭平のグラブは大きな音を立て、俺の投げるフォームに力がこもっていく。


 何度目か、恭平のグラブから乾いた音が鳴った所で、恭平がグラブから手を抜いてパタパタと手を振った。


 「いってぇなぁ! なにがキャッチボールだよ! これじゃあピッチング練習じゃねぇかよ!」

 文句を言う恭平に、俺は一度息を吐いてから「わりぃわりぃ」と平謝りをする。

 恭平には悪いが、相手は俺以上にプロから注目された三村大輔だ。手を抜くわけにはいかない。


 「言っとくがな英雄! 俺はてめぇの女房じゃねぇし! 俺の女房は千春ちゃんだけだ!」

 「悪い恭平、今はそんな気分じゃないから、事が済んだら覚悟しとけよ」

 どんな状態でも今の恭平の言葉は見逃さない。

 大輔との対決が終わったら、今度は恭平との対決になりそうだ。


 ふと、グラウンドの周りで見ていた観客が歓声をあげる。

 俺と恭平はグラウンドへと視線を向ける。どうやら試合が終わったようだ。

 試合は7対5でD組が勝利した。お見事佐和ちゃん、素人集団で良くまぁ優勝に導いたな。


 さてさて、宴もたけなわなところで、校長先生がマウンドに近くに立ちマイクで喋り始めた。


 「えー生徒諸君今日はお疲れさま! さてこの後は、野球部夏の甲子園優勝記念エキシビジョンマッチと題し、甲子園優勝ピッチャーで広島シャークスに一位指名されましたプロ野球選手佐倉英雄君と、夏の甲子園の大会本塁打記録を塗り替えた三村大輔君の、一打席勝負をおこないます!」

 マイクを通して聞こえる校長先生の声に、観客は「おぉ!」と歓声をあげた。

 指笛を鳴らすものもいる。突然の出来事だったってのに順応力が高いな。これが三年間、お祭り好きの校長のもとですくすくと育った生徒たちか。


 「あー、なるほどね」

 俺の隣で校長先生の宣言を見ていた恭平が納得したような声をあげた。


 「甲子園優勝チームのエース対四番か。高校野球ファンにはたまらないですねぇ」

 なんて言葉を恭平は、しみじみとした口調で一言呟くと、俺と恭平はベンチへとゆっくりと歩いていく。



 「勝負は一打席、ボールは硬球」

 ベンチに到着した所で、校長先生に呼び出される俺と恭平。

 校長の周りには、同期のOBである哲也、誉、龍ヶ崎、中村っち、鉄平のみなさんと、秀平と耕平君、最後に今日の主役の一人、大輔がいる。


 「三村君がヒットを打てば、三村君の勝利! 三村君がアウトになれば、佐倉君の勝利だ!」

 「なるへそ。だから守備も来た訳か。簡単で分かりやすい」

 大輔との一騎打ち。正直ヒットもアウトも関係ない。

 俺は最初から三振しか狙っていない。一本でもフェアゾーンに飛ばされたら、結果がどうであろうとその時点で俺の敗北だ。


 「バットは木製か」

 大輔の手にあるバットを確認する。

 金属のように光を反射していなく、色も金属のような輝きが無い。どう見ても木製バットだ。


 「あぁ? あぁ佐和先生が、高校野球引退したんだから木製バットにしろって言ったから、木製バットにしたんだよ」

 そう語る大輔。

 正直木製バットになろうと関係はない。金属木製の違い程度では大輔のバッティングの冴えは落ちない。それは先日のアジア大会で実証済みだ。


 「それより英雄、これは俺の人生最後の打席になると思う。だから…」

 「あぁ手加減なんてしねーよ」

 大輔の言葉を遮るように俺が口にする。

 どこか嬉しそうに笑う大輔を睨みつける俺。

 なにが人生最後の打席だ。対決が終わった後、絶対に「やっぱり野球を続ける」と言わしてやるからな。



 「英雄、まさかこんな形でまたバッテリー組むとはね」

 キャッチャー装備をつける哲也は苦笑い。

 現在、後ろを守る選手たちは佐和ちゃんのノックを受けている。三年生組はとにかく動きにキレがない。現役時代のキレを残しているのは龍ヶ崎ぐらいか? さすがの佐和ちゃんも「おめぇらもっと体動かせ! 毎日野球部の練習に参加させんぞ!」と呆れた声で叫んでいる。


 「あぁ、まさかこんな形でバッテリー組むとは思わなかった」

 「うん、…でもこれが僕達最後のバッテリーで良いんだよね?」

 ふと哲也が聞いてきた。

 しんみりとした表情を浮かべる哲也。…あぁそうだな。そうなるよな。


 「そうなるな」

 「…じゃあ、強気なリードしなくちゃ」

 「おぅ任せた。今日は全身全霊で大輔の奴を打ち取るぞ」

 「りょーかい!」

 軽いやりとりを交わして、最後にグラブタッチを一つする。

 反対側のベンチに立つ大輔を見る。ヘルメットの陰影で彼の目の周りは良く見えない。だけど鬼気迫る表情を浮かべているとなんとなく察した。

 帽子を一つ被りなおして意識をスイッチする。

 甘々な学生生活モードの俺は一瞬にして野球選手の俺に切り替わる。



 ノックも一通り終えて、最後に俺もマウンドに上がり投球練習を数球こなす。

 急遽登板ではあるが、指先の状態が悪くない。甘々な学生生活ばかりの日々だったが、それでも指先の感覚は衰えていなくて安心したよ。


 「ただいまより! 広島シャークス1位指名の豪腕サウスポー佐倉英雄! 対! 夏の甲子園、大会本塁打記録更新、怪童三村大輔の一番勝負を行います!! 観客! 盛り上げろ盛り上げろぉ!」

 マイクを通して、校長の声がグラウンドに響く。

 観客の生徒どもはまるで狂ったかのように大声を出して、グラウンドに立つ10人の選手を応援する。

 

 「プレイボール!」

 球審は佐和ちゃん、一塁審は佐伯っち、二塁審は里田、三塁審は亮輔。

 佐和ちゃんの野郎、特等席で俺と大輔の勝負を見守るつもりか。

 良いだろう。怪物になった教え子同士の対決、興奮しながら見ていろ。

 帽子のつばをつまみながら俺は抑えきれない笑みで口元を歪ませる。


 「勝負だ、大輔」

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